ぷち。


ぷちぷち。



ぷちぷちぷち。






止まることのない手によって、空気を含んだ丸いふくらみが次々につぶれ、萎んでいく。ぷちぷち、なんてかわいい愛称のそれは、一つ一つ潰す度に俺に快感と安らぎをもたらせた。

ぷちぷちと呼ぶこれは、一言で言えばエア緩衝材というものである。ガラスや陶器のような割れやすい品を包んで守り、はたまた引っ越しの際に大事な荷物を守ってくれたりする――まさに万能の素材というわけだ。

だが俺は、その素晴らしい梱包能力ではなく、ぷちぷちのその真価は違うところで発揮されるものだと思っている。それが、一つ一つぷちぷちと丸い膨らみを潰すことで得られる安らぎ。まさに精神安定剤と呼ぶにふさわしい。


ぷちぷちぷちぷち。


一心不乱に潰すことにだけ集中している俺は、日頃溜まった鬱憤をここで静かに発散させている。これだ。これなのだ。


ぷちぷちぷちぷちぷち。


審神者として、本丸という閉鎖空間に閉じこめられた俺にとって、こういう場で普段のストレスを発散させることは何よりも重要で大切なことである。物に当たるより、暴飲暴食に走るより、よっぽど健全で効果的だと思う。


「――……またそれかい?」


だがそんな俺の憩いの方法は、中々初期刀には理解されないようで。蜂須賀は今日も今日とて面白くなさそうな表情で俺のことを観察していたのだった。










「なんか文句あんのか」
「……いいや。まあ、俺はあなたがそれで満足するなら良いけれど……」


言いながら、腕を組んで俺を見る姿は不満げだ。俺は日課のぷちぷちをぷちぷちする作業を終えた後、大きく息を吐いて腕を伸ばした。そのまま背伸びをして体を延ばして、床に大の字に寝転がる。一仕事終えた後のようなスッキリ具合である。


「良いけど、なんだ。不満そうな表情で見やがって。俺はお前に見てろなんて命令してねえぞ」
「そりゃあ、命令はされていないけどね。でも目に余るんだよ。本来の使い方をされず、思いのまま破壊されて、そのまま捨てられるその緩衝材が哀れで。……そろそろ他の方法を探すべきだと思うよ」
「なんて嫌な言い方をするんだお前は。いっとくが、ぷちぷちの本来の用途はこれなんだよ。一心不乱にぷちぷちする! 日本国民、これに夢中にならなかった奴は一人とていない!」


別に仕事の合間にしてるわけではなく、そもそも俺は一人の時にしかぷちぷちしていない。俺がぷちぷちしているときに蜂須賀が勝手に見物しにきてるだけである。ここまで言われなきゃならんことだとは全く思わない。


「そういうなら見なきゃいいんだ。で、何か用か?」


刀剣男士ってのは、まあ、刀で物だから。同じ物に対して感情移入するってのは分からなくはないが、なんで喋りもせん物にまで敬意を払わなきゃならんのだって話だ。毎度毎度わざわざ見に来て小言垂れるなんて、姑かっての。

蜂須賀虎徹という刀剣男士は俺の初期刀で長いこと一緒にいるが、どうも小言が多いような気がする。最近は特に。他の蜂須賀もみんなこうなのか、それとも俺の蜂須賀だけがそうなのか、どっちなのかは正直わからん。


「用ということでもないけど……たまには、外に出て皆と触れあったらどうだろう? あなたは暇ができると部屋にこもって緩衝材を潰してばかり……心の病を抱えているのではないかと、皆心配しているんだよ」


なんて言い草か。俺は呆れて言葉もなく、ちょっと考えてから蜂須賀に言った。


「心の病をしないためにぷちぷちしてんだよ。俺を健康にしてんのは、間違いなくこいつ。日々のストレスを癒してくれてんのもこいつ。わかる?」
「……そんなことよりも、外で日の光を浴びた方がよほど発散されると思うけどね」
「わっかんない奴だなお前。これじゃ! ないと! だめなの!」


