この恋、期限つき

ピピピピ…

携帯の着信音でゆっくりと意識が浮上する。壁にかけてある時計の針は朝の六時を指していた。



「休みの日くらいゆっくり寝たいのに…」



そうぼやきながら手探りで枕元に置いた携帯を掴み画面を見れば、見慣れた名前が発信者として表示されていてすぐに応答をタップする。



「…もしもし、おはよぉ」

《はよ。わり、起こしたか》

「んー…ノクトこそ珍しく早起きじゃん」

《今逃したらもうすぐ城で集まりがあるから夜まで電話できなくなんだよ…めっちゃねみぃ》



電話越しの彼は早朝にも関わらずシャキッとしてて、そういえば早い時間から会議があるって前に聞いたなーなんてぼんやり思い出した。

彼はこの国の王子であり、高校時代の同級生であり、わたしの恋人だ。もちろんわたしはただの一般市民。出会えたのはノクトがわたし達一般市民が通う学校に通っていたからで、最初は王子って聞いてビックリしたけど…話してみればいたって普通の男子だった。

すぐに仲良くなって、わたしがノクトに恋心を抱いてしまうのにそう時間はかからなかった。

W一般市民のわたしが王子を好きになるなんてW

わたしはこの気持ちを誰にも打ち明けず無かったことにしようと努力したけど、そう簡単にいかなかったのはノクトのせいだった。



「オレ、なまえのこと好きだわ」



驚くほどさらっと告げられた一言は、何度も確認したけどわたしを異性として好いてくれていたものだった。殺しかけていたわたしの気持ちが嬉々と膨らむ反面、釣り合わないと首を横に振ったのに、ノクトは真面目な顔で「おまえもオレのこと好きなら何の問題もねーじゃん」と言ってのけた。

あれから数年、誰にも知られず、誰にも見られず、わたし達はこっそりと恋人関係を続けていた。
とても幸せで、許されるならば一生彼のそばにいたいと願った。夢のまた夢だけれど、いつかレギス陛下に認めてもらえたならと夢見ながら。



「で、どーしたの?」

《あー…この間言ってた、出発の日、だけど…》

「…うん」



電話の目的を聞いてみれば、言いづらそうに言葉を濁したノクトが少しだけ暗くなった声色で言った。

半年前くらいだろうか、ノクトと神凪のルナフレーナ様が正式に婚約したのは。
ノクトの口から聞いた時は頭が真っ白になった。でもよく考えれば当たり前の話で、なぜ今まで想像もしなかったのか不思議だった。
一国の王子がいつまでも独身でいられるはずがない。本人にその気がなくたってこういう話は進んでいくもの…いわゆるW政略結婚W。ノクトとルナフレーナ様がそうなのかは知らないけれど。

そして一ヶ月前くらいには、ノクトが結婚式のために短期間ルシスを旅立つ事も聞かされた。まだ日取りは決まっていないけど、と。



《今朝親父から知らされた。…明日、出発する》

「あ、明日?!」



その日がいつ来るのか、本当に来てしまうのか、言い難い気持ちのまま過ごしてきたけど、その宣告はあまりにも突然だった。
思わずベッドから飛び起きて意味もないけれどカレンダーを見る。明日なんて…



「どうしてそんな急に…」

《オレにも分かんねえ…ただ、明日出発しろって》



ノクトも動揺している事は電話越しでも声色で伝わってきている。
きっと王子の結婚なんて国中の市民は喜んでお祝いしなければいけない大ニュースなんだろうけど、わたしは不謹慎にも、婚約がなかった事になればいいのに…と思い続けてきた。

婚約が決まってからも、こうしてふたりの関係を続けていたと知られたら、間違いなくわたしは重い刑に処されるだろう。もしかするとノクトだってただじゃ済まないかもしれない。
それでもわたし達は、限りある時間を、期限つきの恋を大切にすると決めたんだ。
それがまさか、こんな急に終わりを迎えるなんて思わなかったけれど。



《なぁ、今夜会えるか?》



ーーーーーーーーーー



空も街も真っ暗な黒に染まった真夜中、いつもの公園で待ち合わせをした。もう半袖では肌寒い時期で、上着を羽織ってくれば良かったとぼんやり考えるけれど、ほとんど気を紛らわせる為に他事を考えているようなもので。



