病気や薬に関する描写がありますが、それらについて主義主張をする意図も特定の人を攻撃する意図もありません。フィクションとしてお楽しみください※
欲情に任せたセックスをすると思っていたその人は穏やかな眼差しで私を見下ろしていた。
こういうセックスは苦手だ。
何度も唇を重ねられ、丁寧に服を脱がされ、時間をかけて愛撫され、労るように腰を打ち付けられる。
求められるのではなく、まるで与えられるかのようなセックス。
心まで犯されているような気になるこういうセックスは苦手だ、と思い五色くんから顔を背ければ、耳をベロリと舐められ身が震える。五色くんが腰を打ち付け、私の体が揺れる度に、まるで雨のようにポタポタ、と五色くんの鼻や顎から汗が落ちてきた。
やっぱり、こういうセックスは苦手だな。
激しい雨音を聞きながら体を重ねた日以来、五色くんは定期的に夜と共にやってくるようになった。
“今日行ってもいいですか?”
“いいよ”
私たちのトークルームはこのやり取りの繰り返し。
当たり前のように五色くんと連絡を取り合っているのは、五色くんと体を重ねた日の翌朝。五色くんが私の部屋から出て行く時に言われるがままに連絡先を交換してしまったからだ。また連絡しますね、と言って眉を寄せて笑った五色くんから、初めて来た“今日行ってもいいですか?”と言うメッセージに“いいよ”と返す時は勇気が必要だった。でも、“いいよ”以外の返す言葉を知らなかったし、一度“いいよ”と返してしまえば、次からは習慣のように何も考えずに返せるようになった。
部屋にやってくる五色くんはいつも俯きがち。共通の話題がないせいか、はたまたは別の理由があるからか、私たちの間に殆ど会話はない。
「お風呂入る?」
「いえ、もうシャワー浴びてきたんで大丈夫です」
「お茶飲む?」
「それより、ナマエさん。しよ」
そう言った五色くんはケトルを持った私の手を後ろから包み込み、私の返事を聞く前に私の口を唇で塞いでしまうのだった。
ベッドに入れば、私の体に触れる手はいつだって優しく怖いくらいに優しく。落とされるキスは、手の指の先から足の指の先まで。もういいよ、と繰り返しているのに、私の中心から顔を上げない五色くんは私を何度もイかせる。やっと前戯が終わったかと思えば焦る様子もなくゆったりと腰を動かされ終わりはなかなかこない。快楽で頭がおかしくなりそうだけど、胸の内側を温かな熱が侵蝕してきそうになり、どこか冷静さを保ったままにさせられる。最後の方だけ激しくされ、ずっとシーツを掴んでいた手を言われるがままに五色くんの首に回し、熱に浮かされたように発せられる、ナマエさん好き、という言葉を聞くと、そこで意識を飛ばしていまうのだろう、気がつけば外は朝。
「じゃあ、またね。ナマエさん」
昔は釣り上がっていた眉尻を切なげに下げる五色くんは夜を追いかけるように部屋を出て行くのだった。
またね、という言葉に安心するくせに、私は五色くんがどこに住んでいるのかも、何をしているのかも知らない。連絡が来る時間帯もまばらで、やってくる日も不規則なので、五色くんの職業などは皆目検討がつかなかった。
「暫くここに来れません」
まるで別れの挨拶のようにそう言った五色くんは今日もシャワーを浴びてきたらしい。
お風呂に上がった私がドレッサーに腰掛け、棚からドライヤーを取り出すと、私の後ろに立った五色くんは、やりますよと言ってドライヤーを手にし、先程の台詞を言ったのだった。
五色くんの言葉に、ドキッとしたけど、まぁ、そんなもんか、とどこか冷めた自分がいる。このまま五色くんが部屋に来てくれなくなってもきっと、自分から五色くんに連絡をすることはないのだろう。
「遠征なので」
「えんせい?」
聞き慣れない言葉に首を傾げるとドライヤーのスイッチが入れられ、風の音が耳を覆う。
出張とか、旅行とかじゃなくて遠征?
