他人の評価に対する考察
それから村の外れの空き家へ移動した私達は、微妙な距離を保って膝を突き合わせていた。
「お察しの通り、私は鬼です。ですが鬼殺隊、鬼柱でもあります」
そう、私は全集中の呼吸を使わないので、階級は鬼柱となっている。しかしその存在は今でも極秘事項として扱われている。鬼に恨みを持つ者が多い組織の秩序を理由も無く乱すわけにはいかない。
「どういうことだ?」
私の手の甲に浮かんだ階級を示す文字を見て、頭にハテナを浮かべている。いや、我ながら"鬼"って出るのはどうかと今でも思いますよ。確かに鬼ではあるけれども。何の呼吸も使えませんけれども。鬼の体に鬼の文字って、自己紹介かよって。
「およそ千年前のことです…」
話を聞こうとしてくれていることに感謝し、この方ならば秘密にすることも無いだろうと全て打ち明ける。口も固そうだ。
「そう、でしたか…」
千年前のこと、あるかもしれない未来を知っていること、この千年一度も人間を殺して食ってはいないこと、鬼殺隊での事情、太陽を克服していること、人間に戻るための心当たりはあること。ほぼほぼ包み隠さず話したので、産屋敷一族よりも私について詳しい存在の誕生である。それらを話し終えた後、私がかなり長寿だと知り、戸惑いつつも敬語を使い出す桑島さんを少し可愛いと思った。
「見た目は未成年ですし、そのように接して頂いて構いませんよ」
「うむ、そうか…ではお言葉に甘えるとしよう」
にっこりと笑顔で応えてから、世間話に話題を変えた。
「あの、雷の門下に壱の型だけ使えない子が現れます」
話の区切りがついた所で、ふと思いついたように口にした。その言葉に視線を寄越した桑島さんにたじろぎつつ続ける。こんなことを言っても焼け石に水かもしれない。それでも万に一つ、私に変えられるものかもしれないから。
「その子は頑なで、どんなことをしてでも自分が生き延びようとする子です。家族同然のあなたや
弟弟子でも彼を変えることは出来ないでしょう。腕は立つでしょうが、いずれ大きな過ちを犯します」
「ふむ」
「私に、その子を変える努力をさせてもらえませんか?」
頭を下げはしないまでも、なんだかまるで息子さんを私に下さいと言っているような心境だった。本当にお婿さんに貰いたいのは別の子だが。
「では弟子達に稽古をつけにたまに顔を見せなさい」
「ありがとうございます!」
やった! 泣き虫な彼が入門したら、毎日のように通いつめよう。そう決意して、屋敷を案内しろと促した。
それから時々桑島さんの弟子探しという名の我妻善逸探しに出かけていた私だが、未だに彼の尻尾さえ掴めないでいる。
「あれぇ〜、この辺りの出自のはずだよね…?」
「綺麗なお姉さん、僕とお茶でもどうでしょう?」
「はい?」
そこそこ栄えた街でキョロキョロしていたもんだからか、突然横から声をかけられた。
「あ、すみません。あまりにお綺麗だったものでつい」
慣れているのかいないのか、不躾にも突然肩を叩いてきた青年は歯の浮くような台詞を言いながら照れくさそうに頭を掻いた。
「そう〜ねぇ〜〜」
私はじろじろと上から下まで舐めるように見てから言い放つ。身なりも良いし、なかなか育ちの良さそうな青年ではあるが。
「夜空の星を取ってきてくれたら考えてあげる」
