1 はじまり



四月初旬。桜舞い、春の陽気が心地よいこの季節。
今日はここ、神奈川県の名門校である私立立海大附属中学校の入学式が行われる日である。
まだ着慣れていないぶかぶかの制服を身に纏った新入生たちは、新しい生活への期待と不安を胸に、『○○年 私立立海大附属中学校入学式』の文字が眩しい立て看板を横目に、正門を過ぎて行っていた。
湊桜華もその一人。今日からこの立海大附属中学校へと入学する。


「今日から中学生か…。ずっと憧れてた立海大附属。頑張って入ったんだから、思いっきり楽しい学生生活を送りたい…けど、やっぱり緊張するなあ…」


桜華は正門を過ぎたところで立ち止まり、緊張で張り裂けそうな胸を手で押さえていた。


「……でも、そんなこと言ってられないか。始まったんだし、今日から頑張る!」


そう呟くと、桜華は一人小さくガッツポーズをし、そのまま掲示板で自分のクラスを確認し教室へと足を踏み入れた。


「1−B……ここが私のクラスか。えっと……ああ、自由席なんだ。どうしようかな……」


教室に入ると、黒板には『来た人から自由に着席しておくように』と、綺麗な文字で書かれていた。
数人の生徒は既に着席していたので、桜華も適当に席を選びそこに腰をおろした。


「(とりあえずは一番後ろでいいよね。はあ……意気込んだもののやっぱり緊張する。まだ女子は少ないなあ……)」


教室を見渡すと早速友達を作っている者もおり、少人数ではあるが男子はグループが出来上がっていた。
女子はというと、まだ3,4人しかおらず、皆一人そわそわしていた。
未だ様子見という感じだ。
そんなクラスの雰囲気に、桜華もこのまま少し様子を見ようかどうしようか、考えていた。


「(声を掛けようか、どうしようか……)うーん……」

「ねえ、隣の席に座ってもいいかな?」


桜華が唸っていると、横から透き通った中性的な綺麗な声が聞こえてきた。
声の聞こえた方を見る前に、もしかして女の子かな!?なんて期待した桜華は、慌てて着席を促した。


「どうぞ、私なんかの隣でよければ……!」

「ありがとう、じゃあ遠慮なく。なんだか自由席って言われると迷っちゃうよね」

「うん、分かる……!私も最初迷っちゃって……」

「同じだね?俺も迷ったんだけどさ、君がなんだか一人でうーんって唸ってるの見て、面白いなって思ってここにしたよ」

「(何それ恥ずかしいなあ……!)」


綺麗な声をしていたのは、緩やかにウェーブしている藍色の髪の毛が印象的な彼。
唸っているのを見られてしまった事に顔を真っ赤にしていた桜華だが、その少年をよく見て思わず驚いた。