女にとっちゃ審神者職なんてパラダイスだろうよ。イケメンとイケショタとイケオジの楽園、つまりは逆ハーレム。男で審神者やっててパラダイスなのはあっちの趣味の奴か使命主義みたいなネジの外れたやべえ奴だけだ。要するに、俺のようなノーマルで特にやる気のない人間にとっては、マジでここはパラダイスにはなり得ないのである。


「審神者の仕事に外で日に当たれなんてないだろ。なんか問題でもあんの?」
「ないけれど……だが、皆、あなたのことを心配しているんだよ」
「なんで」
「何でって……決まっているだろう。あなたが俺達の主で……」
「俺がここでぷちぷちしてたら迷惑がかかるって?」
「そうは言っていないよ! でも……」
「かかってないなら別にいいだろ。何の問題もねえし」


適性がある――だけ。俺には何もない。歴史を守るとかどうでもいい。正直毎日ダラダラ過ごして、でも給料だけはほしい、自覚のある卑屈な根暗野郎ってところだろうな。俺を一言で言い表すなら。

本当、自覚はあるんだよ。自分を慕う刀剣男士も、なーんか胡散臭く見えるし。主だから無条件で俺が大好きとか、なんか薄ら寒いままごとやってるみたいで冷めてくる。別に危害を加えようとか虐めようとか思ってないから、表面上はそれなりに良い主でいられるように振る舞っているだけに余計にしんどい。そのせいで溜まるストレスも、俺はぷちぷちで発散しているのである。いわば俺の生命線だ。小言を言われる覚えもない。


「別に、好きにしてろよお前も。ちょっと足を延ばせば遊郭だってあるだろ。綺麗な姉ちゃんと遊んでこい」
「……俺は、そういうことに興味がないんだよ」
「じゃあ興味あることしてろ。浦島と長曽祢と遊んでこい」
「なっ……浦島はともかく、何故あんな贋作とっ! 冗談じゃない!」


相変わらずだ。しかし、仲良く出来ないもんかねえ。別に性格が合わないとかじゃないくせに、何が気に入らねえっていうんだか。高貴な生まれとかじゃないから、俺にはさっぱり分からん。


「じゃあ浦島と遊んでこい。はいこの話これで終わり」


なんかまたぷちぷちしたくなってきた。悪いなあ蜂須賀。お前の主はお前が欲しいと思っているような立派な主じゃねえぞ。志とかねえんだ。ただ幸も不幸もそこそこに、そこそこ安定して生きていたんだけなんだ。

何を期待して俺のところに誘いにくるのか、まあ正直俺も分かってんだ。主と仲良しごっこがしたいんだろ。俺は人に寄り添わないくせに、歩み寄らないくせに、そういうことには鋭いんだよ。

でも面倒だから気づいてやらないだけ。


「主。俺はあなたを誘いに来たんだよ。たまには外に出ないか? 町までとは言わないよ。庭を散歩するだけでも」
「……お前も大概しつこいな。毎度毎度飽きもせず」


寝転がったまま、蜂須賀虎徹の方にごろんと腕を伸ばす。下から見上げる蜂須賀虎徹は、あしらわれた忠犬のように俺のことを見下ろしている。やっぱり顔面偏差値が雲の上にあるやつはどんな表情していても様になる。


「顕現して何年たったと思ってんだよ。そろそろ、俺のことも理解できてきたろ。最高の主じゃないが、最低な主にもなる気はねえよ。ちゃーんと審神者はやるさ。給料分はな。心配すんな。お前が何してもしなくても変わんねえから。むしろ、ほっといてくれ」


