ドウタヌキ?


第一話『夜行』


語ることは義務ではないけれど、俺以外の誰が語れるのかといえば俺しかいないだろう。お伽噺が現実になった時、俺はまだ人間であったのだから。
百年以上もの時間を孤独に生きた彼等に比べれば、俺ははるかに恵まれていたのだろう。順番は逆転してしまったけれど、出会いが先だったことは考えてみれば幸運なのだ。
《夜人》の物語を語る資格が俺にあるかはともかく、俺が語り部には適任だ。
《夜人》、ヨビト、文字通り「夜を行く者」。俺の育った国では神に背いた人間がなると言われていた。しかしそれは適切ではないし、そもそも神なんていない。いないものを裏切って人が人でなくなることなどあるわけがない。
価値観はそれぞれで、概念もそれぞれだ、しかしそれを共有できないからといって分かり合えないなんてことはないだろう。
違っても、一緒にいることはできる。
大切なのは相手をどう思うかだ。
幼い頃は叱られるようなことをすると大人達が言ったものだ「そんなことをすると《夜人》が来る」「《夜人》になってしまう」と。
俺が《夜人》になったのは何に背いたわけでもなく、そこに悪意はなかった、善意でもなかったのだろうけれど。
夜の住人になった今も後悔はしていない。
あの人も、あの人も、あの子も、あの子も、後悔なんてしていない。
《夜人》が《夜人》を狩ることに、どちら側も選ばないことに。
そうでなければ前には進めない。
《夜人》ですら後ろ向きには歩けない。
だから俺も悔いはない。
彼等が悔いないのであれば、俺は全力で後悔を拒もう。
相容れない価値観と、感覚と、定まらない正義と、存在しない悪の間で迷いながら。



夜行



かつて、俺がまだ人間だった頃、俺が住んでいたのは小さな国だった。攻め込んでる隣国もなく、そもそも隣の国までは遠い。自給自足の小さな国。
偶にやってくる旅人の評価は例外なく「長閑でいいところ」だ。他に取り柄はないが今にして思えばそれだけあれば充分だったようにも思える。
俺はその国で両親から譲り受けた雑貨屋を営んでいた。
近所の人間を相手にするだけの簡単な商売で、自分の食い扶持を稼ぐだけのものではあったけれど、そもそも贅沢のしようがない国だったので不満はなかった。退屈ではあったけれど。
やけに緑が眩しい初夏の頃、馴染みの客から珍しく旅人が来ていると教えられた。外れた場所にある国なので旅人なんて年に2、3人しか訪れないから珍しいといえば確かに珍しかった。
「旅人ですか、よくもまぁこんな辺鄙なところに」
毎度のことである台詞を返せば馴染みの客である恰幅の良いオバサンは眉を顰めて言った。
「それが妙な連中でね、馬車で来たみたいなんだけど・・・」
「連中、ってことは一人じゃないんですか?」
「そう!入国の時は4人とか言っていたけど、ほとんど姿を見せないのよ、その内の一人が買いだしついでに色々聞いて回っているぐらい。なんだか若くていい男なんだけどねぇ」
旅人が住人に何を聞くと言うのか、作業の片手間にオバサンの話に相づちをうちつつ続きを待った。
「なんか最近妙な事件はなかったかってそんなことを聞いているらしいよ。残りの3人にいたっては一人は河原に止めた馬車の前から動かないし、あとの二人にいたっては馬車から出てきもしないんだから!」
「・・・それは確かに妙ですね」
単純に休息と買い出しのためにこの国へ来たのだとしても、多少見て回るなりなんなりするのが普通だろう、馬車から出てこないなんて少々不気味というか異様だ。
「《夜人》だったりするかもしれませんよ」
俺が思いつきで言った冗談にオバサンはカラカラと笑った。
「やだよ〜、まだそんなこと信じてるのかい?」
信じてなんかいない。《夜人》なんているわけがないのだ、あれはお伽噺で伝説上の生き物だ、見たければ本を開くしかない。
まさか自分が冗談で言ったことが当たっているなんて夢にも思わず俺は笑って首を振った。



客足が途絶える時間帯、昼食を終えてすぐ俺は散歩に出た。ずっと狭い店内で番をしていると息が詰まる。
特にあてもなく適当に足を運び、近くの川のほとりで座り込んだ。
初夏の風は気持ちよく、澄んだ川のせせらぎは心地良い。この時点では先程聞いた「奇妙な旅人」のことなどすっかり忘れていた。
ぼんやりと川を見ていると上流から流れて来るものがあった。無視してもよかったし、無視する確率だって高かった。それを拾わなければ俺はあのままだっただろう。運命の転機なんて軽いものだ、気まぐれで景色が一変してしまう。俺は何の気もなしに流れてきたそれに手を伸ばして拾った。
林檎だった。上流で洗っていた誰かが落としたのだろうと俺は立ち上がって歩きだした。
最初のカーブを曲がると丁度死角になっていた位置に入り、馬車が止めてあるのが見えてようやく俺は「奇妙な旅人」の話を思いだし、好奇心が湧いた。
昼食の準備だろうか、川で野菜を洗っている子がいた。華奢な身体に特徴的なローブを着ていて、大きくまくり上げた袖口からは細くて真っ白な腕がのぞいていた。長い「烏の濡れ羽」という表現がぴったりと合いそうな黒髪に隠れて顔は見えない。
「・・・ねぇ」
俺が声をかけるとその子は顔を上げた。
絶句。
とんでもない美少年だ。彼は俺を見ると露骨に警戒した顔で立ち上がる。
いや、確かに俺の人相はよろしくないのだが、いきなり警戒されると凹む、美少年と評したが人見知りするような年齢ではないだろうに。
「これ、落としたでしょ?」
俺が林檎を差し出すと警戒した顔のまま、それを素早く受け取って離れ、今度は睨みつけてきた。
「ありがとうございます」
表情と言葉が一致していない。怒った顔で礼を言われてしまった。
「あ〜・・・あのさ、君、旅人?」
「旅人という言葉が《渡り歩く人》も指すのであれば、そうですね」
可愛くない返答だった。顔立ちは可愛いながらややきつめであったので違和感はなかったけれど、可愛くない答え方だ。
いや、「旅行をしているわけではない」とも取れるか。
彼は洗い終わった野菜を籠ごと持ってたき火の前に置いてある簡易の椅子に腰かけて、台も使わず器用に野菜を切り出した。切ったはしから火に掛けてある鍋に放り込んでいく。手慣れているが豪快な料理法だった、何が火が通りやすいとか絶対に考えていないであろうやり方だ。
「あのさ、この国に・・・なにしに来たの?」
「答える必要性を感じません」
・・・可愛くない。本気で可愛くないなこの子。
顔は綺麗なのに。顔立ちからいって遠い国から来たのだろうか、肌もここらでは信じられないほど白い。
「え〜っと・・・俺、英蔵って言うんだけど、君は?」
「・・・・・・俺の名前を聞いているんですか?」
珍しいものを見たとでもいうような顔で見上げられてしまった。名前を聞いたことがそんなにおかしいのだろうか。名前を名乗る習慣のない国から来ただとか?
「そう、だけど・・・」
「恒人です」
答えてくれたが、ものすごく嫌そうだ。
「あ、あの・・・」
「まだ何か?」
怒られた。美少年に怒られた。その台詞の後に続きを言う勇気はなく、そもそもなにを言うか考えていなかったので黙り込む、黙って恒人を見る。
長い黒髪を後ろでまとめて、凛々しく整った風貌が際立っていた。密度の濃い、長い睫毛に縁取られた目は大きく澄んでいる。薄い唇を噛み締めるようにした固い表情は印象としては冷たくも見える。どちらかというと澄んだ、禁欲的な雰囲気の中で右顎のホクロだけが妙に色っぽい。
しつこいようだが色が白い。透き通るような、あるいは雪のような、白い肌。
この辺りでは全く見かけない特徴的なローブは胸の辺りが大きく四角に空いていて、鎖骨がくっきりと見えている。ローブは身体のシルエットを完全に隠すものではあったけれど、肩にはむしろ密着していて恒人が動くたびに僅かに浮かび上がるラインは、シルエットを隠すローブを着ていることで逆に華奢さを強調しているようでもあった。そして椅子に座った時に気づいたのだが、膝上辺りまでのローブの下はかなり短いズボンを着用しているらしくこちらも真っ白な太腿が剥き出しになっていた、長い靴下にブーツを履いているので見えているのは太腿のごく一部ではあったけれど、なんというかどこかの世界にはこれを現す的確な言葉があってソレが信奉の対象にすらなっているような、本当に一部分だけ見える太腿。
椅子に座った時、男らしく乱雑に邪魔になりそうなローブを足の間に引っぱったので(あるいは野菜屑を下に落とさない配慮かもしれないが)、隙間からチラリとのぞく太腿、ローブを除いても見える太腿は一部なので、二重の意味で少しだけしか見えない太腿だった。
女性のような柔らかさはなく、むしろ細すぎて、そして白さも相まって骨すら透けて見えそうだった。
・・・初対面の美少年をしつこく観察して描写したあげくに、太腿凝視ってかなりやばいな、俺。
というか自分の人生の中でこんなに太腿を連呼することがあるとは思わなかった。しかし誤解のないように言っておけば、この国では肌を露出する服がそもそもなく、男女問わず他人の太腿なんて見る機会が全くないのだ。
断じて変な意味合いで見ていたわけではない。
そんな俺の視線に気づいたのか恒人は顔を上げた。
一瞬、
ほんの一瞬、
黒かった恒人の目が青に近い銀色に輝いた気がしたがきっと光の加減だろう。
「まだなにかあるんですか?」
今度は明らかに警戒を帯びた声で言われた。いや、警戒されるようなことをした覚えは、ない・・・と言ったらさすがに嘘か。
じゃあ太腿隠せばとか言ったら自ら太腿凝視していましたと申告するようなもので、別段劣情を抱いて見たわけではなく、下は何を着ているだろうという意味合いのものでしかないのにとんでもない誤解をされる可能性が高い。
「い、いや、別に太腿見てないよ?」
悩んだあげくに咄嗟に口から出た言葉がそれだった。
阿呆か俺は。
ローブの裾を下げてから恒人は俺を睨めつける。リアクションとしては当たり前、というかこれだけ綺麗なら妙な手合いに絡まれることもあるんだろうな・・・って、俺が今、まさにその妙な手合いなのか!!
あれ?ピンチ?
「いや、別に変な意味じゃないよ!?」
恒人の視線は俺の上にいっていた、同時に背後に人の気配を感じた次の瞬間、頭に軽い衝撃が走り、目の前に地面があった、転ぶ!と思ったがそれではすまなかった、身体は予想以上に勢いづいて、そのまま前転をするように二回転して仰向けになった状態でようやく止まった。
上手く転がったらしく大した痛みはなかったが、なんだ今のは。
転がったまま視線を上げると、恒人と同じローブを着た体格の良い男が立っていた、青い目に黒髪、整った顔立ちのとんでもない男前な彼に恒人は無邪気な可愛い笑顔で寄っていった。そんな顔もするのか・・・
「お帰りなさい、大城さん」
「ツネちゃん大丈夫だった?ナニこいつ?」
不審者扱い決定だった。
最悪だ。
「いや、それが俺にもよく分からないんですけど・・・」
「なんかされた?」
「されてはないっす。話しかけられただけで」
その人、大城さん(たぶん年上だろう)は少し首を傾げて、それから俺を見た。
「いや〜悪い悪い、危ないヤツかと思って思わずつついちゃったよ。悪かったね、いきなり攻撃して」
怖い人かと思いきや、ひょうきんな表情と声でそう言って、片手で俺をひっぱって起こしてくれた。
・・・確かに体格はいいけれど、片手で持ち上げるってどれだけ力あるんだ?しかも俺はあれだけ転がったのに「つついた」だけ?
いや、さすがにそれは冗談か。
「ああ、どうも、なんかすいません」
「ツネちゃんが困った顔してるから、変なのかと思ったんだ、悪いね。怪我なかった?」
「あ、大丈夫です!」
困らせたのは俺が悪かったからなぁ。
恒人はそんな大城さんと、俺を交互に見て、また固い表情に戻った。そしてふいっとそっぽを向くと上流の方へ歩き出した。
「ツネちゃん・・・」
大城さんが呆れているような、しかたないと思っているような、少し気の抜けた声で恒人を呼ぶとふり返って一言。
「俺は人間が嫌いです、関わりたくありません」
俺をあの大きな目で睨んできっぱりとそう言って、そのまま背を向けて歩き出した。
「・・・またそーいうことを」
大城さんがそう頭を抱えるあたり、よく言う台詞なのだろうけれど、そして人間嫌いな人間なんて別に珍しくもないけれど、なんだろう・・・あの「人間が嫌いです」という言葉はまるで「虫が嫌い」とか「犬が嫌い」とかそういう響きを持っていたような気がする。

