ヒドロビウスの遺灰

▽2019/03/14(21:43)

彼女が嫌がらないように行動することなど、本当は簡単だった。立蝶は複雑そうにみえて単純な人間だと、最初から知っていた。立香がすき。男が嫌い。女はすき。子供には少しだけやさしい。容姿で相手を決めつけて、対応もまるごと変えてしまうのだから、それを単純といわずになんといえばいいのだろう。おとなぶろうとしてわざわざ冷ややかな態度をつくるその姿は、ただの子供だった。己から壁をつくる立蝶を取り入って、すきにしたいとは思わなかった。俺も彼(情けないことだが、まだ彼だと思っていた頃の話だ)もそんなことは望まない。立香には守るようにいわれたが、せいぜい不快な思いをさせないようにするのが一番だろうと愚直な感想を抱いていて。むしろ守るべきなのは立香だ。あれほどの執着を向けられるのは重かろうに。そう思いながら、世界を救うにはおさなげな背中をみていた──立香が床に伏すことになったのは、すぐだった。立香は歳若く、やさしく、魔術師らしいの言葉も欠片もない少年であったから「いとけない女の子」の顔をしたサーヴァントが、しかしどういうものかをまだ判別しきれていなかったのだ。ゴーストからナーサリーを庇った立香は、一週間ほど寝込むことになった。幸い命の別状はなく万全の状態に戻れるらしいが、それでも苦しいことには変わりない。充分にお叱りの言葉は受けただろうから慰めに行こうかと医療室に訪れたとき。
マスターが、眠る立香に口付けているのをみた。
男同士であるとか、そもそもふたりは同じ意味で想いあっていないとか、あと少しずれていれば唇と重なっていただろう距離に。ああみてはいけないものをみてしまったなと、愕然と思った。いまなら間に合う。静かに踵を返し、みなかったことにしてしまえ。そう何度も脳は訴えていたのに、千里をも見通すこの目は、ふたりから離れない。長い前髪がさらりと滑りおちて、ふたつの瞳をあらわにしている。明るい茶色の左目と、それよりわずかに彩度が高い右目。女めいたふっくらとした唇のあわいがついと歪み、いとおしいだろうひとの名前を編んだ。くしゃりとあどけなさを残すかんばせが歪む。その表情にはおびただしいほどの愛情と執着がみえなかった。いっそ泣きそうにみおろすマスターは、うつくしいわけではない。それでも際立つような、得体のしれないひかりを持っていることは確かだった。みているこちらが苦しくなりそうな切なげな顔に、俺は縫いつけられたように動けなかったのだ。

無題


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