世の中には、多少じめじめし場所でないと生きていけない人間だっている。日の当たる場所で生きている人間は俺みたいな人間を可哀想だの寂しいだの好き勝手にいうが、人にはそれぞれ心地良い居場所がある。住めないっつってんのに日の当たる場所に無理矢理善意で住ませようとする人間はまあいっぱいいるが、逆にこっちが住みやすいよと日陰に誘おうとしてもあいつら一切話を聞かないし一ミリも動かないからな。あまりに性質が悪い。自分は環境変えたくないけど、こっちには変えろと軽率にしつこく押しつけてくる。貴方のため、がこいつらの口上である。

お前等の口の中に入るだけのぷちぷち詰め込んでやろうか。なんてな。しないしない。


「……悪いな。つまらん主で。そろそろ、俺に期待すんのやめろよな」


蜂須賀は俺の言葉に肩を落として、小さくため息をつく。そうして、伸ばしていた俺の手のひらに一秒だけ自分の手のひらを重ねて、悲しげに目を伏せた。


「また、誘いにくるよ」
「無理すんな。来なくていい」


あっという間に離れていく手を追いかけて、すぐにそう返事をする。
行儀良く立ち上がった蜂須賀は、既に俺に半分くらい背中を向けていたが、その状態で足を止めて俺を見やる。


「――いいや。諦めは悪い方だからね。また、来るよ」


やけに語尾は強い。これだけ言われているのに鋼のメンタルすぎていっそ尊敬する。箱入りの坊ちゃんに見えて、こいつ本当諦めが悪い。

蜂須賀の出て行った部屋は静かになり、俺のオアシスが戻ってきた。俺はすぐさま二ロール目のぷちぷちを取り出して、寝転がったまま無心でぷちぷちし始めたのだった。









「主。今日はこれを持ってきたんだ」
「でっか! なんだその山盛りの――…え? マジでなんだそれ?」


両手で抱えるアホみたいに大きいボウルに、山盛りに乗っているのは――あれ、よく見たらあれじゃねえかな。あの緑色のやつ。なんだ。名前なんだっけなあれ。


「さやえんどう」
「ああ! そうだ、さやえんどう!」


俺にそれだけをいって、蜂須賀は問答無用でテーブルの上にそれをどさっと置く。ゆっくりと静かに置いてはいたが、そのも重みは隠せるものではなく、ごとりとボウルが出した音に俺は唖然とする。間近で見ると如何に大量のさやえんどうなのかよく分かった。多分これ、俺が両手で抱えても重くて思うように動けんやつだ。


「厨当番から任されたんだ。筋取りするんだよ。これだったら緩衝材みたいに無心でこなせる上に、料理の役にも立つからね。こちらの方が楽しいと思うよ。さあ、一緒にやろうか。主」
「お前マジで何言ってんだよ……」


やっとかなきゃいけない仕事は終わってここからは俺のぷちぷち憩いタイムだって認識もしかしてねえの?俺のプライベートの時間だぞ今は。
蜂須賀は俺のぷちぷちをちらりと見てから、何でもないようにさやえんどうを手で指し示す。


「さあ、その緩衝材を離して手を洗ってきてくれ」


こっわ。これ誘いじゃねえわ。決定事項言ってるときの声だわ。


「いや、やんねえから。俺の手元見えてねえのかお前は」
「もう終わるんだろう?」
「終わったら二ロール目いくわ。忙しいんだよ。さやえんどう持って帰れ」


しっしと追い払うように手を振れば、蜂須賀は何かを考え込むような間を置いてから、分かりやすくしょんぼりしてみせた。


「困ったな……あと一時間で終わらせないと今日の夕餉の献立に響いてしまうのに……既に主と二人ですると告げてあるのに、あなたは一緒にやってはくれないのかな」
「なんっで俺の了承なしに俺巻き込んでんだよ! 浦島にやらせりゃいいだろ浦島によお!」
「浦島をなんだと思っているんだ。可愛い弟をこんな形で巻き込むなんてとても……」
「俺はいいのかよ俺は!」
「どうせ暇だろう。いつもの緩衝材を潰してる頃合いだ」
「あえてこの時間作ってんだから忙しいんだよこっちは!!」


声を荒くして言い放つものの、くそ、蜂須賀は少しも応えた様子がない。長い付き合いなだけあって蜂須賀だけは俺に動じねえんだよなあ。なんでこいつこんなスルースキル育ってんだ。俺のせいか? そうなのか?


