03切っ掛けと限界と買い食い。

 その日のHRは席替えで、偶然にも今駒と窓とに挟まれることになった。
 そういえば、こいつが転入してきたときも俺の隣だったか。どうでもえぇけど。

「わ、隣か! よろしくなー財前!」
「ん」

 いつも通りにっかと笑うそいつに、いつかのような儚さはない。そっと盗み見ていたら気付かれ、小首を傾げられた。脳裏に浮かぶのはリス。
 こんなでかいリスがいてたまるか。

 窓際ということもあって早々に席に着いた俺は、思ったことをなんとなく口にする。

「今駒、いつもギターケース背負っとるけど何部なん?」
「え、今?」

 目を丸めた今駒も同じく腰を下ろし、すぐに人懐っこい顔で笑ってみせる。これが嘘っぽく見えないから食えないんや、こいつは。

「見た通りギターが入ってんだけど、アタシ軽音やってんだ! 軽音部。たまに体育館とかでやってんだけど……知らなかったか?」
「おん。興味もないしな」
「うーん辛辣!」

 笑う声がうるさくて、耳を覆うように肘をついて外を見上げた。夏も盛りに近付く青空は目に痛くて、結局は目線を戻したけど。

「……楽しそうやな」
「そらモチロン! ……あ、うつった」
「俺はそないなこと言わんわアホ」
「ははは! 容赦無さすぎだな!」

 わめく顔は変わらず笑顔。
 何はともあれ、こいつが音楽を楽しんでいることに偽りはないらしい。



 そう、思っていたのに。

「アタシ軽音辞めるわ」

 “友人”たちに囲まれて言い放った今駒は、少しも変わらない口角の上げ方をしていた。




 夏休みもあと少し。とまでは行かずとも、指折り数えられるまでに迫った頃。そうなれば、文化祭の準備を進めるべきだという声も上がるわけで。
 おおよそ何をするかまで決めた日の放課後は、当然のように各々の部活での催し物の話題で盛り上がっていた。

 ちなみに、昨年のテニス部ではどこぞの色物のおかげで女装喫茶をやらされた。今年も似たようなことをやったらボイコットしたるクソ。

 ……話が逸れた。

 自分のところはどれそれ、とはしゃぐ人間の輪に属していれば、当然同じ話題が振られる。
 そこで、あの根はことなかれ主義の今駒がはぐらかすことなく、むしろ爆弾を投下するのは予想外だったけども。


「えー、もったいなー」
「なんでなん?」
「んんー? そりゃあ秘密。あーホラ、秘密のある女のが魅力的っつーだろ?」
「なんやそれ!」

 ゲラゲラと笑い声が響く、ひびく。
 今駒は、未だ笑っている。

 次いで俺の目に入ったのは、今駒のギターケース。無意識を装って背負ったそれは思っていたよりも重く、変に背負ったのか肩が少し痛んだが、あぁくそ、知るか。

「今駒」
「あ、財前どうしっ、え、ちょ?!」

 人の群れの奥、壁によりかかるようにしていたそいつの手首を握り、引く。自分のよりも細いそれに内心戸惑ったものの、本人が抵抗しないのを良いことに、そのまま教室を飛び出した。




「財前! なぁ、おい?! ちょっと!」

 無遠慮に捕まれた手首を人質(?)にとられているおかげで、早足を止めることもできないし、投げ掛けた言葉が届いている気配もない。
 一体何なんだ、とため息を吐いたところで階段に差し掛かり、慌てて意識の先を足に下ろした。

 足音荒く階段を降りていく財前の背で跳ねているのは、テニスバッグとアタシのギターケース。足元に目を向けたとき、視界も下がったのでアタシのカバンも持ってくれているらしいのもわかった。

 とりあえず安心はしたけれど、彼の目的がわからない。
 甦るのは、教室で私の手を取ったときの財前の顔。眉間に皺を寄せたそれは、完全に怒っているときのもの。けれどその原因よ、目的よ。

 掛けることを諦めた『どうして』『何で』が胸の内で反響して、少し痛い。



「今駒」
「え?」

 再び掛けられた言葉は、教室でのものと同じ。いつの間にか辿り着いていた昇降口の前、振り向いた財前がギターとカバンとを差し出していた。

「ん」
「あ、あぁうん……ありがと」
「こんな重いモン、よう持ち運べるな」
「いやぁ、他のもの程じゃ……」

 もう慣れたしと頭を掻く私を置いていくように、財前は再び背を向けて下駄箱に向かう。
 本当になんだったんだろう。二種の鞄を装備しつつぼんやり眺めていたら、「早よしいや」と声を張られて少し慌てた。




