ナマエちゃん――俺らのマネージャーやねんけど。
 絶対、俺のこと好きやと思う。
 だって、普段から俺のことよく見とるし、他のやつと話してる時より俺と話す時のが楽しそうやし、何よりもこういうんは直観でビビっと分かる。目が合った瞬間に、ナマエちゃんから好きって伝わってくるねん。
 たまに、そっけなくされたり、めんどくさそうにされたりするけど、それは照れ隠しなんやと思う。現にナマエちゃんがそういう冷たい態度をとるんは俺に対してだけで、サムや角名たちにはいっつも笑顔を振りまいとる。つまりは俺だけを特別扱いしとるっちゅうことや。きっと、ナマエちゃんは俺にそういう冷たい態度をとって、俺のこと好きやないですよってわざわざアピールしてるねん。そのアピールがまさに好きって言うてるようなもんやでな。
 そんなことも知らんで、いじらしく俺にツンとして、ほんま可愛いよなぁ。そういうとこあるから、うりうりってほっぺつついてやりたくなるねん。ほんで、嫌そうな顔をされるわけやけど。
 そんなわけで、絶対、ナマエちゃんは俺のこと好きやと思う。
 ほんで、バレンタインの今日は、絶対、俺にチョコレートをくれるんやと思う。もしかしたら、チョコレートを渡してくれた流れで告ってくるかもしらん。
 珍しく頬を薔薇色に染めて、きっと恥ずかしいからそっぽを向いて、俺が、なになに? 珍しく女子みたいな顔してどないしてん? とかからかって、うっさいわって怒られるんやろけど、ちゃんと言うてくれるねん。侑くん、好きやって。あ、ナマエちゃん標準語やから、好きだよ、になるんかな。可愛いなぁ。もう、即、オッケーしたるわ。そしたらナマエちゃん、どんな顔するんやろ。
 うわぁ、楽しみやなぁ。早く見たいなぁ。
 って思ってたんが、放課後までの俺。
 もうホームルームも終わってこれから部活やのに、いまだにナマエちゃんからチョコレートをもらってへん。なんで?
 頭がはてなでいっぱいになりながら体育館に向かって歩いてたら、ちょうど前方に同じように体育館に向かって歩いてるナマエちゃんを見つけたので、駆け寄った。
「ナマエちゃ〜んっ!」
 両手を上げてぶんぶん振りながらナマエちゃんの下へ走っていったら、俺を見たナマエちゃんは、げっと言わんばかりに顔を歪める。好きな男に会えたっちゅうのに、なんやねん、その顔とは思ったけど、今はそれどころやなかったから、見逃したった。
「なぁ、なぁ。ナマエちゃん」
「何?」
 俺を見ることもなくそっけなくそう返したナマエちゃんは心なしかさっきより早足で歩いていく。
 多分、急に俺が現れたもんやからびっくりして照れてもうたんやろな。
 ナマエちゃんにそっけない態度をとられたが、特に気にすることもなくナマエちゃんについて行く。ついて行きながら、ナマエちゃんが持ってる荷物を観察してみる。
 肩に下げてるスクールバッグに、その上から重ねて下げてる手提げ袋。その手提げ袋はいつも持ってるやつで、多分ジャージとかタオルとかがはいってねやろな。
 ここで、あれ? と気づく。
 ナマエちゃん、チョコレートらしきもの持ってへんやん。もしかして、今日バレンタインって知らんのかな。いや、でも……さすがにそんなことある?
 うーん……あるな。ナマエちゃん、たまに抜けてるとこあるからな。ワンチャン、そんなミラクルあるかもしらん。
 昨年もなんもくれんかったからな。あの時はまだお友達って感じやったから、くれへんかったんやと思ってたけど、もしかしたら、去年もその日がバレンタインって知らんかったんかもしらん。
 もぉ〜、あほやねんから〜。
 ついニタニタ笑ってしまいながらも、教えてやる。
「ナマエちゃん、今日バレンタインやで!」
「知ってる」
 短く答えたナマエちゃんは、まるで一人で歩いてるみたいにやっぱり前だけを向いてすたすた歩き続けた。
 夕日に照らされたその赤い横顔を見ながら、俺はまた、あれ? と首を傾げる。
 ナマエちゃん、今日がバレンタインって知ってたんや。でも、そうしたらもう俺にチョコレートをくれてるはずやねんけど。なんでくれてへんねやろ。
 もしかして、バレンタインに好きな男にチョコレートあげるってこと知らんのかな。高二まで生きてきて、そんなことある!?
