03切っ掛けと限界と買い食い。
そして、私の日常と化し始めたそんな彼は「寄り道するか」と言い放って。
そういう理由で、私はこのソースと油の匂いに満ち満ちた店内に腰を下ろしているのだった。
そういえば買い食いとか初めてだなぁ、こんな時間でも人っているんだなぁ、とか思いながら店内を見回していれば、トレイ……トレイって呼んで良いのかな? 器に乗ったたこ焼きで両手を塞いだ財前が目に入ったので、軽く手を挙げて場所を伝える。
「マヨ要るか聞くん忘れたわ」
「大丈夫だよ、ありがとう。いくらだった?」
「いい、奢る」
「え、待って?! 払う払う!!」
さらりと置かれた言葉に慌てて財布を引っ張り出そうとするも、その前にたこ焼きを押し付けられたために断念。今回は、大人しく好意に甘えることにした。
「あっふっ! まっへ、ほへあっふい!」
「アホ、焼きたてなんやから熱いに決まっとるやろ」
呆れ声。ごめんね慣れてなくて関東人ですから!! 唸りながら涙目で睨みつければ、意図を汲んでくれたのか水の入ったコップを突き出してきた財前。
「ん"ん"! んー……あぁ。焦った……お冷やありがとね」
「ん」
肺に詰めた後悔を、中身が半分ほどになったコップに吐きつける。向かいに座る彼はというと、口にするでもなくただつまようじを刺して刺してを繰り返していた。
アレが正しいとは思わないので真似はしないけど、そういう冷まし方もあるんだなって。あるのか?
それから少しの間を置いて、彼は口を開く。
「それで、なんで軽音辞めるん」
静かに向けられる緑に、誤魔化しが効かないことを悟った。
私はただ、楽しみたかっただけだ。
けれど彼らは、ただ遊びたかっただけなんだと今は思う。
おかしいと思い始めたのは入部してから数ヵ月後、二年に入ってすぐの頃だった。
軽音楽部は週に三日ほどで活動、というか練習をしてたんだけど、春の時点で活動日に練習していたのは既に数名だけ。それでもその数人で練習して、皆の前で発表して拍手を貰って。お世辞でどうにか上手だと言ってもらえる程度だったけど、それでもその時は楽しくやれていた。
その時は、まだ良かった。
発表するには、先生の許可が必要だった。先生自体はゆるっとした人で、許可を取ることだけなら簡単だった。問題は、許可を取りに行かなければいけないはずの先輩方。
彼らが発した「めんどくさい」の一言、そのたった一言で、部活は急速に停滞していってしまった。
練習は──「めんどくさい」。
発表は──「めんどくさい」。
許可は──「めんどくさい」。
あれはめんどくさい、それがめんどくさい、どれもめんどくさい、全部めんどくさい!
ただただ遊び呆ける彼らとそれに追いやられようとしている仲間たちとを見ていた私は、この“楽しさ”を手放したくなかった私は立ち上がった。
けれど、それすらも間違いだった。それが間違いの始まりだった。
まず許可を取った。発表の機会と、そのための新しい練習場所を得る許可を。ドラムがいないから、移動は楽だったなぁ。
次に曲を決めた。その次に練習を、発表を。
今までで一番の拍手をもらったとき、全てが報われた。気がした。
その一瞬だけ爽やかな気持ちになれたのは確かだったけど。
ふわふわした気持ちのまま戻った部室で言われたのは、「次もよろしくね」といったこと。それは、非協力を示す言葉でしかなかった。
けれど、ふわふわしていた私はそれに気付かないままに請け負ってしまった。
新しい場所もおかしくなったと気付いたのは、六月の頭くらいだったっけか。財前と、ショッピングモールで鉢合わせた頃。
ふと部室で顔を上げたら、真面目にやろうと約束した彼らが、ただお菓子を食べながらくっちゃべってるのが見えて。
いや、別に、それ自体は気にならなかった。練習は皆でやっていたし、お菓子を食べながら雑談することだって当然ある。
私に刺さったのは、その後だった。
彼らの笑い声をBGMに作業する私の手元には、様々な紙束があった。許可書だったり、リクエストだったり、あとは何か色々あったはずなんだけど、まぁ忘れた。重要なのはそこじゃない。
それらの紙は、少なくとも一人で抱え込むものではない。だから何となく、軽く、助けを求めるように「手伝ってくれない?」と声をかけた。
けれど返ってきたのは。
「それは、遥の仕事っしょ?」
ただ、それだけ。
からり笑いながら言われて、それで全部が終わった。
私はただ、“友人”のためにやっているつもりで、だから頑張ってこられた。けど、その“友人”との繋がりを感じられなくなったころに財前と話して、“友人”って何だろうって改めて考えたら何かが冴えたっていうか、覚めたっていうか……
