普通とは

 鴉が告げた指令の目的地である那田蜘蛛山に着くと、善逸が突然声をあげた。

「待ってくれ! ちょっと待ってくれないか」

 声の方を振り向けば、善逸は小さくうずくまっていた。ちょっと可愛い。真顔で何を言い出すかと思えば、いつものアレが始まった。

「なに座ってんだこいつ。気持ち悪い奴だな」
「お前に言われたくねーよ猪頭!! 気持ち悪くなんてない!! 普通だ!! 俺は普通で、お前らが異常だ!!」
「…ふむ、一理ある」
「流石名前だぁー!」

 確かに、と頷けば善逸はそのままの勢いで抱き付いて「な、な!? あいつらが異常だろ!?」と更に同意を求めてきた。ちょっと……無闇矢鱈に抱き付いてくるのはやめてほしい、心臓がいくつあっても足りなくなるから。私の心臓そんなに強くないから。

 鬼殺隊士が宙を飛んで山に引き寄せられるのを目の当たりにした後、伊之助と炭治郎は山に入って行ったが、善逸は未だに震えているので私も残っている。震えながらも伊之助の間違った慣用句を正す様にこっそり笑ってしまったのは内緒だ。いやバレてるだろうけど。私は戦えないから守ってあげられないけど、好きな人を置き去りには出来ないよね普通。私は異常ではなくごく普通の人間で普通の価値観を持ってるからね。そんな私を差し置いて善逸は雀と会話を始めた。やがて自分で言った禰豆子の名前で思い出したように叫び声を上げたかと思えば私の手を掴んで走り出した。

「えっ、ちょ、ぜん…っーーーーー!!」

 善逸は足がめちゃくちゃ速かった。善逸くんでもここまでじゃなかった気がする。あそうか、善逸は鬼殺隊だから鍛えてるんだった。そんな速さに温室育ちの私がついていけるわけもなく、なかば引きずられるような形で連れられた。



「ごめんねごめんねぇ」

 イライラする。ご機嫌斜めな私を善逸がごまをすって謝り倒しながら後ろをついて歩いてくる。普通は逆だけど今は何故か私が先導する構図になっていた。いや、普通の女の子でもこういうことくらいある。例えばお化け屋敷、彼氏がとんでもなくヘタレで怖がりで頼りない人だったら彼女はわざとらしく「きゃー」なんて言っていられないもので必然的に逞しくなるのだ。いや例えが良くなかった。だってこの山モノホンだもの。マジのマジで本物の鬼出るんでしょ。か弱い私が先導するのは普通におかしい!

「怒ってないから」
「怒ってるじゃんかあ〜」

 「危ないところに連れてくな女の子をーーーー!」と高らかに叫びながら一応女の子であるこの私をあの速さで引きずり危ない山へ連れてきたこと自体に関しては怒っていない。だってどうせ善逸にくっ付いて入山するつもりだったから。ただ、禰豆子が理由であのスイッチの切り替わりようという事実に軽くショックを受けていただけ。つまりこれは八つ当たりに近い。

「いてっ」
「えっ、大丈夫!?」
「なんかチクッとしたぁ〜〜〜」

 何かに刺されたのかもと善逸の左手を取って見たけれど何も変わった様子は無かった。

「もーっ、うるさいよ! じっとしてて!!」

 辺りの臭さに苛つき出した善逸がそう八つ当たりで叫んで指差す先を向いた時だった。カサカサ音をたてる正体の登場に、その場の空気が一瞬凍り付いた。そこには有り得ないモノが居た。

「こんなことあるぅうううーーーー!?」
「きゃーーーーーーーーーっ!!」

 悲鳴を禁じ得ない。見間違いであって欲しい人面蜘蛛なんて。夢に出てきそうやだ泣きそう気色悪い。私と善逸は以心伝心のようにお互いの手を握りしめて反対方向へ走り抜けた。善逸は全力疾走しながら饒舌じょうぜつに叫ぶという器用なことをやっているけれど私はもう半べそかきながら無我夢中だった。



「嘘でしょ…」

 私達が辿り着いた場所。そこには簡易小屋が90度傾いて宙に浮いていた。そこには善逸達と同じ黒い隊服を着た人達が宙に吊され意識を失っていて、何人かは頭が禿げて手足が縮み尖っていた。そこにはとんでもない悪臭が漂っていた。つまり、ここは鬼の住処すみかなのだと直感した。

