恋する術を探してる


 

 千年待った。
 大事なものと引き換えに。
 貴方に会いたいが為に。





「ぜんいっ……っ、あが、あが…つ…」

 千年だ。百年が十回。十年が百回。とにかくこの瞬間のために私は、死なないことを選んだんだ。膨大な時間を一人で生きた。
 目の前でうずくまっている男の子の名前を呼ぼうと緊張した口を開く。しかし上手く声になってくれなかった。そして私がどもっているうちに貴方が私を見上げて。

「ヒッ、お化け…!」

 そう呼んだ。心が割れる音がした。ああ。恋って、どうやるんだっけ。








 千年前。やむを得ない場合以外は戦争はしないと誓った日本で比較的平和に暮らしていた私は若くして病死した。そして生まれ変わるためにどこかを経由することなく、そのまま転生というものをした。何故転生だと分かるかというと、生まれて間もない頃から前世の記憶があったからだ。転生した先はある漫画で読んだ世界。けれどその時代が問題だった。その舞台は漫画の大筋となった大正時代から遥か遡った、平安時代。鬼の始祖誕生前の都に平安貴族として生まれた。そう確信したのは、物心がつくような年の頃、鬼舞辻無惨になるであろう少年と出会ったからだった。幼いながらに私は絶望した。
 私も前世に比べれば病弱であったが、それでも貴族の間では健康そのもの。しかし彼は貴族の物差しで計ったとしても異常に病弱であった。成長はしているが、先は長くないと言われて育った。

「長生きしたいのですか?」
「…何の為に生まれてきたのか分からない。それを探したい」

 そう言ったのはきっと彼の本心だっただろう。私はどうにか彼の心を変えようとしていた。だがそれも徒労に終わった。

「ある医者が私の身体を強く造り変える薬を研究している。まだ試作段階だが、それが完成すれば私は私を見下している連中を見返してやるのだ!」

 ああ、こいつはもう止められない。きっと鬼になってしまうに違いない。私が殺すしかない。そう思って刃を手に寝込みを襲おうとしたけれど、刺せなかった。まだ幼い彼の微笑んだ顔が過ぎって、涙が零れた。

 自ら手を下すことを諦め、暗殺の手配をすることにした私は焦っていた。女なので伝手も無い。下手に誰かを頼れば噂が立ってしまう。その日が来る前に、つまり鬼の始祖となった鬼舞辻無惨に殺される前に医者から同じ薬を手に入れなければならない。たとえ暗殺に失敗したとしても、これだけは私の第一優先事項だった。怪しまれない程度に文を忠実に送り、その日を探った。やがて苦労して聞き出したその日が来た。医者が彼を往診する直前を見計らって頼み込み、薬を分けて貰った。最後の悪あがきで「あなたは彼に殺されますよ」と忠告したが、その医者は存外妄信的に医者としての信念を突き通す人であった。それでも諦め悪く言い聞かせ、なんとか受け取って貰えた護身用の短刀は役に立つどころか出所が私だと彼にバレてしまったのは実に誤算だった。鬼に変貌した彼は私も不老不死の薬を手にしたことを知って更に激怒し、私は鬼舞辻無惨に追われる身となってしまった。




 姓名を捨て、都から命からがら逃げ延び、鬼へと変貌してしまう薬を服用する決意が固まるまでふた月がかかった。人間であることを捨ててしまうことは、いつか戻れる希望があると分かっていてもやはり怖いことだった。
 さて、ここで何故私がこの時代に生まれたことに絶望したかということについてだが、私には想い人が居るのだ。そしてその人は大正時代の人という事実が私を鬼に成るよう唆す。会ったこともない、私の中では知識だけの存在だったかもしれないけれど、私は盛大に恋に落ちた。会いたい。けれど会えるはずのない人だったのに。この世界に生まれたからには「会いたい」その強い願望だけが私を突き動かす。しかし、この時代で短い寿命で死んでしまえば、彼には会えないのだ。

「善逸…」

 どうしても会いたい人の名前を零して、ついに青い液体を口腔から体内に流し込んだ。覚悟をしていても、耐えられないほどの激しい飢餓感。意識混濁。体中の激痛。何をしてでもこの苦痛から逃れたいと思った。人間を食べれば全て楽になるのだと、自分の身体が知ったように教えてくる。だけど、と強く踏みとどまれたのは、強いて理由を上げるなら私が女だから。しばらく死の縁をさ迷った私は気付けば完全に鬼の身体になっていた。
 人を愛するために人を食べるのでは筋が通らない。それに、私が人を食べてしまえばきっとあの男の子は私を女の子として見なくなるだろうから。理由はそれだけではないけれど、千年の飢餓感に耐えるのに、それだけでも充分だった。私の乙女心だけが私を生かした。それに、珠世さんの薬で人間に戻るためには出来るだけ竈門禰豆子と同じ状態になっておく必要がある。太陽も、いずれ克服しておきたい。




 鬼舞辻無惨から逃げ回りながら、私は鬼殺隊の当主を探していた。産屋敷の姓の者を。鬼殺隊を味方に付けなければ、私の首も狙われては落ち落ち鬼退治なんて出来やしない。漁夫の利で首を取られたのでは余りにお粗末であろう。
 そして千載一遇の好機が巡ってきた。

