”シアワセ”の定義。1

***

…昨日言うことを聞くって言ってしまったことによって、なんだか面倒なことになった。

目の前で瞼を閉じるその綺麗な顔に、思わず逃げ出したくなる。

いつもなら絶対にしないけれど。


「…っ、ふ…っ」


蒼の肩に手を置いて身を乗り出している俺は今、自分からその唇を塞いでいた。

本当に何をしてるんだと言いたい。

昨日は色々とおかしくなってたからできたわけで、蒼に自分からキスするのなんてほとんどない。
するとしても、よほどの危機が迫ったときだけだ。

腕を動かすたびに、じゃら、と音を奏でる鎖。こんな時でさえ、手首に枷がつけられている。

(……蒼がいつもそばにいるから、逃げられるわけないのに)


…――昨日、蒼は俺との会話を全部録音していたらしい。

まさか俺が言うことを聞くって言った声を録音されていたなんて知らず。
素直に従おうとしない俺に、蒼はもし約束を守らないなら俺の高校の時の友達に録音したヤツを全部聞かすと言った。

絶対にそんなの嫌だし、困る。
ほとんど覚えてないけど、人に聞かれたら色々やばいってことはわかる。

その時の蒼の目が本気で、怖さに震えた。

やめてくれ、と震える口で呟けば、「不安に怯える顔も可愛い」なんて言われた。

蒼の思考を俺が分かる日がくることなんてきっと永遠にないんだろう。

……何をしろと言われるのかとびくびくしていたけど、意外に蒼の要望は二つだけだった。

午前中は蒼を抱きしめて、ずっと一緒に二人で話すこと。
なんだか、すごく甘ったるいような雰囲気が苦しかった。

こんなことで、満足するのかと思っていたけど、蒼がいいならこれでいいんだろう…多分。

それでも、いつもみたいに無理やり犯されるよりはマシだったから苦痛ではなかった。

……なのに、やっぱり、

話して、これで終わり――なんて、そんなわけなくて。

夜になると「自分で俺のをいれて」というご命令だった。

(いれるって)

そういうことだよな…。

つまり、勃たせるところから始めないといけないわけで…。

血の気が引く。

もう何十回も、数えきれないほど蒼とはしたけど。

(……正直言って、自分から進んでこの行為をしたくない)

…というのが本音で。

それに、自分からするということを、今までしたことなくてどうすればいいかわからない。

反抗なんてできるはずもないから、
とりあえずいつも蒼が俺にやるように、真似してみる。

なんで好きでもない相手と自分はこんなことをしているのか、なんてそんなことはもう頭がおかしくなるくらい心の中で呟いた。

どうせ、どこにも逃げられないんだから。

そう考えることで無理矢理気持ちを落ち着かせようとした。

(…それに、俺には帰る場所なんてないし…、蒼の機嫌をできるだけ損ねないようにするしかない)

一生懸命に自分のできる技術を駆使して絡めていた舌を引っ込め、口を離す。唾液を拭って躊躇いがちに見上げると、先を促すように口角を上げる蒼に、ぐ、と唇を噛んだ。

その身体を押し倒して、蒼が着ている浴衣の紐を解いていく。
二人ともさっき風呂に入ったばっかりで浴衣だった。


「……っ、」


手が震えるせいで、うまく紐が解けない。
若干そんな自分に苛立ちながら、どうにか紐を解く。

後頭部を手で押さえて引き寄せられ、軽く額にキスされた。
睨み付けると、満足げに微笑む顔。


「まーくんに襲われる日が来るとは思わなかったな」なんて、震える俺を嘲笑うかのように意地悪げに微笑むその顔から、ふいと視線をそらす。

…俺だって、したくてこんなことしてるわけじゃない。
できることなら、今すぐにでもやめたいくらいだ。

そんなこと言えないけど、言えない代わりにその唇を強く塞ぐ。
舌を絡めようとすると、ふ、と目が優しくなって舌を差し出してくる。


「…っ、ん、」


なんで蒼の舌はいつも冷たいんだろう。
俺がただ熱いだけなのかな。

なんてどうでもいいようなことを考えて、今しようとしていることから少しでも意識をそらそうとしてみる。

浴衣をすこしでも退けると視界に入ってくる、男の自分からしても羨ましいほど整った身体から目をそらした。
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