−まるで人間を別種として見なしているような。

考えすぎ、というよりそもそもなんでそんなことを思ったのか自分でも分からない。
「ごめんね、悪い子じゃあないのよ」
「・・・いえ、それは分かりますから、はい」
「君は良いヤツだね〜」
大城さんはそう快活に笑って、当然のように恒人が途中で止めてしまった食事作りに手をつけた。
「ところでなんだけど。ここ最近この国で妙な事件は起こってないかな?」
なるほど大城さんが買いだし件聞いて回っている人か、そういえば「若くていい男」という評価だったか。
「もう聞いてるかもしれませんけど、ここ一ヶ月で4人、行方不明になってますよ」
「そこまでは教えてくれるんだけど、なかなかみんなその先は教えてくれないんだよねぇ」
大城さんはまた快活に笑った。見ていると恒人より切り方は豪快だけれど火の通る順番を考えて鍋に入れている感じだ。
「俺で良ければ答えますよ、って言ってもそこまで知ってるわけじゃないんですけど。たぶんみんなが答えないのは風習みたいなもので・・・」
「風習ねぇ」
「いなくなった人間の話をすると引っぱられるって迷信があるんです。まぁ理由もなくいなくなった人間って限定されますけど、もちろん探しますよ、でも10日間見つからなかったら、もう話題に出さないのがルールみたいな。とくに今回は立て続けに4人なんで、さすがにちょっと不気味というか不安なんですよ」
「・・・なるほど、それで一様に皆口をつぐんだわけか。で、君はなんで答えてくれるの?迷信は信じないタイプ?」
「いえ、習慣とか風習は大事ですけど。なんていうか、興味本位で調べているわけじゃないように見えたんで」
大城さんは手を止めてきょとんとした顔で俺を見る。
「・・・まぁ確かにそうではあるけど」
そして困惑した顔になった。
変なことを言ってしまったのだろうか、少しだけ首を傾げてから大城さんは言う。
「じゃあ質問だけど、いなくなった4人に共通点は?」
「歳も性別もバラバラですけど、少なくともそのうち3人は、北の外れにある湖に遊びに行ってから行方知れずになっています」
「湖、か・・・そこは探したの?」
「探せる範囲は、しかしけっこうな大きさの湖ですし、そもそも今は水遊びをする季節ではないんで・・・溺れたにしても変だなって」
「この国の人間はよくその湖で水遊びをするの?」
「・・・暑い季節になれば。っていってもけっこう深いところもあるんで岸辺でしか遊ばないんですよね、魚が釣れるわけでもないから船を出す人もいません、そもそも船自体が中心街の大きな川に数隻ある程度なんで、船遊びとかはしないです」
大城さんは今度は手を止めないまま、真剣な顔で俺を見た。
「ありがとう、参考になったよ」
「・・・あの、なにをしてるのか聞いてもいいですか?」
「よくないね〜教えないっ!」
ひょうきんな声と笑顔で断られてしまって、俺もつられて笑った。
別にかまわないだろう、悪い人には見えないしむしろ良い人のようだ、旅をしているなら色々事情もあろう。
「大城君?」
馬車の中から声がした。よく響く低音、深みと艶と、重々しさと優しさを持った、魅了されてしまいそうになるほど美しい声。
そういえば4人いて、そのうち2人は馬車から出てこないという話だったっけ。
「あ〜起きてたの。どうかした?」
「ツネには此処にいてもらってくれるかなって話だったけど」
その言葉に大城さんは「あちゃ〜」という顔になって、恒人が歩いていった上流の方へ口に手を当てて呼ぶ。
「ツネ〜!戻っておいで〜!」
恒人はわりと近くにいたらしく、ぴょんぴょんと跳ねるように戻ってきた。
「なんっすか?」
俺に「まだいたのか」というような視線を投げつけて、拗ねた顔をする恒人に大城さんは苦笑する。
「いや、目の届くとこにいてよ」
「・・・はぁい」
そう気のなさそうに返事をして俺の横をすり抜けようとする肩を思わず掴んだ。・・・ってか細っっ!薄っっ!肩に厚みが全くない!何を食べて生きたらこうなるんだ!?じゃなくて。
「あの、さっきがゴメンね、なんか・・・」
恒人は目を見開いて、驚愕の表情で俺を見ていた。慌てて手を離したけれどまだ驚いた顔のまま。
瞳を揺らして俺を見ている。
「アナタ・・・」
「ツネ」
恒人が何か言いかけた時、また馬車の中からあの妙に綺麗な声がした。
「ちょっと来てくれる?」
「・・・・・・あ、はい!」
恒人は一拍遅れて返事をすると馬車の中へ身体を滑り込ませた。
「英蔵君、だっけ?」
馬車の中から聞こえる声に慌てて返事をする、なんとなく緊張する声だ、高貴というか、なんというか。
「此処は良い国だね」
「・・・ありがとうございます」
名前を呼ばれたってことは俺と恒人の会話は聞かれていたのか、まぁ馬車の中にいたのだから俺が恒人を凝視していたことまでは分からないだろうけど。
・・・いや、思いっきり「太腿見てない」とか言ってしまったんだった!
恥ずかしい!
「それから話を聞かせてくれてありがとう、とても役にたったよ。事情があって今は姿を見せることはできないけれど、今度改めてお礼を言わせてもらうね」
「い、いえ、別に、はい、大丈夫です!」
馬車の中の人物は少し笑ったようだった。
「こちらも名乗らないと失礼になるかな、俺はサクスブルー・ダークローズ・アンチアーレス・・・呼びにくいから浅葱でいいよ」
サクスブルーだから浅葱ってことだろうか、そして異国の人なのか、この辺りでは聞かない名前の響きだし。
浅葱さん、か。



さすがに店に戻らないとまずかったので彼等と別れ(入国したのは4人だからもう一人いるはずなのだろうけど)、自宅へと戻った。いざ家に戻りうだうだ店番をしていると次々と疑問が湧いてきた。
あの馬車、おそらく住居もかねているのだからホロ付なのはおかしくないが、やけに分厚いというか内側にもなにか張ってあるように見えた、光を通さないというのは不便ではないだろうか。それに馬車なのに馬がいなかった。どこかに放してあるというのも変だ、始めて来た国でそんな不用心かつ無責任なことをする人達には見えない。
浅葱さんにしても姿を見せられないような事情とはなんだ、という話になる。
それから恒人はあの時、なにをそんなに驚いて、なにを言いかけたのだろう。
肩を掴まれたことに驚いたなんていうものではなかった。
明日、夕暮れにまた来てくれと言われたのだからその時にでも聞こうか。
気がつくと日が落ちていた。
簡単な閉店作業を済ませ、夕食の準備をする。台所の窓の向こう、人っ子一人いない通りを霧の塊が通過していった。
・・・霧って固まるのか?そもそも今、霧が出るのか?
なんだか今日は変だ。子供の頃聞いた《夜人》の物語が繰り返し再生される。
あれはお伽噺なのに、存在はしない、信じてはいない。
夜出歩かないのは《夜人》を怖れているからではなく出歩く意味がないからだ。いや、ほとんど習慣的に夜は《夜人》の時間で、山や森は《夜人》の領域だと思っているけど信じているのとは違う。
夜はいくら治安の良いこの国でも危ないし、山や森だって危ない。
・・・そういえば、浅葱さんは恒人を一人にしないようにと言っていた、大城さんも目の届くところにいろとそう言った。
それもおかしいんじゃないだろうか。
あくまで見た目で美少年と称しただけで、子供というわけではない、大人と呼ぶにもまだ微妙な年齢には見えたけれど、彼等がこの国に入ったのは昨日のはずで、入国時点で此処の治安が良いことは分かっていたはずだ。
夜ならばともかく昼間にそんなことを言うのは少々過保護じゃないだろうか。
そもそも彼等はどういう取り合わせなのだ?大城さんと恒人、ずいぶん歳が離れているように見えたし、浅葱さんも声の落ちつきからいって大城さんと同じかそれより上だろう。兄弟や親戚には見えないし、一緒に旅をするには少々変わった取り合わせだ。
もっと言うなら彼等の旅の目的は?何かを売り歩いているようでもなければ旅芸人でもない。
偶に用心棒などをやって報酬を得ながらあてもなく旅をしている人間もいるけれど、それなのだろうか。
だから事件を調べていた?
はまらない。
考えてもしかたがないか、彼等が悪い人間でないことは少し話しただけで分かった。
さっさと寝よう。明日は定休日だけれど、だからこそ寝たい。
眠る前に一杯のミルクをテーブルへ、家の守護をしているといわれているホブゴブリンに。窓の外にバケツに酌んだ水を、ピクシーが子供を洗えるように。信じているわけではない、習慣だ。子供の頃は信じていたし、俺に子供ができたら同じように伝えるのだろうけれど、習慣。
外にバケツを出す時、目の前に霧の塊があって、あげくに微笑みかけられた気がしたのは、久々に国の外の人間と話して思った以上に神経が高ぶっているのだと片付けてベッドに入る。
そういえば夜、川に行くとバンジーに会うと言われていたか、彼等は河原に泊まっているようだけれど・・・いや、バンジーなんていないのだから心配することはない。
そういえば霧か、霧になれるのは・・・


−吸血鬼。


馬鹿馬鹿しい。
寝よう、寝ようと思っているうちに、眠りは訪れた。
夢を見た。
鬱蒼とした森の中を真っ白な小狐が走っている。
俺はその後を追いかけている。小狐は時々立ち止まってふり返る、青みがかった銀色の瞳が悪戯っぽく細められる。
俺が追いつこうとすると小狐はまた走り出す。
綺麗な声で鳴きながら、からかうように跳ねていく。
しばらくそんな追いかけっこを続けていると、小狐はようやく立ち止まって俺の足元にやってきた、手を伸ばそうとすると、くるくると足の周りを回って、やはり悪戯っぽい顔で見上げてくる。
ひどく懐かしい感じのする夢だった。



翌朝、かなり早く目を覚ましてしまった俺は北の湖へ出かけることにした。行方不明者が出ているのでさすがにピクニック気分とは言えなかったが、遠いので昼食用のパンを持って。
なんとなく見ておきたかったのだ。行方不明になった人間に知り合いはいなかったからまるっきり他人事ではあったけれど、考えてみれば不可解だ。
だからといって解決してやろうなんて気概はなく、ただ、見てみたかった。
長らくあの湖へは行っていない。


