今日はついていない日だった。
っていうのも、大事な大事な人の約束が土壇場でキャンセルされてしまったから。それだけ最高潮に気は落ち込むし、こういう時に限っていいことがない。大雨が降っているせいで廊下が滑ってるせいで転んで尻餅ついちゃったし。食事には嫌いな野菜がいっぱい並べられていたし、湿気のせいで癖っ毛も絶好調。くまのぬいぐるみのお腹に顔を埋めて、うんざりした気持ちを吐き出すみたいにため息をついた。


「なんかもうボロボロ。今日はダメな日ですね。あーちゃんと会えないとかダメもう寂しいむり」


審神者なんてやっていると、友達や家族よりも、刀剣男士と一緒にいることの方が多くなるもの。それが嫌ってことじゃない。適正があるなんて言われて審神者として働きはじめて、そりゃあ、最初はいろいろと思うところもあった。だっていきなり時間遡行群や歴史修正主義者?と戦えとか、戦う手段が刀剣の付喪神ーー刀剣男士を呼び出して、って、いやいや、普通にわかんないよ。きょとんとするって。頭ついていかない。本っ当に頭こんがらがってた。わけわかんないまま、わけわかんなりにアレコレ進めていって。ホームシックになる暇もないくらい忙しなくてさ。

最初は勢いで始めたことだけど、でも、やるって決めたんだからやるしかない。切り替えたら後はまっすぐ進むだけだ。そうやって、やる気を出して頑張って、しばらく。割り切ってもやっぱり気負うことはいっぱいあるし、そうなったら、息抜きだって必要になってくる。

私にとっての息抜きは、同じ境遇のお友達と会っていっぱいお喋りすることだった。みんな優しくしてくれるっていっても、やっぱり刀剣男士は人間とは違う。ましてや同年代同性のお友達とは比べることなんて出来はしないと思う。

それがあーちゃん。優しくて可愛くてお淑やかで立てば牡丹歩く姿は百合の花。あー言葉出てこないこれであってたっけ。まあでもこんな感じでしょ。とにかくあーちゃんが天使みたいな可愛い女友達だってことさえ表現できればそれでいい。


「今頃、あーちゃんのやわらかーい体を抱っこしてた頃だったのに!」


手持ちぶたさに大きなくまのぬいぐるみを抱きしめて、私は嘆くようにそう吐き出した。私の天使――あーちゃんとは、演練で知り合ったた。ふわふわと雰囲気が可愛らしい子で、もちろん顔も可愛い。綺麗よりの可愛い。髪もストレートでさらっさらで、きっと寝癖に困らせられたことなんてないんだろうと思うくらい綺麗。毎日毎日自分の顔を見ている私には、あーちゃんとの時間は貴重な貴重な時間である。全てが癒しに変換されるって何それずるい…すき。


「あーちゃん……ああ、あーちゃん」


あーちゃんはおっぱいも大きい。これ豆知識。なんか良い匂いするし、ぎゅっとしたらストレスなんて一瞬で吹っ飛ぶ。ハグをするとストレスが軽減されるって話。あれは間違いなく本当。だって、私あーちゃんのハグで審神者業のストレス乗り切ってるところあるし。


「……あんたは女が好きなのか」
「女っていうか、あーちゃんが好きなの。山姥切さんも会ったことあるでしょう? いつもニコニコして、可愛くて、もう存在全てが癒し。あーもう大好き!」


溢れんばかりの好きをぶつけるように、くまのぬいぐるみをギュギュっと抱きしめる。とてもあーちゃんとは比べられない、布越しの綿の感覚で、物足りないったらない。でも、これはあーちゃんからプレゼントされたくまだから、あーちゃんがいないときは寂しさを我慢するように抱きしめている。なんなら仕事している時にも膝に置いているくらい大事な私の宝物である。


「あーちゃんとやらの何処が、そんなにいいんだ」


初期刀である山姥切国広は、今日は非番のはずだが、何故か私の部屋に居座っていた。特に用事があるわけでもなく、なんか居る。まあそれはいつものことなので、私はわりと気にしない。もう長い付き合いだしね。別にやることがあるわけでもないから。予定もなくなったしね。でも、座ってじっとしているだけなのに何で私の部屋に来るのか、それは全然分からない。まあ山姥切さんが楽しいなら別にいいや何でも。


