グラデーションを超えた先

「おまんら、誰かと付き合うたことある?」
「なっ……にを言い出すんですか仁王くん!」

 ダブルス練の休憩中、案の定柳生は吠えた。

「いやぁ、普通に興味湧くじゃろ? 健全な男子中学生やき」
「そんな……いえ、確かに反応としては過剰でした。ですが今は練習中ですよ、そういった話は練習後にしてください」
「丸井はどうなんぜよ?」
「人の話は聞きたまえ!」

 予想より柔らかかった反応を聞き流し、変わらず緑のガムを膨らませている赤髪に注意を向ける。

「んー? 俺は三……じゃねぇや四人付き合ったことあんな。今はフリーだけど」
「へぇ」
「つか、仁王がこういう話切り出すとかどういう風の吹き回しだ? あんま興味持つ方じゃねーだろぃ」
「さっき言うたろう、俺とてそういうんが気になるお年頃ナリ」
「……ふーん」

 何か言いたげなブラウンの瞳は、けれどそのままガムごと噛み締めることにしたらしい。この件に関しての注意人物リストに付け足しながら、ペットボトルのキャップを閉めたスキンヘッドへと視線をズラした。

「ってブン太お前……今さらっとフリーとか言ったけど、この間付き合い始めたって言ってなかったか?」
「うんにゃ、意外と前だぜあれ。ここ一週間くらい連絡ねーし、多分また自然消滅かなーと」

 ふぅ。頬とガムとを膨らませる丸井の隣、話頭を置いたジャッカルもまた息を吐く。曰く一年のときからこの調子で、された告白を受けては「何か違う」だの連絡が途絶えるだのがパターンと化しているらしい。それはそれで凄い奴だ。

「いやー、女子ってコエーよな」
「そう言いつつ別れた相手とダチとして接してられるお前のが怖いよ」
「それは別に普通だろぃ?」
「普通は一年半で四人の女性と関係を持つことはないと思うのですが」
「柳生の言い方やと、丸井が四股しとるみたいじゃな」

 空気の流れのまま、ただ思ったことが口を突いただけだというのに三人から同時に怒られ、ついでに真田からもサボるなとがなられた。まだギリギリ休憩時間内やというに、相変わらず頭の堅いこと堅いこと。

「にしても、全くと言っていいほど参考にならんかったのー」

 俺というやつは、冗談でなく純情寄りなのか。冷えた風に煽られたそんな思いは、ラケットを振って忘れることにした。


「告白と言えば」

 帰り道、夕の陽が闇に殆ど呑まれた様を見やるなかに響いた柳生の切り出し。その余りの唐突さに片眉を上げた。

「すいません、練習のときの続きなのですが」
「あぁ」

 俺が頷いたのを見、一つ断りを入れた柳生は口を開き直す。

「丸井くんの話から思い出したといいますか……仁王くんも、度々告白されていましたよね」
「あー……まぁな」

 嫌味などではなく、そういえばそうだったと頭を掻いた。
 確かに今年も何度か、何度もと言って良いんだろうか。よく知りもしない女子から、まるで一世一代とばかりに思いの丈をぶつけられたが、その文句のどれもがマニュアルがあるのかとばかりの様。
 何よりも、その対象が俺でなければならない理由があったのか。ありふれた言葉のつまらなさと微かな不快から海馬の端へと追いやっていた。

「盗み聞くつもりはなかったのですが、仁王くんが丁寧に断っていたのを見てしまい、その……意外に思ってしまいまして」
「ほうかや? 詐欺師と呼ばれちゃいるが、俺とて一人の男じゃき。自分に向けられる感情には誠実にやっとるつもりぜよ」
「どの口が言うんですか」
「ピヨ」

 流しきれない言葉が耳に痛い。そもそもあいつのことを忘れなかったのだって、「今までとは違う」という面白さが前提にあるわけやし。

「勝手に聞いておいて黙っているのは良くないと、いつかは話すつもりでいたのですが……あぁ、それともう一つ」
「うん?」
「昨年の──まだ仁王くんとの関わりも薄かった頃の話です。終業式の日、やりとりを耳にしてしまいまして」
「──」

 つい素で聞き返しそうになったのを抑えた自分を手放しで褒めたい。それぐらいの動揺が走ったのも当然だ、丁度頭を過っていた絶賛苦悩中の相手の話が、まさかこいつからされると思うか? 俺はエスパーじゃない。
 となれば走った動揺は足に絡み付き、振り向いた柳生との間に二歩ほどの微妙な間が生まれる。軽く肩を竦めてみせはしたが苦しい。やり直す時間をくれ。