あぁ、もしかして、とドライヤーの風の音に掻き消されないように少し声を張り上げて聞いた。
「もしかして五色くんまだバレー続けてるの?」
ドレッサーの鏡に映る五色くんを見ると、私の髪を掬ってドライヤーで乾かしていた五色くんは驚いたように目を丸めていた。
「ナマエさんは、相変わらずですね」
何が相変わらずなのだろう。悲しそうに目を細めた五色くんによく言われる言葉だ。
「二週間程度の合宿があるんですよ。また帰ってきたら連絡しますね」
また連絡してくれるんだ、と思いながら、なされるがまま髪をいじられていると、ドライヤーのスイッチは切られ、私の髪はサラリとまとまる。やっぱり人に乾かしてもらうと綺麗にまとまるなぁ、と思いながらドライヤーを受け取りドレッサーの棚に仕舞うと、肩に逞しい腕が巻きつけられた。振り返れば言葉を発する前に唇で口を塞がれ、さっき着たばかりの半袖のパジャマのボタンは外される。今日もこれから短くも長い夜がやってくるのだろう。
暫くここには来れないと言った五色くんが帰った翌晩。ベッドに転がりながら放置していたトークルーム一覧を眺める。
きっと、私は軽い女だと思われているのだろう。SNSで彼氏と別れたと呟けば、様々な男性から食事の誘いが競うように続々とやって来るのだ。
今は血の気が多いのは少しめんどくさいな、と思い、一番無害そうなアイコンを選んだ。
“今週末なら空いてるよ”
三週間前に来たメッセージに返信した。
遠征に出かけた五色くんから“今日行ってもいいですか?”というメッセージが来たのは最後に五色くんが送ってくれたメッセージの横にある日付から二週間経つ直前のことだった。“い”まで入力して、最初に予測変換の欄に出てきた単語を返信すると、その夜、大きなキャリーケースと共に五色くんが部屋の扉を開いた。
「すごい荷物……」
「すみません。直接ここに来たんで」
荷物、玄関に置かせてもらってもいいですか? と、なんだか楽しそうに笑う五色くんを見て、少し懐かしい気持ちになった。
「いいよ」
靴もまだ脱いでいない五色くんの前に立つと、覆い被さるように抱きしめられた。
「ナマエさん、いい匂い」
「さっきお風呂に入ったから」
「そういう意味じゃありませんよ」
顔よく見せてください、と言って離れた五色くんは、懐かしむように私の頬にかかる髪をかき上げる。
「あ、ナマエさん虫に刺されてる」
「え? どこ?」
「耳の下の……」
穏やかに笑う五色くんの手が私の髪を掬ったままびくりと震え、止まった。
「別れたんじゃなかったんですか?」
「え? 何が?」
「彼氏と! 別れたんじゃなかったんですか?」
なんだか、五色くんが怖い。五色くんと再会した酷い雨の日に、ここ、玄関で見た目と同じ目をしている。星の見えない夜のような目だ。
「別れたよ」
「じゃあ、これ誰に付けられたんですか?」
「これ?」
「耳の下にあるキスマーク」
「あぁ」
先週のあの時のあれか、と納得する。あの日寂しい夜を紛らせることができればと思って食事に行ったけど、寝るつもりまではなかった。と言えば言い訳になるだろうか。そういう事にならなさそうな人を選んだつもりだったけど、きっと、そういうことになると分かっていたし、結局流されてしまったのだから。でも、まさか印を付けて帰らされていたなんて気づかなかった。
きっと、五色くんがさっき見つけた虫刺されというのはキスマークのことだったんだ。
「もしかして五色くん……怒ってるの?」
はっとしたかのように眉から力を抜いた五色くんは私の髪を掬っていた手を力なく下ろして、倒れ込むように私の肩に顔を埋めた。
「いえ、怒ってないですよ。大きな声を出してすみませんでした」
あまりに弱々しく五色くんがそう言うので、五色くんの背中に手を伸ばしかけそうになってしまった。
その日もベッドの上で、もういいよ、と何度言っても止めてくれない前戯は、もういいよ、と言うのを諦めた頃に終わってくれた。荒い息を整えながら、私は未開封のスキンを持った五色くんの手に手を重ねる。五色くんに喜んでもらえたら、と思ったのかもしれない。
「しなくていいよ」
「え……?」
五色くんの手から、連結した銀色のものがハラリとベッドに落ちた。
「いいって……本気で言ってるの? ナマエさん……」
「うん」
ピル飲んでるし。病気も持ってないから大丈夫だよ。
心の中で付け加えると、五色くんはクシャッと顔に皺を作るので泣かせてしまったのかと思った。
「ちゃんと避妊しますよ」
ベッドに落ちたスキンを拾った五色くんは笑っていた。
しなくていいよ、なんて言うんじゃなかったなぁ、と後悔した。どうしてか避妊すると言った五色くんの笑顔が胸を引っ掻いて、覆い被さり腰を進めてくる五色くんの首に自分から手を回してしまったのだ。
五色くんの体と密着した私の腕や胸から汗が滴っていく。こういう、快楽に集中できずに汗を気にしてしまうセックスは苦手だ。何もかも忘れられるセックスがしたいなぁ、と真っ白になりきれない頭で薄ぼんやりと考えながら、好きです、といううわごとのような言葉を聞いて、今日も意識を飛ばしてしまった。