3月

 昇降口から校門までの一本道を木の枝が手を広げるように覆っており、枝には期待に膨らんだ蕾がいくつも息を潜めていた。
 この様子なら、来月の入学式の日は新入生を満開の桜が迎えてくれるだろう。私たちのときと同じように。
 あのときは憧れの高校に通えるということで落ち着きなく道の端っこを歩いていたのだけど、今やもうこの道は日常の道となっており、お散歩をするような穏やかな気持ちで歩いていた。
「そういえば、入学式の日、なんで桜見上げてたの?」
 一際大きな桜の木を通り越し、あの日それを張り詰めた様子で見上げていた五色くんのことを思い出す。
 まるで一枚の写真ように美しかったあの光景はまだ鮮明に私の頭の中で飾られていた。
「あぁ……あれか……」
 隣を歩いていた五色くんはすっきりしない様子で言った。
 五色くんもリラックスしているのか、いつかのように手足同時に出すなんてことはなく、自然と歩いている。だけどちゃんと私の歩幅に合わせてくれている。
 五色くんは遠い昔の記憶を辿るように続けた。
「入学式の前の日に、先輩から変な話を聞いたんだよ」
「変な話?」
「あの桜にはジンクスがあるらしい」
 そんなこと、一年もこの高校に通っていたけど、初耳だ。
「今思えば揶揄われただけな気もするけど」と五色くんは付け足す。
 そっか、と返してみたけど、やはりジンクスの内容が気になり、聞いてみた。
 すると、いや、その、と零された言葉はなんとも歯切れが悪い。
「俺もよく知らねーんだけど、入学式の日に、入学生があの桜に触れると……その……いい出会いがあるって……」
「それであんなに真剣に見上げてたの?」
 あの日、五色くんが一生懸命見上げていた先にそんな可愛いらしいものがあったとは。
 つい、ぷっと吹き出してしまう。
「笑うなよ」
 唇を突き出しながら言う五色くんに、ごめん、と謝りながらも、頬は緩みっぱなしだ。
「それで? ジンクスはどうだった?」
 気になったことがまた口から零れる。
 最近はこうして自然に話せるようになったのだ。今も全く緊張していないわけではないけど、ドキドキと胸を叩くその音もどこか心地いい。
「いや、結局俺はあの桜に触ってない」
「じゃあ、ジンクスはたしかめられずじまいだったんだ」
「そうなるな。でも、別にそれでいい」
 前を向く五色くんはどこか吹っ切れたようだった。
 歩く速度に合わせ、揺れる五色くんのまとまった髪を眺めながら、ふと私が告白したときのことを思い出す。
「私、五色くんが好き」
 五色くんは目を丸くしたまま固まった。
 想像していた通りのリアクションだったので、特に慌てることもなかった。きっと、このあと五色くんは、え? とか、今なんて、とか言って、混乱し出すだろうから、もう一回くらい告白しないといけないのかな、と思っていた。でも違った。五色くんは緊張が解けたようにほっと笑みを零し、私は妙にドキッとしてしまったのだった。
「俺も」
「え? 今なんて……」
「だから俺も。俺もミョウジさんが好き」
 凛とした声がたしかに私の鼓膜を揺らしたのだった。

「次はクラス別れちゃうのかなぁ。寂しいなぁ」
 張り巡らされた枝の先を仰ぎ見れば、清々しいほどに澄んだ青空が広がっていた。
「別れても別にいい」
「え、」
 衝撃発言に、空から隣を歩く五色くんへ視線を移せば、五色くんは慌てたように付け足す。
「あ、いや、クラス別れた方がいいとかそういうわけじゃなくて……」
 言い終えると、五色くんはあの日桜を見上げていたときのように力強い眼差しで前を向いた。
「たとえクラスが別れても、毎日メッセージをやり取りしてるし、会おうと思ったらいつでも会える。だろ?」
 たしかめるようにこちらを見下ろすと、その瞳を春風のように優しく細める。
 今でも他の女子が五色くんを熱っぽい瞳で見上げていたら、なんとも言えないもやもやした気持ちが漂う。だけど、こうしてその瞳に映してもらえるから、ちゃんと今微笑み返せる。
 気がつけば、校門を抜けていた。すると、下ろしていた手を力強く握られる。実はこうして五色くんに手を繋がれることは初めてじゃないのだけど、まだドキッとしてしまう。
 今日はこれから五色くんとデートだ。
 終業式が午前中のうちに終わり、その後部活はないという。
「でもやっぱりクラス別れちゃうと寂しいなぁ」
「そうだな」
 私の手を握ってくれている力が強まり、私も決して離してしまわないようにきつく握り返した。
「また一緒のクラスになれたらいいね」
「そうだな」
 そう言って五色くんは願うように空を仰ぎ見る。瞬間、二人の間をこの冬、何度も感じていた温かな風が吹き抜ける。
 枝がざわざわ揺れ、慌てん坊の花びらが一枚ヒラヒラ舞い、春の訪れを祝福していた。