「(う、うわあ……めちゃくちゃ綺麗……。でもズボン穿いてるから男の子だよね……?……私より全然美人だ……)」


そう、綺麗なのは声だけではなかった。
顔も端整に整っており、少年というよりは少女といった方がよく似合う顔立ちだった。


「(でも男の子にそんな事言ったらきっと怒られちゃうよね)」

「ねえ、君の名前、何て言うの?」


あまりにも綺麗な顔に思わず見惚れていた桜華は、少年の質問に慌てて答えた。


「私は湊桜華っていいます!神奈川第二小学校から来ました。よろしくお願いします。」

「湊さんって言うんだね。同い年だし、敬語は使わなくていいよ?あ、俺の名前は幸村精市。南湘南小学校からだよ。こちらこそよろしくね」


綺麗な少年…改め幸村精市は、自己紹介を終えると、桜華に手を差し出した。
彼女もその手を握り、ゆっくりと握手をした。


「幸村君は、どうして立海に来たの?」

「俺は、立海にテニスをしに来たんだ。知ってる?ここのテニス部が凄く強い事」

「うん、テニス部は有名だよね!入学説明会でも校長先生が言ってた。……ってことは、幸村君はテニス出来るんだ?」

「まあね。この立海テニス部を自分達の手で全国一にする、それが俺の今の夢」

「すごい……もうそんなことまで考えてるんだ!」


桜華はまた幸村に驚き、そして少し心を曇らせた。
自分と同じ様に学生生活を楽しむと言うそんな大まかな目標ではなく、『全国一』というはっきりとした到達点を見出している幸村が羨ましくて。
同時になんだか自分が情けないような気がして。
まだ入学式さえ始ってないというのに、みんな同じスタートだと思っていたのに、そんな考えは甘かった。
ちゃんとした目標がある人というのは、何倍も先に行っているのである。
その事をいきなり思い知らされた桜華は落胆しつつも、無理矢理彼に笑顔を向けた。


「頑張ってね幸村君!私、応援してるから!」

「湊さんも、すぐにきちんとした目標が見つかるよ。大丈夫、焦る事なんかないさ。だからそんな無理に笑わなくてもいいよ?……ね?」

「!?(どうして分かったの!?)」


全てを見透かされた。そんな気がした。
桜華は、幸村に言われたことに驚きつつも、その言葉にほっとした。
さっきまでの自分が嘘の様に、今は自然に笑える気がした。
幸村の言葉にはそんな不思議な力があるみたいに。


「ありがとう、幸村君。私頑張るよ!絶対何かやりたい事見つける!それで、幸村君にも教えるっ!その時は応援してね?」


今度はちゃんと笑えた桜華に、幸村は優しく微笑み返した。


「やっぱり、そうやって素直に笑う方が可愛いよ。あ、もちろん湊さんのやりたい事決まったら応援するからね」

「可愛いなんて幸村君、恥ずかしいよっ……!」

「え?」

「(天然のタラシだ……!!)」


幸村の甘い?一言に顔を真っ赤にし俯いた桜華は、教室に先生が入ってきた事に気づき、慌てて前を向いた。
幸村と話して気づかなかったが、もうクラスには人がいっぱいになっていた。


「皆、今日は入学おめでとう。入学式が始まるので今から体育館へと入場します。呼ばれた者から廊下に並んで下さい」


先生が次々と名前を呼んでいく。
男子が先に呼ばれ、男子の中では最後の方に幸村も呼ばれた。


「じゃあ、またあとで湊さん」

「うん、またあとで!」


こうし女子も並ばされて、そのまま体育館へと入場した。
体育館の中には上級生や、今日を心待ちにしていた保護者達が拍手で新入生を迎えていた。
各々がその視線に緊張し、そわそわと頭を動かし、落ち着かない様子だった。
その中でも桜華はまっすぐ前を見つめ、緊張のかけらも感じさせない雰囲気だった。


(もう、大丈夫)


さっきの幸村の一言を思い出すだけで、桜華は緊張がすうっと消えていく様な気がした。


(幸村君には絶対不思議な力がある気がする……!)


そんな事を考えながら、桜華は用意された椅子に腰をおろした。


入学式は、予定通り進められていた。
上級生達による校歌斉唱、国歌斉唱、学長の長い話や、各クラスの担任の紹介。
そして、いよいよ新入生代表挨拶の時となった。


(新入生代表って確か……?)


桜華がある人物を思い描いていると、進行役の先生が「新入生代表、1−A、柳蓮二君」とマイク越しに大きな声でそう呼んだ。


「はい」


名前を呼ばれた新入生代表の柳蓮二は、おかっぱ頭で華奢な体つきの男子。
ゆっくりと舞台へと上がっていくその姿を見て、桜華は「蓮二、やっぱりすごいなあ」と声を漏らした。


