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耳に届いた台詞に、ヒク、と熱い喉が勝手に痙攣した。
溢れ出るものに、息が…詰まりそうになる。
「…でも…俺は、まーくんに何度も酷いことをした。嫌われて当然のことをしたんだ」
自己を嫌悪するように、恨むように、ぽつりぽつりと紡がれる言葉。
…そんなことないって、いいたい。おれは、全然嫌いになんかならないって言いたい。
でも、今の自分が、そんなことを言えるはずもなくて、言って良いはずもなくて、
だけどこのまま聞かなかったことにしていいわけがないのに、おれの身体は凍り付いたように動けなかった。ただ、彼の言葉だけが耳を通して流れていく。
「なのに、今のまーくんは俺を怖がらないし、拒絶しない……あの頃のままのまーくんだったから」と吐息交じりに微笑んだ気配がして、ぎゅっと布団越しに身体に回された腕に力が籠められた。
「だから、今までのことが全部嘘みたいで、…泣いて嫌がられるような酷いことをしたのに、全部消えて、赦されたような気がして、」
「……」
「…でも、さっきまーくんが眠ってる間に鎖をつけて、触れて、…実感した。…嗚呼、やっぱりあっちが現実で、こっちが嘘なんだって…思い知らされた。これは俺が見たかった幸せな夢の中なんだろうなって、」
離さないようにと強く抱きしめてくる、震えた彼の身体が、…甘えるように、縋るように布越しに顔を埋めるようにしているだろう、掠れて弱々しい声が、怖いくらいに感情を刺激してくる。
そうして彼は、わかってる。そんなこと…わかってるけど、と続けて、
「お願いだから…全部忘れたまま、何も思い出さないで」
「…っ、」
そう、祈るように呟いた。
瞼を覆った拳が、ぴくり、と震える。
忘れたままでいてほしいと、彼は望んだ。
おれに、今のままでいてほしいと、彼は言った。
それが苦しいほどに伝わってきて、瞼も睫毛も震えて、涙腺が緩んでいく。
「どう、して…、思い出さなくていい、なんて…」
寝たふりをしなければいけなかったことなんか忘れて、口から零れた言葉。
その瞬間、ぎゅうっと縋るように抱き締めてくる力が強くなって
「…俺は、もう二度とまーくんを失いたくないんだ…っ」
「…ッ、」
切実に、強く泣き叫ぶような彼の声に、目を瞬く。
余裕なんて一切ない真剣な声に、ドクン、と胸が震えて締め付けられた。
「――――――っ、」
本気で、時が止まったのかと思った。
世界から彼の声以外が消えたような、そんな錯覚、
…そのくらい、びっくりして、嬉しくて、
「…、…っ、」
でも、実際には止まっているはずもなくて、ドクンッドクンッと煩いくらいに高鳴っている心臓をおさえつけるようにその上の浴衣をぎゅううと握る。
「…(…嗚呼、)」
熱くなる瞼に、零れる涙に、今度こそ溺れそうになった。
息をするために開いた唇が、怖いほどに震える。
聞き間違いなんかじゃない。
嘘なんかじゃない。
(…くーくんが、…おれを失いたくないって言ってくれた。)
切羽詰ったような声で、そう…言って、
「…っ、ぁ、」
心臓がぎゅーって縮んで、苦しい。
いつも思う。
どうして、そんなに優しくしてくれるんだろう。
どうして、おれがわがままいっても、殴ったり、拒絶したりしないんだろう。
どうして、そんなに一生懸命に全身で、おれのことを必要としてくれるんだろう。って
…家にいる時は、誰もおれのことを好きじゃなくて、いなくなってほしくて、…そのことがわかってたから、おれなんか死んじゃえばいいのにって、そればかり考えてたのに。
くーくんだけは、違った。
おれが何をしなくても傍にいてくれて、好きだって言ってくれて、抱きしめてくれて、優しく笑ってくれるから、
だから、…彼と出会って、世界の色が変わった。空気が変わった。形が変わった。
…今も、言ってくれたことが嬉しくて、涙が出るほど幸せで、どう考えてもおれの方がくーくんより沢山幸せをもらってる。
涙で溢れかえる瞼を、毛布に押し付けた。
「…っ、」
それに、
わかってる、
ちゃんと、わかってるんだよ、くーくん。
思い出さないで、…なんて、
そんな風に言わなくても、確認しなくても、わかってるから。
…彼は、おれが思い出さないことを望んでいる。知らないままでいることを願っている。だから、おれもくーくんが望むことを叶えてあげたい。
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