地獄巡りの聖者
「ふふっ」とくぐもった笑い声がしたので薫はふり返った、このざわめきの中、彼の声だからというだけで拾えてしまう自分はきっと末期だなと思いながら。
ソファーに身を沈めている京が小さく笑った声。
「どうしたん、京君?」
アンコールを求めるオーディエンスの叫びが渦巻いている、本来ならこのタイミングであまり声をかけることはないのだけれど、いや、このタイミングで彼が笑ったということが珍しくてつい声をかけてしまった。
セットリストの関係上、次の曲に集中し、自らの世界に没頭している彼が「笑う」ことは本当に珍しい。
「亡者みたいやな、そしたら俺は蜘蛛の糸なんかな?」
口に当てたタオルは血で赤く染まっている。
「亡者って?え、蜘蛛の糸?」
「俺に掴まっても極楽には行けんのになぁ」
もしかしたら自分は今、独り言に返答しているのかと思い始めた、京の黒目がちな目は、薫を捕らえていない。
「えっと、芥川やっけ?」
「《一本の葱》や《地獄の人参》よりは《蜘蛛の糸》向きやろ、俺らは・・・」
かろうじて会話にはなってきた気がするが、それでもやはり上手く意志の疎通ができているとは思えない。
京はそこまで言うと目を閉じて、自分の世界に籠もってしまったので薫も自分の仕事に戻った。
地獄巡りの聖者
−なるほど、亡者か。
ステージに出てみて薫はさきほど京が言った意味が少し分かった気がした。
青い光を浴びて無数の手がまるで救いを求めるかのように波打っている。
歌い上げられるレクイエムに伸びる手。
悲鳴のような鎮魂の言葉を京が捧げ終わると、それに呼応するかのように割れんばかりの歓声が響いた。
「心夜、なんやったっけアレ、竪琴」
打ち上げの席で突然そんなことを言ってきた薫を心夜は無表情で見返した。
いつものように京は先にホテルに帰っていて、今、場を盛り上げているのは堕威だった。
さすがにもうバカ騒ぎになることはなくなったけれど、気心の知れたスタッフとのこういう場はこの歳になっても悪くない。
「だからさ、ナントカの竪琴」
答えない心夜に薫はもう一度問いかけた。
「《ビルマの竪琴》?」
「ミズシマ、ニッポンニカエロウ・・・てそれやなくて!」
「・・・ノリツッコミっていうのは正解が周囲に分かっている時にだけ通用するもんやで」
心夜のはリーダー相手でもジャッジに容赦しない男前だった。
「だから!竪琴やん!」
「《銀の竪琴》?」
「別に俺はモンスター呼びたくないで」
解説が必要だろう、《銀の竪琴》は某国民的RPGに出てくるアイテムで使うと『モンスターが出現する』というものだ。
「そやな、俺もアレの使い所がよくわからんわ・・・」
「そやなくて!ナントカの竪琴っ!!奥さん迎えに行くやつやん!!」
「薫君、イザナギと混ざってるで《オルフェウスの竪琴》で迎えに行くのは恋人や」
「・・・心夜君?最初から正解分かってたのかな?」
「薫君、言葉のキャッチボールは大事やで。で《オルフェウスの竪琴》がどないしたん?」
しれっと言う心夜の額を指で軽く突いて薫は笑う。
「いや、京君はさ《蜘蛛の糸》って言うよりは《オルフェウスの竪琴》やないかなぁと思ってな・・・」
「アンコの時に楽屋で京君が言ってたことやろ、まぁなぁ・・・」
くすくすと笑い出した心夜の顔を薫は不満そうに見た。
「なんで笑うんや?」
「いや、薫君にしては良いセンスやなぁと思って、ちょっと夢見すぎやけどね」
「ひどいな・・・」
なんだかんだいってメンバーに甘い薫は心夜のちょっと辛辣な言葉にも微笑みを浮かべる。
そして思い浮かべた、見慣れた京の背中を思いだしながら夢想した。
京が金色の髪をなびかせて、唄いながら歩いていけば、三途の渡し守は呆然となり、三頭の猛犬は吼えるのをやめ、地獄の猛火は消え、亡者は喉の渇きを忘れ、全ての責め苦はその機能を停止し、皆、さめざめと泣くだろう。
此処が地獄であることを一時忘れることができるだろう。
いや、これは夢想ではなく現実だ、ついさっきライヴで見てきた光景だ。
初めて京の歌声を聴いた時から、確かに惹かれていたけれど、今の彼の歌声はもしかしたら世界すら屈服させることができるのではないかと思わせるほどに高みへ駆け上がっていた。
そして巡るのは地獄、この世界という地獄、人の心に宿る地獄。
願わくばそんな彼を支えるのが自分であればいい。
ありつづけられればいい。
「薫君、めっちゃトリップした顔になってるけど・・・」
心夜の声で薫は我に返った。
「・・・自分でもびっくりするぐらいトリップしとった!!」
「せやな、とてもじゃないけど人に見せられない顔になっとったで」
「あ〜、いかんいかん」
ぺちぺちと自らの頬を叩いて薫は携帯電話を取り出すと、打ち上げ会場となっている店のトイレに入った。
番号を選択し、通話ボタンを押す。数コールで相手は出た。
『どうかしたん?』
「ん、どうもしてへんのやけどな・・・」
『なんやそれ』
呆れを滲ませながらも電話の相手は、京は小さく笑った。
「調子どうや?」
『悪くないけど。ほんまにどないしてん、そんなこと聞いてくる薫君のほうが心配になるやん』
「いや、俺は大丈夫やで。えっと・・・明日もライブやん?」
『そやな』
「がんばろな」
『うん』
「・・・それだけなんやけど」
『んな!がんばろー!』
「いえい!いえい!」
そのまま「気合い!気合い!」とか叫び出す前に自律して薫は電話を切った。
「だって、ほんまに大丈夫やからな・・・」
扉にもたれかかって薫はそう呟く。
たとえそこに地獄があろうとも、京の歌があれば、堕威のギターがあれば、敏弥のベースがあれば、心夜のドラムがあれば、そして自分達を支えてくれている仲間達と、自分達を待ってくれているみんながいるならば。
大丈夫なのだ。
「《オルフェウスの竪琴》は今は琴座になったんやっけ?だったらいっそ、俺らも星座になれるくらいに、行きたいなぁ、果てまで・・・ってこんなこと言ったら爆笑されそうやけど」
それでも散々笑った後、きっとみんな頷いてくれる。
願わくば、この音が地獄の果てまで響き渡り、静寂をもたらせばいい。
極楽に連れて行くことはできなくても、この地獄の中での安らぎを。
−貴方の罪を赦さないけれど、貴方に罰を与えません
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