 いや、あるわ。これは絶対にある。きっと、ナマエちゃんにとって初めて好きになった男が俺なんや……せやから、今まで好きな男がおるっていう経験をしたことないから、バレンタインに好きな男にチョコレートあげるって知らんのや……
 うわぁ、嬉しいなぁ。俺がナマエちゃんの初めての男になるんや。でも、来年はちゃんとチョコレート欲しいからな。ナマエちゃんの隣を歩き続けながら、日本のバレンタインについて説明してやる。
「――そういうわけで、これがバレンタインっていうイベントやねん」
「知ってる」
「え? そうやったん?」
 ほな、なんで俺まだチョコレートもらってへんねやろ。
 ナマエちゃんの隣を歩きながら両手を組み、唸りながら考えてたら、頭の上で電球にぴこーんと明かりがつく。
 もしかして、ナマエちゃん、ほんまはどっかにチョコレートを隠し持ってて、俺が忙しいと思ってまだ渡せずにおるだけ?
 とりあえず、俺暇やで、と言ってみる。
「知ってる」
 それしか言われへん機械のようにそう答えると、ナマエちゃんは肩にかけてたスクールバッグと手提げ袋の肩紐を両手で握り、俺を振り切ろうとせんばかりにスピードを上げ歩いていく。ナマエちゃんがどんなに早歩きしようが、俺の長い足には関係ないんやけど、一応置いてかれんよう、気持ち早足になりながらついて行く。
 ナマエちゃんはどんどん前へ進んでいった。脇に抱えた大きな荷物を守るようにして。
 何をそんな大事に抱えてんねん、チョコレートも持ってへんのに、なんて思いながら、ふとその荷物へ視線をやる。
 その瞬間、見てしまった。少しチャックの空いた隙間から、スクールバッグの中に入っているものを。
 さっきは横から観察したからか見えへんかったんやけど、ナマエちゃんに置いてかれそうになった今、後ろから見てみると、見えてしまったのだ。
 そこには、ちゃんと赤い包装紙に包まれた箱が入っていた。ご丁寧にその箱にはリボンまでついとる。
 もしかしてそれチョコレート?
 ナマエちゃん、やっぱチョコレート持ってたんや。
 それやのに、俺にくれへんの?
 ということは、そのチョコレート、俺のやなくて、別の男のもんってこと?
 ぐるぐると思考が渦を巻き始める。そして、その中にナマエちゃんとの思い出も放り込まれていく。
 例えば、部活中に俺がナマエちゃんの視線に気づいて手を振ってやったら、前を見ろと言わんばかりに、しっしと手を払われたけど、次の瞬間には嬉しそうに笑ってくれた時のことや、昼休みに廊下で見かけて、ナマエちゃーん! って大声で呼んだら、大声で人の名前呼ばないでよって怒られたけど、ちゃんとその後には、それで、どうしたの? って聞いてくれた時のことや、その時、いや、用はない。ちょっと呼んでみただけやって返したら、はぁ? ってあきれられた顔をされたけど、そのまま一緒に教室まで歩いてくれた時のことなど。
 高一の時から重ねていった大事な思い出の数々や。
 それらが、ナマエちゃんが別の男にチョコレートをあげようとしているということとぐちゃぐちゃに混ぜ合わさって渦を巻き、やがて一つの結論へ向かっていく。
 その結論は至極残酷なものだった。
 もしかして、俺、今までナマエちゃんに弄ばれとったん?
 きっと、今までナマエちゃんは気のあるふりをして、俺がどう反応するかを見て、楽しどったんや。ほんで、そうやって笑ってる裏には俺やない別の男がおったんや。
「嘘や……」
 呟くと、可愛く笑うナマエちゃん像にピキッとヒビが入る。思わず、待って、と手を伸ばしかけたが、その手が届く前に、ヒビの入ったそれはあっけなく粉々に崩れ去った。
 熱いものがぶわぁっと目にこみあげてくる。
「嘘やぁあああっ! ナマエちゃんなんか大っ嫌いやぁぁあああぁっ!」
 腕で目を覆いながら、地平線へ落ちる大きな太陽に向かって走った。

 突然叫びだし、あらぬ方向へ走り去っていった侑の背中をぽかんと見送っていたら、背後から声がかかった。
「何あれ」
 気だるげに背中を丸め、ナマエに尋ねてきたのは角名だった。
「なんなんだろうね……」
 そう返すと、なんだか一気に力が抜けた。いつの間にか早歩きになってしまっていた足をゆったり動かし、再び体育館へ向かって歩きだす。すると、角名が当然のように横へ並んだ。目的地が一緒なので、当然と言えば当然だろう。
 暫く二人で歩いていると、角名がおもむろにナマエが持っていたスクールバッグを指さした。
「それ、侑にやんないんだったら、俺にちょうだいよ」
「え? それって?」
「チョコレート」
