03
おもいで
待ち合わせ場所に指定した駅前。
そろそろかと周りを伺うと、慌てて走ってくる恋人の**の姿が見える。
「遅れちゃってごめんね。私が忘れっぽいせいだよね、」
「構わない。むしろ俺の方こそ、初めから迎えに行けばよかったな」
**は自分を『忘れっぽい』と称するが、その言葉はどこかしっくりこない。
彼女は去年の大規模侵攻で近界民から逃げようとした際に頭を強く打ってしまい、それ以降の新しい物事を覚えることができなくなってしまったのだ。幸い俺とはその前からの付き合いだったからか、俺のことをちゃんと覚えてはいるようだった。
「今日はこれからカフェの予定なんだが、大丈夫そうか?」
「鋼くんがいれば、私はどこでも行くよ」
**自身は覚えていないが、今日は彼女が行きたいと望んでいた新しいカフェに行く日だ。もちろん昨日カタログを見ながらそこに行きたいと言ったことも彼女自身は覚えていないだろうから、俺がきちんとメモをして管理しなければならない。例えば行き先で知らない誰かに声をかけられ、そのまま約束を放り出して別の場所に行かれでもされたらたまったものじゃない。
そんな彼女に付き合っていけるのは、人より物を覚えていられる俺くらいのものだろう。実際彼女は『人より覚えられるなんてずるい』や『周りの努力を盗んでる』などとは決して言わないし、むしろ『私の代わりに覚えててくれてありがとう』とまで言ってくれるのだ。夜眠るとその日の出来事を全て忘れてしまう彼女にとっては、寝ている間の記憶の定着力が異常に高い俺は自分とは真逆の存在なのかもしれない。
「撮るぞ、」
スマホのカメラを起動し、**が範囲に映り込んだのを確認してシャッターを切る。これは大規模侵攻の前から続けていることで、ボーダーの仕事で長く彼女といられない代わりに、出かけるたびに俺のスマホで必ず写真を撮ることにしているのだ。侵攻の後からは、家に帰ってから俺がプリントアウトしてそれを共有で使っている日記帳に貼り付けるという習慣が加わった。
だから彼女とのデートは撮影許可が下りている場所にしか行かないし、今日のカフェに着いた後にもまた写真を撮る予定だ。映えだとかなんだとかはどうでもよくて、あくまでも俺と**のためだけの記録なのだ。
「**、どれにする?」
「じゃあ、この苺の限定の!」
「わかった。俺は普通にコーヒーでいいから」
昨日カタログで見たものと同じ、限定メニューを指差す彼女。
そういえば、この間出かけた時も似たようなものを頼んでいた。それで飽きないのかとも訊きたくなるが、記憶が残らない分彼女にはその日の間に目に映る全てが新鮮に映るのだろう。
実際カフェを出た後も荒船に勧められた映画を観たり、カゲの店で夕食を食べたりと半日中一緒にいたが、彼女はどこに行っても何をしてもずっと楽しそうにしていた。
そして、午後8時を回った頃。
そろそろ家に帰ろうという時間だ。
「鋼くん、今日はありがとうね」
「ああ。楽しかったか?」
「それはもうとっても!でも……」
**が、どこか名残惜しそうに俺の袖を摘む。
何かあったのかと彼女の方を見れば、さっきまで明るかった表情はすっかり曇ってしまっていた。
「今日の楽しかったことも、眠れば全部忘れちゃうんだよね……」
まただ。
別れ際の彼女は、いつもそう。
記憶がなくなっても今までの経験が全部なかったことになるわけではないのに、彼女はその全てがなくなってしまうかのように悲観してしまうのだ。
「それでもいい、**が忘れても」
「鋼、くん……?」
「俺が、ちゃんとお前の分まで覚えていてやる」
頭を撫でながらそう言えば、**は泣きながら俺に抱きついてきた。
そうだ。この言葉に、嘘偽りなんてどこにもない。
たとえいつか彼女が俺のことを忘れてしまおうと俺は彼女のことをずっと覚えているし、どこまでも付き合い続ける。何度『初めまして』からのやり直しを繰り返すことになっても構わない。だって、俺のサイドエフェクトは**を隣で支えるためにあるのだから。
「ありがと、私も……」
「**?」
「私も、何度でも鋼くんのこと、好きになるから……っ、」
潤んだ瞳を向けながらそう告げてきたものだから、俺ももらい泣きしてしまって。
涙でぐちゃぐちゃになった顔のまま、俺と**はまた新しい思い出を刻んだ。
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