昼近く北の湖に辿り着いた。さすがに誰もいない、当たり前だ、此処で行方不明になった人間がいるかもしれないというのにわざわざ来る馬鹿はいないだろう。・・・って俺が来ているじゃないか。
その論法で行くなら馬鹿は俺だ。あるいは考えなしだ。
湖面は深い藍色だった、遠くに鳥の泣き声が聞こえるだけで静かだ。
昔から此処では魚が捕れない、正確には食用になるような魚が捕れない。水は綺麗なので夏の水遊びには最適だが、あれも子供がやることで俺は本当に久しぶりに来た。
水遊びにしても岸辺に近いところで遊ぶだけだ、奥の方は案外深い。湖底には泥もたまっているから、うっかり進むと足を取られる。
ならば行方不明になった人間は溺れたのだろうか。
それはないだろう、まだ季節は初夏で水遊びには早すぎる。行方不明になったのは10歳の少年と8歳のその妹、それから30歳代の男性、湖に来て消息を絶ったのはその3人、もう一人18歳の女性ももしかしらた此処へ来ていたかもしれない、景色も良いし町からも遠くない、ピクニックには悪くない季候だ。考えてみればあくまで食用の魚が捕れないだけで、趣味として釣りをするならば別に此処でもかまわないのか。
やはりこの湖になにかあるというのか。
危険な生き物がいるだとか。いや、此処は湖で何処とも繋がっていないのだからそれもおかしい。
何気なく岸辺に近づいて水面をのぞき込んでいると水音がした、やけに大きい。魚だろうかと顔を上げて、上げた状態で固まってしまった。
水の中から大きな馬が半身を出している。
巨大な、見たこともないような巨大な馬。
いや、馬ではない、馬の瞳は赤く輝いていないし、馬の口に肉食獣のような歯は生えていない。そもそも馬は水から出てきたりしない!
じゃあこれはなんだ、こいつはいったいなんなんだ、その馬モドキは口を大きく開けた。鋭い歯が並んだそれ。
驚きと恐怖で身体が動かない。
食われるのだろうか?
行方不明者は皆、こいつに食べられてしまったのだろうか?
じゃあこいつは・・・《夜人》なのか?
実在したのか?
「なにやってんですかっっっっ!!!」
そう怒鳴る声がしたかと思うと、目の前に人影が躍り出た、空から降ってきたかのように唐突に、そしてそれが誰なのか確認する前に、蹴り飛ばされた。俺の身体は地面を三回転ぐらいして、伸びる。案外痛くないので加減されたのか、水辺からは離れ、あの馬の化け物からも遠くなった。
俺を蹴り飛ばした人物は、身長ほどもある片刃の剣で馬の化け物をぶん殴って湖に押し戻し、一足飛びに俺のところに来た。
「アンタなにやってんですか、馬鹿なんですか、なんでわざわざ危ないところに来るんですか、馬鹿なんですか、なんで襲われかけてんのに突っ立ってるんですか、馬鹿なんですか」
一言の間に馬鹿という単語を突っ込み、それを三回繰り返すという斬新な罵りを受けた。しかも「なんですか」なのに疑問系ではなく「馬鹿」と断言されていた。
「なんか言ったらどうです?」
「・・・すいません」
とりあえず謝ってからその人物を、恒人を見た。
な ん ち ゅ ー 恰 好 を し て い る ん で す か。
あの特徴的なローブは脱いでいた。下は巻き短いスカートで、膝上の靴下との間はやはり白い太腿が剥き出しになっていた、ハレーションをおこしそうなぐらい白い肌が黒い靴下とブーツにコントラストを与えている。そして昨日はローブに隠れて見えなかったけれど、お腹も剥き出しだった。ほとんど胸の辺りしか隠れていない、いやいやちゃんと内臓収納されてますか?というぐらい薄い腹もやはり白く、薄く浮き出た肋骨が透けそうだった。
肩下から手の指までかかる手袋も黒い。胸を隠す布は黒い編み上げの下に白いレースがあしらわれた複雑なものでどうやって着るのかちょっと分からない。要所要所に白いレースがあしらわれていてずいぶん可愛らしい服だった。
長い黒髪は綺麗に巻いて両サイドで纏められている。
・・・彼の国の伝統衣装だろうか?
文化の違いってすごいな。
というよりこの状況で現実逃避できる俺がすごいのかもしれないがそれぐらいインパクトのある服装だった。
色んな意味で落ちつこうか。
とりあえず何を聞こう。
「えっと、恒人君はなんで此処に?」
「アレを退治しに来たんですよ、《アハ・イシュケ》を・・・」
アハ・イシュケ。それがあの馬の化け物の名前なのか?
「あんなデカイのはさすがに初めて見ますけどね、人食いの馬です」
「《夜人》なの?聞いたことがないけど・・・」
「ええ《夜人》です。まぁ生息域が違いますし、知らなくても無理はありません」
そこも深く聞きたいけれど、重要なことがまだある。
「退治しに来たって恒人君一人で?ってゆーかなんで恒人君が・・・」
「うるさいです、こっちの勝手でしょう」
可愛くない、まったく可愛くない!
「だって危ないじゃん!」
「しかたないんですよ、属性の関係上。大城さんは《水》だから相殺されちゃうし、浅葱さんは《火》だから相性悪すぎるし、涙沙さんは《金》だから力取られるし、そもそも浅葱さんと涙沙さんは日中ほとんど動けないのにアイツ夜は眠って出てこないし、俺が《木》だから属性的には一番やりやすいんです!」
ちょっと待ってくれ、整理させてくれ!属性?いやあのアハ・イシュケ?は水から出てきたんだから水属性ってのは分かるけど、それと火や水が相性悪いっていうのも分かるけど金?っていうか初めて聞く名前が出てきたけど、残りの一人?日中動けない?
考えている暇はなかった、再び水中からアハ・イシュケが姿を現したのだ、恒人は地面を蹴って飛び上がる、とんでもない跳躍、あ、巻きスカートだから下はホットパンツなんだって、今はそれはどうでもいい。
あれは人食いの化け物なのだ。
そして、細いとはいえ身長ほどもある剣を、特徴的な模様の入った弓なりにの片刃の剣を棒きれのように扱う恒人は何者なんだ?
刃と蹄がぶつかって、恒人のほうが弾かれる、力負けはしているらしい。
が、アハ・イシュケは荒い息を吐き、怒り狂いながらも水から出ることはできないようだった。
「・・・異変種ってとこですか」
恒人はそう呟いて肩を竦める。
「能力の代わりに力を得たのなら、誰と取引したんですか?」
まるでアハ・イシュケが喋ることを前提としているような口調だったけれど相手は答えない、俺からしてみれば当然だったけれど恒人には意外だったらしい、少し首を傾げてからため息をつく。
今度はアハ・イシュケが湖面から跳躍した、その下半身は馬ではなく巨大な魚そのもの。そしてその尾を鞭のように振るって恒人を攻撃する、恒人は防御した剣ごと横にはじき飛ばされた。
思わず駆け寄ると頭を打ったのか少し顔をしかめて、側頭部を押さえながら起きあがる。
「ね、危ないって!やめなよ!」
「巫山戯ないで下さい、空狐が水魔如きに逃亡するなんてできるわけがないでしょう」
クウコ?言ってることがさっきから何一つ理解できない。
「だ、だってアレ、人間を食べるんだろ?化け物じゃんか!」
「《夜人》は化け物ですか?」
苛立っていた声が急に静かなものになった、しかしそれはむしろ本気で怒っているようにも聞こえた。
《夜人》の伝説。
家を守ってくれるホブゴブリンだとか、不気味ではあるが凶兆を教えてくれるバンジーとは違う、人食いの《夜人》ならば、それは・・・
「だってアレは悪いヤツなんでしょう?人間を食べるんだから」
「人間を食料とする生き物が人間を食べることは悪いことですか?」
それもまた、ごく静かな口調だった。
「アナタは肉を食べないんですか?生き物を殺さないんですか?人に害を為せば《悪》ですか?その定義は人間側の都合に聞こえますけど」
返す言葉がなかった、その通りだったから。
思考が停止する、何も考えられない。
或いは鶏や牛に意志があるならば、人間は彼等にとって害悪以外の何物でもないだろう。
アハ・イシュケが、あれも生き物で、人間を食べなければ生きていけないのならば、人間を食べるというその行為は・・・咎められることではないはずだ。
でも、ならば何故?
「じゃあ恒人君はどうしてアレを倒しに来たの?」
「摂理の問題です。あるいはルール。一ヶ月に4人は異常なんですよ、本来なら半年に一人で持つはずです。それ以外にも色々と問題点がある」
「・・・問題?」
「簡潔に言うならば、人間に驚異を与えすぎる《夜人》を排除するのが俺達の役目です、正義の味方ではないのでそこは勘違いしないで下さい。両者の、昼と夜の共存こそが、目指すべき場所です」
共存。
昼と夜の共存。
人間と《夜人》の共存。
「少なくともこの国はそれが根付いている、ホブゴブリンもピクシー達もバンジーも満足しているようでしたから」
それは習慣で、単なる習慣で、それを恒人はそんな連中から直接聞いたかのように話す。
「だから浅葱さんも良い国だと言ったでしょう?忌々しい《夜人狩り》も此処にはいませんし、なかなか理想的です。適度な畏怖と適度な無視と適度な寛容、それが一番こっちとしても楽です」
こっちとしても。
《夜人》の側からしても。
「だから、人間を襲う《夜人》は倒す?」
俺の問いに恒人は首を振る。
「違います。話聞いてましたか?人間を食料として必要な生き物が人間を食べることを悪とするのはそっちの都合です、アナタは知らないかもしれませんが人間も《夜人》を殺しています、ごく微弱な、肉体を持たない《夜人》は人間の何気ない行為で死にます、それに××××」
聞き慣れないというより聞き取れない言葉を口にして恒人は首を傾げる。
「ああ、訳し忘れました。お祓いで消滅する《夜人》だっているし、《夜人狩り》の連中みたいに《夜人》を見たら見境なく襲ってくる連中もいます、力関係で言えば、こちらの種類が多い分イーブンでもないんですよ。共存・・・価値観も感覚も違う、力も違う、そんな者同士の共存だなんてなかなか素敵な夢物語だと思いませんか?・・・だからその均衡を意図的に崩す者は倒します」
恒人は再び地面を蹴って跳躍する。周囲の木々より高く跳ぶ。
俺が馬鹿に違いなくても、もう彼が人間ではないことぐらい分かっていた。
《夜人》。
クウコと言ったか。
蹄と刃がぶつかり合う、アハ・イシュケの吼える声が響く。恒人が振るった剣をアハ・イシュケは身をかがめて交わし、恒人の足首にかぶりついた。痛みを感じた顔はしなかったのでブーツが歯を止めたのか、しかしそのままアハ・イシュケが恒人を水中に引きずり込もうとした。
属性がどうとか言っていたけれど、水の中に入って平気ってことはあるまい、それ以前にやっぱり危ない、見ていられない。
思わず名前を呼んで走り出すけれど、それより早く恒人はアハ・イシュケの顔面に蹴りを入れ、剣で片目を切り裂いた。
苦痛の悲鳴を上げて足を話したアハ・イシュケからバックステップで逃げてきた恒人の傍に駆け寄る。
「大丈夫!?」
「大丈夫です、ほっといて下さいっていうか邪魔なんでどっか行って下さい」
「・・・この状況でどっか行けるわけないじゃん!」
「なんでっすか?」
怪訝そうな顔をされてしまった。いや、改めてなんでとか聞かれても困るのだけれど。
恒人の瞳は青みがかった銀色に輝いていた、もう驚く必要もないだろうし、驚きはない。
「・・・じゃあ手を貸して貰えますか?」
そう言った表情が妙に悪戯っぽくて綺麗で一瞬背筋が冷えたけれど頷く。
「俺にできることがあるならなんでも」
「そうですか、なら失礼します」
恒人は俺の背中に手を回して抱きついてきた。
美少年に抱きつかれた。
ちょっと状況が飲み込めないが、とりあえず手は上に挙げておいた。
力強く抱きしめられる、背はさほど変わらないので顔は肩に埋められている、髪がくすぐったい、花みたいな甘い香りがする。
状況が飲み込めないともう一度思ったその時、全身の力が抜けた。根こそぎ何かを持っていかれた。貧血になった時に近い、そのまま地面にへたり込んだ俺を見下ろして恒人はやはり悪戯っぽく笑っていた。
「ちょっと精気頂きました、ごちそうさまです」
ぺろりと舌を出してそんなことを言ってくる。
・・・どうリアクションしていいものか分からないが、こんな貧血程度のことで手助けになるなら別にいいか。
恒人の周囲の風が渦巻く、轟々と唸りをあげる、周囲の木々から木の葉が舞う、属性が《木》とか言ってたな、そういえば。
半ば停止した頭でそんなことを思った。
再び恒人が跳躍する、いや今度は跳ぶではなく飛ぶだった。
その黒髪をなびかせる頭から四角い白い耳が、薄い尻から三つに分かれたふさふさの尻尾が出現する。
クウコ。
空狐。
アハ・イシュケは警戒した様子でそれを見上げている、空中で停止している恒人を見ている。
恒人が軽く腕を振るった、それだけで宙を舞っていた木の葉が一斉にアハ・イシュケに飛んでいった、一直線に、刃のように、弾丸のように。
無数の木の葉に貫かれたアハ・イシュケははじけ飛んだ、赤くバラバラになり、それはすぐに黒い塵になって湖へ沈んでいった。
後にはなにも残っていなかった。
一瞬の出来事。
地面に降りてた恒人は黙って俺の方に歩いてくる、俺の視界は白い靄がかかっていて、意識が遠のいていくのが分かった。
そんな俺に恒人は一言。
「すいません、調子に乗りすぎて力使い果たしました」
と言って倒れた。そんな細い身体で倒れたら折れるんじゃないかってぐらいの勢いで倒れた。
うっかりさんだ!
この子うっかりさんだよ!
超弩級のうっかりさんだ!
ああ、起こさなきゃと思ったところで俺の意識も途切れた。