「新入生代表の子、知ってるんだ」


前を見ていた桜華は、本日二度目、横から声をかけられ慌てつつも小さな声で答えた。


「うん、小学校が同じだったんだ。卒業式の日に代表の挨拶するって聞いてて!」

「そうなんだ!あ、私は悠樹理央。理央でいいよ」

「私は湊桜華。私も桜華でいいよ」

「ふふ、やっと友達が出来た!嬉しいな。これからよろしくね桜華」

「うん、こちらこそよろしく。私も女の子のお友達が出来て嬉しい!」


まだ代表の挨拶の途中、小声で話していた二人。
幸い、教師達には気づかれていない様だ。
その後も二人で雑談をしているといつの間にか入学式は終わり、退場する時間となっていた。


「入学式長かったね〜」

「でも後半はずっと桜華と話してたし、楽しかったよ!」

「うん、私も!」

「ねえ後で連絡先教えてね!」

「もちろん!」


体育館を退場した瞬間から列は崩れ、皆思い思いに出来たばかりの新しい友達と話していた。
そうしているうちに元の1−Bの教室に到着し、またも自由席で座る事となった。
ただ今度の自由席は、右が女子、左が男子という、列の中での自由席だった。


「湊さん、入学式お疲れ様」

「あ、幸村君お疲れ様!なかなか長かったね」

「ふふ、そうだね?湊さん寝たりしなかった?」

「し、してないよ……!」

「冗談冗談。ねえ、また横に座ってもいいかな?」

「もちろん、どうぞ!幸村君ともっとお話ししたかったから嬉しい!」

「よかった。ありがとう」


幸村は、ゆっくりと桜華の横の席に座る。
そんな光景を、桜華の前の席に座りながらもこちらを向いていた理央はにやにやしながら眺めていた。


「桜華、早速男の子と仲良くなってたなんて隅に置けないんだから」

「えっ、いや、そういうんじゃなくてっ……!」

「まあまあ。あ、こんにちは、桜華とさっき友達になった悠樹理央です。よろしく」

「幸村精市だ。よろしく」


二人が自己紹介を終えたと同時に担任の先生が入ってきたため、理央は「やばっ」と言いつつ前を向き、明日からの説明を聞いていた。


「もう明日から早速授業か……しかも六限までみっちり!大変そうだなあ……」

「流石文武両道を掲げているだけあるね。一時も惜しいって事かな」


担任の話によると、明日から授業があること。
それに関するプリント、主にこれからの時間割や持ち物などが書かれたものが配られた。


「うわー……いきなり大変そう!これがこれから毎日……うう、ついていけるかすっごく心配になってきた……!」

「ふふ、桜華さん、弱音を吐いてるばっかりじゃ始まらないよ?頑張るんでしょ?」

「あ……うん、そうだった!ありがとう幸村君っ!」

「いいよ、お互い明日から頑張ろうね」

「うん!」


担任の話は思いの他あっと言う間に終わり、もう今日は帰ってもいいと告げられた。
入学式だけだったというのに、桜華にはどっと疲れが押し寄せていた。


「(今日は本当に疲れたなあ……)」

「桜華、一緒に帰ろう!」

「うん、いいよ!幸村君はどうする?」

「俺はちょっと行くところがあるから、ここでお別れかな」

「そっか……じゃあまた明日ね!……あ、その……今日は色々ありがとう、幸村君のおかげで元気出たよ!入学して最初に幸村君とお友達になれてよかった!」

「俺も、湊さんと友達になれて嬉しいよ。入学式だけだったとはいえ疲れてるだろうから、気をつけて帰ってね?」

「幸村君も!じゃあね、ばいばい!」

「うん、また明日」



こうして、長い一日が終了した。
様々な出会いや出来事を期待しつつ、これからこの立海大附属中学校で、それぞれの新しい生活が始まる。




(明日はどんなことがあるかなあ……うん、楽しみ!……それにしても幸村君、本当に綺麗でびっくり。蓮二もなかなかの美人さんだけど……ってあれ?蓮二も確かテニス……)
(湊さん、か……。入学して早々、面白い子見つけちゃった。明日からまた楽しくなりそうだ)




あとがき

全てはここからスタートしました。
どうぞよろしければお付き合いくださいませ。