足場、拠り所がなくなってしまった感覚はあるけれど、その代わりに頭はすっきりしていた。思考に靄をかけていた友人という縛りがなくなったからだろうか、特に迷うことなく退部届けを出すことができた。
「のが、昨日の話かなぁ」
ちょうどいい熱さになったたこ焼きを口に放る。さっきので火傷でもしてしまっていたのか、少し視界が滲んで二つ瞬き。
「つまり、俺も一因になるわけか」
「え? あ、ごめん。そういうつもりじゃなかったんだけど……や、違うな。むしろ財前のおかげっていうか」
「……んなら、えぇけど」
そう言う財前のたこ焼きは、残りひとつ。やっぱり熱いのにも馴れてるのかなぁ。
降りる沈黙はよくあること。その隙にと半分以上が残るうちのひとつをまた頬張れば、思っていたよりも早く、彼は口を開いた。
「つまり、軽音やんのが嫌になったワケやないんやな?」
「う、うん。そりゃまぁ」
掛けられた言葉は余りに想定外で、決まっていた返事も少し詰まった。そういえば「軽音“部”を辞める」とは言ってなかったっけか、しまったな。
対する財前は何食わぬ顔で頬杖をつきながら、最後の丸につまようじを突き立てるところで。特別理由があったわけじゃないのに、どうしてか目が離せなくなってしまい、そのまま口に放られるまでを眺める。
味わうように目を閉じた彼の睫毛は、存外長い。
「今日、俺テニス見せたやろ」
「うん?!」
「……何や」
「や、ごめん、何でもない。ちょっとぼーっとしてて、つい」
急にその目で見られたから、なんて言うわけにもいかなくて無意味に手をバタつかせる。
わたつくままに先を促せば、大きく溜め息をつかれた。眉を顰められたのも甘んじて受けるしかない。
「……で、見せたんやから代わりに今駒もギター弾いてみせろ。……って、言うつもりやった」
「『やった』ってことは、今はもう違う?」
「弾きとうなくなったから辞める言うたんかと思っとってな。けど、まだ軽音自体はやる気はあるんやったら、俺がどうこう言うんは筋違いやなって」
明らかな答えではないけれど、低く、やや早口に告げられる言葉。そのままの意味で受けとるなら、それはつまり。
「心配、してくれてたんだ?」
「──」
口の端に青のりを付けた顔は、表情を固めたかと思うとその口を開いて、また閉じる。
違うなら違うと、それこそ切り捨てるように言う財前が言葉を選んでいるさまは、率直に言って面白い。
「……もし、そうやとしたら?」
「へへ、ありがとって言う」
やっと吐き出したそれに笑みを洩らしたら、「笑うな」と額を小突かれた。
財前の耳はちょっと赤かった。
「うわ、制服がすごいたこ焼きの匂い放ってる」
「今駒が食うの遅いせいやろ」
「うぅー……」
夏は日が長いとはいえ、部活の後の寄り道で腰を据えれば夜が迫ってくる。オレンジに青が混ざりだした空を見上げれば、その足音を伝えるかのように星が散りばめられていた。
視線を戻せば、財前のそれと私のがかち合って。多少の気まずさはあったけど、逸らすことはせずに少し笑ってみた。
「……帰るか」
「うん。……手、繋いでもいい?」
「何でって言うても繋ぐんやろ」
「へへへ、今日だけだからさ!」
するりと滑らせた先、財前の手は気のせいだろうか、さっきよりも冷たく感じた。だけど自分から握ったという事実に、少しだけ胸の内側を擽られてみたり。
「手を繋ぐのは、今日だけ。今日の一回限り、だから、さ……」
言葉が詰まる。視界が滲む。
理由もわからないまま、雫が零れた。
「こうやって拭うんは、二回目やけどな」
「はは。意地悪、言うねー」
あのときは一回ずつだけだったその指の感覚。けれど「何が意地悪やねん」とぼやく彼は何度も、落ちていく物がなくなるまで冷たい指で私の頬を撫でていた。
胸のうちのそれは、ぐずぐずと混ざり合いまくったおかげで名前をつけることはおろか、色分けすらもできない有り様だ。
それが、情けなくも目からあふれでていったときはさすがにちょっとビックリしたけれど、特に悲しいわけではなかった。冷たいけれど暖かかった手のおかげ、だったんだろうか。
一人になった帰り道、ふと甦ったのは「俺も一因か」という彼の言葉。
別に、今さらそれを肯定しようとかいう訳じゃなくて。泣いたせいかぽっかりと空いたようになってしまった胸に残ったこの温かいのは、きっと彼のせいだっていう、ただそれだけ。
ゆっくりと消えていく夕焼け色を追い掛けるように、走りたがる心のままにただただ家路を駆けた。
18/01/29
18/11/13 公開
18/11/14 修正
18/11/13 公開
18/11/14 修正