「分かってないなあ、山姥切さん。やっぱり好きになるなら、あーちゃんみたいな子が理想だと思うんだ、私」
「……そういうものなのか?」
「そういうものだよー! あーあ、私が男だったらなー……あーちゃんにお嫁さんにきてもらったのに。そしたら毎日一緒にいて、美味しいご飯作って貰って、寂しいときとか落ち込んだときとか、ぎゅっとしてもらうの。それで、夜寝るときも、こう、背中とんとんしてもらったりー……うわそれ最高……すき…」
「…………」


私の本丸に遊びに来て貰う予定だったから、部屋も綺麗に片づけて、ちょっと背伸びした良いところのお菓子も用意した。でも、急用ができてしまったとかで、あーちゃんは来れなくなってしまって。直前の話だったから、期待していた分派手に墜落されてしまったような気分だ。


「ああ、あーちゃん。あーちゃん」
「諦めろ。あーちゃんとやらは来れなくなったんだ。だったら、もっと他のことをしたらどうだ」
「他のことって〜? この日のために仕事すませてるから、特にやることもないんだけど。ああ、なんか用事あった?」


心なしか、怒っているような雰囲気だ。くまのぬいぐるみから顔を離して、山姥切さんを見れば、布に隠れてよく見えないけど、唇がへの字になってしまっている。怒っとるやん。


「怒ってる?」
「怒ってない」
「いや怒ってるでしょ。私なんかした?」
「だから、怒ってないといっているだろう!」
「ちょっと怒鳴らないでよ」
「怒鳴ってないっ!」


コントかよ。あからさまに怒っている山姥切さんに、私はこれ以上はなにを言っても堂々巡りだなあと思って、くまのぬいぐるみを抱えたまま、壁に背を向けるようにして座っている山姥切さんのところへいく。緩く足を開いて正座をしている山姥切さんは、私の抱えているくまのぬいぐるみを見ていた。


「はい、どうぞ」
「? 何だ?」
「これ、貸してあげる。あーちゃんほどじゃないけど、ちょっとぐらいは山姥切さんの癒しになるかもだから」


言って押しつけるように渡したら、勢いもあってか、山姥切さんは意外とあっさりと受け取った。膝の上に大きなくまのぬいぐるみを抱えている山姥切さんの姿は、ある意味可愛いといえなくもない。まあ一番はあーちゃんだけどね。ああ、あーちゃんに会いたい。


「私がうじうじしてたから、嫌になっちゃった?」
「……別に」
「ごめんね。でも私にはあーちゃん成分が必要なんだ。私のこと、何でも受け入れてくれて抱きしめてくれて、優しく頭を撫でてくれたりして。あーちゃんにどれだけ元気をもらってるか……」


ぐっと、なんだか感極まってきた。


「あーちゃん!! どうして急用なんて!」


悔しさいっぱいにそう言ったら、何だかさっきより機嫌を悪くしたような山姥切さんが、負けじと悔しそうな声で言う。


「あーちゃんあーちゃんと、うるさいぞ。もう来れないことは分かり切っているんだから、諦めたらどうなんだっ!」
「むりだめ諦められない」
「〜〜大体、抱きしめられたからなんだ! それくらい、あーちゃんじゃなくても出来ることだろう! なんなんだ! いつもいつもあーちゃんあーちゃんと! そんなにあーちゃんがいいか!」
「そんなにあーちゃんあーちゃん言わないで! 余計あーちゃんが恋しくなるじゃんか! ……うう、あーちゃーん」


寂しさが、余計募っていく。すんすんと鼻をすすって、山姥切さんに貸したくまのぬいぐるみを返して貰おうと手を伸ばす。けれど山姥切さんはくまのぬいぐるみを遠ざけるように手を伸ばして、私の手は空振りを決めた。


