生まれながらにしてその個人を人間であると定めるのは誰だ。親か?己か?仮に後者だとして、人間が確立した「自我」を得るのは出生よりも多くの時を得ての状態となる。ならばやはり前者の親そのものか?しかし、日本には古来より異種婚姻譚というものが存在している。その多くが人の胎から人ではない別の化け物が生まれる話であることが多い。その時、親は何をもってして己の子を人か人でないかを判断するのだろう。
 この方向からアプローチをしてみよう。個人を人間だと判断するものは何だ。外見か?中身か?皮の下におさめられた「何か」など他人が完全に理解するなど不可能だ。ならば己が自分を人間だと判断すればそれは人間となり得るのであろうか。脳のバグで自己を本来と乖離した存在と認識してしまったソレもまた人間と呼べるか?見た目がそうであれば、おそらく他人はそれを「人間」と判断するのだろう。人型の生命体であると言うならば、例えば、そう例えばの話。
 人の皮を被った化け物が居たとして、自分のことを自覚しており、しかし人間であるように振舞っているとして、その存在のことを、人間だと呼べるのだろうか。

 自分について理解したのはおよそ母の胎のなかでのことだ。何も見えない暗闇の中で、ぼくは自分という存在を自覚した。これからぼくは生まれおち、息付く。生命に満たない何かだったその微小な時から何もかもを理解し、そして目がくらむような光に包まれ促されるようにして泣き出したあの日から、ぼくは「人間」と定められた。
 知らぬ間に神の子を孕んだ人間の女はぼくを包む外面を作り出した母体であり、その夫である人間の男はぼくの父を名乗るただの赤の他人である。しかし何も知らない2人はぼくに名前をつけ、慈しみ、ひとつも疑うことなく愛を注いだ。ぼくは人ではないので感情というものが分からない。大した表情の変化もなく戸惑うだけの可愛げのない子供だろうに、夫婦は笑ってぼくの名前を呼ぶ。その度に、ぼくは無いはずの心が叫ぶのを感じる。このふたりの子供になりたい、人になりたい、愛を知りたい、みんなと同じになりたい。
 しかし、それはただの虚像だ。人に囲まれて過ごしたが故の錯覚、つまり勘違いでしかない。ぼくに感情はなく、ぼくは神の戯れと事故によって生まれてしまった神の破片。人間と相入れることもなく、正体を隠してひっそりと生きていく。叫ぶ心など存在しない。思う心などありはしない。
 そんなことを考えていた出生より十五年後、ぼくは夢の中で眠る我が神と邂逅を果たした。宮殿で眠り続けるアザトース。なんの奇跡が起きたのか、この大神の欠片が母の腹に宿りぼくが生まれた。その証拠に、ぼくは眠ることができない。既に眠るものが改めて眠りに落ちるわけがないからだ。ぼくは十五年間、一度だって寝てない。それなのに眠気というものを感じたことがなければ、それにより何か悪影響があった訳でもない。本当の人間ならばありえないことが、何よりもぼくを人間ではないと証左する。
 神は何も言わない。眠り続けるからだ。ぼくの耳に入ってくるのはただひたすらに鳴り響く音楽のみ。ずっと聞いていると気が狂ってしまいそうで、けれどぼくはその狂う「気」すら持ってないと痛感する。どこまで行ってもぼくはぼくだ。何故ここに来てしまったんだろう、と思い、そこで己の思考の矛盾に笑い出したくなった。否、泣きたくなったのかもしれない。憤りたくなったのかもしれない。この言葉の全てはぼくがこうあるべきだと割り振った感情の名前に過ぎず、本当は何も感じていないのかもしれなかった。人のふりをした化け物のぼくが「ここに来なければ化け物だと痛感することもなかったのに」だなんて、咄嗟に考えたことがこの世で一番醜い思考だ。そうか、ぼくはあの2人の子供でありたかったのか。
 それを理解した瞬間、隣から笑い声が響いた。もちろんその影を分かってはいたが、改めてそのまま目を向ける。そこに在ってそこに無い、黒く不気味な何かが肩らしきところを揺らして笑う。人になりたい、だなんて。その声はぼくでありぼくではない。このモノの声でありそうではない。
「己を私と自覚しながら、それでも人であることを望むのか」
 そう、この化け物はぼくだ。ぼくは私だ。どこかのだれかが名付けた呼び名はナイアーラトテップと言う記号。ニャルラトホテプと呼ばれることもある。アザトースの知性の具現であるその存在の、ひとつの貌。愚かで醜く卑しく可哀想で脆弱で卑小な人間とは違う。もっと醜くて醜くて醜い何かがぼく。
 人であることを望んでいるのだろうか。なるほど、ぼくは感情が無いんじゃなくて、感情を自覚できないらしい。ぼくはぼくの心臓の動き方がわからない。べつに言わなくても通じているが、言葉に出してそう伝える。また可笑しそうに笑う私は、手元のフルートを撫でながらちらりとこちらを見た。無論、目はないので雰囲気で、だけど。
「人の真似事なんて面白いことをしないでくれよ。そのまま人の皮なんて食い破って出てきて、本性を出せばとても愉しいに違いないよ?」
「そうかもしれない。でも、ぼくはあの2人の子供になりたいらしい」
「無理だとも!子供の親は生まれた時に決まる!私は我が君より生まれたメッセンジャー。ぼくはたまたま生まれ方が人の腹だっただけさ」
 理解しているとも。心の底から。心があるかは知らないけれど、ぼくは骨の髄までそれを理解している。自分の大きなバグに混乱しているのは私だけじゃない。見上げた先の王は今も尚眠る。従者のフルートは鳴り止まない。変わらぬ不変のこの空間で、ぼくだけがひとつだけ異質だった。
 蟻ごときに意識を持っていかれたぼくを、ニャルラトホテプは認めない。人になりたいなんてこのぼくが思うなんて有り得ない。だから、ぼくはニャルラトホテプじゃない。世界の全てを知り得た脳を定期的に初期化して、家にいる人間の笑い方を真似して、空間を弄らず足で移動して、魔術なんてひとつも使わない。不便で不利で不可解。そんな生活を、ぼくは感情もなく過ごしていきたい。これが望みなのかと問われるならば、ぼくはそうだと答えよう。呆れたような思念が送られてくる中、目の前にフルートが浮く。それを拒んで踵を返し、何も無い虚空へと足を踏み出した。
 帰ろう。母さんがもうすぐ味噌汁の匂いと共に起床を呼びかけてくれるはずだ。父さんは新聞を読みながらネクタイを締めて、やれ今日は残業だやれ帰りにコンビニスイーツ買ってきてあげるから起きててねだと伝えてくるだろう。ぼくは意味無く閉じていた瞼を上げ、如何にも今の今まで寝ていたように振る舞い、遅いと寝ちゃうから仕事頑張って早く帰ってきてねと冗談を宣い、慌てたように飛び出ていく父さんに向けて、2人から学んだ笑顔を浮かべて母さんと共に声をかけるだろう。
「行ってらっしゃい」
 ぼくは人間だ。誰がなんと言おうと、本当の中身が何であろうと、ぼくがぼくを人であると断じる限りぼくは人である。