そう無茶を言い放てば、言葉を無くした様子の青年。このくらいの言葉遊び、瞬時に気の利いた返しが出来ないでどうしますか、まだまだね僕。
徐々に灯りが増えていく街から遠ざかっていけば、血の匂いが鼻を掠めた。それも嫌な予感がする。鬼舞辻無惨だろうか。お互いの居場所は把握出来ないが、ある程度近づけば多少擬態していても気配で気付いてきた関係だ。警戒しつつ血の匂いを辿れば、思っても見なかった場面に出くわした。胡蝶カナエと童磨だった。
「げ」
「ん? 君は…」
「あ、今の『げ』は違うの。助けたくないとか、面倒な場面に出くわしたなあとかそういうのじゃなくてっ、そこの鬼が生理的に受け付けないだけで」
咄嗟に漏れ出てしまった声の誤解を解こうと両腕を忙しなく振りながら並べ立てた。勿論、胡蝶カナエに対してだ。
「ひどいなあ。でもそれ、つまり君はこの後輩を助けたくないってことになるんじゃないの?」
「後輩…?」
「そうだよカナエちゃん。彼女は鬼でありながら、鬼殺隊の柱なんだ。知らされていないのかな? あーそうか、実は鬼が仲間に紛れ込んで居たなんて知りたくないものね」
「相変わらずお喋りな鬼ね」
「あれぇ? 君と俺は初対面のはずだけど? おかしいな、俺記憶力だけは自信があるんだよ? どこかですれ違いでもしたかな?」
「うわぁ鳥肌立ったっ! あーもー。私は平安貴族なの。お喋りな男は嫌いなのよ。私と会話したいなら歌でも詠んでみせなさい、よっ!」
両腕をさすりながら、さり気なく血鬼術を使って彼女を安全な場所に移動させた。呼吸音は正常だし、まだそこまで冷気を吸い込んでいないと思う。
「えー、そんなのいきなりは無理だよ」
「血鬼術、
月影踏み」
今夜は下弦の月で助かった。いくら夜明け前でも太陽が昇るまでは光源も殆ど無く、月明かりだけが頼りなのだ。私の血鬼術は影を利用して対象の動きを封じる術。光がなければ影は出来ないから、もし今夜が新月や上弦の月ならこれは使えなかった。
「っと、っと、おっと危ない」
それでも流石上弦。月半分の光加減くらいだと足元は封じても上半身は動けている。次々に攻撃をかわされる。
「…んー、じゃあ歌詠みの練習してくるからまた今度遊ぼうね、名前さん」
「気安く名前を、呼ばないでっ」
この状況で余裕綽々な態度が腹立たしく感じて気を乱す私を嘲笑うかのように彼は目を細めた。日の出間近なことを危惧したのか、童磨は地面に縫い付けられている両足を
置いて逃げて行った。
やがて音も無く太陽の光が立ち尽くした私の身体を包む。
「あっ…! …………あら?」
私が燃えて灰になるとでも思ったのか、焦ったような声に振り向けば、彼女はポカンとした表情で私を見つめていた。鬼である私のことを案じてくれたのだろうか。
さて。カナエの鎹鴉はとっくの昔に応援と救護を要請しているだろうから、私に出来ることはもうあまり無いだろう。
「私は鬼殺隊、鬼柱、名前よ。もう少し頑張れる? 頼りになる妹さんが来るからね」
近付いてしゃがんで簡単に挨拶をして。立ち上がろうとすると羽織りの裾を掴まれてしまった。
「待って…! また会える…?」
慈愛に満ちた瞳が私を映している。そういえば胡蝶カナエは鬼と人間の共存を信じていたんだっけ?