目を覚まして最初に見えたのは夕焼け空だった、地面に寝かされている、頭に枕代わりの丸めた布が置かれていた。
慌てて身体を起こすと昨日恒人達と会った場所だった、馬車が置いてあるあの河原。
「よう!目が覚めたみたいだな、よかったよかった」
「えっと・・・」
大城さんが地面に座ったまま俺を見てそう笑った。
聞きたいことは山ほどあるがまず手近なところから埋めていこう、いやその手近が一番触れたくないんだけれど。
胡座をかく大城さんの膝で気持ちよさそうに丸まって眠っている白い小狐から意識的に視線を外しながら言った。
「あの〜恒人君は?」
「は?ここにいるだろ」
大城さんは阿呆かという顔で膝の上の小狐を指さした。
いや、分かってはいたけど一応聞いてみたかったというか、現実逃避してみただけだ。
しかし可愛いな、小狐。ふさふさのふわふわであどけなくて愛らしい。
これがあの綺麗だけど小生意気な恒人なのか。
なんだか昨日夢に出てきた小狐にそっくりというか、そのものだ。
「触ったらダメだよ、今は俺だけの特権なんだから」
大城さんはそう自慢げに言って小狐な恒人の頭を撫でる。いや、触りたいとは・・・思ったよっ!ふわふわだもんよ、もふもふだんもんよ、そりゃ触りたいよ!なでなでしたいよ!癒されたいよ!
「ったく、二人仲良く気絶してるから驚いたよ。此処まで運ぶのに目立った目立った!まぁツネちゃんは狐に戻ってたから良いけど、君を担いでると何事?みたいな目で見られたからね〜」
大城さんが此処まで連れてきてくれたのか、直線距離で10キロはあるんだけれど、こうなればもう断定していいだろう。
「大城さんも《夜人》なんですか?」
「うん?ああ、まあそうなるよね、気づくよねぇ・・・俺は一応、元・人間なんだけどさ。この国じゃあ《夜人》ってどういう定義なの?」
「神に背いた者だって言われてます」
「あ〜!じゃあ俺はかなり近いよ、背いたわけじゃないんだけどねぇ・・・俺はベルセルクのなれの果てさ」
「ベルセルク?」
「そう、人間の戦士だった。俺らの国じゃ霊的な力を借りてパワーアップする戦士をベルセルクって言うんだよ、熊の毛皮を被ってトランス状態になって戦う、俺はそれをやりすぎて人間に戻れなくなった」
穏やかに微笑んで、ごく普通の世間話をするように大城さんは言った。
とても悲しい話に思えるのに、あっさりと。
「もう五百年も前のことだからね〜、それになっちゃったもんはしょうがないでしょ」
俺の表情から何を読みとったのか大城さんはそう快活に笑う。
小狐な恒人が尻尾をぱたぱたさせて、気持ちよさそうな顔で膝にこてん、と頭を置いた。
「五百年・・・」
それは《夜人》にとっても長い時間なのだろうか。
「ちなみにツネちゃんも三百年は生きてるから君より年上だよ」
「あの、じゃあなんで小狐の姿のままなんですか?」
大城さんの膝の間にすっぽりとおさまる小さな姿。
「ん〜?ああ、ここらじゃ狐は化けないの?」
「・・・えと?」
言われたことの意味が分からずそう聞き返すと大城さんは、言葉を探すように首を捻った。
そいうえば恒人も一瞬、俺が分からない言葉を喋っていたので大城さんもこちらに言葉を合わせているのかもしれないな。
「狐が人間に化けたり、ん〜・・・魔法を使って人間を騙したりはしないの、かな?」
「人間に化ける狐っていうのはちょっと・・・狼になる人間なら聞いたことがありますけど・・・」
「ああ、そっか」
狐は山の方へ行けば見かけるけど、白い狐なんて初めて見る。
「空狐って恒人君は言ってましたけど?」
「まあ化ける狐、霊狐のランク分けというか官位みたいなものかな、あるいは段位、地狐(ちこ)、気狐(きこ)、空狐、天狐(てんこ)ってランクが上がっていくんだよ、尻尾の数も増える。まあ空狐クラスになれば、狐の姿より人間の姿のほうが定番になるから、今回は本当に力使い果たしたんだろうけどねぇ・・・というか珍しく人から精気吸って出したから加減を忘れたんだろうけど。ん、なんで小狐のまんまかって話だったっけ?」
「・・・・・・あ、はい」
言われたことを整理していたので俺も最初の質問を忘れかけていたけれど慌てて頷く。
「ツネちゃんのいた国じゃあ白狐っていったら貴重種だった、そもそも霊力が高いんだよ。普通の狐は修行しなきゃ化けられないけど、ツネちゃんは最初からできた。それに上乗せしてまだ小狐のうちに修行して空狐になったから、狐としてはこのまんま止まってるんだよ」
小狐な恒人は安心しきっているのか丸まるのをやめて大城さんの膝の上で伸びている、お腹を見せてくて〜んとしている。
本気で気持ちよさそうだけれど、恒人なんだよな、小狐でも。いやそもそもこっちが本質でいいのか?いや、今はもう人間の姿がメインだったっけ。
「・・・《夜人》って言っても色々あるんですね」
「人間だって国が違えば変わるだろ?それに《夜人》って総称だぞ、薔薇も蒲公英も杉も柊もひっくるめて《植物》って呼んでるのと同じだ」
ああ、それは分かりやすい。
総称か、そこまで考えたこともなかった。
「他に質問は〜?」
ぐてっとなりすぎてずり落ちそうになる恒人を抱きかかえながら大城さんが言う。ちょいちょい雑念が入るんだけれど、というか狐なんて警戒心が強いからまじまじと見たことなんてなかったが、こんなに可愛い生き物だったとは。雑念、とりあえず消えてくれるか。
「えっと、恒人君が属性がどうとか言ってましたけど・・・」
みーっという感じで大城さんが小狐な恒人の耳をひっぱった。
「なんか今回は口軽いよね、ツネちゃん!」
それでもされるがままで起きないことに諦めたのか大城さんは軽く肩を竦めてしゃべり出した。
「俺ら《夜人》には属性があるんだよ、木、火、土、金、水、これらは互いに生かせるし、殺せる。でも反目するから悪いとか良いとかそんなものでもない・・・まずは生む関係からだな《木は燃えて火になり、火は燃え果て土を残し、土はその身に金を生じ、金はその肌に水をおび、水は再び木々を生む》」
「大城さん」
小狐な恒人が顔を上げて口を開いた、その姿のままでも喋れるらしい。
「越えてはいけない時空を越えて丸パクリしないで下さい、注釈のつけようがないんですから」
「ごめんごめん、説明めんどくさくてさ〜」
「四元素ならば楽だし世界観的にそうすべきでしょうけど、単純に数と理解の問題だからしかたがありませんよ」
なんの話をしているんだ、なんの。
大城さんに頭を撫でられ恒人はまた目を閉じた。
「まあそれが生む関係、殺す関係だな、克つ関係。えっと、木は土から養分を吸う、土は水をせき止める、水は火を消す、火は金を溶かす、金は木を切り裂く・・・ついて来れてる?」
「・・・なんとか、理屈としては」
「また同じものが重なれば、ベクトルが同じなら相乗するし違えば相殺されるから同属性の者とは戦いにくい」
あのアハ・イシュケは水属性で大城さんも水属性だから戦いにくいということか。
「あくまでバランスの問題で良い悪いじゃないんだよ、逆に相乗効果で力を出しすぎることもあるし、相手の属性を殺せるなら相手の力の暴走を制御できる、5つの属性は巡っているんだ、どれが欠けてもなりたたない。残念なことに俺らには土属性がいなくてバランスが悪いんだけどね。理解できた?」
「なんとか、ギリギリですが。もしかして、なんですけど・・・大城さんがそうやってると恒人の回復は早いんですか」
大城さんの属性が水で恒人の属性が木、生む関係。
大城さんは少し驚いた顔で俺を見た。
「そうだよ、すげぇな。理解早いね〜英ちゃんは」
いきなり親しげに呼ばれたのは友好の証なのか、元々そういう性格なのか。
気づけば空は赤から紫に変わっていた。
夜が来る。
《夜人》の時間になる。
「なんか俺抜きで楽しそうなことしてるやん」
馬車の中から声がした。独特のイントネーション。浅葱さんのものではないから彼が最後の一人か。
すぅっと馬車の入り口のホロがめくれて手が伸びてきた。
柔らそうだけれど男性の手、しかしその手は透けていた、かけそき意味合いではなく、ガラスの手。
キラキラ光る透明な手はしっかりと人間の動きを持って何かを確かめるように揺れている。
「涙ちゃん、まだ早いんじゃない?」
「いや、行ける!」
大城さんの問いに元気よく答えたと思ったら、透明だった手が色を帯び、やがて普通の人間の手に変わった。
もう数回手を振って確認してからその人物が馬車から出てきた。
小柄な男性、小動物っぽい愛くるしい顔立ちに、ゆるく波打つ金糸の髪は肩の辺りまで。童顔なのに唇が妙に艶っぽく、挑戦的につり上がっている。
目は綺麗なアーモンド型で少し上向き。
恒人や大城さんと同じローブ姿。
この世界にこんなに顔の小さい男が存在したのかというぐらい小顔。
その可愛らしい顔をちょいっと傾げて彼は俺を指さした。
「あ、昨日ツネの太腿見てた変態さんや!」
聞かれていた!!案の定聞かれていた!!そして変態と断言された!!
「い、いや、変態的な意味で見てたわけじゃないよ!?」
「ほんまに〜!?つーかウケる!!」
きゃらきゃらと笑って大城さんの隣に座りつつその子は言った。
「俺は涙沙。涙ちゃんって呼んで、英蔵君」
名前まで覚えられていたらしい。
しかし涙ちゃん、ずいぶんと明るい子だ。
「えっと、涙ちゃんも?」
先程の透明な腕を見れば聞くまでもないことだけれど一応聞くと涙ちゃんはまた明るく笑った。
「《夜人》やで〜!聞いて驚いて笑って!俺は稀代の錬金術師、オリバー・レイ伯爵がシャレで作ったホムンクルスなんや!」
・・・笑いどころが分からなかった。
シャレで作ったとか言わなかったか?
「シャレでなかったらノリやね!ノリで作った感じや」
「涙ちゃんさ、英ちゃんは全然そっちの知識ないんだからもっとちゃんと説明してあげないと」
大城さんに言われて涙ちゃんは一瞬きょとんとしてからまた笑った。
「あ、そっか!ごめんな〜!俺はつまり人工生命体やねん。ホムンクルスをな、どこまで強化できるかっていうノリで作ったらこんなんなっちゃいました〜!みたいなっ!」
と涙ちゃんは両手を広げて笑ったけれど、まだ笑いどころは分からなかった、大城さんが苦笑しているところを見ると別段彼等にとっても笑える話ではないのかもしれないけれど。
「防御力、攻撃力共に最高、知識も人間以上、但し、日中は透けるちゅーかこの姿になるのに力使うから大抵寝てる夜型!このまんま成長もしないし病気にもならないし、壊れない、不老不死、永久にこのまま」
笑える話ではない、むしろそれは・・・
涙ちゃんは笑う、にっこりと明るく笑う。
「このま〜んまや」
「・・・そう、なんだ」
俺が笑い返すと涙ちゃんもまた笑った、今度は心の底から笑ったように見えた。
「あ〜〜!!!!ツネが小狐バージョンになっとる!触らせて!」
「ダメだってば、弱ってる時に涙ちゃんと浅葱君はさわっちゃダメ!」
「大城君ばっかずるい〜!俺かてもふもふしたいわ!!」
「元気な時に頼めばいいじゃない」
「頼んでもやってくれへんもん・・・」
えっと涙ちゃんの属性が金で浅葱さんが火だったから、涙ちゃんは打ち消しちゃうし、浅葱さんは逆に力を取ることになる・・・って理解でいいのだろうか。
ややこしいというか大変だな。
涙ちゃんはぐだぐだ言いながらも諦めたらしく、少し離れた所で火を焚いて夕食の支度を始めた。「英蔵君も食べてくよな!」と思いっきり断定して言われたので頷いておいた。
小狐な恒人はまだ眠っている。
「・・・恒人君、よくあるんですか?こういうこと」
「ん〜まあね。いや、本来なら・・・空狐ってかなりの高位な《夜人》だからこんなことにはならないんだけど・・・」
大城さんは少し言い淀む。
悲しそうな顔で、怒りを抑えたような顔で恒人の頭を優しく撫でながらゆっくりと言った。
「《夜人》を狩る連中がいるんだ、昔・・・そいつらに捕まっていて、その時に力を封じられて・・・今でも一部、封じられたままなんだよ」
「捕まっていた?」
「うん、5年ほどね」
5年、5年間。
それは百年以上生きる彼等にとって短いのだろうか、それとも俺達と同じように長いのだろうか。
「・・・なんでですか?」
「《夜人》を狩る連中のほとんどに理由はないよ、《夜人》だから狩るんだ」
あまり深く聞いて良い空気ではなかったので俺はそれ以上の質問を重ねるのを止めた。
日はすっかり落ちていた。
たき火だけが周囲を照らしている。
「英蔵君、だったよね。待たせてごめん」
馬車の中からあの声がした。
ゆっくりと入り口を捲って、一人の男性が降りてくる。
ローブ姿、背はすらりと高い、漆黒のような髪が長く、顔の半分を隠していて、肌は白く見えている左側の顔は整っていて気品がある。瞳は赤。ゆっくりと俺の方に歩んでくる浅葱さんに俺は思わず立ち上がる。
高貴なのにやわらかな雰囲気、それでいて圧倒されるような迫力。
浅葱さんは俺の前まで来るとふっと微笑んだ。
目が綺麗に三日月型になり、美しい。
「改めて名乗らせてもらうよ。サクスブルー・ダークローズ・アンチアーレス。灼熱のヴァンパイアだ」
かつてないほど強烈に格好いい自己紹介だったが、それを言っても違和感の欠片もない。
ヴァンパイア。
吸血鬼。
「不老で不死身のヴァンパイア、太陽の下には出られない。十字架ぐらいなら触れるけどね」
浅葱さんは優雅に微笑んで言う。
「鏡には映らないし、蝙蝠に化けることもできる・・・霧にも化けられる」
霧。
霧の塊。
「あ!」
「昨日も会ってはいるんだよ。顔を確かめておきたかったから、失礼かとも思ったんだけど」
馬車から出ていないわけではなかったのか。
霧になって出回っていた。
「あの、もしかして、ですけど・・・昨日は恒人君に遠くへ行かないように言っていたのに今日は一人で湖へ行かせたのは安全が確認できたから、ですか?」
「そうだよ、《夜人狩り》の連中がいないかだけ確かめていたんだ」
少し驚いたように頷いてから浅葱さんは大城さんの方を見る。
「ツネの様子はどう?」
「大丈夫だよ、もうすぐ目を覚ますと思う」
「そうか、よかった・・・」
浅葱さんは手を伸ばしかけ、それから慌てて引っ込めた。
ああ、触ったらダメなんだったな。
「時々・・・ツネが小狐の姿の時になでなでしたいがために自分の属性変えたい思ってしまう、俺だってもふもふしたい・・・」
綺麗な声でお茶目なことを言う人だった。
というかふさふさな生き物を撫で倒したい感覚って《夜人》にも共通なものなのだろうか。
「浅葱君、いくら出奔したとはいえ由緒正しき炎のヴァンパイア貴族がそんな発言したらだめだよ、アンチアーレス家って名乗っただけで大抵の《夜人》はビビるぐらいの家柄を根本から否定しないで・・・」
大城さんに苦笑しながら言われ浅葱さんは少し照れたようだった。
良い人なんだな。吸血鬼ってもっと怖いのかと思っていたけれど。
「ああそうだ英蔵君、話があるんだけどちょっと付き合ってくれるかな」
「え?ああ、はい!」
裾を翻して歩き出した浅葱さんの後を追おうとしたら、涙ちゃんが駆け寄ってきて俺に携帯用のランプを渡してくれた。
「俺らは暗闇でも見えるけど、英蔵君は見えんやろ?」
「ありがとう」
それから少しだけ困惑した顔で浅葱さんの背中を見てから涙ちゃんは夕食の支度に戻った。



少し下流に歩いたところ、偶然にも俺が林檎を拾った場所で浅葱さんは足を止めた。
「知っておくべきとも言えないけれど、いやむしろ知らなくていいかもしれないけれど・・・」
浅葱さんは目を細めて首を傾げる。
「ううん。俺が伝えておきたいだけかもしれない。英蔵君は生まれ変わりという概念を知っているかな?」
「知ってます、けど・・・」
「俺達は人間よりずっと長く生きる。だから時折、本当に時々、過去に会った人間の生まれ変わりと出逢うことがある。だからどうするってわけでもないんだ、人間に前世の記憶があることは稀有だ。俺達にとって地続きでも人間にとっては断絶したものだ、だから同じ人間だと見なすことはない、魂は同じでも違う人間・・・だから俺がこれを伝えるのは特殊で、こちらの都合なんだ、俺達にも決着がつかない過去ぐらいある、取り返しはつかなくても折り合いをつけたいこともある・・・」
夢。
白い小狐。
そうか、あれは夢ではなくて。
「・・・俺は、俺になる前に・・・恒人君と会っていたんですか?」
浅葱さんは頷く、悲しそうに。
「俺は、何をしたんですか?」
喉が渇く、指先が震える。
俺はなにか取り返しのつかないことをしたのではないだろうか。
「話すのは本当にこちらの都合なんだ、今の英蔵君が知るべきではないことかもしれないし、今の君にも前の君にも責任はなかったんだよ?」
「・・・教えて下さい、俺が何をしたのかを。責任はなくても恒人君にとっては繋がっている問題なら俺は知りたいです」
「知りたい?」
「ええ、そして俺にできることがあるのであれば、したいです」
浅葱さんは目を細める、灼熱の赤を宿した瞳が揺れる。
「ならば、思いだしてごらん・・・」
額に浅葱さんの手が添えられた、氷のように冷たい手。
次の瞬間に溢れ出す、記憶。
俺であって俺のものではない記憶。



