冬で終わり春に始まる

 立海に入って一年目の終わり、冬が残る終了式のこと。
 それはそれはおかしな人間に告白された。

「好きです」

 日常会話のようにさらりと、恋から来る熱のこもった声ではないままに、愛に酔う赤みの差した顔でもないままに告げられた言葉。
 二人きりだというのに余りにもあっさりとしているものだから、自惚れか何かではないかとすら思えてくる。

「返事とかは、大丈夫だよ」

 控えめに上げた手を振ってみせる彼女は、そこでようやく頬を緩ませる。といっても、困り笑いという告白の場面には似付かない不思議な様子だが。

「その、ほら。また同じクラスになることなんてないだろうし、中途に引きずるくらいならっていうか……気持ちだけ、押し付けておきたくて」
「押し付けるんか」
「うん。だって、仁王くんの気持ちとか考えてないでしょう?」

 緩く頬を上げたままのそいつの考えは今までの誰とも違う、控えめでありながらどこか不遜さのあるもので。同じクラスにこんなやつがいたとは、殆ど話していなかったことへの口惜さが胸に広がった。
 最後だからという彼女に対し、礼と言うと異なるが誠実であるべき気がして、俺がそうありたくなって口を開く。

「返事は要らん言うたが、一応。お前さんの気持ちは、有難くは思うが応えられん。……悪いな」

 先の言葉の通り、本当に答えを貰う気はなかったんだろう。いつも、一年を通して眠たげだった黒い目が丸められるのを、俺は初めて見た。

「……うん。そっか」
「すまんの」
「ううん、ありがとう。こっちこそごめんね」

 二つ瞬いた後に目を細めたそいつは、なぜか一つ頭を下げて教室の扉に手を伸ばす。

「それじゃ、良い春を」

 不思議な雰囲気をまとっていた彼女は、最後にも不思議な言葉を置いて去っていった。

「『良い春を』……か」

 振り返り見上げた方、教室の窓から見える空は重く垂れ込んでいて、それでもなお愉快な気持ちを呼び寄せる。
 おかしな元クラスメイト──川端という女生徒は一年の最後に不思議な印象を残していき、結局俺はそれを拭いきれないまま、中途に忘れられないままに春を迎える。



 などと振り返ってみたのには理由がある。

 あれから時は進み、二年となった始業式の日。吹き付ける風が咲き誇る桜を散らしていくのを背中に感じながら見上げるは、目に痛いほどの青空──ではなく、クラス表。

 総生徒数は2500人超、1学年だけでも900人弱という、所謂マンモス校である立海大附属のクラス分け発表は合格発表かって程に場所が取られる上煩い。
 およそ900人、およそ20クラス。そうなると、去年と同じクラスになる確率は普通の中学と比べてうんと下がるはずだ。例のデータマンがいれば正確な数字がわかるんだろうが、うん。考えるのも面倒だからその辺りは置いておく。
 とにかく、そんな理由で騒いでる奴がいるのも仕方ないとは思うし、気持ちも分からないでもない。まぁ、これ以上文句を言うのは止めておくか。

 さて、例年ならただ面倒なだけのクラス替えだが、今年は少々異なるらしい。
 現在見上げているのはようやっと自分の名を見付けたクラス表、その女子の欄。
 同じクラスだった人間がいるのはごく稀で、あったとして引き当てたおよそ40分の1が仲の良い人間である可能性は更に下がる。そんな、まるで数メートル先の針穴に糸を通すような出来事が起これば口角も上がるというもの。

 ──そう。例えるなら一滴のインクのような印象のそいつ──川端 空は、何の因果か再び同じクラスとなっていたのだ。



 未だクラス表の前でたむろしている人混みをかき分け、どうにか校舎内に滑り込む。この結果を俺とあいつのどちらが引いたのかはわからないが、少なくとも川端が「ありえない」と捨てた可能性ではあった。
 それでも現実となったことを知ったあいつは、俺に好意を持っていた川端はどんな顔をするんだろうか。我ながら意地が悪いとは思うけども、意外から来るリアクションを思う時ほど足が軽くなるときはない。

 新しい教室を覗けば、まばらに人がいる中に見覚えのある外ハネ頭を見付けた。そっと、不自然にならない程度に足音を忍ばせて近寄ってみる。本を読んでいるようではあるが、カバーのせいで内容まではわからず。その視界に入るよう、ふらり机の前にしゃがみこんだ。

「何読んどるんじゃ?」
「え」

 小さな呟きと、瞬きが二つ。気の抜けた表情は変わらないものの、驚いていることは分かったので目を細めてみたり。そのまま会話を続けようかとも思ったが、それだと普通すぎてどうもつまらん。もういつもに戻った川端の顔を見上げつつ過ったのは、冬の日の最後の言葉。

「のう川端、えい春は来たか?」

 “それ”に深い意味はなく、ただちょっとした意趣返しのつもり。こいつの言う『良い春』とは何だったのか、改めて意識を傾けたところでふすり息の抜ける音が届く。

「うん、今丁度」

 見上げ直したそいつはほんの少し、けれど確かに嬉しそうに微笑んでいて。思ってもいなかった返しについ一瞬は固まったものの、すぐに取り繕って「そうか」とだけ溢した。

 他生徒の邪魔にならないようにした振りをしつつ立ち上がり、黒板に示されていた自分の席に足を伸ばす。川端に声を掛けたのは気紛れでしかなく、言ってしまえば冬の日のおまけ程度の気分。そのはずだった。
 けれど当の川端は告白し振られたとは思えない程にあっさりとしていて、気まずさは欠片もないくせに喜びは見せてくるじゃないか。その理由が分からず、少しずつ興味を深めていったのだった。

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