「…さあ?」
裾を掴んだ手をやんわりと拒んで。朝日が差す中、
踵を返して立ち去った。
私は……。
そろそろ捨て子になって泣いているだろう想い人はなかなか見つからないが、やはり時は着実に進んでいるらしく。
「なんだお前」
久しぶりに顔を出した桑島さんの屋敷にはいつの間にか獪岳が居た。
「まあびっくり!」
ずうずうしいことに、もうすっかり馴染んでらっしゃる。これはもうあの子も此処に引き取られるのも時間の問題だ。
「何の用だ?」
刺々しい視線や口調。ふむ。まるで親戚にいる思春期の男子高校生のようだ。年の項をこうも重ねると、悩ましいこういう態度さえ可愛く思えてくるものなんだなあ。
「おい、…っ!」
でも私は今の君も未来の君も許さないし認めない。笑顔から反転、目力で威圧すれば冷や汗を滴らせて怯む獪岳。桑島さんとは軽く挨拶を交わしながら、獪岳を引き摺って木刀と一緒に庭に放り投げた。
「さあ、かかっておいで」
獪岳は私が鬼だと気付いているのか、本気で殺意をもって向かってくる。いちいち気に障る子だ。
「っは、はぁ…」
赤子の手を捻るように負かしてやれば、尻餅をついたまま睨み上げてくる。……嗚呼、皆目分からぬ。一体どうすれば炭治郎のような良い子に育てられるのだろうか。上弦の壱のような圧倒的格差を思い知らせればいい? でもその後は? それとも炭治郎の家族のように平穏ぬくぬくと可愛がればいい? そんなの御免
被る。でも私が善逸を可愛がれば、獪岳の不満は募り更に素行は悪化していくだろう。
「あーっ! もう知りませんっ!」
脳内で匙を投げた。木刀を仕舞い、縁側から屋敷へ入った後も、獪岳は呆然と私を見届け、佇んでいた。
「桑島さん、私はもう知りませんからね。子供なんて生んだこともありませんし、躾なんてしたことないんですからねっ」
夕食の席で、私は苛立ちを抑えもせず鬱憤を吐き出していた。お冷やを頂きながら。一方、食事を共にしている獪岳は何が何だか分からないといった表情で二人を窺っている。
「しかし名前、努力をさせて欲しいと言ったのはお主じゃろう」
「そっれは、…そうですが」
それでも獪岳は、なんとなく自分のことを話しているのだと感づいていた。
「そもそも、人を変えようなぞ
烏滸がましいとは思わんか。変えようとするのではなく、普通に接すれば良い。結局、自分に出来ることというのは限られているのだ。お主の役目とは、お主にしか出来ないことだとわしは思うぞ」
夜の
帳が降りて、蝋燭の灯りに照らされた桑島さんが彼の部屋を訪ねた私にそう説いた。
「私にしか出来ないこと…」
「自分らしくあれば良い」
「……」
あれ、私千年も生きてるのに、どうして百年も生きてない人に諭されているんだろう。まあ私はろくに鬼狩りしかしてこなかったし、しょうがないか。
それにしても私にしか出来ないこととはなんだろう。私は一晩そればかりを考えた。
「ねえ、そんなに死にたくないなら、私の血を飲む?」
次の日の稽古で、私に叩き潰されている獪岳に言い放った。
「な、……何言ってる?」
「今、迷ったわね」
「っ!」
図星なのか狼狽する獪岳の喉笛に木刀を突き付けた。
「あなたは人間としての矜持が足りないのよ。…まあそれは環境のせいもあるんだろうけど」
「お前に何が分かる!?」
木刀を持っている腕を下げた。
「分かりたくも無いけど? でもあなたに人間の美しさと誇りを教え込むなら、あの人しか居ないって分かったわ。呼吸は違うけれど、最終選別を突破したら炎柱を尋ねなさい。私が話を通しておいてあげます」
この子はあの人を見て、あの人から学ぶべきだ。煉獄杏寿郎の生き様とやらを。彼みたいになれとは言わないが、多少はマシになるだろう。瑠火さんの方が獪岳を変えてくれそうだが、もう既に亡くなっているだろう。若いのに立派な女性だよなあ、瑠火さん。あんな人と暮らしていれば、そりゃあ真っ直ぐな人間が育つわけだ。猗窩座の誘いを断る煉獄杏寿郎と同じ道を選べば、獪岳は黒死牟に殺されるかもしれない。それでも、獪岳の命を生き長らえさせる為に犠牲者を増やすよりはずっと良い。桑島さんが切腹することも無いし、心優しいあの子がその心を鬼にする必要もなくなる。