穏やかな緑の山に囲まれた田畑、静かな村、澄んだ空を鳶が飛んでいる。
住人は誰も顔見知りで、平和な空気に包まれていた。
−狐が来てるぞ。
−白い狐だ、お稲荷様の使いかね?
−まだ子供じゃないか
−ほっておけ、悪戯はすれども悪さはしまい
自然と共に生きているなら自然と共に生きている《夜人》もまた同居人だった、当たり前に受け容れていた。
村人達が言い合った通り、白い小狐は悪戯をした。こっそり弁当から食べ物を一つ抜く、人間に化けてお菓子だと騙して石を囓らせる、荷物を持たせるふりをして地蔵を担がせる、酔った人間を道に迷わせて肥だめに落とす。
他愛もない悪戯。
それを村人達は笑って許した。
−酔っ払って歩き回っているとまたあの狐にからかわれるぞ
−ずいぶんと人懐っこい狐だけど親とはぐれたのかね
田圃の脇で休んでいると、小さなお堂の向こうにふさふさの尻尾が見えた。
「お〜い!・・・えっと、狐!おむすび食べるか?」
握り飯を一つ置いててやると、なんの警戒もなくちょこちょこ寄ってきて食べ始めた。
「オマエね、もっと警戒しなよ。怖い人間だっているんだぞ」
耳をぱたぱたさせながら小狐は不思議そうに俺を見る。
「狩人って言ってな〜動物を捕って暮らす人間もいるんだ、オマエは毛並みが珍しいから注意しないと、まあこの辺りは大丈夫だけどさ」
首を傾げる小狐に俺は笑った。
「って言っても分からないよなぁ。そういやオマエは人間に化けれるんだろ?化けてくれたら話しやすいな、化けてみてくれる?」
小狐は頷いた、はっきりと頷いた、目を点にしている俺の前でくるりと宙返りをして地面に降りた時にはもう人間の姿をしていた。
色白で艶やかな黒髪の美少年。
「これでいいですか?」
そう言って小狐は悪戯っぽく笑ってみせた。
「・・・・・・・・・え?」
「自分でやれって言っておいて驚くなんて失礼な・・・」

夕暮れ時、神社の石段を駆け上がっていく。
赤く染まった境内で、人間の姿の小狐が立っていた。
「×××お兄ちゃん、また来たんですか」
「減らず口きくなよなぁ・・・ご飯食べる?」
「食べま〜す」
「・・・調子の良いヤツ」
「えへへ」

「そういえばさ、狐って呼んでるのもおかしいっていうか呼びにくいんだけど名前とかないの?」
「ないですよ〜。狐ですもん」
「狐同士では呼ばないの?」
「基本その場合は住んでる場所の名前ですけど、こっちに移動してきてから他の狐に会ってませんし」
「ん〜、じゃあ適当に呼んでいい?」
「いいですよ。×××お兄ちゃんの好きで」
「じゃあ恒人」
「ツ・ネ・ヒ・ト?」
「うん、いいかな?」
狐は、恒人は頷く、無邪気に笑って喜んだ。

「×××お兄ちゃんはなんで俺のところへ毎日来るんですか?」
「恒人はさ、お稲荷様の使いなの?」
「質問に答えてないし・・・使いではないけれど会ったことはありますよ」
「そっか・・・ん、いや、いいんだ」
「なにか神様にお願いゴトですか?」
間違える、道を間違える、踏み違える、理を崩す、運命を狂わせる、無知と、悪意なき身勝手で、間違ったことを言う。
「弟がいたんだけどね、小さい頃に亡くなって・・・もう一回だけ会いたいなと思ってるだけ」
「それが×××お兄ちゃんのお願いゴトですか?」
「うん、それだけが唯一の望みだよ」
恒人は難しい顔をして、それから少し悲しい顔をして最後には笑って言った。
「・・・じゃあお願いしてみますよ、ニンゲンと違って会う方法は知っていますから」
「本当に?」
「本当に、約束です」

それが恒人を見た最後になった。どこを探してももう会うことはできなかった。自分が頼んだことがなにか悪いことを招いたのか、それとも恒人が約束を破ってどこかへ行ってしまったのか、なにも分からないまま。
二度と会うことはなかった。


記憶はそこで終わりだった。
目を開けると浅葱さんが俺を見ている、静かな目で、とても静かな目で。
自分の、いや俺でない俺がやってしまった間違いはその記憶だけで充分に分かった。だからこそ聞かなければなるまい、その続きを。
「あの後、恒人君は・・・どうなったんですか?」
「向こうの国で言うところの《神》は最高位の《夜人》、あの国でお稲荷様と呼ばれていたのはその一つだ、恒人はそこへお願いに行った」
「俺の、いや・・・前の俺の願いを届けるために?」
浅葱さんは頷く。
「狐と人間では価値観が違う、重なっている部分もあるけれど本質的に違う、狐の一族は情が深く一途なんだ、約束を交わせば必ず守るし果たす、悪戯で人を騙すことはあっても裏切ることは絶対にしない」
「だったら・・・何故、あのまま姿を見せなかったんですか?」
「霊狐としての官位を上げれば死者の魂を一瞬だけ現世(うつしよ)に呼び戻す術を修得できると聞いて、官位を上げるために修行をしていたんだ。そして空狐になった、百年かけて、ね・・・」
百年、百年間、それでは・・・
「知らなかったんだよ、間違えていたと言ってもいいかもしれない。人間は狐より長生きだと思っていた。それは普通の狐の話で霊狐は人間よりはるかに長く生きるとは知らなかった」
人間は狐より長く生きる。
その言葉を言ったのは、前の俺だ。
「本当に知らなかったんだよ、たかだか百年足らずで人間の寿命が尽きてしまうなんて思いもしなかった。そして百年あれば人間の世が変わってしまうことも知らなかった」
「じゃあ、恒人君は前の俺が死んだ後、あの村へ・・・?」
「戻ってきた。最悪のタイミングで・・・その頃あの国は《夜人狩り》が横行していたんだ、あの村も例外ではなかった」
「そこで《夜人狩り》に捕まった?」
「本来なら空狐はいかに能力を持った人間とはいえ狩ることはできないはずだった、けれどツネは《夜人》を狩る人間がいることも知らなければ、人間を疑うことも知らなかった」
5年間、5年間囚われていた。
人間は嫌いだと、関わりたくないと、そんな台詞を言わせるには充分すぎるだろう、考えてみれば何百年生きたって、一日の長さは同じはずなのだから。
「俺は・・・俺は・・・」
「英蔵君ではないよ、人間が前世のことまで責任を持つ必要はない。前の君がやったことも悪かったわけじゃないはずだ。ツネも前の君を恨んではいない、捕らわれていたその5年間すら前の君との約束を果たせないことを悔やんでいたほどに、とうの昔に死んでいることも知らずにね。あの《夜人狩り》の連中からツネを助け出したのは俺達だったけれど、俺が教えるまで人間の寿命が百年に足らないということは本当に知らなかったんだ」
「恒人君を捕らえていた《夜人狩り》の連中は?」
瞬間的に浅葱さんの赤い瞳が冷酷さをおびる、冷徹さをおびる、怒りをおびる、燃えるように輝く。
「五十人ほどいたけれど一人残らず殺した、意図的に人間を殺したのはあれが最初だ、そして最後であって欲しいとも思っている」
重い、その言葉がなによりも重い、耐えきれずに俺はしゃがみ込む、地面に頭をつける、泣く権利はないはずだから泣かない、それでも胸が焼けつく、吐き気がする。
「重ねて言うけれど英蔵君が責任を感じることはないんだよ」
浅葱さんの声は優しいものに戻っていた。言わなくても彼にはきっと分かっているんだろう、前の俺のあやまちは。
−適度な畏怖と適度な無視と適度な寛容
《夜人》に対し人間が取るべき姿勢、それを踏み越えた、分かっていたのに知っていたのに、境界を越えた、距離をつめすぎた。
それに、
「打算がありました・・・」
その言葉を言っているのは記憶を受け取った俺自身なのか、それとも一時的に甦った前の俺なのか、それは罪の告白に違いあるまいけれど、赦されようもなければ、悔い改めようもないものだった。
「恒人君が稲荷の使いではないかと聞いてから、彼ならば願いを叶えてくれるかもしれないと、そんな打算を持って近づいたんです、それに・・・《恒人》は弟の名前でした、自分を兄と呼ぶように言ったのもこちら側からでした。代替を求めました、なくしたものの代替を彼に求めました、彼に弟の代わりを求めました・・・あれほど慕ってくれたのに・・・」
「弟の代替としか見なしてなかった?」
静かな声に顔を上げる、優しい瞳に俺が映る。
「それは、違います・・・途中までは確かにそうだった、でも・・・会えなくなってから気づいたんです、代替なんかじゃなかったと・・・」
−もういいから、願い事はもういいから。
−姿を見せてくれ、お願いだからもう一度出てきてくれ。
「だったら前の君にも罪はないよ・・・いや、それは俺が決めることではない、か・・・」
浅葱さんの視線の先に、人間の姿の恒人が立っていた。
ランプの明かりに照らされて、それはひどく静謐に見えた。


夜の河原に並んで座り込んだ。せせらぎの音だけが響いている。
「ごめんなさいね」
先に口を開いたのは恒人のほうだった。
「前世なんて今のアナタにはなんの関係もないのに、なんだか責任感じさせちゃったみたいで」
「あやまるのは、俺のほうじゃ・・・」
「違いますよ」
恒人はきっぱりと言う。
「今のアナタの問題じゃないですし、そもそも俺の無知と認識不足が引き起こしたんですから、×××お兄ちゃんも悪くない」
「悪くない?恨んでない?」
「・・・弟さんの名前で呼ばれていたというのは、若干ショックですけどね」
「・・・ごめん」
「だからそれはアナタじゃないでしょう。恨んでませんよ、むしろそんな阿呆な勘違いで約束を守れなかったことをあやまりたいぐらいですけど、アナタはアナタであって×××お兄ちゃんじゃありませんし」
微笑んで恒人は俺を見る、そこに嘘はないように見えた。
「なにか俺にできることはある?」
「そうですねぇ・・・」
抱えた膝に顎を乗せて恒人は目を細めた。
「手・・・」
「手?」
「他はほとんど違うけど、手の感触は同じだなぁ・・・と思ったんですよ」
ああ、だからあの時、肩を掴んだあの瞬間、あんなに驚いた顔をしたのか。
長い沈黙の後、噛み締めていた薄い唇を解いて恒人は少し照れくさそうに言う。
「・・・・・・頭、撫でてもらえますか?」
「そんなことでいいの?」
「それでいいです」
手を伸ばして、頭を撫でる、艶やかな黒髪を梳くようにゆっくりと。
恒人は目を閉じたまま、嬉しそうに微笑んでいた。
「もういいですよ」
俺が手をはなすと恒人は目を開けた。
俺に笑顔を向ける。
「ありがとうございます、英蔵さん」
初めて俺の名前を呼んで、何かを吹っ切った顔で、何かを断ち切った顔で、立ち上がる。
「・・・恒人君」
「人間は嫌いですよ、関わりたくありません、寿命が短くてすぐに死んでしまう脆い生き物だから嫌いです・・・寂しくなるからイヤです」
「人を恨んでいないの?」
「《夜人狩り》の連中は憎いですよ、でもそれで人間を全部まとめて恨んだりはしません、優しくもしてもらいましたから、酷い人間もいるし、酷い《夜人》もいる、同じことでしょう?」
そう言って恒人は背を向ける、歩き出す。
闇に解けていくその背中を見送りながら俺は立ち上がることすらできなかった。