「あ、え……なんでチョコレートが入ってるって知って……しかも侑くんにあげるって……」
 尻すぼみになっていき、結局最後まで口にされることはなかったその問いに、角名は答えてくれず、ただ、全てを見透かすような瞳を狐のように細め、ナマエを見下ろすだけだった。
 自分の顔がみるみる赤くなっていくのを感じる。角名には夕日のせいだと思ってもらえると助かるのだけど。
 角名から目を逸らし、その流れでスクールバッグへ手を入れる。しかし、手に取った物は侑に渡そうとしていたものではなく、バレー部のみんなに作ってきたクッキーだった。
「あのね、角名くんにはチョコレートじゃなくてクッキーなの。いつもありがとう」
 透明な袋に、三枚ほどクッキーを入れ、リボンで封をしたものを渡せば、長い指がそれをつまむ。
 角名は持ち上げるようにして、ナマエからのクッキーを顔の前に持っていくと、少しがっかりしたように眉尻を落とした。
「あ、ごめん。クッキー嫌いだった?」
 昨年は高校のバレンタインというものがどういうものか分からず、何もしなかったのだが、みんな気軽に周辺の男子へ渡しているようだったから、今年はいつもお世話になっているみんなへ感謝の気持ちと一緒に渡そうと思い、クッキーを焼いてみたのだ。しかし、こうして迷惑になるのなら渡すのをやめた方がいいかもしれない。
 途端に不安になり、足元へ視線を落としていれば、上から「そんなことないよ」と降ってくる。
「ミョウジさんからもらえて嬉しいよ」
 角名は眼前にかざしていたクッキーをくるくると弄びながら続けた。
「ただ、やっぱり俺はこっちなんだって思って」
 くるくると回るクッキーの袋が夕映えの光を反射してキラキラ瞬いている。
「え? こっちって?」
「いや、なんでもないよ」
 そう言ってクッキーを下ろし、こちらへ向かって笑った角名はもういつもの角名だった。何を考えているのか良く分からないけど、穏やかな笑顔を浮かべ敵意はないことだけを知らせてくれている。
「クッキー、ありがとね」
 その一言が聞け、ほっと一息ついた。
 すると、背中にポンと大きな手が触れた。
「頑張って」
 角名はそう言うとナマエに合わせて歩いてくれていた歩調を早め、先に体育館へ行ってしまう。
 なんの頑張れだったのだろうか。
 なんとなく分かったが、気づいてしまうと恥ずかしさに耐えられそうになかったので、気づきたくなかった。
 バッグの中を覗くと、たくさんのクッキーの横に、一つだけ赤い包装紙に包まれた箱が見える。
 朝からずっと渡そう、渡そう、とチャンスを伺っていたものだ。でも、いざその人を前にすると、いつもの調子で声をかけられなかった。
 先ほど、向こうから声をかけてきてくれたのだから渡せばよかったのだけど、とても期待に満ちた眼差しで見られ、気後れしてしまった。
 その後も、ずっとチョコこれアピールが続き、ますます渡せなくなってしまった。でも、今思えばあの時に渡さなかったのは正解のようにも思えた。
 まるで、女子からもらうチョコレートの数を勲章の数と思っていそうな男の一つでも多くチョコレートをもらおうと思っていそうなチョコくれアピールに乗って渡してしまえば、ついこちらも軽く、はい、と渡してしまい、せっかく準備したチョコレートが数多くある義理の一つに埋もれてしまっていただろう。そのせいで、チョコレートをくれない女に用はないとでも言いたげに大っ嫌いなんて言われてしまったわけだけど。
 はぁ、と零した息が白く変わり、溶けていく。
 体育館に向かおうとした。でも、角名に頑張ってと押された背中が、そっちじゃないよ、と別の方向を引っ張っていた。
 少し迷ったけど、昨夜、赤い包装紙の上にリボンを結びながら決意したことを思い出す。きっと、バレンタインというきっかけを逃せば、今後も素直になる機会なんてないだろう。
 肩にかけていたスクールバッグの肩紐をぐっと握り、体育館ではなく、金髪を茜色に透かして眩しく輝かせていた太陽の方へ向かって歩きだした。
 すぐそこにいてくれたらいいんだけど。その辺の角で膝を抱えてぐすんぐすんしている侑を想像すると、プッと笑いが零れた。
 チョコレートを差し出すとどんな顔をしてくれるだろうか。そして、義理じゃないよ、なんて遠回しな言い方だけど精一杯思いを伝えたら、なんて言うだろうか。
 気が付けば駆けだしていた。

侑が夢主のスクールバックから見えるチョコレートの箱を見て、他の男に渡すチョコレートだと勘違いせず、やっぱ俺に渡すチョコレート持ってるんやん!と思った場合