「勝手に決めんじゃねえ!」
つかみかかってきそうな勢いの彼を逆に押し倒した。
「決めるわよ! あなたは弱くて、弱くて弱くて、ちっぽけな少年。まだこの世界の半分も知らないのだから」
「…」
「それからね、鬼のことは私が教えてあげるわ。たっぷりとね」
下唇を舐めて怪しく微笑えば、ゴク、と唾を
嚥下する音が聞こえた。
それは、ある晴れた日のこと。
「ええええぇえ!? 俺達付き合ってるんだよね!? 俺のこと好きなんだよね!?」
突如、賑やかな通りに一際騒がしい声が響き渡った。時間が止まったように道端で固まる私を置き去りにして、ざわ、と人集りが出来始めたその中心には、その騒がしい叫び声を猛烈汚い高音で発し続ける少年と、その少年を邪険にして恰幅の良い男性と寄り添っている女が居る。
「今この瞬間まではね。でももうこれっきりにして頂戴。私、この人と駆け落ちするんだから」
「そ、そんな…! 酷い! あんまりだぁ! 俺は君のために…!」
涙を惜しげもなく
滂沱として零し尚も女にすがりついて喚き続ける少年に、周りの野次馬は冷笑を、恰幅の良い男性は冷罵を浴びせた。私はというと、世界から隔離されたように浮いていた。いや、もしかしたら気配も無く紛れていたかもしれない。
嗚呼、どれほど会いたいと願ったか知れない。きっと神や仏でさえうんざりしたことだろう。奴らが手を差し伸べることは
終ぞ無かったけれど。私が千年という長い長い時間を首を長くして過ごしたのは、この時を待ちわびたからだ。まだ黒い髪の色、黒い瞳、鍛えられていない小さく頼りない体躯。けれどこの逞しい叫びっぷりと見事な泣きっ面、それから少し飛び出た前歯や桜形の太眉毛……この私が見間違うはずも無し。
「わしがこの子の身元引受人じゃ。わしが支払おう」
脳内でまるで走馬灯のように様々な苦労が思い返されるうちに、目の前の展開は進み、いつの間にか登場している借金取りに桑島さんが借金肩代わりの交渉を持ちかけていた。それを間抜けな顔で見届ける少年、さらにそれを茫然と見つめる私。
やがてその熱烈な視線に気づいたように少年の黒眼が私をその中心に映した。
「っ!」
「……」
狼狽しまくる私を未だに呆けた様子のままで見つめる少年に恥ずかしさを覚え、顔に熱が集まってくる。
「ぜんいっ……っ、あが、あが…つ…」
振り絞った勇気で、地面に這いつくばった想い人の名前を呼ぼうと強張る口を動かす。しかし私がどもっているうちに少年が我に返ったように顔を青くさせた。
「ヒッ、お化け…!」
少年はまるで女の子のように悲鳴をあげた。次の瞬間、千年大事にしてきた恋心が割れて散らばった。もしも、そう呼ばれたのが私ではなかったら。他人事であったなら、彼のことを「可愛い」なんて言って悶えていたかもしれないのに。嗚呼。失恋って、どう立ち直るんだっけ。
「じーちゃん、この子、見た目は可愛い女の子なのに…人間の音じゃないよ…怖い怖い怖い! もう一体どういうこと!?」
怖がられてはいるものの、可愛い女の子と言われて途端に舞い上がった私は涙を呑んで、散らばった恋心の破片を目に見えない速さでかき集めた。我ながら現金だ。
「善逸、彼女は人間ではない。鬼だ」
「鬼?」
「うん、はじめま」
「ぎゃああああああああああ」
「……」
意気込んで自己紹介しようとすれば声をかけた途端に阿鼻叫喚された。鬼になることを選んだのは紛れもなく自分自身だけれど、まさかここまで怯えられるとは思っても見なかった。いや、思ってみるべきだった。今にして思えば、それくらい容易に想像出来たはずなのに。ただこの子に会いたい気持ちばかりが頭に
蔓延っていたために、考え至らなかった。全くもって、恋は盲目である。
私は涙が零れ落ちないように、そっと上を向いた。嗚呼、青空が今日も美しい。
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