 結局、また手を引かれている。
 手首をじゃなくて、手自体を握ってくれるようになったのは彼の優しさなんだろうか。妙な力強さとあまりにもな体温の低さには、さすがに少し不安を覚えたけど。

「ね、これどこに連れていかれてるの」
「うっさい」

 たまらず吐き出した問いに、ようやく返事が発生したもんだから驚いた。答えが返ってきたわけじゃないけど、まぁ返事があるだけマシか。
 何度目かもわからないため息を吐いて、再び前を向いたら壁が傍らにいたもんだからぎょっとした。

「うぉえっ?! ……に、にわ──」
「テニス部」
「あぁ、テニ……え?」
「部室や」

 一言と一言。ようやっと与えられた明確な答えは、余計に疑問を膨らませるばかり。

 後ろ頭だけを私に向ける財前は、『庭球部』(これでテニス部ってことか)が掲げられた壁のような部室の前を通り過ぎ、そのまま奥にあったテニスコートらしい場所へ向かっている。
 え、何? つまりテニス部に入れってこと? 軽音部辞めるんだからって? そう言いたいのか?

 ぐるりぐるりと渦巻き始めた大量の疑問符は、「部長」と呼ぶ声でひとまず停止した。

「おー。何や財前、今日はえらい早いなぁ」

 へらり。振り向いて笑いかけてきたイケメンに心臓が止まりかける。一瞬止まった。足の方は確実に止まったんだけど、繋がれたままだった手が引かれたためにつんのめるように一歩前へ。
 つい睨み上げるも、隣にいるクラスメイトもイケメンだったことを思い出して口を閉じた。てか近いな。

「その子は?」
「……。見学っすわ」
「え、私見学なの?」
「おいおい、本人も驚いとるやん」

 横からぬっと現れたのもまたイケメン。なんだここ、イケメンがパラダイスってんのか?

 止まりそうな心臓をどうにか動かすことでいっぱいいっぱいの私を置き去りにしたまま、話はトントン拍子に進んでいるらしい。
 財前と部長さん、並んで話しているだけで絵になるってどういうことなの……そして近い……

「──ま、せやな! あの財前がわざわざ連れてきた子を追い返す訳にもいかんし。えぇよ」
「一言余計っすけどありがとうございます。……今駒」
「んっ? な、なに?」
「今日練習試合やるから、見てけ」

 突然の命令形。言い捨てるようにした財前は、そのまま手を離して来た道を戻っていった。
 『見てけ』ってなんだ『見てけ』って。茫然と見送った私の肩を叩いたのはイケメン──じゃない、部長さん。いやイケメンなんだけど。
 軽く自己紹介したところ、白石 蔵ノ介さんというらしい。この顔でクラノスケとは、また新しいギャップを持った人だなぁ。

「荷物……それギターかな? 預かっとこか?」
「あ、いえ。大丈夫、です」

 控えめに断ったのち、部長さんに案内されるままにコートの一角のベンチに腰を下ろす。

 色々とわからないことだらけだ。また息を吐く。特にわからないことは、無意識で抱き締めていたこのギターケースを彼が背負っていたときには何も思わなかったこと。
 大切なもの……の、はずなんだけどなぁ。



 テニス部のユニフォームを着ている財前を見るのも、テニスをしている財前を見るのも始めてのことで……なんと言えばいいのか、ただただ新鮮だった。
 実はルールをよく知らなかったのは置いといて、それでも彼が圧倒しているのははっきりとわかるんだから、もしかしてめちゃくちゃ凄い人なんじゃないか。ぼんやりそう思ったところでベンチが揺れて、慌てて横を見る。

「あー、悪い。驚かしたか?」
「い、いえ。大丈夫です」

 どもった返事ににっかりと歯を見せたのは、さっき横から伸びてきた人……だろうか。自信がない。
 考えながら返事を重ね、“私”として対応してしまったことにようやく気付いて頭を掻いた。

「財前、スゴいやろ」

 ぽつり。独り言で済ますには大きな言葉に、再び顔を横に向ける。
 少し間を開けて隣に座るその人は、まだ少しだけ笑っていて。けれどその目は、直ぐにテニスコートに向けられた。

