制御装置を溶かせるのは



 遠くに見える後ろ姿が善逸本人だと確信はしていた。しかし逃げるわけもないので、懐かしく感じるその後ろ姿へと歩いて近付く。するとあと数歩というところで善逸が振り向いた。

「あ、善逸久しぶり」

 善逸の横には女の子がいて、また手当たり次第に声をかけていた様子が窺える。こいつ本当に女に目がない。しかしその目が私を捉えた途端、抱き付いてきて泣き出した。本当に泣き虫な男の子だ。

「名前っ!! 名前〜〜〜っ!! 会いたかったよぉおおおん!! 音柱の継子になったって!? 酷いことされてるんじゃない!? 大丈夫なの!?」
「いやそれよりも、私だって善逸のこと心配したんだからね。大丈夫だったの? 怪我はちゃんと治ったの?」
「えっ、俺の心配してくれたんだ、ありがとううう! 俺はもう治ったんだけどさ、そんなすぐ叩き出さなくてもいいと思わない!?」
「叩き出されたんだ…」

 善逸のことだからさぞ泣きわめきながら死ぬ覚悟をして蝶屋敷を出たのだろう。それにしても泣きすがったりしおらしく照れたり、このコロコロ変わる表情、懐かしいなあ。それを見て呆れ顔を貼り付けてしまうのはもはやご愛嬌といえよう。

「はっ! あのさあのさ、蛇柱に続いて音柱にも惚れたとか言わないよね? ね?」
「惚れたといえば惚れたかな」
「え゛っ!?」
「宇髄さんは師匠だから。憧れてはいる。でも、流石の私でも四人目の嫁になろうとは思わないよ。善逸ってば私のこと何だと思ってるの?」
「…浮気性でどうしようもない、…ボソボソ(俺の大切な女の子だよ)」
「え? 聞こえないよ」

 顔を逸らして小さく呟いていた善逸が斜め上目遣いでこちらを見た。それ、……え、それ無自覚でやってるの? それとも計算された仕草なの? そういうとこだよ善逸。女をオとす方法を実は知っているのではと疑うような、天性のギャップを兼ね備えている。ときめいたのは不可抗力で、私のような女としては別に今更恥ずかしいことでも何でもないのに。善逸相手だと分かっているからどうにも悔しいという気持ちが勝ってしまった。

「わっ私、任務に行かなきゃ」
「あっ…、待ってよ、それ俺も一緒の任務だと思うから」
「本当?」
「俺まだチュン太郎の言葉分かんなくてさ…、でもこっちなんだろ?」

 チュン、と可愛いく鳴く善逸の鎹雀。え、雀なの? 善逸……、なんか雀が似合うなあ。ふふふ、ちょっとおかしい。

「ど、どうしたの名前?」
「何でもないよ。楽しみだね、鬼っ」
「…はぁ、もうやだ」

 足取り軽く進む私とは対照的に、善逸は肩をおとして今にも死にそうな顔色でブツブツぼやきながら後を付いてくる。その足取りは重い。



 夜の帳が降りてから息が荒くなった善逸が急にその息を呑んだ。

「善逸?」
「静かにっ」

 路地裏で、私の後ろに回り込んだ善逸に口を塞がれる。ちょっと善逸のくせに何するのよっ!

「んうううっ」
「っしーーっ!!」

 ……あ、これ、なんかちょっと後ろから抱き締められてるみたいかも。と思ったのも束の間、私の口を塞ぐ手や、密着した背中全体から伝わってくる振動。それはもう激しい振動、そしてそれは後ろの人が精神的恐怖から発生させているものであり、私は同じ鬼殺隊であることになんとも情けなさでいっぱいになるのだった。しかしながら彼が怯えるには理由というものがあって、今まさにソレが接近している証拠だった。私は口を塞がれつつ周囲に耳を澄ました。

「誰か…、助けて!」

 女の子の声が聞こえた。恐怖に怯えきった震える声で必死に助けを求めていた。嗚咽も聞こえる。いつの間にか善逸の口枷も外れていた。ズルズルと土を引きずるような足音が聞こえてきたと思ったらその姿が見えてきた。異形だがその腕に女の子を捕らえている。