「……一人で、これを全てか……間に合うだろうか」
「お前のそれ脅迫だからな。マジ分かってんのかお前」
「俺はただ、あなたの役に立てると思ったから引き受けてきたんだけど……」
「嘘付け〜! 俺を役に立たせに来たんだろ!」


他の奴は俺がぷちぷちしてたら察して気を遣って声なんてかけてこないでそっとしとくってのに。蜂須賀だけはしつこく俺に声をかけてくる。っていうかぷちぷちしてない時よりもぷちぷちしている時を狙ってくる。これ最早嫌がらせだろ。いつも言ってるもんな、時間の無駄とか勿体ないとかな!そんなゴージャスななりしてそういうこと言うもんな!ずるいよな!


「……筋とったらもう邪魔すんなよ。出てけよ」
「分かったよ。じゃ早速始めようか。手を洗っておいで」
「ぐっ……お前秒で偉そうにしやがって……」


振るいたくなる拳を握りしめ、俺は自分を落ち着かせるようにそのまま何度か深呼吸をした。そのままがりがりと頭をかいて手を洗うために歩いていく。何で憩いの時間を邪魔された挙げ句労働させられきゃならんのだ。あいつ鬼か。俺のこと嫌いなのか。






「お前俺のこと嫌いだろ」


手を洗ってきて戻ってきた俺は、開口一番に蜂須賀にそう言い放った。
既に筋取りを始めていた蜂須賀は俺の言葉に本当に驚いた表情をしていた。俺はふんと鼻を鳴らして、蜂須賀と向かい合うようにどしっと畳の上に腰を下ろす。


「何を言っているんだい?」


さっさと終わらせてしまいたいと、早速さやえんどうとむんずと掴んでまとめていくつか目の前に置き、筋取りを開始する。地味で同じ作業の繰り返しは嫌いじゃない。苦でもないが、やるようにし向けられていることは普通にムカつく。


「だってそうだろ。わざわざ俺のぷちぷち邪魔して仕事させるって。俺は審神者業務終了してんだぞ」
「これは皆の仕事だろう? あなたの夕餉にもなるんだよ」
「そんなことは分かってんだよ。俺が言ってんのは、お前が俺に嫌がらせをしてることだよ」


一切手を止めることなく筋取りに目をやっている俺の耳に、蜂須賀の慌てた声が飛び込んでくる。


「そんな……俺がそんな低俗な嫌がらせをすると思っているのか? 俺は虎徹の真作だよ。そんな真似はしない! 俺はただ、もう少しあなたと関わりを持ちたいと思っていただけだよ」
「じゃ何で俺の仕事増やしてんだ。休ませろよ俺を」
「……俺は、あなたに歩み寄ろうとしてこれを持ってきたんだよ。こういうの、あなたは好きだろう?」


あー出た出た。あなたのため。普通にムカつくワードベスト10に入るやつ。何でこういう奴って犯罪犯しているわけでもないのに、俺を悪みたいな扱いしながら世話やいてくるんだか。始末に負えねえわ。


「やりたくてやってることと、やらされていることは同じ作業でも百八十度意味もやりがいも違う」


そう淡々と言ったら、蜂須賀から言葉が消えた。そうやって無言の空間が出来上がり、俺は視線をあげる。蜂須賀は神妙な表情で筋取りを見下ろしながら、小さな声で口を開いた。