翌日、店のカウンターに座ったはいいが、何も手につかなかった、開店準備すらまともにしていない、入り口の鍵を開けただけ。
この状態で客が来ても対応できるのだろうか、自信がない。
あれでよかったのだろうか。
俺にできることは本当にあれだけなのだろうか。
ぼんやりと天井を見上げていると、扉が開いた、「いらっしゃいませ」と気怠げに視線もやらずに返せば、呆れた声が返ってきた。
「英ちゃんね、もっと気合い入れて言いなよ」
・・・大城さんだった。
呆然とした俺を見て大城さんは困ったように頭を掻く。
「ん〜、まあ色々とショックだとは思うけどさ。まあ唯一の元・人間として言わせてもらうけど、前世のことだけはどんだけ考えても悔やんでもどうしようもないよ。うん、まあ此処でツネちゃんと会えたのは縁かもしれないけどね、ツネちゃんもなんか満足してるみたいだったし・・・」
俺を気づかって来てくれたのか、だとしたらありがたい、その優しさが嬉しい。
「あの、一つだけ・・・聞いてもいいですか?恒人君は《夜人狩り》に捕まっていた間・・・どうしていたんですか?」
大城さんが目を細めた、青い瞳が一瞬光る。
「知っても英ちゃんがキツくなるだけだよ」
少なくとも昨日話した限りでは優しい印象の浅葱さんが、伝え聞くように人間を下等生物と見なしている様子もない彼が、全滅させたという時点で事態が穏やかなものでないことは分かっている。
俺が視線をそらさないまま見つめ返すと大城さんは小さくため息をついた。
「・・・人間って動物を遊びで狩ることあるだろ?で、良いのが捕れたら・・・剥製にするなりして飾るだろ。あの感覚だと思うけどな・・・それほど空狐は珍しかった、アイツらにとっては戦利品で実験台だった」
「・・・実験台?」
「《夜人》を狩る術を試すための、実験・・・」
ぎりぎりと尖った犬歯を噛み締めて、大城さんは一言一句、血を吐くように言った。
迂闊な質問をしてしまった、話す方だって辛いはずなのに。
「・・・大城さんも《夜人狩り》をする連中が許せませんか?」
「程度の問題かもしれない、あのアハ・イシュケみたいに人間を喰らうものが現れたら人間側としては狩るよりしかたないだろうよ、自分達を守るために。でも《夜人》だからと見境なく狩るのは醜悪だ。必要もなく、意図的に他の生き物を害するのはとてつもなく醜悪な行為だと俺は思っている」
醜悪。
《夜人》も生き物。
食べるために、生きるために、他の生き物を殺すこと、生活圏が侵されたから攻撃すること、おそらくそれは悪ではない。
でも、意味もなくあるいは楽しみで他の生き物を殺戮するのは人間だけなのではないだろうか。
だとしたら人間は酷く醜悪だ。
滞在する国に《夜人狩り》がいないか確認してからでないと、恒人を一人で行動させないのも当然だ。
話しかけてくる人間を恒人が警戒するのも当然だ。
「難しい顔するなよ、英ちゃん。もう過ぎたことですんだことだ。消せはしなけど生きていれば乗り越えられる、こっちは百年以上生きてるんだよ、色々あるさ」
大城さんは笑ってカウンターに腰かけた。
「ああ、そういえば何か買い物ですか?」
「うん、鍋買いに来た、小さいやつ」
「分かりました。壊れたんですか?鍋」
なるべくかさばらないような物を幾つか戸棚から選んで引っ張り出す。
「うん、昨日涙ちゃんが勢い余って壊しちゃったから」
・・・鍋って勢い余ると壊れるものだっけ?
「ってゆーかさ。俺らしばらくこの国に滞在してるから涙ちゃんにあやまったほうがいいよ」
「はいっ!?」
「だって夕飯食べてくって言ったのに帰っちゃうから、英ちゃん」
「・・・・・・あ」
いや、あの状況で一緒にご飯ってのも変だし正直忘れていたのだけれど、俺のぶんまで作ってくれていたのなら悪いことをしたな。
「価値観・・・いや、《夜人》ってさ、みんながみんなじゃないけど口約束でもすごい重視するんだよ。その辺りが人間と違うってことは涙ちゃんも分かってるけど、まあ折り合いは難しいよね」
「・・・それは悪いことをしました」
と、いうか勢い余って鍋壊したのって俺に怒ってか?怖くて聞けない。
「そしてこれもまた価値観の問題なんだけど、《夜人》のほとんどは貨幣というものに無頓着なんだ」
あのひょうきんな笑顔を浮かべて言うものだから、一瞬意味が分からなかった。
「言うなればお金なんて概念は存在していないっ!」
・・・タダでくれと言われているらしいことに気づいた。
世話にもなったし別にかまわないので笑って頷く。
「いや、しかし他では買い物する時どうしてるんですか」
「うん?」
大城さんは笑って持っていた袋をカウンターにぶちまけた。
銅貨がさーっと山になって出てきた。
「・・・お金持ってるんじゃないですか!」
「偽物だからこれ」
「へっ!?」
「これ、木の葉だよ。ツネちゃんが銅貨に変えたの」
「・・・・・・」
概念がない、か。ならばそう見えるなら、使えるならかまわないと思うんだろうな。
人間的にはよろしくはないだろうけど。
手に取って銅貨を見るが、完璧だった、とても偽物には見えない。
「一個欠点があってさ、音がしないんだよ」
大城さんはそう言って苦笑する。そういえば袋から出した時の音が妙だったな、銅貨をこんなところにぶちまけたらもっと派手な音がするはずだ。
「しかし恒人君すごいですね・・・」
木の葉を金に変えれたら豪遊し放題だなんて考えは持ち合わせていないのだろうけど、一応、お釣りの出ない銅貨に変えている辺りは気づかいなのだろうか。
「狐だからね、器用なんだよ。幻術見せたり色々」
「・・・大城さんはどんなことができるんですか?」
「ん〜?秘密」
これ以上ないほどストレートにかわされた。
「ところで、しばらくこの国にとどまるって、またなんでですか?」
大城さんはカウンターから飛び降りて耳打ちするように顔を近づける。
「アハ・イシュケ、あれがどうもオカシイんだよな。アハ・イシュケは肉食性で人間を好んで食べる。英ちゃんは知らなかっただろうけど、浅葱君が霧になって警察連中が話してるのを盗み聞きしてきたんだよ、湖の岸辺には行方不明者のものらしき身体の一部が残されてた。それに足して犠牲者の年齢性別がバラバラだったから俺らはアハ・イシュケの仕業だと思って、属性上、一番水属性を相手取りやすいツネちゃんに行ってもらったんだけどさ・・・」
そこまで言うと大城さんは顔を離した、そして眉を顰めて続ける。
「そのアハ・イシュケ。ツネちゃんが話しかけても答えなかったんだろ?そりゃオカシイ。アハ・イシュケは人間に変化することだってできるし、知能もそれなりに高いんだぜ、そりゃ水魔としては下位だけどさ。見た目が巨大な馬だったのも多少気にはなるけど・・・」
「普通は巨大な馬じゃないんですか?」
「ポニーとか綺麗な馬の姿になる、それで人を乗せたり、あるいは引きずり混んだりして溺れさせてから食べる。ツネちゃんが見た感じだと、なんらかの・・・他者の力によって強化されてその上で理性をなくしてるみたいだったって言ってたけどさ、この国には調べた限りじゃあ魔術を使える人間はいない、だろ?」
「ええ、俺も聞いたことがありませんよ、魔術師なんて」
それこそお伽噺だ。
まぁ目の前にいるのが《夜人》なんだから何処かに魔術師ぐらいいようが。そもそも涙ちゃんは錬金術で作られたと言っていたよな。
「そもそも俺らがこの国に来たのはさ、山向こうの国で人狼の被害が出てたからなんだ。もうその国に人狼の気配はなかったから抜けるとしたらこっちの国だと思って来たんだけど、その被害は出ていない」
「聞いてませんね、人狼の伝説はありますけど・・・」
「人狼ならば元・魔術師の可能性もあるから、アハ・イシュケを強化できるかもしれない。それを調べるためにしばらく滞在」
「・・・人狼って属性はなんですか?」
「うん?《土》だね。まあ元が魔術師なら違う場合もあるけど・・・」
俺が言いたかったことが分かったらしく大城さんはにんまりと笑った。
「ああ、ツネちゃんのことが心配かぁ、そっかそっか〜」
いや、なんでそんなに嬉しそうなんだ。
えっと属性が土の場合有効なのは・・・
「土に克つのは木だからツネちゃんが行くことになるだろうけど、さすがに人狼相手、一人で行かせたりしないよ」
「人狼って強いんですか?」
「程度にもよるけど、ツネちゃんと人狼なら五分五分じゃないかな」
今度はカウンターに顎を乗せて大城さんはまた笑った。
「心配?」
「・・・そりゃあもちろん」
「そうか、俺も、いや俺らもいつだって心配だよ」
「・・・そうですよね」
「でも決めたことだから、みんなのこと信じてるしね」
そう言って包んだ鍋を手に取ると、明るく手を振って大城さんは出ていった。



昼過ぎ、店を閉めて出かける。中心街を抜けて山の近く。大城さんが言っていた人狼が越えてきたかもしれない山といったらたぶん此処だろう、一番高い山でたしかこの向こうに国がある。なにせ標高の高い巨大な山向こうなので交流はないけれど。
山の近くの森から見上げてみるが特に変化はないように思えた。
まあ只の人間である俺が見ても何も分からなくて当たり前だけれど。
「もしかして本物の馬鹿なんですか?」
後ろから声をかけられた。ふり返ると恒人が心底呆れたという顔で立っている。
「大城さんから人狼の話は聞いたんでしょ、だったらなんでわざわざ見に来るんですかね、好奇心は身を滅ぼしますよ。そもそも昨日だって湖でぼへーっと突っ立ってるし、危機回避能力ないんじゃないですか?」
いちいち尤もなことを言われてしまった。
「でなきゃ考えなしです、少しは《夜人》を怖れたほうがいいですよ」
「いや〜ホントに昨日まで《夜人》とか信じてなかったし」
「この国はそんな感じですね、習慣としては根付いているけど、存在は信じていない。まあそれは良いことでもありますけど、悪くもありますよねぇ」
恒人はくいっと首を傾げて目を細める。
「悪い、かな?」
「・・・対処法を知らないとも言えるでしょう。ホブゴブリンやピクシー連中は人間と共に生きてる《夜人》なので対応をあやまっても悪さってほどの悪さはしませんけど、本当に危ないのが出た時に困るんじゃないですか?」
「危ないの・・・っていうと」
「まぁヴァンパイアにしたって浅葱さんみたいな人に害を与えないタイプは稀ですし、人狼は本当に危険です、《夜人》の中でも危ない」
人狼の伝説ならこの国にも伝わってはいるけれど。
目撃談はない。
「人狼って言うと・・・家畜を襲ったり人間を襲ったり?」
「というか、なんでも襲うのが人狼ですよ。《夜人》も襲います、何でも食べます・・・まぁさすがに浅葱さんや涙沙さんは食べられないでしょうけど。大城さんはそもそも人間だし、俺は狐ですしねぇ・・・」
そりゃ狼は狐を食べるか、いや、ものすごく嫌な話なんだけど。
食われるって殺されるより重い気がする。
「人狼は捕食目的というより殺戮が目的なんですよ、性質としては残虐です、理性もない。但し・・・魔術師が魔術で人狼になったのなら知性はある、一番やっかいです」
理性はなくても知性はある。
「話が通じないんですよ、ルールや価値観を合わせればある程度の交渉って可能なんですけど人狼は無理です」
殺戮が本質の生き物。
確かにそれはやっかいだ。
「だから人狼は倒す対象?」
「いえ、生き物としての本質ですから、やはり程度とバランスの問題ですね、人狼でも山奥でひっそり暮らしている者だっていますし、しかし今回の件に関しては魔術師が自らの意志で人狼になり、積極的に殺戮を繰り返しているので・・・アハ・イシュケを強化してまで人間を襲わせているんですからよほど人間が憎いか、単純に殺戮好きなんでしょう」
「恒人君さ・・・」
「呼び方、ツネにしといてもらえませんか?」
−弟さんの名前で呼ばれていたというのは、若干ショック
・・・だよな、確かにイヤだよな。ましてや俺だもんな。
「ツネはさ、いや他のみんなにしても、もっと安全に生きていく方法ってないのかな?なんてゆーか、それこそ人間側の都合って言われるかもしれないけど、みんな性質に違いはあれ人間に見えるし、人間社会に溶け込んでもっと安穏と生きていくことはできないのかな?」
「・・・まぁ細心の注意を払えばできるでしょうね、全員歳は取らないので定期的に場所を変える必要はあるでしょうけど」
「だったらどうして、危ない旅を続けているの?」
「どうしてでしょうかね〜」
恒人は悪戯っぽく笑う。
「理由はそれぞれで、そのそれぞれも複雑なんでしょう、どうしようもないぐらいに、他を選べないほどに複雑」
「そっか」
深くは言うまい、俺が首を突っ込むことでもない。
ただ・・・
「その人狼の件が終わったら、ツネ達はまた旅に出るの?」
「そうですよ」
「この国に戻ってくることはあるのかな?」
「あるかもしれませんけど、百年後とか二百年後とかになるんじゃないですかね」
百年。
分かってはいたけれど、彼等がこの国を去ればもう会うことはないのか。
「・・・寂しいな、せっかく仲良くなれたのに」
「俺は別に仲良くなったつもりはないですけどね」
可愛くねぇ!つんとした顔で言われた!
「俺は一生忘れられないと思う、ツネ達と会ったこと」
「・・・・・・俺は忘れますけど」
「覚えててよ!」
「イヤです。百年ぐらいしていちいち『ああ、もうあの人死んじゃっただろうな〜』とか思っちゃうからイヤです」
俺の前の俺、恒人の言うところの『×××お兄ちゃん』、死んでいると聞かされた時どれだけショックだったのだろう。
忘れることが救いになることだってあるのだ。
「じゃあ俺が勝手に覚えておくよ」
「ご自由にどうぞ」
恒人は無邪気な笑みを浮かべて、俺を見た。
「そして年数を重ねるごとにどんどん美化していって、一生それで頭の中薔薇色にする!」
「・・・変態ですか?」
「美化しなくても最高潮だけどね!既に頭の中薔薇色だけどね!なんだったら最後にもう一回ローブ脱いでお腹と太腿見せてくれたらそれで一生食いつなぐねっ!」
「開き直りましたねっ!?」
そうして二人で声を上げて笑った。
いや、もちろん冗談ですよ?
「なんだったら俺のことも『お兄ちゃん』と呼んでくれたら、それで至上の幸福を手に入れられる!」
「調子に乗らないで下さい!」
べしっと頭を軽く叩かれた。
「そういえば、その×××お兄ちゃんと俺ってやっぱり似てるの?」
魂は同じだったら似たものになるんじゃないかと思ってそう聞くと恒人は首を傾げて俺を見た。
「全然!×××お兄ちゃんは格好良くて頼れる人でした」
「・・・俺は格好良くもなく、頼りにもならないと?」
「おや、なんで分かったんですか?」
しれっとそんなことを言って恒人は悪戯っぽく笑う。
「あのさ、俺にできることって本当にもうないかな・・・」
「ん・・・やっぱ別物ですから、できれば願いを叶えてあげたかったですけど、英蔵さんの願いではないですしね」
「そっか・・・」
狐は約束は必ず守ると浅葱さんが言っていた。ならば恒人にとってその約束を守れなかったことは悔いなのだろう。
果たせなかった約束は何故か美しく思えた。
「でも、いや、俺が言うのも変だけどさ・・・記憶で思う限りは、たぶん前の俺は願い事より、ツネに会えなかったことがずっと寂しかったんだと思う、それを悔いていたと・・・たぶんだけどね。どうやってもさ、別れがこないことはないけど、『さよなら』のないお別れが一番辛いから」
気持ちの区切りようがなく、いつまでも引きずるしかない。
「そうか・・・それはそうかもしれませんね」
そしてそれも今更どうしようもないことなんだけれど。
「だったら、基本的に俺達は国を出る時はこっそり出ていくんですけど、英蔵さんにだけはちゃんとお別れ言って行きますよ」
「うん、そうしてくれると嬉しいかも・・・って、俺のことじゃなくてツネのことだよ?」
「いや〜俺もそれでいいですよ?」
そう言ってまた恒人は笑う。無邪気な笑みを見せる。
ふと、日が陰ったような気がした、次の瞬間まるで時間を飛ばしたかのように恒人が倒れていた。
なんの音もしなかった、なにが起こったのか全く分からなかった、ただ地面に倒れて、目を閉じていて、こめかみの辺りから血が滲んでいて、動かなかった。
「・・・え?」
地面に落ちている影に、太陽の光を遮っているそれを辿って顔を上げる。
2メートルはある背丈、顔は巨大な狼、身体は筋骨隆々とした人間だが針のような毛に覆われている、爪は鋭く尖って血が滴っていた。
人狼。
肩の辺りに焼けた杭を打ち込まれたかのような痛みが走る。人狼が俺の肩に食らいついている。
服に血が染みこんでいくのが分かった、声すら上げることができず、動くこともできなかった。
人狼は口を放して金色の目で俺を見る。
「なんで人間が空狐と一緒にいるんだ?」
不愉快そうにそう言って俺を無視して倒れている恒人の方へ歩き出す。
「ちょ、待・・・」
叫ぼうとした声は途中で途切れた、全身が熱い、立っていられない、身体が動かない。
なんだこれは。
なんなんだこれは。
倒れていた恒人の姿がなかった、人狼は歩みを止め、上を見る。跳躍した恒人の回し蹴りを片手で受け止めて、残虐そうな笑みを浮かべた。
「英蔵さん、意識だけは保っておいて下さいよ」
緊迫した声が響く、俺はそんなに重傷なのか?噛まれた肩に触れてみるがそこまで深い傷ではない。
じゃあこれはなんだ。
身体の内側が焼き尽くされるようだ、痛い、熱い、何もかもが、内臓が、筋肉が、全てが変形しているかのように。