「…よっ」

「よっ」



暗闇から、真っ黒の髪を持つ彼がゆっくりと歩み寄ってくる。そのまま闇に溶けてわたしの前から消えて行くのかと思うと胸が苦しくなった。



「こんな急だと思ってなかった。…ごめん」

「ノクトは悪くないよ」



わたしの隣に座ったノクトはいつになく静かで。まるでこの公園に自分ひとりしか居ないみたいに静かだった。
いつもなら、人目を気にして日中はなかなか会えない分、こうして真夜中にこっそり会って、たくさん他愛のない話をした。



「この公園にもお世話になったよね、いつもわたし達を隠してくれてた」

「…だな。たまに人が来た時はマジ焦ったけど」



自然と、昔話をするように…思い出を話し始める。



「センセーが犬の散歩して通った時は隠れんの必死だったよな」

「あーそんな事あったね!こんな時間に散歩するなってノクト怒ってたよねー」



次から次に。



「あとお互い遅刻するタイミング一緒だったりな」

「あった、結果ちょうどいいやつね。あとさ、高校の時ノクトが落書きしたわたしの教科書、まだとってあるよ」

「はあ?捨てろよ、んなもん」



どんな些細な事でもわたし達にとっては大切なふたりの思い出で。
こうして話せるのも今日が最後か、なんて考えたくもなかったけど、一度頭に浮かんだら離れなくなってしまった。



「…今日で終わり、かぁ」



無意識のうちに声に出ていて、ついさっきまでふたりで笑っていたのに、公園はまた静かになってわたしの呟きも闇の中へ溶けていった。



「泣くなよ…」



ゆっくりと肩を抱き寄せられて、ノクトの腕に包まれる。気付かないフリでもしてくれればいいのに、なんて思ったけど、きっと優しいノクトのことだからそんな事できないかもね。



「…幸せにしてやれなくてごめん」

「何言ってんの、たくさん幸せにしてもらったよ」



いつ終わってしまうのか、ずっと毎日不安でいっぱいだった。
正直言うと、ありえない話だけどわたしも王族だったらとか…ノクトが王子じゃなくて一般市民だったなら…って考えた事もあった。
できることなら周りの友達のように、普通にデートして、結婚して、ノクトと家庭を築いていきたかった。

でも、…でもねノクト。



「わたしはノクトに出会えて幸せだったよ。後悔なんて1回もしたことない」

「なまえ…」

「今思うとこんなに何年も一緒に過ごせたのって奇跡だなって思うの。婚約ならもっと若くてもできるし、見つかってたらきっと会うことすらできなくなってただろうしね」



他の恋人と比べればたった数年かもしれない。もしかして数日も無理だったかもしれないし、あの時ノクトが言ってくれなければわたしの気持ちは無かったことになってたくらいなんだから。



「…全部、ノクトのおかげ。出会ってくれて、好きになってくれて、…わたしを愛してくれて、本当にありがとう」

「…っ…さっきまで泣いてたくせに…」

「今だって泣いてるもんねー。…ノクトも泣いてるじゃん、一緒…」

「うるせ…」



ノクトの涙、初めて見たかも。
これって結構レアなんじゃない?って茶化したかったけど、きっと照れて怒っちゃうからやめておこう。



「オレも、なまえと過ごしたことは絶対忘れねー」

「うん…ずっとわたし達だけの、大切な思い出ね」

「今までもこれからも、オレにはなまえだけだから。……ごめん、愛してる」

「…愛してるよ、ノクト…」



小さな真っ暗闇の公園で交わした涙味のキス。
これがノクトとの最後のキスだった。



ーーーーーーーーーー



《テネブラエで行われたノクティス王子とルナフレーナ様の結婚式は、参列した多くの国民に見守られ、各地で祝福されーーー》

「もー何回も聞いた!」



繰り返し同じフレーズばかりレポートする記者に一言ぶつけるとラジオのスイッチを乱雑に切る。

最後に公園で会ったあの夜が明けると、ノクトはルシスから旅立ちわたしの前から消えていった。見送ることはできなかった。というのも、そもそもわたしなんかが王子のお見送りに顔を出す事なんてできなくて、出発の朝はわたしと会う暇すらないみたいだったし…

彼は今、遠い国にいて、きっと近いうちに奥様を連れて帰ってくる。これだけ世界が祝福ムードに包まれるおめでたい事だ。たぶん帰ってきたらパレードで街をまわるかもしれない。それはそれは盛大に。



「…見に行けるかな」



会いたくないなんて微塵も思ってない。むしろ会いたくて会いたくて、あの腕に抱き締められたくて仕方ない。…けれどそれは、もう一生叶わなくて。

いつか…もう少し心の傷が癒えたなら、



「…心からおめでとうって、言いたいなぁ」



(どうか幸せになってください)



back top