いつもより沈みゆく太陽が大きく見える逢魔時。燃えるような空を背に建物や木々は黒々と塗りつぶされていた。
 お使いを頼まれ目的のものを手にし、家へと向かっていたナマエは美しくも不気味なその空をみて思わず息を呑む。そういえば、祖母が昔こんなことを言っていた。
 ばぁちゃんはな、昔神様におうたことがあんねん。この街はな、昔から狐の神様が遊びにくる街やぁ、言われとんねんで。
 もうそう言うことを信じる年じゃないんだけどなぁとナマエは苦笑し、それでも心なしか急いで足を進めた。

 ナマエは先週この街にやってきた。老いた祖母の家に家族皆で引っ越してきたのだ。高三で高校を転校するということには多少の抵抗はあったが、高校生が一人で生計を立てることは難しい。祖母のことも心配だったので引っ越しには素直に応じた。
 学校には今週から通っており、今日で三日目だ。同じクラスの皆も親切だし、四月の新学期に合わせたということもあり、無事に打ち解けたように感じている。
 
 彼を見かけたのは、そのお使い帰り。ナマエが住宅街の道を曲がった時のことだった。家からはまだ遠い、通学路でもあるが、未だ慣れていない道でのこと。
 前方に見たことのあるフォルムが丸い後頭部を見つける。まだクラスの皆の名前と顔が一致しているわけではないが、その男の子のことはよく知っている。
 北くんだ!
 北とは席が隣同士だった。未だ稲荷崎高校の教材が揃っていないナマエはよく北にお世話になっている。初めこそ北の鋭い瞳に怖い印象を受けたが、話してみればとても親切な人だということが分かった。北は、繋げた机の間で教材を広げながら「ちゃんと、見えるか?」と心配してくれたり、ナマエが授業中、首を傾げていたら休み時間に教えてくれたりもした。聞いたら北はバレー部の主将をしているとのことなので面倒見の良い人なのかもしれない。
「北くん!」
 ナマエは北の背中に声をかけた。しかし、ナマエの声は届かなかったようで、北は振り返ることなく、角を曲がり、塀に囲まれた大きな一軒家同士の間にある細い道へと入っていく。
 ナマエは肩を落とし、まぁいいかと歩みを続けた。そして、道を進み、北の曲がった角に差しかかった。それは公道ではなく神社へと続く道のようだった。道の前には細い道幅に合わせた小さな赤い鳥居が佇んでいる。
 こんなところに神社なんてあったっけ? ナマエは首を傾げた。この道は通学路だ。学校に通い始めて三日とはいえ、通学に六回。お使いで二回。ここを通るのは計八回目だ。自分はそんなに視野が狭い人間だっただろうか。ナマエは首を傾げたが、やはりまぁいいかと通り過ぎようとする。刹那、鈴のような音が鳴った気がした。ナマエは足を止める。やたら気になるその音は北が進んでいった道の先で聞こえた気がした。
 ナマエは吸い寄せられるように角を曲がった。

