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地面を踏みしめているはずの足も、肩にかけている学生鞄も、…すべてが遠くて、現実味がなくて、全身の神経が余すところなく麻痺しているようだった。


(…そうじゃ、ない)


やっと、のろのろと思考が、動きだす。

違う。そうじゃない。

俺が最初に聞くべきことは、普通なら、相手の素性であってはいけなかったのに。



「――おかえり。雅之クン」

「…っ、」



ふわり、

…そんな風に、思わずこっちが目を見張るほど優美に瞳を細めてあでやかに微笑む【  】。


はじめて”それ”が発した言葉は、まるで今ここに訪れた俺を歓迎しているかのような台詞で、


「…(おかえり…、)」


聞きなれない、…むしろ寒気がするほどの単語に、自然と眉根が寄る。

そのせいで、なんで俺の名前を知ってるのか、なんてそんな当たり前の疑問をいだく余裕もなかった。

………夜なのに電気のついていない玄関。

それに加えて少し襟足の長い髪は黒髪で
そしてすらっとした長身さえも真っ黒なパーカーとズボンに覆われている。

だから、顔や首筋、衣服から覗く肌だけがぼんやりと浮かび上がっているようにその白さがわかるぐらいで、驚くほど夜の闇に溶け込んでいた。

…そんななか、俺の後ろから零れてくる電灯の光によってかろうじで真っ黒に染まっている男の存在を認識することができていた。



「…こんな場面を見ても、相変わらず君の無表情は崩れないんだね」

「……」

「まぁ、そこも可愛いんだけど」



男はくす、と可笑しそうに笑みを零し、手首を軽く振る。
大人びた顔とは対照的に、やけに子どもっぽい動作。


けれど、振り払われた物からとんだ飛沫が床にぶつかった瞬間、…びちゃっ、と粘ついた音が鳴って、

…そのあまりにも幼い行動との音の不一致さに思わず顔を顰めた。



「ねぇ、雅之君。俺がなんでここにいるのか…わかる?」



左手にそれを持ったまま、軽い動作で靴を履いたままの俺のところへ降りてくる。
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