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岸辺で出会った人

 ずっしりと重たいダンボールを抱えながら体育館へ向かって歩いていると、後ろから、お疲れ様です! と元気な声が聞こえた。振り返る前に、風が横を通り過ぎていき、声の主の背中が前を走っていた。五色くんだ。今日も一番乗りで部活に向かうのだろう。元気だなぁ、と思っていると、突然ブレーキをかけた五色くんは振り返る。
「手伝います!」
 私が答える前に、手に持っていたダンボールは奪われた。
 岩のように重たかったダンボールなのに五色くんは空箱を扱うように軽々と両手に抱える。
「どこ持っていくんですか?」
「備品庫だよ」
 五色くんがもう歩き始めていたので、このまま五色くんに甘えて、持っていってもらうことにした。五色くんの隣に並ぶ。
「これどうしたんですか?」
「OBからの差し入れだって。スポドリの粉末っぽいよ」
「ありがたいですね!」
「そうだね」
 そんな会話を交わしながら、肩を並べて、体育館へ向かう。
 五色くんはそういう子だった。
 いつも真っ直ぐ前だけを向いて、止まることを知らないというように突き進んでいく。だけどちゃんと振り返ってくれて、同じ歩幅で歩いてくれる。きっと、このままずっと一緒に歩いていけたら幸せなんだろなぁ。そう思わせてくれるような、そういう子だった。

 その日、外では太陽がジリジリと照り付けており、陽炎がゆらゆらと立ち上っていた。
 体育館は熱気がこもり、じっと立っているだけでも、首筋から汗が浮き出していき、球となって滴っては、Tシャツの襟ぐりを濡らしていく。
 暑いなぁ、と茹だる体をボールカゴにもたれかからせると、天童くんの皿のような大きな目が私の顔を覗いてきた。
「ナマエちゃん、今日部活終わったら暇?」
「え? なんで?」
「昨日寮でみんなと話してたんだけどさ。部活終わったら夏祭り行こうって。ナマエちゃんもどう?」
「あぁ、ごめんね。それもう他の人と約束しちゃったの」
 天童くんは、あ、と思い出したような顔をした。
「そうだよね。ナマエちゃん彼氏いるもんね」
 うん、ごめんね、と返そうとしたその言葉は、えっ!? と後ろから発せられた大きな声に奪われた。振り返れば、五色くんが天童くんさながら目を皿にしてこちらを見ていた。
「どうしたの?」
「い、いえっ! なんでもありませんっ! お話の邪魔をしてすみませんでした!」
 勢いよく頭を下げる五色くんに、天童くんは愉快そうに目を細める。まるで獲物を見つけた蛇のようで、ちょっと五色くんを不憫に思った。
「今ので何でもないはないでしょ〜」
「本当に何でもないんです!」
「そうは見えないから言ってるんだけど。ねぇ、ナマエちゃん」
 私に振らないでよ、と天童くんに目だけで訴えていると、本当に何でもないんです! と五色くんは顔を真っ赤にして叫ぶ。そんな風にされると、自惚れてしまうじゃないか。
「大丈夫だよ。ちゃんと分かってるから」
 自分に言い聞かせるようにそう言うと、五色くんは何でもないと言っておきながら、ちょっと寂しいそうな顔をした。
 そんな顔しないでよ。そう思ったけど、彼氏のいる私がそう言える立場にないことは分かっていた。何て言ってあげたらいいのだろうか。気の利いた言葉の一つも探せないでいると、休憩時間が終わることを意味する牛島くんのサーブ練習、という号令がかかる。五色くんはまた勢いよく頭を下げ、私が先程までもたれかかっていたボールカゴを押しながらエンドラインまで走っていった。
「よかったね、ナマエちゃん」
「私のことまで揶揄わないでよ」
 はははっと対して可笑しくもなさそうに笑いながら、天童くんは長い足を前に出す。私もボール拾いのために、天童くんの後についていった。