「……そう、ですね。その、私実はテニスあんまり知らないんですけど、ざいぜっ……財前くん、が凄いんだっていうのは、ひしひしと」
「はははっ! テニス分からんのに連れてこられたんか!」

 その人が快い笑い声を上げるのと同時、財前が点を決めたのを知らせる音がした。
 あ、試合も終わったのか。

「そういや、自分の名前聞いとらんかったな」
「あぁ、今駒です。今駒 遥」
「今駒サンか。俺は忍足 謙也っちゅーんや、よろしゅうな!」

 いつの間にか詰められていた距離は、オシタリ先輩が私の手を取ることにより更に詰まる。
 この人の明るさはきっと根からのものなんだろう。そう思うと余計眩しくって、つい細めた目を誤魔化すように笑った。

「……お、天才のお帰りやで」
「天才?」
「謙也さん、余計なこと言うん止めてもらえます?」

 流れる汗をタオルに吸わせながら寄ってきた、曰く『天才』は私たちの間にむりくり腰を捩じ込む。

「うわっちょ、財前?! 先輩押し出して座んなや!」
「はーうるさ」
「お、お疲れ様……」
「……ん」

 ベンチの下に置いていたらしい水筒に口を付けている財前の頬には、未だ汗が伝っていて。体育の授業でもこんなに汗を流しているところは見たことない、はず。
 けれどその顔に疲労の色は窺えず、それどころか涼しげにも見えるあたりが天才と呼ばれる所以なんだろうか。

 と、不意に流し目と視線がかち合うものだから慌てて逸らした。

 いや、別に、何かが気まずいというわけじゃないんだけど、あの目で真っ直ぐに見られると、いや真っ直ぐでなくてもダメだ、流し目もダメ、駄目です。全部を見透かされてしまう気がして、とにかくダメだった。

「……今駒、」
「それにしても、財前がカノジョ連れてくるとはなぁ!」

 そんな挙動不審さマシマシな私に掛けられた、明らかに続きを持った言葉は、より明るい声にかき消されて。恐る恐る隣を見上げれば、目一杯に溜め息を吐いている財前が見えた。

 というか、カノジョ。
 え、彼女? 私が? 財前の? そ、う見えると? いや、いやいやいや。いや確かに手は繋いだけどあれは財前からですし──て待って、よく考えたらずーっと財前に手を握られ、え? 校内を? 教室からずっと、その状態で歩いてきたわけで? え、ヤバくない? 乙ゲか?

 止まっていた思考回路のスイッチが再び入るも、変わらずまとまりのない単語と疑問符が回るように流れていくばかり。あらぬ方向へ走り出しそうになった胸のうちの何かしらは、隣からの呆れ声によって止まる。

「ただのクラスメイトなんすけど。何をどう取ったらそんなお花畑思考に飛べるんすかねー、ほんまわからんっすわあんた」
「お前はホンマ、俺のこと先輩と思っとらんやろ?!」
「っすね」

 ただの、クラスメイト。

 彼の言葉に、目の前の出来事が急激に遠ざかっていくような感覚がした。わかりきっていたはずなのに、その言葉はどうしてか、少し、結構、心に刺さった。



 何言かを交わして忍足先輩を追い払った財前が私を呼んで、ようやく私の時間は帰ってきた。

「何?」
「いや……無理矢理引っ張ってきといてアレなんやけど、別に帰りたかったらそれでもえぇから」

 そういう財前は、目線だけを逸らしていた。
 それが申し訳なさか気まずさか、はたまた想像もつかないような別のものなのか。私には欠片もわからないけれど、ちょっとだけ可愛く思えてしまったのはここだけの秘密。

「……何や、ニヤついて」
「はいはいキモいってんでしょ、悪ぅござんした。……時間もあるし、最後まで見てくよ」
「そか」

 頷いた財前から続く言葉はなく。間違えた返事でもしただろうか、自分の言葉を思い返していると、急に立ち上がるもんだから勝手ながらビックリしてしまった。

「俺、次あるから行くわ」
「もう? 早いんだね、いってらっしゃい」
「あと……そういう笑い方は、アリやと思う」
「……え?」

 突然放られた言葉の意外さのせいで自分の耳を疑っている間に、冷血天才財前くんはさくさく歩いていってしまった。
 ……アリって、どういう意味のアリなんだろう。

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