「すまんの、ちょいと蚊柱が」
「今は冬でしょうに」
「おぉっと、知らんのか柳生? とある北の大地やとなぁ、雪の季節だろうと蚊の大群が大型の動物を吸い殺すんだぜよ」

 適当な角度に広角を持ち上げればいつもの冗談とでも取られたのだろうか、それ以上の言及はなく。まだ組み始めて浅いとはいえ、よく分かられているもんだ。

「それで、話の続きですが……」
「あぁ」
「他の、この間見てしまった方のやりとりと比べて淡々としていたことも印象に残っていたのですが、あぁいったものもまた駆け引きの一つであるのだと」
「と、いうと?」
「お相手の方は仁王くんに断られて以降も至って普通の様相で受け答えをしていたのに、教室を出た途端に泣きながら去っていかれたので、返事はいらない、押し付けるだけと仰っていた彼女の芯のようなものが見え──仁王くん?」
「泣いて、たんか」

 ぐらり脳髄が揺れる。繕ったばかりの顔がひきつる。
 さらりと頭から盗み聞いていた柳生の言葉が呼び水となったようにして、あの日の言葉が甦る。甦らない。言葉そのものは思い出せても、どんな声をしていたか、どんな顔だったかが思い出せない。記憶の補正が過去を塗り潰して何も見えない。掬ったはずの掌には何もない。

 掬って漁って掘り起こして。そうしてようやく塗り潰された隙間から拾い上げた一つは、川端が俺の返事を受けてから顔を上げることはなかったということ。
 どうしてそれを気に留めなかったのか。身長差? まさか。俺があいつの言い回しにばかり気を取られ、あいつ自身を見ていなかっただけだ。
 それが、俺の何より嫌なことだというに。

 柳生の発した通り、あいつは『気持ちを押し付けに来た』と言っていた。言葉だけはこの胸に引っ掛かっている。俺はその言葉を、額面通り「返事を貰うつもりはない」と受け取った。違ったんだ、やっと気付けた。やっと? 違う、遅すぎる。
 あいつが鈍くないことはこの一年足らずで知ったこと、だからこそ不確かな気付きが少しずつ輪郭を得ていく。

 川端は着地点を知っていた、その上で言い逃げようとしていた、それを滲ませながら思いの丈を溢した。だのに俺はそれを引き留め、挙げ句隠し示されたそれに気付かないまま、誠実を楯に断りで引き裂いたのだ。

 あれのどこが『向き合っていた』だ、ありもしない誠実で着飾って酔いしれていただけじゃないか。その上今さらそれを引き摺りだそうとしている訳だ、最低の二文字が頭の上で踊っている。

「仁王くんも、そのような表情をすることがあるんですね」

 どういうことぜよ。言葉にできないまま見やった柳生の顔も同じく見たことのない、言語化するには難易度の高い表情が浮いていた。

「……今日は、意外なことがよく起こる日です」
「確かに、まさか柳生の盗み聞きから情報を得られるとは思わんかったぜよー」

 どこか気を使ったような言葉には、少し皮肉を織り込めたそれを返す。
 一瞬でこそ相談という案が浮かびはしたが、今の言葉で十分だ。柳生の役はヒントを与える所までで、俺と共に答えを見出だすことは含まれていない。

「おまんと組んだのは正解じゃの」
「急に何を……と、何処へ行くんですか?」
「ん? 家」

 思考の整理を行いながらいつもの帰路に足を伸ばせば、そういえば付いてきていた柳生から声が上がる。

「きょ、今日はグリップテープを買いに行くという話でしたよね?」
「あぁ、それで付いてきとったんか」
「仁王くん!?」

 例えそれが本気の言葉であろうと、目一杯にとぼけてやれば直ぐ別の意味に覆われる。くつくつと笑いながら足の向きを戻してやれば俺の本意はするり隠れ、先まで空気を占めていた話題もまた流れてゆく。
 再浮上した疑いはあれど、思考を積めばまた見えてくるものもあるだろう。敵を騙すならまず身内から、他人を掻き回すにはまず自分の全てを飼い慣らす。テニスでもそれ以外でも同じだ。
 この先何があろうと俺の芯がブレることはないし、そんなことがあってはいけない。誰に向けるでもなく誓った一つ。



 その翌週、幸村は病院に搬送された。

18/05/29
19/02/22 修正、公開
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