「…………」
「…………」


シュッと手を伸ばす。シュッと避けられる。


「…………」
「…………」


サッと身を乗り出す。サッと遠ざかる。


「…………」
「…………」


立ち上がって私を見下ろした山姥切さんは、私が見上げているせいで、表情全部を見ることが出来た。キッと眉を上げて、口をへの字にして、なんかもう見るからに怒ってますって感じ。まあさっきから怒ってたけどね。


「………? 気に入ったの?」


そんなに返したくないのか。そう思って質問すると、山姥切さんはもっと怒ったみたいだった。


「違う!」
「え、じゃあなに? 意地悪してるの? あーちゃんが来ない今、そのくまは私のあーちゃんなんだけど……ちょっと返して。ちょっとだけ」


ぎゅっと唇をかんで、山姥切さんはぷるぷると震え出す。何か言いたいことがあるのかもしれないけど、言えないみたいだった。くまのぬいぐるみ取り上げていいたいことってなんだろ。いやまあ貸したのそもそも私の方なんだけど。取り上げては言い過ぎかな。


「――…抱きしめるくらいなんだ。それくらい、写しの俺にだって出来る!! こんなくまなんて、いらない!!」


何か爆発したらしい。あ、感情?感情が爆発したの?
山姥切さんはくまのぬいぐるみをぽーんと放り投げて、今度はカバディをするような体勢をとって、私に目標を定め始める。


「ああ! くまー!」
「くまなんて放っておけ!」
「いやそれはあーちゃんから貰ったくまなの! それがないとあーちゃんロス乗り切れない! ちょっと手荒なことしないでマジで!」


急いでくまのレスキューに向かおうとする私の前に、山姥切さんは二足歩行の熊のごとし姿勢で立ちはだかる。なんなんだその体勢。まさかやるつもりか。わたしとくまのぬいぐるみをかけて争うつもりか。

なんか部屋に居座っててなんか不機嫌だなとは思っていたけど、まさか山姥切さん私に恨みでもあるのか。それを発散しようと思っていたのか。

それに気づいた瞬間、私はごくりと唾をのむ。


「――本気なの? 山姥切さん。本気で、私からくまを略奪する気? 下克上ってやつ?」


あーちゃんから貰ったくまのぬいぐるみは、本人には遠く及ばないけどあーちゃんの分身のようなもの。決して軽々しく渡せない。


「そうなるかもな」


ああ、そうなんだね。私は今、愛のために戦わなければいけないのね。
私は畳の上に足を踏みしめて、ベストな姿勢を探していく。


「俺はずっと、あーちゃんがあんたに送ったくまのぬいぐるみが気に入らなかったんだ」
「なんで? くま嫌い?」
「熊は美味いから好きだ。少し癖があるが」
「わかるわかる! 私も熊鍋すき! 山伏さん、また修行ついでに熊狩ってきてくれないかなあ」


ちょうど今修行で山籠もりしているんだよねえ。楽しみだなあ。意識がよそにそれて、顔が緩む私は、じりじりと山姥切さんが距離を縮めてきていることに気が付いた。


「観念しろ」


急いで体勢を整える。
ここで負けたらあーちゃんのくまのぬいぐるみが没収されかねない。


「なんで!? くま可愛いじゃん! あーちゃんが一番可愛いけど!」
「くまに恨みはないが、もうこれ以上好き勝手されてたまるか」
「意味わかんない! くまが何したっていうの!」


わけも分からず奪われてはたまらない。そう聞くと、山姥切は、まるで親の敵を見るような目を浮かべた。


「あのくまは――…俺の大事な女を奪った」
「!??? マジで!??」
「ああ。取り返すためにはこれ避けられない道だった。お前も観念しろ」
「待って嘘待って待って! それぬいぐるみだって! ぬいぐるみにそんな上等なこと出来る訳ないじゃん!」
「出来たからこんなにも恨んでいる」
「どういうことなの!?」


謎過ぎる。質問に答えてくれてはいるけど、謎がちっとも解決してない。私はどうすればいい? このくまのぬいぐるみが山姥切さんの大事な女?を奪ったって、そもそも山姥切さんに大事な女がいたってことすら初耳。いや山姥切さんなんやかんや時間あると私の部屋にこもってたじゃん。いつの間に?いつの間にそんな大人の階段上ってたの?