「鬼舞辻無惨は太陽を克服することを目的に、同族を増やしています」

 まず信頼を得るために情報を差し出す。

「そなたは鬼でありながら人間を食わぬのか? 何故じゃ?」

 警戒した様子で当主は尋ねた。

「人間でいたいからです。私は人間を守ります。努々傷付けません。そしていつか必ず人間に戻って、人間として死にます。ですが鬼舞辻が次々に生み出す鬼共を滅する力を得るために自ら鬼になりました」
「嘘をつくのなら、そなたの身の安全は保証出来ぬ」
「っ!」

 貴族の癖に、一丁前に読心術を使えるとは。

「……」
「私は君を信じよう」

 嘘を見破っておいて何をぬけぬけとと思ったが、次第に心が開いていく。本当の私を信じてくれるのだろうと感じられたから。

「……承知しました。私には、二つの秘密があります」

 一つは未来の記憶があること。記憶というよりは未来予知と言った方が理解されやすいのかもしれない。
 二つ目は千年後の未来で会いたい人が居るために、自ら鬼へと身を落としたこと。贖罪として人喰い鬼を一体でも多く葬る覚悟であることも。
 それらを聞き入れた産屋敷当主は未来について情報開示を要求しなかった。

「何故、未来について訊かないのですか?」
「それはそなたが背負っている重荷である。死ぬはずの者を救う力も、運命を変える代償も、私には荷が重すぎる」

 そう言った彼はどこか悲しげだった。そして私を鬼殺隊へ入隊させ、柱とし、更には単独任務のみを命じ、他の隊員の目に触れないようにしてくれた。

 支給された日輪刀で、次々と鬼を狩っていった。時には血鬼術を使って。その傍らで私は考える。救うべき命のことを。一番始めに思い浮かんだのは煉獄杏寿郎。次に思い浮かんだのは継国縁壱。それから竈門炭治郎の家族、錆兎や真菰、童磨による被害者達やその他雑魚鬼の被害者まで。次から次へときりがないそれの終着点は、過去の後悔へ繋がった。私が鬼舞辻無惨の誕生を食い止めていれば、きっとそれら全ての人が命を落とさなかっただろう。そうしてふと、愛しい人のことを考える。彼の悲劇的な生い立ちを変えることについて。私は変えたいと思っている? そもそも変えようとして変えられるものなのだろうか? 何年も同じことをぐるぐる考えた。はて、やもすると。きっと、変える変えないという問題ではないのだと漠然と思いついた。開いた戸を少し押すくらいの力で動くものもあるかもしれない、それとは逆に全身全霊をもってしてもびくともしないものもあるだろう。結局、変える事象を私が選ぶことなんて出来ないのだ。その考えに思い至った途端、不思議と、変えたいとは思わなくなった。私はただ、自分であろうとすればいいのだと。流れのままに生きて、もしその命を助けられるかもしれない事態に巻き込まれたら、迷わず助けるだろう。悪く云えば私は未来から目を逸らした。そして耳障りの良い言葉を使えば、それは私が今の生き物として生きることだ。取りこぼすであろう命を思うと眠れない日中もあるけれど、私は夜は走り回り、手の届く場所の命を救う努力をすることに没頭した。

 全ては、たった一つの利己主義を貫くため。それ以外は、不格好な正義感に過ぎなかったかもしれない。しかしそれでこそ私であり、取り繕うつもりも無い。私は私として生きているのだから。会ったこともない好きな人にただ会いたくて、自ら人間であることを捨てて、夜を生き続ける道を選んだ。しかしながら彼が生まれてくるかどうか保証は無いし、彼が私の知る彼として生まれてくるかどうかの保証も無い。不安はもちろん、千年という長い時間で変わってしまうかもしれない自分を恐れることもある。それでも、そうするだけの価値があると信じていたから、私は鬼として千年の時をひたすら待ち続けた。鬼の血を流しながら。








 やがて長かった江戸幕府体制が終わり、元号が変わり、年月を数えるのも忘れた頃。

「お前は、鬼じゃな」

 後に彼の師範代となる、桑島慈悟郎さんを見つけた。見たところ、髭は生やしているが少し若い気もする。片足が義足なので、もう引退済みだろうか。ああ、そういえばもう随分昔の報告で鳴柱が片足負傷で引退と聞いたなあ。私を目に止めた桑島さんは眼光を鋭くして刀が内蔵してありそうな杖を構えたが、私は緊迫した状況にも関わらず感動して動けなかった。我妻善逸という人物に辿り着くために一番近しい人物が目の前に居るという希望は、嗚呼なんと眩しいことか。

「何故太陽の下で活動出来る? …む、その腰の刀は日輪刀か?」
「……」
「…泣いているのか?」

 私は足元から崩れ落ちた。ようやく千年経ったのだと、達成感に震えた。もしかすると、私がずっと会いたかった人はもう既にこの世界に生まれているかもしれない。そうでなくても、母親の胎内にその尊い命を宿しているかもしれない。

「…ようやく千年、…経ったのですね」

 天を仰ぎ見れば戦う意志が無いことを悟ったのか、桑島さんは杖の鞘らしき部分から手を離して構えを解いた。

「何の話だ?」
「ようやく、貴方に会える…」

 もはや千年経ったのだから、私は彼よりかなり年上になる。対する彼はもし生まれていたとしてもまだ赤ん坊だろうから、現代であれば犯罪紛いな恋である。少しばかり複雑な思いを胸に秘め、目元を拭いながら視線を移した。

「あなた、育手ですね?」
「そうだが…」
「私は、名前と申します。才能あるお弟子さんを探しに行きませんか? 一緒に」

 しばしの間の後、桑島さんは間の抜けた声を出して私を見つめた。呆けた顔が、大好きなあの男の子に似ている気がした。



book / top