狐、その尾で縋って 中編



 二人の休みが被った貴重なその日。二人が外に出かけたのはお昼が過ぎてからだった。ナマエが化粧品を買いに行くと言うので、昼食も外で済ましたらいいと角名もついていくことにしたのだった。

 二人は電車に揺られ、近くの繁華街へと向かった。手は繋がれていないが、肩と肩が触れあいそうな距離で歩き、時折顔を見合わせ笑い合っている。
 二人は小さなレストランで和やかに食事を済ませ、百貨店へと向かった。
 ファンデーションだけ買うつもりだったので煌びやかな店内には目も暮れず一直線へと目的の場所へ進む。しかし御目当てのブランドの前に着くと、角名の隣を歩いていたナマエが突然立ち止まり等間隔に並べられたルージュをじっと見つめ始めた。角名が「欲しいの?」と声をかけると、慌てた様子で「今回は大丈夫」と返ってくる。すると、美容部員から「お試ししますか」と声がかかった。ナマエは手を振りながら答える。
「いえ、今回は大丈夫です」
「なんで? 見てけばいいじゃん」
 角名の手がナマエの頭を撫でると、彼女の瞳は嬉しそうに細められた。
 美容部員に接客されているナマエを角名は店内を出て少し離れた場所から壁を背にして見守っていた。片手に持ったスマートフォン越しに、唇に紅をさしてもらった彼女が微笑んでいる姿を、同じような笑みを浮かべながら眺める。そして、ナマエが買い物を済ませ店内から出れば、長い足を伸ばし、ナマエが受け取ろうとした紙袋に、それが当然とでもいうようにすっと手を伸ばした。ナマエに手渡そうとした美容部員は穏やかに微笑み持っていた紙袋を角名に渡す。角名が受け取ると、ナマエは照れ臭そうに俯きながらも、喜びを隠せぬ様子で頬を緩ませた。

 目的も達成し、二人は帰宅すべく並んで駅へと向かっていた。人混みに紛れていた二人の背中に突然声がかかる。
「角名! 角名やん!」
 よく見知った声に二人は同時に振り返った。日差しをキラキラと反射させる髪をした男は角名の元チームメイトで、ナマエがかつて恋心を抱いた相手だった。
「おー! ナマエちゃんもおるやん」
「侑くん! 久しぶり」
 一時期は距離を置かれていた二人だったがこうして普通に会話を交わせるようになったのは六年と言う月日のおかげだろう。
 人通りはあるものの広い駅前で三人はそのまま立ち話を始める。背の高い男二人に時折通行人が興味深そうに視線を送ったが、二人は慣れているのか気にする素振りを見せない。ナマエは暫く居心地が悪そうに身を縮こめていたが、久しぶりに会う旧友だからだろうか。そのまま三人での立ち話は続けられた。
「なんで侑がこんなところにいるの?」
「そらオフやからな! 羽伸ばさんと」
「そう言う意味じゃないんだけど……」
 角名がめんどくさそうにため息を吐く。ナマエには角名の言いたいことが分かったのだろう。呆れた様子の角名の横顔に笑みをこぼした。そんな二人の様子を見て嬉しそうに目を輝かせた侑は、きっと、思ったままのことを口にした。
「ほんま二人は仲ええなぁ」
 結婚でもすんのか、と侑は付け加えて笑う。角名は、顔を硬らせ、俯いた。まるで阿吽の呼吸のように代わりにナマエが答える。
「結婚はわからないけど、ありがとう」
 侑は角名が表情を曇らせたことには気づいていないらしい。気づいていたとしても、腹の調子でも悪いんか程度にしか思わなかっただろう。角名の心中など想像に及ばないだろう侑は再び楽しそうに続ける。
「俺もナマエちゃんのこと狙っとったんになー」
 今まで不思議と出てこなかったこの話題。暫く侑とナマエの間に距離があったせいかもしれないし、互いが互いに気を使っていたせいかもしれない。侑が、手を出さないでよと珍しく意思を主張してきた角名に。角名が、恋心を潰させてしまったナマエに。ナマエが、嘘をついてまで守りたい彼女がいると聞いていた侑に。けれども六年の月日を得て、時効とでもいうように落とされてしまったこの話題。
 角名は俯いたまま。眉を寄せて広角をあげる角名の表情は笑っているようにも見えるし、泣いているようにも見える。ナマエは少しの強張りを見せたが再び笑みを見せた。
「何言ってんの。侑くんずっと彼女いたじゃん」
「ナマエちゃんが好きな時は彼女おらんかったもん」
 そう言った侑は真顔になる。釣られたようにナマエも顔から笑みが消えた。
「一時期ナマエちゃん俺のこと避けとったやろ? それで諦めてん」
「それ……いつの話?」
「あぁ、いつやったっけ?」
 侑は首を傾げ、あっと閃いた顔をし口を開いた。
「ナマエちゃんが角名と付き合いだした頃やん!」
 俯いたままの角名がぎくりと体を震わせた。
「やっぱ今思えば角名なんかゆうたよな、あん時。俺に近づけさせんとこて。角名もかわええとこあんなー」
 侑は再び笑みを浮かべ隣に立つ角名を茶化す様に見る。かつては、ナマエに避けられるようになったのは角名のせいだと言って角名に詰めよっていた侑であったが、遺恨などはないのだろう。侑の言葉にからかうような様子はあっても怒りや妬みような暗い感情は見受けられない。
 侑の言葉にようやく顔をあげた角名は、ぎこちない笑みを浮かべ「そうだね」と返した。
「やっぱな!」
 予想が的中したことが嬉しかったのだろうか。侑は嬉しそうに声をあげる。そして、続けた。
「ナマエちゃんは幸せもんやな。こんなにも愛されてとんやから」
 力の抜けたような顔をしていたナマエは、はっとした様な顔をして、いつもその顔に浮かべる柔らかな笑みを作り答えた。「そうだね」と。
 侑の言葉に裏表などない。きっと、初めからずっと思ったままのことを口にしている。角名もナマエもそれを分かっているのだろう。二人から多少の緊張は感じられたが、この和やかな雰囲気を壊すまいとする意志のようなものが見受けられる。
「ほな、俺約束あるから行くわ。ほんまはゆっくり話したかったんやけどな」
 始終陽気な様子の侑は片手を上げた。二人の返事を聞く前に足は既に歩みを始めている。「結婚式は呼んでなー」と笑いながら。
 ぼんやりとした様子で侑を眺める角名の代わりにナマエが「またね」と手を振ると、侑の背中は人混みの中に消えていった。