ああ、そうだった、人狼に噛まれた人間は・・・人狼になるんだった。


地面に伏したままなんとか顔だけ持ち上げる。歯を食いしばる必要はなかった痛すぎて声も出ない。
息だけがもれる。
人狼と恒人が向かい合っている。青みがかった銀色の瞳と金の瞳が鋭くぶつかる。
「空狐、官位を持った狐を食べると不老不死になるとか言うよねぇ」
人狼は軽薄な厭らしい口調でそう言って恒人を見る。
「ずいぶんと人間くさいことを言う人狼ですね、いや・・・元は人間ですか」
恒人は跳び上がって近くの木を蹴り、木の葉を舞わせる、昨日とは少し方法が違った、手を複雑に組んでそれを人狼へ向ける。
起こったことは同じだった木の葉が一斉に弾丸のように人狼に向かって飛んでいく。
木は土に克つ、ならばこれで勝負はあったのか。
しかし人狼は木の葉の弾丸を平然と受け止めた、傷一つついていない。
「これで全力かい、小狐ちゃん」
嘲笑うかのように言って人狼は顔を歪める。
楽しくてしかたないという顔をする。
「・・・なるほど、属性違いというわけですか」

−まあ元が魔術師なら違う場合もあるけど

大城さんがそう言っていた、木で傷つかないのは・・・金。
「小狐ちゃん、小狐ちゃん、小狐ちゃん、小狐ちゃん、さぁどうする?俺には勝てないよ?早く逃げてお仲間に助けを求めないと俺に喰い殺されちゃうよ?でもできないよねぇ、君らは人間を見捨てられないもんねぇ、《夜人狩り》の《夜人》さん」
猫撫で声であくまで嘲笑い、見下した口調で人狼は言う。
「ああ、でもその人間はもう人間じゃなくなるけどねぇ、俺が噛んじゃったからさぁ」
人狼は下卑た笑い声を上げる。
恒人はそんな人狼を無視して俺の方を向いて、微笑んだ。
「英蔵さん、アナタの責任は何一つありませんから気に病まないで、それよりも意識を《人間であること》から外さないようにしていて下さい、今の段階ならまだ、涙沙さんがなんとかできますから」
それから人狼へ向き直り一転して低い、響きのある声で言う。
「てめぇみたいな自分が優位だと思った途端、ゲスになれるヤツが本物のゲスだな」
「弱肉強食は世の理だぜ?小狐ちゃんよ」
「自分より弱いもんいたぶって悦楽感じてるようなもん弱肉強食じゃねぇよ」
「それが人狼ってもんさ」
「てめぇは自分の意志で人狼になったんだろうが」
恒人が地面を蹴って人狼の懐に飛び込む、その勢いで人狼の腹に肘鉄を打ち込んだ。しかし人狼は全くダメージを食らった様子もなく、恒人の片手で肩を掴むと隣の木に叩きつけた。
その衝撃で木がへし折れる。
大城さんは恒人と人狼なら五分五分だと言っていたが、それはあくまで属性で恒人が有利だった場合なのだ、それが逆転したら勝ち目はない。
なんでこんな時に身体が動かないんだ、なんで何もできないんだ。
そもそも俺が此処にいなかったら恒人はあの人狼から逃げられたのに。
人狼は倒れている恒人の首を掴んで持ち上げる。
人形遊びでもするかのように軽々とかかげて笑う。
「俺がゲスだってねぇ、じゃあそのゲスに弄ばれる気分はどうだよ、空狐様」
大きな手は枷のように恒人の首から動かない。
あれに少し力を込めるだけで、それは。
誰かが叫んでいる。
俺の声だ。
身体が熱い、焼けて苦しい。
地面を蹴る。
蹴った地面がクレーター状に抉れて土が飛ぶ。
俺は手を、針のような毛の生えた手を強く握って、拳を人狼叩きつけた。
喧嘩なんてしたことはない、ただ力任せに拳を振るっただけ。
しかしその一撃で人狼吹き飛んでいって、少し離れた岩に叩きつけられて止まった。
地面に着地した恒人が俺を見上げる。
泣きそうな顔で俺を見る。
俺は今、どんな姿をしているのだろう?
人間でないことは確かだ。
しかしすぐに恒人は唇を結び、凛々しげな顔に戻って言う。
「洞窟、この辺りに洞窟はありませんか?」
「・・・・・・ある!」
「そこに行きます!」
走り出す直前、恒人は木の葉に息を吹きかける、木の葉は鳥のように一直線に空へ飛んでいった。



洞窟の奥に駆け込んで俺は倒れた。また身体が動かない。
日の光は差し込まず真っ暗な洞窟の中はよく見えた、心配そうにのぞき込む恒人の表情も洞窟内部の岩肌もはっきりと見えた。
人間ならば見えるはずもない。
「あきらめないで下さい・・・」
俺の手を取って恒人は言う。
「どんな状況になっても、どんなに最悪でもあきらめないで下さい、絶対に大丈夫だと信じて下さい」
祈りの声。
掠れて声が出なかった、やっとのことで頷くことだけはできた。
少しだけ恒人は笑った。
綺麗な微笑みを浮かべた。
洞窟の入り口で人狼の声がする、わざと恐怖を煽るかのように、逃げた獲物をいたぶる残虐さを持った声がする。
恒人が俺の手をはなして立ち上がる、凛とした顔で前を見る。
そして入り口の方へ向かって歩いていった。
此処からは岩陰になっていて何も見えない、ただ人狼の高笑する声と何かがぶつかる音だけが響いていた。
もう一度、この身体に動いて欲しかった。
握り締めた手は既に人間のものではない、鋭く尖った爪と針のような毛を持つ手。
もう一度、立ち上がりたい、それなのに身体が動かない、先程まとは違う、痛みはないのに身体に力が入らない。
酷く喉が渇いていた、欲しているのは水ではなく鮮血だ。
飢(かつ)えて飢えてしかたがない、求めているのは生肉で殺戮そのものだった。
人狼に噛まれた者は人狼になる。
理性を失い、自分も失い、只殺戮にのみ生を見出す生き物に成り果てる。
「よう、元・人間」
頭上で人狼の声がした、なんとか顔を上げる。
気を失っているのかぐったりしている恒人を物みたいに掴んだまま俺を見て笑う。
「なりたてって死ぬほど餓えているだろ?丁度良い餌があるじゃないか」
そう言って恒人を俺の前に放り投げた。
何を言っているんだ、コイツは。
餌?
餌?
「いきなり人間を喰うのは抵抗あるだろうよ、そいつは狐だ、人間じゃない。食べなきゃ死ぬぞ、同胞」
何の冗談だこれは。
恒人なんだぞ、ついさっきまで笑って喋って、俺にあきらめるなと言ってくれた、人間じゃなくても、一緒にいた。
食べられるわけがない、そんなことができるわけない。
それなのに、初めて会った時に綺麗だと思った感覚とはまったく別のものが湧いてくる。
白い首筋が、怪我をした腕から流れる血が。
美味しそうだと、思った。
飢えて飢えて、しかたない。
「・・・嫌だ」
あきらめないで下さいと言った恒人の声が頭の中で響く。
あきらめたくはない。
俺は人狼を睨みつける。
「絶対に嫌だ、オマエと同じようなものになる気はない」
動かない腕を無理矢理動かして恒人の頭を撫でる。
繋がっていないものだとしても、二度も彼を苦しませるわけにはいかない。
浸蝕されていく理性を、俺自身の感情にしがみつきながら、二人が助かる方法を考える。
人狼はまた高笑した。
「見物だな、元・人間。餓えている時に餌を目の前にして我慢できる生き物なんていないんだよ。どう足掻こうが生存本能が勝つ、その狐がオマエにとってなんだかは知らないけどな、自然界じゃあ親兄弟ですら必要とあれば喰うんだよ」
俺は恒人を抱き寄せて改めて人狼を睨んだ。
「そうだとしても俺は、その道を選ばない・・・それが俺自身の心だからだ」
人間を生きるために食べる生き物を「悪」とするのは確かに人間側の都合で、人間も様々な生き物を殺して食べている。
罪の意識もなく、喰い殺す。
人間だって人間を殺す。
しかし、例えば鶏が喋れたら人間は鶏を食べることができただろうか、無理だ。そうでなくても鶏と心を通わせることができる人間がいたらその人間は鶏を食べないだろう。
どうしようもなく身勝手なことに、感情で取捨選択をしているのだ。
それでもその感情の問題こそが大切なのではないだろうか。
人間と《夜人》でも、種族を越えても、そこに慈しむ心があれば、愛おしく思う心があれば、戦わずにすむ、心を通わせることで憎み合わずにすむ。
俺はどうあっても殺戮のために生きようとは思えない。
人狼は笑うのをやめて俺を見た、見下した顔で、冷酷な目で言う。
「こんな長時間理性を保っていられるのはたいしたものだが、それがいつまで持つと思っているんだ?そんなに人狼になるのが嫌かい、そうかい、だったら自殺でもするか?」
自殺。
「ごく稀にそういうヤツもいるぜ、完璧に理性を失う前に自分の喉かっ切って死ぬヤツ、俺からしたら愚の骨頂だがな、自分の命より他人の命を優先する、いや、自分が自分でなくなってまで生きたくないヤツかな」
心と命、どちらが重いのか。
人狼の目が金色に光る。
「オマエも死んでおくか?まぁオマエが死んだらその小狐は俺が喰うけどな、空狐を喰ったら不老不死になるって人間の間じゃあ有名なんだぜ」
ダメだ、それではダメだ、恒人が助からなければ意味がない。
だったらこいつを、この人狼を俺が倒せば。
それしかない。
動いてくれ、俺の身体。
全身に力を入れようとしたその時、洞窟が倒壊したかのような爆音が背後から響いた。粉塵が舞い、視界が閉ざされる。
なんだ今のは、まるで何かが降ってきて、洞窟まで突き抜けてきたかのような・・・
ふり返ると浅葱さんがいた。
ようなというかそのままだった。
洞窟の、少なくとも小さな丘の上からでないと不可能であろう位置を掘削したかのように真っ直ぐに突き抜けて、洞窟の地面を抉って浅葱さんが立っていた。
「な・・・まだ日中だぞ!純血のヴァンパイアが動けるわけがない!」
「日の光を浴びたって即死ってわけじゃあないんだよ」
穏やかな口調だったがそこには優しさの欠片もない、聞いているだけで押しつぶされそうな重圧を持った声。
自分が開けた縦穴から、日の光が差し込むそこから離れながら浅葱さんは静かに人狼を見据える。
よく見ると右腕が消失していた、ローブから出ている部分、残っている腕からはぱらぱらと灰が落ちいていた。
ヴァンパイアは日の光を浴びると灰になる。
例外ではないのだろう、それでも此処まで来た。
あの時、恒人が飛ばした木の葉、あれがなんらかの連絡だったのだろうか。
浅葱さんは無表情のまま消失した右腕を振るった、一瞬で元に戻る。
再生する。不死身のヴァンパイア。
「・・・浅葱さん」
いつの間に目を覚ましたのか恒人がそう小さな声で言った。
「ゴメン、来ちゃった」
「浅葱さんは来ないで下さいって入れといたのに・・・まぁ来ちゃうだろうなとは思ってましたけど」
「こればっかりは俺でないとどうしようもないでしょう」
恒人が伸ばした手に浅葱さんが触れる、触れ合った手が微かに光る。
木から火へ、何かを渡した。
人狼は動けずにいた、目を見開いて、震えたまま動けないでいた。
「ま、待て!同じ《夜人》じゃないか!見逃して・・・」
「たぶんツネから前半部分は言われただろうから続きを教えてあげようか、自分が劣勢になった途端媚びだすのはもう救いようがない、ゲスだ」
浅葱さんは手をかざす、先程まで消失していた右手をかざす。
「世を恨み、殺戮目的で力を得るために自ら人狼と化し、快楽のために大量の生き物を殺した。俺の大切な友人達を傷つけた、貴様はもう人間でも《夜人》でもない」
静かにそう宣告する、重厚な声が洞窟に反響する。
瞬間、赤い光が噴射した。頬に感じる熱でそれが炎だと分かる。
人狼は声を上げる暇さえなかった、足首だけ残して消失した。
灼熱のヴァンパイア。
浅葱さんは物憂げな顔でそれを見て、それから俺の方へ歩み寄ってきた。
「・・・まきこんでしまってごめん」
俺は黙って首を振る、首を突っ込んだのは自分からだ。自業自得だ。
「俺が出せる選択肢は三つしかない、このまま理性を失い完璧な人狼となるか、理性を残したまま死ぬか、人狼でもなく人間でもない、故郷も生活も全て捨てて、君が君であることを残して全て捨てて、半端などこにも属せない《夜人》として永劫の時を生きるか」
浅葱さんの赤い目が光る。
俺が人狼になるのなら見逃してくれるのだろう無害とはいかなくても人間に驚異を与えないレベルの、そして自らの意志でなく人狼になった者として見逃してくれる、俺が死にたいといえば苦しませずに殺してくれるのだろう、この人は優しすぎる。
人を思いやりすぎている。
そのために自分が傷つくことを厭わない。
でもその選択肢なら答えは決まっていた。
俺の回答を聞いて浅葱さんは少しだけ笑って、人狼噛まれたのとは反対側の首筋に牙を立てた。





