過去の話をしよう

 月の光に照らされて真っ白に輝く、美しい天使の羽根が見えた、はずはないよな、きっとそんな気がしただけだ。あまりに儚げで綺麗だったから。俺の足音に気付いて顔を上げた名前は思いつめた表情で口を開いたものの、やがて言葉を探すのを諦めた様子で結局何も言わずに月を見上げた。そんな名前に、俺の方も用意した台詞が場にそぐわないように思えて言葉に詰まってしまう。すると名前の透き通った声が耳に届いた。

「月が、」

 綺麗ですね、と続けようとしたのだと直感した。その意味は知っている。そのくらいの教養はある。俺はどこか焦ったように口走っていた。

「月が綺麗ですね」

 口にした愛していますという意味のその言葉は、名前に伝えるには漠然と役不足に思えた。君には伝えないといけない他の言葉があるんだと。でもそれが何なのかはまだ分からない。でも、名前の涙を見た瞬間、しまったと思った。滂沱として流し続けながら無言で俺を責めた。押し殺された声や嗚咽おえつが俺を嘘吐きと云う。違うんだ、俺は名前が好きだよ。結婚したいとも思ってる。でも名前はいつか未来の世界へ帰るかもしれないじゃんか。君は"善逸くん"と幸せになるんだろうけど、俺は? どうなるんだよ。名前が毎晩うなされてるのは知ってる。分かりやすくなってきた隈も、炭治郎だって気付いているだろう。俺への嫉妬で押し潰されそうになってることも。それが嬉しくて名前が可愛くて仕方ないんだから、俺は単純野郎だし最低野郎だ。それでも。君がこれからもそんな俺のことを変わらず好きでいてくれるとしても……。

「泣き虫なかぐや姫は月に帰れるの?」

 ようやく俺がそう零せば次々と流れていた涙が止まった。良かった、そう思ったのに名前からはまた違った悲しい音がした。俺は名前を悲しませてばかりだな。


+++


 違う。違うから。私はかぐや姫なんかじゃないから。私はどちらかといえば人魚姫なのだろう。だって貴方は私に振り向いてくれないじゃない。あの子を見てる。禰豆子が善逸になびくかは分からないけどもしそうなったら、そうなっても、私は善逸のために命さえも投げ出すかもしれない。私は泡のようにこの世界から居なくなる。そうしたら元の世界へ帰れる? 保証も説明書も無いから分からない。私はかぐや姫にはなれないんだよ、善逸。叶わない恋をしているのは私の方だもの。私はどうしようもなく恋わずらいをしているんだよ。ああそうだ、私は善逸くんではなく貴方にこんなに狂おしい想いを抱いてるのに、私は貴方のこと何も知らないや。善逸くんとは違う人生を生きる貴方のことを。ねぇ、教えて下さいな。

「…ねえ、善逸はどうして鬼狩りになったの?」

 彼の台詞を無視してそう問えば、先程の私と同じように月を仰いで善逸は静かに口を開いた。

「俺は孤児でさ。好きな女の子に騙されて借金貢がされて、それを肩代わりしてくれたのが鬼殺隊の育手であるじいちゃんだったんだ。俺にとっては家族みたいな人」
「なんか善逸らしいね」
「え!? それどの部分が!? もしかして借金のくだりぃ!?」
「ぜーんぶ。今までの過去の一つ残らず全部寄せ集めて今の善逸だから。私はそのうちのほんの少しでも貴方の口から聞けて嬉しい」
「…じゃあ、名前も話してよ」

 その時の善逸の優しい微笑みが、脳裏にこびりついてとれそうにない。それから私達はお互いのことをたくさん話した。私は、人生で一番幸せな一時だった。……好き。好き、大好きだよ善逸。ああ、もうこの恋は止められないな。前の世界より"君"が近いんだ。朝から晩まで同じ空間に居るから感情の制御が出来なくなっている。どこまでも大きくなって、やがて私を食い尽くすんだ。その時は甘んじてそれを受け入れようと密かに腹を括った。



 それ以降私は少しずつ悪夢から解放され、やがて三人の怪我が完治した。骨折にしては治りが速い気がしたけど、まあ何はともあれ本当に良かった。ほっとして、嬉しくて最近のモヤモヤなど吹っ飛んだ。久しぶりにニコニコしている矢先、鴉が任務を無情に告げた。思わず鴉を殺意を込めて見下ろしてしまい怯えられた。なんだか最近怯えられてばかりだなあ。

「お世話になりました」

 大変お世話になった上に、藤の家門の屋敷のおばあさんーーひささんがお見送りをして下さった。伊之助がひささんに殴りかかろうとするので善逸が咄嗟とっさにひささんを背中に庇う。善逸はいつもそうやって躊躇ためらいもなく自分を盾にして誰かを守るんだなあ。そしてやっぱり善逸はこの三人のうちで意外に一番常識人だよなあ、と思う。

「馬鹿じゃないの!? 切り火だよ! お清めしてくれてんの! 危険な仕事行くから!」
「……」
「?」
「っ、」

 考え事をしていて見つめ過ぎていたのか、善逸が首を傾げてきて、一気に顔が熱くなった。でも、……なんだろうこれは。

 四人で走る間も私は善逸の斜め後ろから横顔を見ていた。なんだろう。まるで癖になったみたいに、善逸を見つめてしまうことが多くなった。それに今日はなんだか……。

「あっ加速した!」

 うなりながら炭治郎に追いつこうと加速する善逸の後ろ姿。それだけ。なのに。なんだろうこれ……善逸ってこんなにかっこ良かったっけ?

ーードクン、

「えっ?」

 思わず声を上げてしまうほど無意識に体が想いを示した。ほぼ同時にそれを理解出来たので改めてその背中を見つめれば、どんどん小さくなるそれにキュウと胸が締め付けられて。

「っは…、ちょっ、…待ってよ…」

 ヒィヒィ言いながら差が大きくなっていくと、見かねた伊之助がかついで走ってくれた。おお意外だ。

「ありがとう伊之助」
「あーーーっ!! ズルいぞ猪野郎ー!!」
「ああ゛?」

 あっという間に追い付いた私達の状態を見て善逸が喚き散らし始めた。ん? ズルいのは伊之助ではなく間違いなく私だ。何故かご立腹の彼を眺める自分の心境を把握して、ああ恋って厄介だなと私はこっそり白旗しろはたを上げるのだった。



- 4 -