「あちゃー、人質かあ」
「名前、暢気に言ってる場合じゃないよっ! 助けないとっ、でっでもでも、俺は戦力にならないし、どうすんの!?」

 師匠の試練では私一人だった。でも今は善逸が居る。取捨選択する必要なんて無い。助けられる。

「私が囮になるから、善逸はその隙にあの子をっ! というか善逸は早く寝てくれないかな」

 師匠から聞いた話では、善逸は眠ると本来の力を発揮するらしい。そして覚醒したらその記憶が無い、というわけだ。正直言って意識がある今の状態では足手まといになる。

「何言ってんの名前、何言ってんの!? 意味分かんねえよ!! どういうこと!?」
「子供だ。子供がいるな、二人だ」
「見つかったァアアアア! ギャアアアアアアアアーーーっ」

 見つかったのは十中八九善逸自身の大声のせいなのに、街中に響き渡る見事な情けない叫びっぷりを披露した直後、事切れたように静かになった。

「善逸?」

 善逸は立ち上がった。目は閉じられている。どうやら眠ったらしい。

「頼りにしてるからね、善逸。…狂恋の呼吸 まどわしの赤」
「なっなんだ!! 目が、前が見えぬ」

 攻撃を避けながら、月明かりで妖しく光る薙刀の動きで催眠をかけ、鬼の視覚を封じた。

「善逸っ!」
「雷の呼吸 壱の型 霹靂一閃 神速」

 速っ! 全く目で追えなかったし、残像すら見せない高速技。私が修行している間に、善逸も強くなってる。男の子って本当に油断出来ないなあ。ともあれ、鬼の腕を切って人質の女の子の救出は大成功。さて。

「狂恋の呼吸 冷血無惨れいけつむざん

 下からの斬撃で鬼の血飛沫が高く舞い上がる。嗚呼、良い血飛沫が上がった。

「名前っ!」

 善逸が私を窘めるように名前を呼んだ。バレてる。これはトドメを差すための技ではない。私が戦いを楽しむための技の一つ。分かったよ。頸を跳ねればいいんでしょう。

「狂恋の呼吸 積み木崩し」

 頸だけではなく胴体もろともバラバラに崩れ、消滅していく鬼を目で確認して、少しの名残惜しさを感じてしまった。強くなったことをもう少し実感したかったのだけど、まあ新たな犠牲者が出るのをくい止めただけで良しとしよう。

「善逸、その子は無事?」

 振り返ると、鼻提灯をぶら下げて鼾までかいている間抜け面の善逸に抱きかかえられている女の子が顔を桃色に染めて善逸を見つめていた。それはもう恋する瞳で。

「……」

 顔が引きつっていくのを止められない。その子が教えられてもいない善逸の名前を呼ぶと、鼻提灯が割れ、善逸が目を覚ました。その後はもう思い出したくもない。善逸は鼻の下を伸ばし、女の子は善逸から離れようとしない。私はまるで蚊帳の外、居心地が悪いったらなかった。なんだか無性に腹もたった。何故かは分からないけれど、見ていて気持ちがいい光景ではなかった。



「藤の花の家門、ここね」

 あれから女の子を家まで送り届け、「明日も会いに行っていいですか?」なんて頬を染める女の子と「どうか娘を嫁に貰って頂けませんか?」なんて言い出す親御さんに手を焼いた。善逸は始終へらへらしていて、私の機嫌を逆撫でしていく。善逸を置いていくように藤の花の家門の屋敷を探し歩いた。

「ねぇ名前、なんで怒ってんの?」
「怒ってない」
「怒ってんじゃんか」
「うるさいわね!」

 お互い案内された部屋は真向かいで、善逸の目の前で襖を閉めた。それから体の汚れを落としたいと我が儘を言うと、風呂を沸かして隊服も洗濯してくれるという。深夜だというのに何から何まで、こんなにお世話になって良いのだろうかと不安になってしまうほどの居心地の良さ。

「…はぁ、」

 風呂場で考えてしまうのは、先程のこと。頬を染めて善逸を見つめ続ける女の子と、その眼差しに照れる善逸の顔。不可解な、自分の制御不能になってしまう感情。

「あーもうっ、」

 考えても答えは出ないと結論づけ、湯から上がった。

「あんな男、あげてもいいはずでしょう…」
「あんな男って?」

 廊下を歩いていると、独り言に返事が返ってきた。それも"あんな男"の張本人である。

「ぜ、善逸もお風呂?」
「…俺、考えたんだけど、やっぱりそうじゃないかと思って。自分に都合が良い音が聞こえてくることなんてそうそう無いからさ、始めは疑ったんだよ? でもさ、今もまだずっと聞こえてくんの」
「何のことよ?」
「名前さ、嫉妬してるでしょ?」