「いやでも気のせいじゃないの。メスのくま? とかかな? くまのぬいぐるみが口説くのとか無理だし」
「? あんたは何を言っているんだ」
「いや山姥切さんでしょ!? どうやったらくまのぬいぐるみが寝取るっていうの物理的に無理じゃん!」
「寝取る? ……寝取られていたのか? 一緒に寝ていたのか?」
「えっ!? いや知らないけど。奪われたって、そういうことじゃないの違うの?」


いやもう色々とわけがわからない。頭痛くなってくる。初期刀近侍で長い付き合いだけど、いやあ、知らないことっていっぱいあるんだなあ。あーお空きれいってしたい気分だけど今曇天だからな無理だなこれは。

じりじりと迫る山姥切さん。腰の位置が低くなり、いよいよ本格的にしとめる準備が出来ているようだ。今この瞬間にもタックル決め込んできそうな体勢になった山姥切さんには、隙が全くない。



「…違う。このくまのせいで、俺はいつも相手をしてもらえない。あーちゃんとやらにとられているのに、あーちゃんがいない時だって、その間いつも、このくまにあんたをとられている。俺はちっとも、構ってもらえない」

「…………え?」


山姥切さんの台詞を、脳内で整理する暇もなく。戦場で鍛えられた山姥切さんの足腰は素早く私の目の前に移動していた。刀を振り回している細身に見えるけれどたくましい腕はあっという間に私の腰をとらえて、一気に持ち上げてしまう。


「ぎゃあ!! えっ!? えっ!??」
「――やっと捕まえたぞ」


山姥切さんはそのまま歩いて、私を抱き抱えたまま、壁に押しつけた。山姥切さんに抱っこされたまま壁に押しつけられて、サンドイッチの具みたいにされているなんてよく分からない状況で、私は目を白黒させながら山姥切さんを見下ろしている。


「待っていれば、いずれ俺を見るかと思っていた。ずっと我慢して待っていたのに、あんたは本当にあーちゃんにしか興味がないんだな」


むっとした表情を浮かべて、山姥切さんは私を見上げている。山姥切さんの素早い動きのせいか、いつも被っている布は脱げてしまっていて、そのまっすぐな視線は、何にも遮られずに私のことをとらえている。


「――……山姥切さん。もしかして、なんかいつも私の部屋にいる理由って……」


答えが既にでているとはいえ、確認はしなければ。私は動揺を隠せないままそう山姥切さんに聞いてみる。
山姥切さんは私を強く壁に押しつけるようにして、不機嫌を露にして言い放つ。


「あんた目当てだ。悪いか」


開き直ったような、全く恥じらっていない感じ、自信満々みたいな。いやこれはちょっと違うかな。

長くつきあってきた初期刀の山姥切さんの初めて知った情報に、私は頭の中がぐるぐるとしてしまっていて。わあ嬉しい!ともそうなのごめんね!とも、何も言えないまま、助けを求めるように混乱極めた声で口を開く。


「あ……あーちゃん…!」


いや仕方ないって。私の一日の内で一番呼んでる名前ってあーちゃんなんだから。そりゃあ、でるよ。あーちゃんが。口からあーちゃんが出てくるよそういうものだよ。当たり前じゃん。私のあーちゃんだぞ。


「んっ、むむ、」


でも山姥切さんにそんなの関係なかったみたいだった。そりゃそうか。不機嫌なまま、唇に噛みつくみたいにキスされて、驚いて頭が真っ白になる。ちょっと血の味がした。ああそういえば、山姥切さん強く唇を噛んでたなとかそんなことばかり考えて、堅い唇の感触ははなれていく。


「……次、俺をあーちゃんと呼んだら、許さないぞ」


いやあーちゃんと間違えたわけじゃないし。

そんな言い訳や反論や文句は、またすぐに押しつけられた唇に塞がれた。



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