「へぐっ……!!!」

 そして姿を表した此処ここぬし。さっき見た人面蜘蛛より異様に大きなそいつは、……鬼というより蜘蛛の化け物だった。

「これが…鬼…? 蜘蛛の化け物…」

 鬼に指摘されて、自らの左手を見た善逸が絶句して絶望している。私は初めて鬼に対峙たいじしてーーただし禰豆子は除くーー立ちすくむしか出来ない。まだ善逸のことにさえ頭が回らない。けれどせきを切ったように狂い叫ぶ善逸に連れ回されて我に返り、善逸を助ける方法を見つけなくてはと自分を叱責した。すると、山に入る前からずっと繋いでいた手を放した善逸が私を抱えて木をよじ登った。え、すごい今どうやったの。善逸は蜘蛛になる恐怖にガクブル状態で、戦うどころじゃなかった。正一くんの言ってたのとなんか違うなとは思いつつ、善逸が蜘蛛になったら私も嫌なので必死に頭を動かす。でも何の名案も浮かんでこない。そもそも私はあんな化け物とやり合えるような剣技能力は無いし、蜘蛛は虫の中でも特に苦手な部類になるから出来れば触れたくないし近付かれたくない。考えている間に善逸は無意識に奴を煽り、やがて恐怖が頂点に達したのか呆気なく気絶した。


+++


 俺が情けないところを晒しても名前の音が変わらなかったのが軽く衝撃だった。俺を信じてくれてるのかもしれないけど、俺は物凄く弱いんだよ。守ってあげられる力が無いの、ごめんな。本当にごめん。俺だって嫌だよこんな自分。でも怖いんだよしょうがないじゃんか。鬼の気持ち悪いニンマリとした笑みであまりの恐怖に意識を飛ばす中思った。ああ、俺は俺のことを好いてくれる女の子一人守れないのか。


+++


「っちょ、ああっ…」

 脱力した体が枝から落ちそうなのに気付くのが遅かった。とっさに善逸の羽織りを掴んだけれど羽織りが脱げただけで、善逸の体はそのまま落下を始めてしまった。

「善逸!! 善逸っ!! 起きてーーーっ!!」

 落下していく善逸から煙のような湯気が見えたと思ったら、善逸が身を翻して木の根元を踏み台にして鬼の元へ跳んだ。ひとまずほっと息を吐くものの、状況についていけない。善逸は起きたのだろうか。一切怯える素振りも見せず、俊敏な身のこなしをする先程とは別人のような剣士。これは本当にあの善逸なの?
 しかし善逸は何度も同じ構えをとり続けていて一向に攻撃が成立しない。戦いのことは詳しくないけれど、蜘蛛の化け物がニヤリと笑うのを見てしまって嫌な予感しかしない。それに、善逸はこれまで一度も人面蜘蛛の攻撃を受けていないが、全てかわしていて一切傷つけようとしていない。さっきの鬼の口振りや現場の状況から、あの人面蜘蛛は元は人間だったからだ。だから例え自分を犠牲にしようとも決して傷つけない。善逸は優しい。本当に。だけど今回はそんな綺麗事まかり通るとは思えない。善逸の優しさが弱点にならないようにと祈るばかりだ。いつ善逸が自分を犠牲にするかとひやひやする。実際、善逸はもう毒を食らっているから犠牲になっているといえるけれど。……そうだ、善逸は毒で体が痺れてるだろうし、さっきの鬼の説明からするともう動けるような状態じゃないはずなんだ! 本当なら有り得ないことなんだ。相当無理をしてるはずだ。

ーーーカサッ

 考え事をしていたら、いつの間にかすぐそばまで一匹迫っていた。既に人間のものではない舌の先から滴る毒液が私を恐怖に突き落とす。

「ひっ、…やだっ…」

 そうか。私こそが善逸の優しさの一番の弱点だった。戦えない無力な女。ここに居る時点で最初から人質だった。少し考えれば気付くだろう普通、何故気付かずのうのうと観戦なんかしていたんだ私。アホ過ぎて今すぐ死にたいでも蜘蛛になるのは私も全力で拒絶する。