 ドキリと素直な心臓が脈打った。でも脳は素直ではなくて、それさえ知らんふりをした。

「してない」
「本当?」
「ほ、本当」
「ふーん、」
「なによ、ふーんって」
「いや別に? まあ今はそれでもいいけどさ、」

 突然体を包み込まれ、薄暗い中反応が遅れるも体がビクリと飛び跳ねた。次に善逸の匂いがフワリと鼻腔を擽る。あ、覚えてしまった、善逸の匂いを。依存してしまいそうなそれをまるで覚え込まされるように抱きしめられ、なされるがままだった。やがて耳元で囁かれる声音に体の芯が戦慄いた。

「俺は誰にもあげるつもりないから」
「……」

 体を解放したかと思うと、クスリと吐息を漏らして「じゃ、湯冷めしないようにね」なんて言い残して去っていくまで私は微動だに出来なかった。ようやく意識が戻ってくると、善逸のことを言えないほど、深夜だというのに叫び声を上げてしまった。



 翌朝、ではなく翌昼、屋敷の人によると惰眠を貪っているらしい善逸の部屋の襖を勢いよく開けっ広げると、鼾をかいて布団を抱きしめていた。全く、あの女の子にこの醜態を見せてやりたい。

「善逸っ! うなぎ食べに行こっ!」

 揺すり起こすと、目を開けた善逸は何故か秒で赤面しながら飛び起きた。

「ひゃっ!! え、なになになに夜這いい!?」
「…何言ってんの? もうお昼です。うなぎ! 一緒に食べようよ」
「えっ! やだなに積極的じゃない! デートってことだよね!? 絶対行くよぉ〜」
「デートじゃないからね。でも善逸、鰻好きでしょ? 私も無性に鰻食べたくなっちゃっただけ」

 と訂正するも、「デートっ、デートっ」とはしゃぎだす善逸には、聞こえていないらしい。
 昨日あんなことがあったけれど、私はもう気にしないことにした。善逸を好きな女の子がいることも、善逸が私を狙っているということも。だって私は他に好きな人がいるのだから。そもそも私達はお互いの所有物ではないのだから、あげるあげないなんて権限は無いはずだ。



 道中も、自然に手を繋ごうとする善逸には驚きつつもそのままされるがままにしていると、調子に乗って恋人繋ぎしようとしてきたので手を叩けば泣かれた。あまりにうるさいのでこちらから手を繋ぐと静かになったが、にやける表情が少し鬱陶しかった。

「ご注文を承ります」

 適当なお店に入ったが、そう言ってメモ用紙と筆を手に近づいてきたのは人当たりの良さそうな物腰柔らかいお兄さん。あら素敵。このお店は当たりだ。

「…あなたを」
「…はい?」
「ちょっと名前またァっ!? またなの!?」

 バンッ、と机上を叩いて立ち上がる善逸が叫び散らす。本当にでかい声だし、お店の迷惑になるでしょう。そう注意しようと口を開けた瞬間、善逸の後ろをある人が通り過ぎた。

「あっ、伊黒さんだ!」

 走り出そうとしたが驚異の瞬発力で善逸に腕をひかれて体が進まない。

「善逸、離して。伊黒さんが行っちゃうでしょ」

 そう抗議すると、善逸は眉根を寄せて腕を掴む手の力が強くなった。


+++


 一番最初に名前を見初めたのは俺なのに。目の前で伊之助に告白されるわ、かと思えば俺の知らないところで柱に心を奪われてるわ、挙げ句の果てにこんな人混みにも関わらず一瞬でそいつを見つける名前に、感心すると同時に苛立った。蛇柱のもとへなんて行かせるものか。どうしてそう思うのかは分からないけど、とにかく頭に血が上っていた。

「名前は男なら誰でもいいわけ?」

 掴む力を無意識に強め過ぎてしまったのか、名前の顔が痛そうに歪んだ。それでも手放すわけにはいかなかった。力を緩めれば、君は簡単に俺をすり抜けて他の男の元へ行ってしまうから。

「私にも好きなタイプくらいあるわよ。でも、タイプじゃない人に心奪われることもあるでしょう? 誰彼構わずってわけじゃ、」
「じゃあ俺は? 俺のことも好きになってよ」

 お願いだから、俺を見てよ。誰彼構わず見とれるようなこの瞳を独占したい、俺だけを見ていて欲しいのに。


+++


「俺のことも好きになってよ」

 言葉の意味を考えても特に疑問にも思わなかった。善逸という人柄や性質のせいで、彼が私を嫌いなわけがないと疑ったこともなかったからかもしれない。でも。あれ、善逸って私のこと好きなの? それに、私が善逸を、好きになる? それって、どうやればいいのよ? だって、もうこんなに、……。