 道の始まりの赤い鳥居をくぐり、土の上に敷かれた石畳の細い道を真っ直ぐに進む。いくつかの鳥居を抜けて、石を積んで造られた十段ほどの階段を登ると、高い木々に囲まれた開けた場所にでた。開けた場所と言っても祠のようなナマエの腰丈くらいの小さな社があるだけで、キャッチボールすらできないような狭い場所だった。手を清めるような場所もなければ、おみくじを引くようなところすらない。そんな狭い場所にもかかわらず、そこにいるはずの北はいないようだった。あれ? とナマエは首を傾げる。ここまでは一本道。その先に道はない。囲むように高い木々が聳え立つ袋小路だ。もし北が引き返したのだとすれば、ナマエは行きしなにすれ違ったはずだ。こんな狭い道ですれ違ったことに気づかないなんてことはないだろう。それではこの道に入っていく北は見間違いだったのだろうか。ナマエは考えるが一向に答えは出てこない。
 すると、冷たい風が吹き、木々がざわめき立つ。ナマエは両腕をさすった。なんだか肌寒い気がする。周りを囲む木々が軒並み影を落としているせいだろうか。寒いし、カラスが鳴けばびくりと肩を上げる。なんだか不気味だ。
 もう、帰ろう。ナマエが踵を返そうとしたその時。
「ミョウジさん」
 北が小さな社の影から姿を現した。
「北くん!?」
 思わず大きな声が出た。
 あれ? さっきまでそこにいなかったよね。社の裏に隠れてたのかな? でもあんな小さな社だよ。膝抱えて丸まってなければここから見えるよね。
 ナマエの頭の中で色々な考えが巡る。
「ここになんか用か?」
 ナマエの思考を知る由もない北は涼しい顔で尋ねてくる。しかし、その顔は初めて見た時の印象を思わせるような、鋭さを帯びているように見えた。
「用ってわけでもないんだけど……」
「ほな、早よ帰り」
 北の声色も普段より鋭い気がする。自分は何か不味いことをしただろうか。ナマエはたじろぎながら尋ねる。
「北くんは? 帰らないの?」
 夕暮れ時のこんな場所。長居をするような場所では決してない。しかし、北は表情を変えることなく言った。
「俺はええねん」
 ナマエは首を傾げる。その刹那。
「あかんわ、時間切れや」
 ナマエは目の前の光景に目をむいた。
「うえっ!? 北くん!?」
 信じられないようなことが目の前で起こったのだ。
 ぽんと可愛らしい音がなったかと思うと、さっきまで北のいた場所に白い煙がたち、その煙を風がさらったかと思えばそこには白銀の小動物がいた。
 突然消えた北に。突然現れた白銀の獣にナマエの頭は混乱する。
「え? え? 北、くん?」
「そうやけど」
 白眼の獣が口を開く。
「喋った!」
「なにを驚いとんねん。さっきまで普通にしゃべっとったやろ」
「や、えぇ!?」
 さっきまでナマエと喋っていたのは人間の北だ。決して獣とではない。
 狼狽えるナマエを尻目に獣は後ろ足で頭をかく。
 やはりナマエの目の前にいるのはどこからどう見ても獣だった。
「待って。理解が追いつかない」
「見たまんま理解してくれたらええわ」
 見たまんまを理解できないから困ってるんですけど。とは口に出さなかった。
 ナマエは頭を抱える。よく見れば、その毛並みは北の髪色と同じだ。その鋭い瞳も声色も。しかし、動物だ。明らかに動物だ。こんなことが果たしてありえるのだろうか。
 考え、考え、考え、頭がプスプスと音が出そうなほど考える。
 ありえるかありえないかで、言えばありえない。しかし、北は狐だった。目の前で見たのだ。受け入れるしかない。北は狐だった。そう、人間だと思っていた北は狐だったのだ。つまりは、人間だと思っていた人は狐だったということだ。
「待って。クラスの子も皆ちゃんと人間だよね?」
「どうやろな」
 北と名乗る獣が不敵に笑う。ナマエは血の気が引くのを感じた。
「嘘、待って。理解が追いつかないんだけど」
「俺でよかったなぁ」
 愉快そうに笑う獣。
「よかった、とは……?」
 ますます血の気が引くナマエ。
「他のやつやったら今頃ミョウジさんどうなっとったか」
「どうなっとった、か……?」
 ナマエはいい終えるや否や、頭の中は真っ白となり、同時に視界も真っ白になっていった。

 魂が抜けたような顔をして、そのまま倒れ込むナマエを見て、北は再び姿を人間に変えた。そして、倒れ込むナマエを片手で受け止める。彼女は顔面蒼白で気を失っているようだった。
「からかいすぎたな」
 北は彼女の顔を覗きぷっと吹き出した。