「名前!」

 私の元へ駈け出し、逡巡した様子を見せた善逸は刀で人面蜘蛛の針をいなした。直後、私の体は優しい体温に包まれちゅうへ浮いた。

「きゃあっ」

 足が地面に付くと優しい体温もとい私を抱き上げた善逸は離れていき、視界が元の高さになった。状況は変わらず最悪のまま。少なくとも時間が経つにつれて悪化していくばかり。

「死んでも俺が君を守るよ」

 いよいよ死の覚悟をしようとしていると、善逸が知らない声音で振り向きもせずにそう言った。

「善逸…」

 その時の善逸の後ろ姿は、惚れ直してしまう程かっこ良かった。目を逸らせずじっと見つめて、それはもう盛大にときめいてしまった。だけど同時にその結果を想像してしまう。私だけが生き残ったとして、この知らない世界で大好きな貴方を失った私がどう生きていけるというのだろう。無理だ、と瞬時に答えを出せる。何て簡単な問題。貴方が死んだら私も死ぬからね、と心の中で言い返した。
 大量の人面蜘蛛に飛びかかられ避けつつも、時間は待ってくれず毒は刻々と体内を巡り善逸の身体を蝕んでいる。やがて善逸は血をはいた。

「ゴフッ」
「善逸!!」

 なんだかさっきから背中が熱い。ストーブに近寄り過ぎたみたいに後ろがじりじりする。でもそんなの些細なことで、目の前の善逸を必死に目で追う。それしか出来ない自分が歯痒くて悔しくて仕方が無い。

「霹靂一閃六連」

 今度は目で追うことすら出来なかった。鬼の毒を浴びる直前、善逸は稲妻と化し、数度木をはしごして瞬きもしない間にその稲妻は小屋を突き抜けた。あまりの速さに思わず言葉をなくした。人間の動ける速さではない。まるで最初から抜いていないかのように既に刀をさやに納めている善逸が月を背に宙に浮かんだ様を呆気にとられたまま見ていた。数秒後、ドンという衝突音で我に返り、小屋の上に落下した善逸に駆け寄ろうとする。が、あんなラピュタ状態の場所へどうやって行けばいいのか。ギリ、と唇を噛む。こんな時に、背中が火傷やけどしそうなくらい熱くて堪らない。これはなんだ。さっきとは比べものにならない。

「ぜんいっ…善逸…っ」

 落ち着け。何か……どうすれば……どうしてもあそこへ……でもどうやって……。木の枝からさえ降りられない私は気持ちだけが焦るばかりで何の力も無い。情けない自分に舌をかむ。私っ……、何も出来ない役立たずだ。

「あ゛っーーー」

 その時、月光が私の背中に当たった。照らされた背中に激痛がはしり、肉が張り裂けるような痛みと熱とで悲鳴をあげた。しかし痛みはほんの少しすれば止み、噴き出す汗を流して息を整えていると、なんだか背中に違和感というか新しい部位を感じた。

「え…」

 もしや私の願いが神様とやらに届いたのか、善逸の元へ行く手段を手に入れた。手段ーーそれは空を飛ぶための翼だった。我ながら適応能力は高いもので、時間は無いためすぐさま羽ばたきを確認してフラつきつつもなんとか空を飛び、善逸のもとへ舞い降りた。

「、天使……?」

 そうだったらいいんだけど。残念なことに私はただ翼が生えただけの無力な人間のままです。更に残念なことに、ついさっき普通の女の子という枠組から弾き出されてしまいました。

「善逸…っ、」

 顔が血だらけだ、目が虚ろだ、両腕が短くなっている、所々肌が変色している、呼吸すら辛そうだ。好きな人が毒に苦しんでいる。可哀相。なんとかしてあげたい。でもどうすればいい? どうすれば善逸を救える? 解毒剤は無い。毒を吸い出そうにもあれだけ動き回れば既に体内に循環しているだろう。何も手段が浮かばない。大切な人を救えない。涙で滲んで見えにくくなった視界が、絶望で真っ暗になった。大体何だこんな翼、あっても大して役に立たないじゃないか!! ……翼? 私に今唯一出来ることは。

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