赤い靴はリボンが切れた


――見抜かれた。
その時点で、逃げられないことは決まりかけていたのだろう。

私・**はとある高校のクラスの副担任で、彼・ミネルヴァ先生はそのクラスの担任。教師としては後輩の私が、片想いをしているだけ――それだけで、済めばよかったのに。
どうしてこうなってしまったのだろうと考えても考えても、答えは現れてくれない。何より彼は私達のクラスの委員長・エマちゃんが好きだった、はず。それなのに、やけに私に構うのは彼女が別方向を向いているから、あるいは。

『君は、僕をどんな目で見ているのかな』

そう聞かれた日から、私はナイフを当てられているも同然だった。
その刃が向けられるのは喉か、それとも、心臓か。

***

仕事を済ませた後、最寄り駅前のコンビニのイートインスペースで、カフェオレを飲みながらノートパソコンで書類を打ち込む。ここから夜景が見えることは知らなかった。
そこで終われば、あとはいつも通り夕食を済ませて電車に乗るような、何も変わらない生活が待っている。変わることは夕食が外食か、それともスーパーマーケットの弁当かということと、乗る予定の電車が終電より少し早いこと。
そうなる、はずだった。

「あれ…君は、」
「…ミネルヴァ先生?」

空いていたはずの隣の席にいたのは、私のクラスの担任だった。しかも、飲んでいるのも同じもの。
――ああそうか、今日は早めに授業が終わっていたからか。
同じ学校に勤める身なのだから、ここで鉢合わせても何ら不思議ではないだろう。と、私は頭の中でそう結論を出した。

「君も好きなの、それ」
「いや…私は何も知らなくて、」

私はずっと、地元では勉強一筋だった。だから、都会のことはあまり知らなかった。このカフェオレだって、安いからと店員に案内されながら購入したものだ。

「そっか。学校はもう慣れたかな」
「はい…割と。まだ新任なので、覚えることばかりで苦労してますけど…」
「君の苦労は知ってるよ。それに、君が頑張ってることもね。…何かあったら言うんだよ?」
「…そうします、」

このひとは、穏やかで優しくて。
担任だからといって、それに甘えてはいけないと警鐘が鳴っていた。

「夕食は、どうするの?」
「あ…この後スーパーで購入しようかなと、」
「時間が空いてる、ってことでいいの?」

それは――何かの誘い、だろうか。
確かに、今日は洗濯物も特に回してないので、帰ったあとは書類を整理して、歯を磨いて風呂に入ってメイクを落として、寝巻きに着替えて寝るだけ。――なのだが。
何故、先生は私にそれを訊くのか――私は何も、知らなかった。

「特に予定はないのですが、それが何か…」
「それなら…僕と一緒においで?」
「…待ってください、」

幾ら好意を寄せていたひとからとはいえ、流石にここまで来られるとは思わなかった。
だから、私は断ろうとした。
それなのに。

「それ飲み終わったら、コンビニで夕食奢ってあげるね?」
「…悪いです、そんな。どうお礼を返したらいいか、」
「いいの、僕が望んでることなんだから」

頭を撫でられて、誤魔化されてしまった。
仕方なく、これが良いと希望を述べて、それを彼の手で叶えてもらう。
イートインスペースに戻ろうとはしていなかった。それなら――

「…どこで食べるというんですか、」
「今から案内するからね、」

そう言われて、たどり着いたのは駅前の――ホテル、なのか。彼は慣れた様子で手続きを済ませ、鍵を持って戻ってきた。
別の部屋に入り、先程のコンビニの夕食を食べて、取り替える下着もないまま風呂を済ませても、その先は何も知らない。
そんな私をベッドの上に座らせて、先生はこう言った。

「何も知らない清純そうなとこ…エマに似てるね、」
「…どうして、」

何故、そこで彼女の名前が出てくるのか。
先生と生徒では付き合えないからか。彼女は別の人を好きだからなのか。
その前に、何故私がこの場にいるのか。

「…何が怖いの?」
「だって…私、どうしてここにいるのかわからなくて、」
「それでも大丈夫、先生が全部教えてあげるからね、」

また、頭を撫でられる。
大丈夫だからと何度も繰り返し言い聞かされれば、抵抗なんて考えは抜け落ちてしまう。
彼が自分のことを先生と言うのは、基本的に生徒の前だけ。私の前でそうするということは――これから私は、エマちゃんの代わりにされるのだろうか。確かに、彼女みたいな純粋な子に色々教えて染め上げるのを彼は好みそうではあるが。
たとえ身代わりでもいいと、考え始めている自分がいる。それに気づいた時にはもう捕まっているのかもしれない。
捕まったが最後、絶対に逃げられないことくらいは自分でも知っていた。

***

すっかり追い詰められた私は、せんせい、せんせいとうわ言のように呼び続ける。

「まだ、逃げようと思ってる?」
「…いえ、」
「逃げるような悪い子には、構ってあげない」

目の前が、霞んでしまう。
このまま私を見てくれなくなってしまったら、どうしよう。
そう焦るところに、「先生は、お利口さんが好きだなー」と追い打ちをかけられる。
あくまでも私の意思だと、そう言っているのかもしれない。

捨てられるなんて、そんなのは嫌だ。
私だけを見て、などという我儘は言わないけれど、出来るだけ長く側に置いてほしい。

「逃げないから…っ、捨てる以外なら何でもしていいから…」
「ん、どうしたの?」
「だから、捨てないでください…ずっと、側に置いてください…っ!」
「…いいよ。ずっとは無理だけど、側に置いてあげる」
「せんせい、」
「君が、いい子にしてたらね?」

いつの間にか、逃げ場なんてなくなっていた。

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