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呆然としている間に惜しげもなくあっさりと離れていった手によって、支えを失った俺は顔から地面に落とされた。
砂とコンクリートのような小さくぼこぼこしたものが頬をずるりと強く擦ってじんじんと滲む。
痛い。痛いけど、そんなことを気にしてなんかいられない。
(…な、んで、)
青ざめる。
唇が恐怖に震える。
立ち上がる気配がして、靴が地面を踏む音が、どんどん遠ざかっていく。
なんでなんでなんでなんでなんで。
「…ま、…っ…」
「あ?」
地面に這いつくばって、かろうじで顔だけを動かして縋るように男がいるだろう方向に少し顔を動かした。
このまま、帰る…?
呼び止められたことが気に障ったのか、苛立ったような声が聞こえて、また殴られるかもしれないと身体が反射的に震える。
「…ご、は…は…」
ご飯は、とそう口に出そうとして言葉がでない。
ご飯だけじゃない、水だって欲しい。
むしろ、水のほうが何日も飲まないと、命にかかわる。
水をしばらく飲んでないせいでカラカラに乾いた喉で、喉に力を入れてやっと出る声。
何日経ったか、何時間たったかわからないぐらい放置されて、やっと…やっと来たと思ったのに。
顔を動かしたせいで頭から垂れてきた血が、目隠しに滲んで、口元に流れてくる。
熱くて、苦い鉄の味。
しかし、男はあっさりと俺の言葉を否定した。
「は?…んなモン、あるわけねーだろうが。予想外だったけど、お前見た目とは違って以外にしぶといんだな。全然弱ってねーじゃん」
「第一、俺が思ってたより会話が成立してるし」とあっけらかんに声は続けて、直後バタンと扉が閉まる音がする。
嘘だと思いたい。
現実に思考が追いつかない。
本当に、出て行ってしまった…?
「…ぉ…か…ぃ…で」
置いていかないで。
静寂の訪れた部屋の中で、扉の音が聞こえた方向に、手を伸ばす。
でも、手を持ち上げる力はなくて、かろうじで少し動いた程度だった。
次、男がいつくるかなんてわからない。
もしかしたら、来る前に死ぬかもしれない。
死を予感して、熱くなる瞼に…ふと気づく。
(ああ…そうか)
男が言いたかったのはこれかもしれない。
本当に死にそうなときは泣くことなんかできない。
話すことなんかできない。
そして、聞かれた言葉に対して正しい答えを返すこともできない。
冷たい床に横たわりながら、枯れた喉のせいで、声も出せずに涙を零す。
痛い。痛い。苦しい。寂しい。
「ぁ…、ぉ………ぃ」
蒼。蒼。蒼。
口の中に、目から溢れた涙に混じって、苦い鉄の味が怖いくらい多く広がっていく。
……その後、痛みに耐えきれなくなったのか、吐き気のするほどの頭痛が遠くなって、意識が消えた。
――――――――――――
本当は、蒼に会いに行くはずだったのに。
蒼と、会いたかったのに。
……俺は、どこでやり方を間違えてしまったんだろう。
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