放課後、空き教室で1人、ドキドキしながら待っていると、ガラリと扉が開かれ、待ち人はやってきた。
「用って何?」
 教室に入ってくるなり、角名くんは尋ねた。きっと、こうして女子に呼び出されるという経験を沢山してきた筈だから、私からの用件なんて分かりきっているんだろうけど、一応はって感じで聞いてみたんだと思う。
 私はこの時のために、昨夜、散々一人で練習した言葉を思い出そうとした。でも、角名くんを見た瞬間に嘘みたいに頭が真っ白になってしまい、何も思い出せなかった。
「あ、えっとね……」
 意味のない言葉でなんとか間をつなげていると、角名くんはスラックスのポケットに両手を突っ込み気だるげに私を見てくる。だけど、その瞳はやけに鋭くて、ますます何も考えられなくなってしまう。
 バッドがボールを打つ高い音が遠くで聞こえた。
 きっと、角名くんもこの後部活があるはずだ。早く言わなくちゃ。
 どうせ、私なんて相手にされないのだから、なりふり構わず言ってしまえばいい。もう失うものは何もないのだから。いや、失ったとしても、もういいのだ。だから、今日、2学期が始まったばかりだというのに、そうそうに角名くんをここ、空き教室に呼び出したのだ。
 そのことを思い出すと、吹っ切れたような気持ちになり、昨夜一生懸命考えた言葉は全く思い出せなかったけど、ずっと胸に溜め込んでいた思いを吐き出せた。
「ずっと好きでした!」
「うん。いいよ。付き合お」
「え……?」
 今、角名くんはなんと言ったのだろうか。付き合おう、と言ってくれた気がするのだけど、私の聞き間違いだろうか。
 角名くんの口から出てきた言葉がにわかには信じられなくて、しばらく私の時間は停止する。
 すると、角名くんは訝しげに眉を寄せ、首を傾げた。
「何? そういう意味の好きじゃなかったの?」
「いや、そういう意味の好きなんだけど……」
「じゃあ、いいじゃん。付き合お」
「あ、うん……えと……よろしくお願いします……」
 とりあえず頭を下げた。
「こちらこそ、よろしく。じゃあ、俺部活あるから」
 角名くんはそのまま教室を出るのかと思いきや、ポケットからスマホを取り出した。
「連絡先、教えてよ」
「え? なんで?」
「俺ら付き合うんでしょ」
「あ、そっか」
 肩にかけていたスクールバッグからスマホを取り出す。画面をタップして、メッセージアプリを起動させたけど、連絡先の交換の仕方を忘れてしまっていた。どうやるんだっけ。
 うーん、と唸っていれば、角名くんが私の隣に並び、スマホを覗き込んでくる。目の前には角名くんの横顔。ドキっとして固まりつつも、ちゃんと観察してしまう。
 男子とは思えないほどの色白のきめ細やかな肌に、瞬きをする度に揺れるまつ毛。私のスマホを操作しようとさらに覗き込んだ拍子に、中央で別れていた前髪から一束ハラリと落ちてきて、その頬を隠す。
 角名くんは慣れた様子で私の画面をタップしていき、あっという間に私の連絡先に角名くんの名前が入った。
 整った横顔が離れていく。
「じゃあ、また明日」
「うん、また明日」
 静かな嵐は教室を去って行き、私はしばらくポカンと角名くんが開けっぱなしにしていった扉を眺めていた。
 もしかして、私は今角名くんの彼女になったのだろうか。
 思い出したように、さっき起こったことが濁流のように押し寄せ、一気に顔が熱くなっていく。
 すると、廊下の方で、女子たちが、嘘やん! ほんまに? それはやばいな、などと言い合いながら笑う声が近づいてきてハッとする。
 とりあえず私も帰ろう。
 教室を出て、ちゃんと扉を閉めた。そして、気づいたら、もう家に帰っていた。どう帰ってきたのかも覚えていない。
 2012年9月3日、月曜日。高校2年生の2学期が始まった日のことだ。