「……確かに、そうかもしれない。俺は少し考えが足らなかったみたいだ」


蜂須賀は鋼のメンタルだが、俺の言葉も届くといえば一応届きはするらしい。俺は少々冷めた視線を蜂須賀に向けながら、またさやえんどうに視線を戻した。


「ああ。もうすんなよ。俺がぷちぷちしている時はもう邪魔すんな」
「それは約束出来ないけど、今度は前もって主に聞きにくることにするよ」
「え? なんで約束できねえの?」


聞き間違いかと思ったわ。何で速攻でそんな返事できんの?お前メンタルマジ凄いね。俺真似出来ねえわ。本当凄いわ虎徹の真作。頑固すぎんだろ。長曽祢も苦労するわこれ。浦島の苦労はもっと浮かばれるわ。地獄か?


「その緩衝材を潰している時は、あなたはいつも一人だろう? 俺はあなたを一人にしたくないんだ」
「俺が一人を寂しがってるとでも思ってんのか? 一人の時間が必要だからああしてんだよ」
「分かっているさ。でも、こういう作業ならあなたも好きだろう? これなら、俺も一緒にやれるから。お互いに利害が一致すると思ったんだ」
「一致て。お前が俺といて何の利益になるってんだ」


呆れてそう呟いた俺の声をしっかり拾ったようで、蜂須賀の方から視線が心なしか強くなったような気がした。日陰が好きな人間はこういう気配に敏感だから、おそらく気のせいではないだろう。


「あなたと居られるだけで、俺は嬉しいよ」


ぴくりと反応して、筋をとる手が一瞬止まる。


「もう少しぐらい、俺を構っても良いと思わないか? いつもあなたは壁を作っているからね。もうそろそろ――……」


そこで言葉が途切れて、俺はそろそろと顔をあげる。そろそろ何だ。不穏な言葉続くんじゃねえだろうなそれ。


「……なんだよ。言えよ。気になるだろ」


困った表情で笑っていた蜂須賀は、俺の言葉に今度は普通に楽しそうに笑った。その笑顔がますます不穏だと、俺は苦い表情を浮かべるが、蜂須賀は全く気にした様子はなさそうだ。


「……別に。ただ、仲良くなれたらいいなと思っていただけだよ」
「嘘ついてるときの表情だろ。お前のそれは」
「そんなことはどうでもいいだろう? ほら、早く筋をとらないと。これは筑前煮の具になるんだから」
「筑前煮がなんだってんだ。喋れるだろうが、筋取りながらでも!」


噛みつくように言った俺の反応を軽く笑って、蜂須賀はまた筋取りに励み出す。俺ははっきりしないもやもやに苛つきながら、手つきだけは手際よくさやえんどうの山を片づけていったのだった。









最近、蜂須賀が何か企んでやがる。


「今日はハンドマッサージをしに来たんだけど、いいよね?」
「お前何で聞いてるくせに決定権俺に寄越さないの?」


今日は俺がぷちぷちを出す寸前狙って来やがった。なんだこいつ。四六時中俺のこと監視でもしてんのか?どうしてこんな狙ったみたいなタイミングで来んの?もうこれ嫌がらせ以外の何者でもなくね?


「無理。ぷちぷちするから帰れ。また今度な」
「あれから調べたんだ。緩衝材を潰すような単純作業は、人にとってストレス解消になるらしいね」
「聞いてんの? なあ、聞けよお前」
「手を無心で動かしたりすることも、疲れた精神には良い影響があるらしい。でも実は手に刺激を与えることも効果としては近いらしくてね、主の気晴らしになるかもしれないと思ったんだ」


よいしょ、みたいなノリで俺の前に座って、俺の手にあったぷちぷちを掴んでぷちぷち用の箱に戻しやがった。

俺は勿論抵抗した。全握力を総動員して俺は全力でぷちぷちを死守しようとしたのだ。だが蜂須賀がゴリラ並の腕力で俺からぷちぷちをもぎ取ったのである。かるーく持って行かれたわ。刀剣男士の体どうなってんだ。

