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◇◇◇
…――数十分前、
「ねぇ、モデルになってくれない?」
「…え」
…放課後。
それは突然だった。
さっきまでずっと二人で無心に定番のリンゴの絵を描いていたはずだったのに、何の予告もなくお誘いが投げられた。
サラサラと、キャンバスになぞらせていた黒鉛の動きが止まる。
そうして動きを止めると、今日は委員会やらなんかの用事やらで他には誰もいない教室はシーンと静まり返るわけで、
声の方を向けば、校内では女子に人気で綺麗な顔で有名だともっぱら噂の榊原先輩が目尻を下げて笑っていた。…オレと同じ世界に生きているはずなのに全然暑そうに見えない。むしろ涼し気な笑みを浮かべていた。
さっき言われた言葉と現実から目を逸らそうと「あー、そうっすねー」と棒読みでなんとなくその後ろに視線を避ける。
窓から外を見ると、少し陽が堕ちて世界は淡いオレンジ色に染まりかけていた。
しかし夕暮れ時になったといっても夏真っ只中という時期のせいで、息を吸えば熱くてじめじめとした空気が肺に入ってくる。
じっとりと汗は首筋を濡らしていて、少し気持ちが悪い。
流石にもう学ランの上のやつ…なんだっけ名前…忘れたけど、それを着る季節じゃないから、上はカッターシャツの半袖だった。
「……」
「で、どう?モデルやってくれる?」
二回目の要求。
聞こえないふりをしていたかったのに、そんなのは許さないというように唇の端に何か企んでるような笑みを浮かべながら答えを待っている先輩を見て、ぐぐぐと眉を寄せる。
二度言われてもその言葉がどうにも幻聴な気がしてならない。…というか、そうだと思いたかった。
「…えーっと、」
今の言葉を何とかして処理しようと脳をフル回転しすぎて、言葉に詰まる。
結果的に見つめ合うことになってしまった視線を逸らして、ズキズキと痛んだような錯覚に陥ったこめかみをコンコンと鉛筆の痛くない方でつついてみた。
…早急な判断はよろしくない。もう一回、聞いてみよう。
「モデル、って何の、」と聞けば「絵の」と端的な答え。
…おお、即答。しかも分かりやすい。オレの耳が衰えたわけではなかったらしい。
言われた意味は分かった。
…理解はできた…んだけど、
でも、
「オレ、先輩のモデルになる程整ってないと思いますけど」
「いいのいいの。俺が瀬田を描きたいだけだから」
お願い、と全く頼んではいない顔。
つーか、むしろこっちが受け入れるの前提みたいな顔でこっちみるのやめてほしい。
…これだから普段から色んな人間にお願いすれば何でもしてもらえる人間は嫌なんだ。
「…あー、なら、」
全然納得してないしオレで本当にモデルの代わりになるのかわかんないけど、(なんないと思うし、むしろ榊原先輩なら自分を鏡に映して描いた方がごにょごにょ…)、もう考えるのも面倒くさくなったので、とりあえず
わかりました、と頷いた。
怠い腰を椅子から上げて、さてどうしようと思案していると目の前に手で掴んで運ばれてくる丸椅子。
「ここに座って」
「え、ここでいいんすか?」
こんな自由で普通な感じでいいんだろうか。
相手が美術で受賞しまくっている人間なだけに、不安と緊張が混ざりあう。
ドサっと雑にそこに座って、キャンバスの方に戻っていった先輩の視線が不意にこっちを向いて、む、と怪訝な表情を作った。
「んー…なんか足りない」
「まー、一応先輩の要望通りにするんで、何でも言って下さい」
「……じゃあ、軽く脚立ててみるとか」
…この小さな丸椅子の上で?
じーっと半径の大きさ的に座るだけしかできなさそうで、むしろ脚立てる余裕なんかなさそうなんだけど…いや、どうみても厳しい。
仕方ないな、と筋力を振り絞ってほとんど空気椅子みたいな感じで椅子に乗っけられてない脚を抱えながらこれでいいだろ、と顔をあげると……何故だ。まだ全然納得してなさそうな顔。
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