「……いやよ」

 それからどれくらいの時間が経っただろうか。美丈夫の店員さんはいつの間にか店の奥に引っ込んでいた。やがて二人の間に流れる沈黙を破った声の主に心底驚いた。

「お前達、何を道草を食っているんだ。鬼を倒したのなら報告をしろ。鴉を飛ばせ」
「…伊黒さん!」

 伊黒さんから声をかけてくれるなんて嬉しくて思わず駆け寄ろうとした途端、体が後ろに傾いて、背中を硬い胸板に押し付けられた。こめかみに柔らかい頬肉が当たり、至近距離で吐息を感じる。そして、昨夜覚えたばかりの善逸の匂いがした。……ドクン。

「…! ぜん、」
「この子は俺と結婚するので!!」

 私と伊黒さんの二人が目を真ん丸にして驚いた。善逸は本当に突然何をするか分からない。……ドクン、ドクン。ああ、これはまずい。

「、え、ちょっ、名前!?」

 私は善逸の腕の中で暴れ、隙をついて抜け出した。真っ先に駆け込んだのは伊黒さんの腕の中。伊黒さんは腕を回していないので正確には駆け込んだというより私が抱き付いただけだ。だけど引き剥がされることはなくて、伊黒さんの匂いがした。よし、伊黒さんの匂いを覚えよう。私が更にギュッと抱き締めると、後方からとてつもなく不穏な空気を感じて条件反射で振り向いてしまった。え……。

「……!!」

 視界に映った善逸は、孤独な顔をしていた。

 腰が抜けてしまいそうな衝撃だった。一体どう表現すればいいだろう。一人ぼっちは慣れっこ、そんな顔。寂しいでもなく、泣きそうでもなく、ただ哀しい。

「っ…」

 いやだ。やだ。善逸にそんな顔をさせたのは恐らく私なのに、善逸にそんな顔は、そんな顔だけはして欲しくなかった。善逸には、大袈裟なくらいの表情で驚いたり、思い切り破顔させて幸せそうに笑ったり、鼻水垂らして大粒の涙を流して情けなく泣いたり、顔色を真っ青にして恐怖に怯えたり、体を地面や宙に転がして照れたり、優しげな表情で花を摘んだり、色んな、生き生きとした表情が似合うから。そういう善逸らしい顔をしていて欲しい。無性にそう願う。出会ってまだ日が浅い私でさえ、善逸の色んな表情を知っている。だから私には許せない。私だから許せない。善逸が孤独な顔をするのは見過ごせない。

 居ても立っても居られず、伊黒さんから離れて、表情が死んでいる生き物に近寄った。絶望に打ちひしがれたような速度で顔を上げてようやく私と目を合わせたその黄色い生き物は私の友達で、鬼殺隊の仲間で、私を想ってくれているらしい女たらしだけどそんなことは今はどうでもよくて、私にとって大切な婚約者候補だ。

「お願いだから、そんな顔しないで」

 自分より少し高い背へ手を伸ばし、そっと両の頬を包む。いつも一瞬で赤くなったり青くなったりするそれは、ひんやりしていた。黄色い瞳が揺れて、徐ろに滲んでいく。目の前の生き物ぜんいつがようやく私の知る善逸に戻っていく。同時に私の頬にも水が滑った。

「善逸、泣くんだったらいつもみたいに泣き喚いてよ」
「なんで、名前が泣くんだよお」

 噛み合わない会話。二人で流し合う涙はどちらの方が綺麗だろうかなんて無意味なことを考えていたら、存外低めの声で語りかける声に脳が麻痺した。

「名前、俺さ、ずっと君の隣にいたい、名前じゃないと駄目だよ。俺との結婚、考えてくれるって言ったよな?」

 その時、気付いてしまった。もう手遅れだと。いつの間に私の中に潜んでいたのか、彼は私の中に既にいたのだ。けれどそれを見ないフリをした。そうしなければならないと本能的に判断し、自分を洗脳したのだ。そして、いつまでも誤魔化し通すと私は腹を括った。

「ごめんなさい。私、善逸との結婚はもう考えられないわ」

 光を取り戻しかけた双眼がまた暗くなった。ああ、待って。貴方は私を選んではいけないけれど、私も貴方のこと大切だから。

「でも、善逸は大切な…友達、なの。だから私よりもっと優しい子を選んで」

 また黄色い瞳から琥珀色の雫が零れるのを見て思った。やっぱり私より、善逸の方が綺麗な涙を流すのだろう、と。
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