 部活は日が暮れる前に終わった。急いで帰宅して、シャワーを浴びて浴衣に着替える。帯はお母さんに締めてもらい、髪の毛もセットしてもらった。門限までには帰ってきなさいよ、と意味ありげに笑われながら送り出される。お母さんには彼氏がいることすら話していなかったんだけど、この様子だと、彼氏がいることだけでなく今日デートをすることすら気づかれている気がする。一応、そんなんじゃないから、と返しておいた。それでもヤラシイ笑いをやめない母親に、抗議したかったけど、約束の時間が迫っていたので、行ってきます、とだけ告げて家を出た。
 待ち合わせをしていた神社の鳥居の前に到着すれば、彼氏が立っていた。リネンの柔らかそうな白いシャツにデニムのパンツと爽やかな出立だ。
 彼とは一年の時から三年間ずっと同じクラスで、付き合ってちょうど半年くらいだった。バレー部の人たちほど身長は高くないけど、私より背が高くて、お待たせ、と駆け寄れば、待ってないよ、と微笑んでくれる、穏やかな人だった。
 隣に並ぶと、手を繋がれ、ドキッとしてしまう。彼とはキスまでしていたのだけど、互いに部活が忙しく、なかなかこうしてデートをする機会もないものだから、まだまだ青い関係だった。
 日が暮れかけたとはいえ、空気は蒸し暑いままで、繋がれた手も汗ばんでしまう。恥ずかしいなぁ、と思いながらも、せっかく久しぶりに手を繋げたのだから、と離すことはできず、ぎゅっと握り返せば、彼は私を見下ろし愛おしげに目を細めた。心臓がまた一つ高い音で鳴り、慌てて、早く行こう、と賑わっている鳥居の先を指差した。
 電球に灯されたオレンジが頭上で輝く道を、人混みに流されないようにくっつきながら歩き、沿道に並ぶ屋台を見て回る。一つの綿飴を彼と一緒に食べたり、射的で遊んだりして、どこにでもいるカップルのようなことをしていると、前方から天童くんたちが歩いてくるのが見えた。
 天童くんはキャラクターのお面を頭に斜め掛けして大層お祭りを楽しんでいる様子。天童くんの後ろには、天童くんにそれをつけられたのだろう、天童くんと同じようにお面をつけた牛島くんがいて、牛島くんも来てたんだ、と驚いたけど、その横で一生懸命牛島くんに何か話している様子の白布くんにもっと驚いた。もちろん白布くんの頭にお面はついていない。
「ナマエちゃんじゃん!」
 立ち止まった天童くんたちに、お疲れ、と手を上げると、天童くんは、あ、と声を上げた。
「噂の彼氏ー!」
 そういえば、彼氏といるところにバレー部の人たちと鉢合わせるのは初めてだった。私の彼氏は天童くんの軽いノリを、どうも、と笑って流す。
「楽しんでる? 楽しんでるよね! だってナマエちゃんと一緒なんだから!」
 彼氏が天童くんに絡まれだす。助けてあげるべきかどうするべきか、迷っていると、やめてやれ、と瀬見くんが天童くんを止めてくれたのでホッとした。
「えー、だって俺らからナマエちゃんを奪ったやつだよー」
 まるで私をお姫様のように言ってくれるけど、天童くんはそう言ってただ揶揄いたいだけなのだろう。
 その目論見は成功したようで、私の彼氏は、絵に描いたように困っている。
「そういう言い方はよくないだろ」
「でも英太くんだってナマエちゃんが一緒に行けないって知って寂しそうにしてたじゃん」
「そりゃ一緒に行けると思ってたからな。誰だってそうなるだろ」
「じゃあ英太くんだってこっち側じゃん!」
「こっち側ってどっちだよ!」
 まだまだ続きそうな天童くんたちのやりとりを、ははっと笑いながら眺めていると、視線を感じた。そちらを向くと、天童くんたちの集団の後ろの方にいる五色くんと目があった。でもすぐに目を逸らされる。今日の部活での出来事を思い出し、きっと、彼氏と一緒にいる私と会うのは気まずいんだろうなぁと思っていたのだけど、五色くんはまたこちらを向いてくれた。今度は、はにかむように笑ってくれる。なんだか、安心してしまって、私も微笑み返した。
 その後、瀬見くんが天童くんに、ほら行くぞっと言ってくれたのを機に天童くんたちとは別れて、また恋人との夏祭りを楽しんだ。屋台を巡って花火を見て、門限に間に合うように家に送ってもらい、別れ際にはキスをした。
 それは、高校生活最後の夏のこと。
 大人になった私はこの頃のことを何度も思い出す。
 みんなが笑っていて、明日もきっと今日のような日がやってくると信じてやまなかった。
 そんな頃のことを、大人になった私は、何度も、何度も思い出す。