ちょうどホームに下りてきたばかりなのだろうナマエは不思議そうに尋ねる。
「五色くん? なんでここに?」
「え……? いや、ナマエさんこそなんでここに? さっき電車に乗ったんじゃなかったんですか?」
「え? 乗ってないよ。次の電車に乗る予定だから。五十分に来るやつ」
 それにしてはちょっと早く着きすぎちゃったんだけど、と付け足し、ナマエは、はにかむように笑った。ナマエの横には、膝の高さくらいのスーツケースがある。
 きっと、先ほど見つけたナマエだと思った人は見間違いだったのだろう。一瞬のことだったし、何よりも目の前にナマエがいるのだ。
 しかし、まだ、え? と首を傾げることがあった。
「三十分の電車じゃなかったんですか?」
「ううん、五十分のに乗るつもりだよ」
「え? 白布さんにもちゃんとそう伝えました?」
「うん。伝えたはずだよ。昨日白布からメッセージがきて……」
 そう言ってナマエはポケットからスマートフォンを取り出し、いくつか操作をした後、ほら、と画面を五色に見せてきた。
 そこには、白布とのトークルームが表示されており、明日何時の電車に乗るかを聞く白布のメッセージの下には、五十分の電車に乗ると伝えるメッセージが、たしかに返信されていた。
 白布は間違えて五色に伝えたのだろうか。いや、あのしっかりした白布が時間なんて大切なことを間違えるとは思えない。ということは。
 白布さん、嘘ついたな。
 白布が嫌味に口の端を上げる姿が脳裏をよぎった。
「なんで、白布? なんか言ってた?」
「あ、いえ……そういうわけでは……」
 きっと、白布は、五色が散々迷った末、取り返しのつかない時刻になり、ようやく慌てて駅へ向かうことを見越して、わざと、早い時間を伝えたのだ。
 あの人はどこまで五色のことを見透かしているのだろう。もしや、ナマエのことを好きなことまで知っているのだろうか。
 五色の顔が渋くなっていく。
「どうしたの? 大丈夫?」
 心配そうにナマエが五色の頬へ手を伸ばし、残っていたのだろう涙をその指で拭うから、爆発しそうなくらい顔が熱くなり後ろに飛び退いた。
「大丈夫です……」
 色々なことが恥ずかしすぎて、ナマエと目を合わせていられず、そっぽを向きながら答える。
 すると、ナマエは可笑しそうに手を自身の口に当てたが、ぽつりと零すように言った。
「最後に五色くんに会えてよかった……」
 その言葉を聞いて、胸が張り裂けそうになる。
 会えてよかったと思うのは五色も一緒なのだ。
「あのね――」
「すみませんでしたっ!」
 頭を下げれば、上から、え? と困惑した声が降ってくる。顔を上げると、やはり、ナマエはキョトンとしていた。
「その、俺、酷いこと言って……すみませんでした……」
「ううん、私の方こそごめんね。本当はずっと謝りたかったの」
 そう言うと、ナマエはほっとしたように笑い、その細めた目の端に白い輝きを灯した。
 触れてはいけないだろうと思ったが、美しいそれに触れずにはいられず、今度は五色が親指で拭ってやる。すると、ナマエがくすぐったそうに肩を小さくするから、抱きしめてやりたくなった。しかし、さすがにそれはダメだろう。グッと堪え、ナマエに触れていた手を下ろす。
「春高予選は応援に行くから。全部は無理かもしれないけど、決勝は絶対」
 当然のように、決勝は絶対なんて言われて、嬉しいのやら、プレッシャーなのやら。でも、ナマエに自分のカッコいいところを見て欲しかったから、自信を持って、はい! と返事をした。
 これで、全てのわだかまりがなくなったかと思ったのだが、ナマエはまだ、居心地悪そうに目を泳がせていた。
「あの、それでね、五色くん……」
「なんですか?」
 ナマエは難しい顔をして、言うか言うまいかを迷っているようだったが、やがて、決意を固めたように五色を見上げた。ナマエの真剣な空気に釣られ、五色も息を呑む。
「やっぱりなんでもない……」
 素気なく言われる。しかし、ナマエの唇は、なんでもないと言う割には何かを言いたそうに尖っているし、頬もなんでもないと言う割には何かを隠して赤らんでいる。さらに、潤んだ瞳が何でもないと言う割には未練がましくチラチラとこちらへ向くから、五色も期待してしまう。
 期待をすれば、つい照れてしまい、ぶっきらぼうに言った。
「そんな顔してなんでもないはないでしょう」
「え、そんな顔って……?」
「可愛い顔……」
「え、かわ……えっ!」
「違うの?」
「ちがっ……いや、その……えと……」
 ナマエには焦らされてばかりで、五色の唇も尖ってしまう。
「今度はちゃんと言ってよ」
「あ、うん。でも……うぅっ……」
 ナマエが両手でスカートを握って俯く。
 一個上の先輩で普段は姉のようにしっかりしているのに、今はとても頼りなく、いじらしい。
「じゃあ、俺が言う」
 ナマエが様子を伺うようにこちらを見上げた。
 どこからか春の風が吹き、ナマエの後ろではピンクの花弁が散り落ちている。彼女の靡いていた黒髪がはらりと元の位置に戻った時、五色は口を開いた。
「ナマエさんが好き。俺と付き合ってよ」
「――へ?」
 間の抜けたような顔をされたけど、その後、ナマエは桜のように綻んだ。

 時刻は五十分になろうとしていた。次の電車が到着することを知らせるアナウンスが流れる。
「じゃあ、また連絡するね」
 名残惜しそうにまつ毛を落としたナマエに、握りっぱなしにしていたそれを差し出した。
「これ、タオル……」
「え? なんでタオル?」
「ナマエさんからタオルもらったから。そのお返し」
 タオルなんてあげただろうか、と言いたげに首を傾げたナマエは、あぁっ! と弾かれたように顔を上げると、なんで今更? とニヤニヤする。
「いいから、もらってくださいよ!」
「そうだね、ありがとう」
 くすくす笑われながら、タオルを受け取ってもらう。まだ、笑ってんのかよ、と思っていれば、ナマエがタオルを宝物のように抱きしめるから、五色も笑顔が溢れた。