目を開いた。あそこからさらに奥、日の差し込まない洞窟の内部がしっかり見える。夢ではなかったけれどそのことが悲しいとは思わない。
人狼に噛まれた傷は塞がっていたけれど、浅葱さんが噛んだところはくっきりと二つの穴が残っている。それから若干犬歯が長くなっていた。
身体は妙に軽いというか異様に体調が良く、力が満ちあふれている感じだ。
「おはようございます。まだ昼ですけどね」
そちらに視線をやると、横座りした恒人の膝に頭を乗せて浅葱さんが眠っていた。
美少年が美青年を膝枕していた。
美少年が美青年を膝枕していた。
美少年が美青年を膝枕していた。
美少年が美青年を膝枕していた。
あと百回ぐらい言いたいが一回にしておこう。
美少年が美青年を膝枕していた。
破壊力ありすぎだった、頭を占めていたシリアスな気持ちが全部吹き飛ぶぐらい衝撃的かつ美しい光景だった。
目の保養をはるかに通り越して目の毒だった、っていうか目が潰れる。
「どうしたんですか?どこか痛いんですか?」
目を押さえたまま悶絶している俺に恒人が心配そうな声を上げた。
「ナンデモナイヨ!」
思いっきり声が裏返った。
いや、分かっている。大城さんが小狐バージョンの恒人を抱きかかえていたのと同じ事だ、こうしていれば浅葱さんの回復が早いのだろう。
分かってるけどさ。
「目・・・金色になっちゃいましたね」
「金色になってる?」
「はい。それ以外は英蔵さんです」
「そっか」
浅葱さんは俺の人狼としての力を吸い取った。それでも人間には戻れない、一度変わってしまった身体は元には戻れない。
今の俺は人狼でもなく人間でもない。
半端な力を持った半端な存在だった。
でも俺が俺であることが残るのなら、それでよかった。
器でもなく力でもなく俺の心はちゃんと此処にある。
「ツネと浅葱さんは大丈夫?」
「いきなり人の心配ですか・・・浅葱さんはまぁ、人間でいうところの食中りですよ、人狼の血なんて本来ヴァンパイアが飲んでいいものじゃありませんから、すぐに回復はしますけどね」
ここで「ごめん」はたぶん違うんだろうな。
「ツネは?大丈夫なの?」
「大丈夫です。肋骨三本と腕の骨が折れて、足首の骨にヒビが入りましたけど」
「それ大丈夫じゃねぇよっっ!!!」
思わず叫ぶと恒人は顔をしかめた。
「静かにして下さいよ、浅葱さん寝てるんですから。俺だって空狐です、浅葱さんみたいに一瞬とはいきませんが肉体の回復は早いんで半日もすれば治りますよ」
だとしてもそれを大丈夫だと言い切ってしまうのは問題がある気がするんだが。
「あ〜もう。そういえばさ、浅葱さんに連絡したのは洞窟に入る前に飛ばした木の葉だったの?」
「ええまあ、載せられる言葉には限界があるんですけど、浅葱さんは来ないで下さいって一文は入れたんですけどねぇ」
「だって俺が来るのが一番確実でしょう」
いつの間にか目を覚ましていたらしい浅葱さんが答えた。膝枕のままで。
「大城君は人狼は倒せても、英蔵君をどうにもできないもの」
「・・・ま、そうだろうなぁと思って洞窟で待ってたんですけどね」
そう言って恒人は悪戯っぽく微笑んだ。俺に向けるものより妙に可愛らしいのは意図的なのか、天然なのか。
「ちゃっかりさんだよね、ツネは」
「知恵が回ると言って下さい」
二人はふふっと笑い合った。
目が潰れる。やめてくれ。
「ああ、でも浅葱さん。涙沙さんには言って来ましたか」
「・・・・・・黙って来た」
「じゃあ戻ったらどやされる覚悟をしておいたほうがいいですねぇ」
「涙ちゃん怒ると怖いからね、普段はあんなに可愛いのに」
・・・だから目が潰れるっての。



日が落ちて、浅葱さん達は馬車へ、俺は家へ戻った。
そして俺がこの家に帰ってくるのはこれが最後だ。すぐに行かなくてはいけない、心残りがないと言えば嘘になるけれどこの選択を間違いだとは思わない。
本当に必要な荷物だけを小さくまとめる、お金は・・・一応持っていくか。
最後にミルクを一杯テーブルの上に置いて、少し迷ったが箪笥の陰あたりに向けて言う。
「えっと、ホブゴブリン・・・って呼んでいいのかな?」
箪笥ではなく暖炉の中からそれは出てきた。
下半身が山羊で上半身が人間、長い尻尾をはやした小さな姿。幼い頃絵本で見た姿そのままの、ホブゴブリン。
ずっとこの家を守ってきてくれた《夜人》。
ホブゴブリンは不思議そうに首を傾げた。
「ニンゲン、ニンゲンじゃナクなってル?」
「うん、色々あってね、そちらのお仲間になりました」
ホブゴブリンは理解できないらしく首を傾げたままだった。
「それでさ、俺はもう此処を出ていくから・・・これで良いのかな?」
箪笥の奥から引っ張り出してきた俺の古い服を渡す。
緑色の外套が一番いいらしいけれど準備する時間がなかったからな。
「もう自由に、好きな所へ行っていいから、今までありがとう」
ホブゴブリンは嬉しそうに服を受け取って俺を見る。
「たのシかったゾ、ニンゲン!」
扉の向こうへ駆けていくホブゴブリンに声をかける。
「あ、あのさ。此処らにいるピクシーに会うことってある?」
「あるゾ」
「じゃあ、もう外に水を汲んでおけないけどごめんって言っておいて」
ホブゴブリンはきょとんとした。
「ヘンなニンゲンだナ、でもツタエておク」
ホブゴブリンは夜の町へ駆け出して行った。
これでやるべきことは終わった。
荷物を持って俺も外に出る、鍵は掛けなくてもいいだろう。
俺の扱いは失踪ってことになるんだろうか。
いや、アハ・イシュケが退治されたことはこの国の住人は知らないから5人目の行方不明者か。
「さよなら」
灯りの消えた我が家に背を向ける。
永劫の夜の世界へ踏み出す。
月のない夜だった。
真っ暗な夜だった。




「《ようこそ!夜の世界へ!》とか言うべきっ!?」
馬車の前に来た俺に明るくそう笑ったのは涙ちゃんだった。
何故か透明なままだ、動きはなめらかな人間なのに見た目はガラスの人形。
「なんか言えや!」
見とれていたらチョップを食らった、地味に固くて痛かった。
「いや、あの・・・ごめんなさい」
「なんか英蔵君って男前やのに雰囲気残念!なぁツネ!×××お兄ちゃんってすっごい頼りになる格好いい人やったんやろ〜!やっぱ魂一緒でも生まれ変わったら別物なんかなぁ・・・」
「そうですねぇ、全然似てないですね」
きゃらきゃら笑う涙ちゃんの隣で恒人も笑っている。
馬鹿にされてるのか歓迎の儀式かどっちだろうか。
「っていうか英ちゃんって一応は人狼だから属性が土だよな、全部揃った。偶然にしてはすげぇわ」
大城さんはうんうん頷いて感慨深げ。
「あ、ってことは俺は大城さんの力に克つんですか?」
「うん。だから近寄らないでくれる?」
そう言って大城さんはにんまりと笑った。
「相性の問題じゃないって言ったじゃないですかぁ〜!」
「気持ち的なものよ」
「だったら俺、英蔵君の回復役だ。俺だけその役割なかったからすごい寂しかったんだよ?」
そう言って浅葱さんが優雅に微笑む。
・・・どんなことがあっても回復が必要な事態にならないようにしよう、力が回復する前に緊張で心臓が止まりかねない。
などと思っていたら後ろから涙ちゃんにおぶさられた。
「チャージ!チャージ!」
こっちもか!
なんかいざ入ってみるとこの属性ってすごい恐ろしい!
あれ、ちょっと待って。
ということは、だ。
恒人の方を見ると微笑んで俺を見つめていた、悪戯っぽくなんてものじゃない、凶悪に、でも可愛く笑っていた。
とりあえず土下座したくなった。






夜を徹して喋り通し、国を出たのは太陽が昇る頃だった。
浅葱さんと涙ちゃんは馬車の中、俺と恒人は馬車の後ろに設置されたスペースに腰を下ろしていた。
馬がいなかったのは移動中は浅葱さんが形成した霊馬に馬車を引かせているからだったらしい。勝手に目的地まで走ってはくれるけれど国から完全に離れるまでは大城さんが形ばかりの御者役を務めている。
朝日に照らされた俺の故郷が遠ざかる。
次に来るのは百年後か二百年後、知り合いはみないなくなり、下手をすると国そのものが亡くなっているかもしれない。
なるほど、これは確かに寂しい。
「・・・英蔵さん。これでよかったんですか?」
恒人は視線を前にやったまま言った。
「何が?」
「自分が言ったんでしょう、もっと安穏に生きる方法もあるはずだって。俺達の仲間になるってことは危険も伴うんですよ」
「分かってるよ」
「もし俺への義理立てとか償いとか考えているんだったら止めて下さいね」
「それも考えなくはなかったけどさ。そういう意味じゃなく・・・みんなと行きたいなって思った」
前を向いたまま恒人が目を細める。
「なんでまた?」
「正直、危なっかしくて見ていられなかったっていうのがまず、かな。いや俺が加わったからどうにかなるわけでもないけどさ」
「ん〜・・・かなりやりやすくなるとは思いますけどね、力の面でも精神面でも・・・」
「あと、俺も答えっていうか、道筋を探したいっていうのもあった」
「そうっすか。俺はまた浅葱さんに惚れたのかと思いました」
「・・・・・・はっ!?」
すごいことをさらっと言ったけれど意味分かって言っているのだろうか。
「俺は惚れてますからね、浅葱さんにも大城さんにも涙沙さんにも」
「・・・ツネ。惚れてるという言葉は間違ってはいないけど文脈に気をつけて使わないととんでもないことになるよ。まぁそういう意味合いでいくなら俺もそうかな」
日が昇る、28年暮らした故郷が遠くなる。
そしてだんだん見えなくなる。
国の皆が早く俺を忘れてくれることを願った、日常の中に埋もれていくことを願った。
「寂しいっすか?」
「・・・少し」
笑ってそう返すと恒人は頷いて前方に視線を戻した。
「ツネは浅葱さんが好きだから浅葱さん達についてきたの?」
「助けてもらった恩、というのもありましたけど・・・」
恒人は空を見上げる、すっかり昇った太陽に目を細める。
「まぁゆっくり話しましょう、時間は死ぬほどあるんですから」
「えらく真面目な話をしてるね、若人達」
大城さんが馬車の上から俺達を見て笑っていた。
ということは今は馬が勝手に馬車を引いている状態なんだよな。
「いいんですか?この辺りは全く無人ってわけじゃないはずですけど」
俺が言うと大城さんは片目をつぶって茶目っ気たっぷりに言った。
「その時は《夜人》の伝説が一つ増えるだけさ」



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