
二学期が始まった。
受験生なので、夏休みの間もちゃんと勉強をしていたのだけど、シャーペンはいつも机のペン立てにさしてあったものを使っていた。だから、きっと、拗ねたのだろう。ペンケースの中に夏の間ずっと眠っていたシャーペンは、一限目の国語でノートを取ろうとノックした瞬間にバキッと変な音を立て、いくらノックをしても芯を出してくれなくなった。
拗ねるのはいいけど、壊れちゃったら仲直りもできないよ。
壊れた彼を心の中で窘め、その日から予備で入れてあったシャーペンを使い始めた。その一本で日常は事足りたのだけど、やっぱり、ペンケースには二本シャーペンを入れておきたい。また壊れてしまった時用や無くしてしまった時用など、予備が欲しいのだ。
新しいの買わなきゃなぁ。そう思って迎えたのが、日曜日の今日だった。部活がないので、家でお昼ご飯をすませ、午後からは近くのショッピングモールへ来ていた。
「あれ? 五色くん?」
「ナマエさん! お疲れ様です!」
ショッピングモールの文具屋の前で、五色くんと鉢合わせた。五色くんは部活をしている時みたいにTシャツとハーフパンツを履いている。夏休み中の小学生みたいな無邪気溢れる姿に頬が緩んでしまった。
「何か買いに来たの?」
「はい! ルーズリーフを買いに来ました! ナマエさんはどうされたんですか?」
「私はシャーペンを買いに来たの」
そんな会話をしながら、文具屋に入っていく。行き慣れた文具屋だったので、当たり前のようにペンコーナーへ向かったのだけど、ルーズリーフを買いに来たはずの五色くんまでついてきてしまった。五色くんはここに来るのは初めてなのかな。
「ルーズリーフはあっちだよ」
少し離れた棚を指差す。五色くんは、ハッとしたような顔をした。
「す、すみませんっ! 一緒に来たわけでもないのに勝手について来ちゃってっ……」
五色くんは顔から湯気を出して、やってしまったぁ、というような顔で俯いた。そんな可愛い反応をされると、私でも調子に乗ってしまう。
「五色くんはどのシャーペン使ってるの? おすすめとかある?」
五色くんは一瞬キョトンとしたけど、すぐに、はい! と元気に返事をしてくれた。そして、これです、と沢山ペンが立てられていた棚から一本のシャーペンを取り出した。黒色で太めのシャーペンだった。クラスでも使っている子はよく見かける。でも五色くんが持つそれは随分と小さく見えた。きっと、五色くんの手が大きいからだと思う。だって、五色くんに渡され私の手の内に収まったそれは見慣れた大きさに戻ったのだから。
棚の前に敷かれていた、白い試し書きの紙に、くるくると曲線を描いていく。たしかに、みんなが使っているだけあって、よく指に馴染んで持ちやすい。なんとなく文字も書いてみた。
五色工。
書いてみると、五色くんの画数の少なさに少し驚いた。
「人の名前書かないでくださいよ!」
「あ、ごめん……」
売り物のシャーペンについている消しゴムを使うわけにはいかなかったので、消すためには塗りつぶすしかないのだけど、人の名前をぐちゃぐちゃな線で潰してしまうのはどうも憚られた。
「じゃあ私の名前も書いておくよ」
「え、」
そういう問題じゃないのだろうけど、五色工の下に、ミョウジナマエと書いていく。ミョウジ、と書いたところで五色くんは、慌てたように言った。
「だめですよっ!」
なんで? と聞きながらナマエまでしっかりと書いた。五色工の下にミョウジナマエが並ぶ。
「あぁ、書いちゃった……変な噂になるかもっ……」
「ならないよ。こんなので」
名前を並べて書いただけで、こんなに反応を返してくれるなら、縦書きにしてハートのついた相合傘くらい付けてやればよかった。五色くんは耳まで顔を赤くして、何やってるんですか! と大きな声を出すんだろうなぁ。そして、相合傘の下に収まった私たちの名前を両手で覆ってキョロキョロするところまで見えた。
今からハートで囲んでやろうかな、なんて悪戯心が過ぎったけど、流石に意地悪だなと思いやめておいた。
きっと、五色くんの彼女は、こうやって些細なことで笑い合って、絆を育んでいくんだろうなぁ。
「うぅ……ナマエさんはずるいです」
ずるいのは君だよ。名前だけでこんなに大騒ぎして。
五色くんを揶揄うつもりはなかったけど、結果揶揄ったようになった。でも実際、揶揄われたのは私の方なのかもしれない。まんまと五色くんと付き合った時のことを考えさせられてしまったのだから。
「いいんです。俺はもうバレーに生きると決めたんで」
どう返したらいいのか分からなくて、ルーズリーフ見に行こっか、と二つ先にある棚を指差した。
結局五色くんが進めてくれたシャーペンの色違いを買った。五色くんもお目当てのものを買い、薄い手提げ袋を手に下げている。互いにこれから予定はなく、一緒にショッピングモールを出た。
「家まで送りますよ」
「いいよ、明るいし」
でも、という五色くんに甘えるわけにはいかなかった。それこそずるい女になってしまう。
「じゃあ、また明日部活でね」
手を上げて、五色くんに背を向けようとした、その瞬間だった。五色くんに腕を引っ張られる。え? 何? と慌てている間に、私の横を凄いスピードで自転車が通っていき、突風が吹いた。
あぁ、轢かれそうになったのを助けてくれたのか。
「大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫。ありがとう」
ホッとすると、五色くんの胸に両手をついていることに気づく。思っていたよりもそれは硬くて、広くて。ついに手のひらからは心臓の音まで聞こえてきて、次第にそれはどんどんと早くなっていった。
「す、すみませんっ!」
磁石が反発するように、二人同時に後ろへ飛び退いた。
「ううん、私の方こそごめんね」
私は、下を向いて、無駄に髪の毛を耳にかけたりなんかして、熱い顔を上げることができなかった。
「じゃあ、また明日ね!」
五色くんのスニーカーに挨拶をして、今度こそ五色くんに背中を向けた。
レンガ調の歩道を早足で進んでいく。
体の中で心臓の音がうるさいのは、早足のせいか、それとも他に理由があるからなのか、分からなかった。
私を丸ごとすっぽりと覆ってしまうほどの大きな体。
五色くんはあんなに可愛いのにちゃんと男の子なんだ、と改めて思った、それはまだ夏の匂いが残る日曜日のこと。