そしてそのまま俺の右手を掴んで引き寄せて、蜂須賀は言った。


「さあ、手をだしてごらん。主」


こいつ強引すぎていっそ呆れるわ。マジで最近の蜂須賀なんなんだ。


「もうとってんだろ俺の手。返せむしろ俺の手を」
「そうだ。ハンドクリームの香りなんだけど、いくつか種類があるんだ。あなたはどれが好きかな。金木犀と柚と桜の香りなんだけど」
「聞かねえわな〜。もういいよ何でも。お前の好きなやつ選べ」


何言っても通じない鋼メンタル。追い返すより満足させるまで付き合う方が早いという判断である。っていうか苦渋の決断みたいな。
はよ終わらせて帰れ。それが俺からの希望である。香りとか何でもいいわマジで。


「そうかい? なら、金木犀にしようかな。俺は、あの花の香りが好きなんだ」
「ふうん……」


軽く流した俺を気にした様子もなく、蜂須賀は俺の手に金木犀の香りのクリームを塗りたくった。そして宣言したとおり、俺の手のマッサージを開始する。さっき知った握力的に俺の手はぷちぷちよろしく潰されてしまうのかとも思ったが、思ったよりかはちょうどいい力加減だ。


「……こういうの、他の奴らにもやってんの?」
「いいや。あなたを癒したくて、少し練習台になってはもらったけど……こうしてちゃんとしたのは、あなたが初めてかな」
「ふうん……」


女みてえに細長くて白い指が、女よりも強い力で、ちょうどいいポイントをしっかり抑えてマッサージをしてくる。案外悪くない。手首から指の付け根、手のひらに至るまで、気持ちの良い場所を把握している。


「どうかな? 痛くない?」
「いや……気持ちいいな。もっと強くてもいいくらい」
「そう? これはどう?」
「……ん、それくらいがいい」


こんな風に手をマッサージされんのは初めてだけど、悪くない。なんか慣れない感じはあるけど、すげえ気持ちいい。


「はい。おしまい」


ぼうっとそれを見ていたら、右手のマッサージはもう終わってしまったらしい。ちらっと俺の方を見ていた蜂須賀に、俺はもう片方の手を差し出した。


「……次、こっち」


右をやったら次は左。そんな意識がなかったとはいわない。でもそれ以上に、蜂須賀のマッサージが気に入ってしまったのが大きい。これがもしも下手くそだったら終わり終わりとまくし立てて追い出したところだが、これ、めっちゃ気持ちいい。どうせ俺の憩いを邪魔してんだから、きっちりさせてしまおう。そうしよう。

そう言って左手を差し出した俺に、蜂須賀はぱあっと表情を明るくした。


「っ……ああ、もちろん! そのつもりだよ」


それから左手もかっさらうみたいに両手で掴んで、蜂須賀はまた金木犀の香りのクリームを取り出した。今度は力みすぎてぶちゅっと大量に飛び出したそれが俺の手の上に山を作って、蜂須賀は軽くパニクっていたから、俺は思わず笑ってしまった。不意打ちでこういうことすんなよな。

なんか、その後の蜂須賀はいつもより機嫌が良かった気がする。











「ぷちぷちが! 届かない!! どういうことだ!! 配送予定日今日だったろ!!」


俺は怠け者だが、計画的な人間だ。

だから普段計画を立てて、ぷちぷちが途切れないように一日の消費量を制限していたというのに。なのに、ここのところ色々な原因があって少しずつ消費量が狂っていったことで、ストックが切れてしまったのだ。

要するに、ストレスの多い日は調整してぷちぷちの消費量も多くなってしまっていたから、その分なくなってしまうのも早かったということ。


「くそお……俺としたことが数を見誤るなんて。どうすりゃいいってんだよ……」


頭を抱えて呻く俺にとって、これは死活問題だ。ぷちぷちがないと俺は生きていけないというくらいに俺はぷちぷちに依存してしまっている。あれは俺の精神安定剤のようなものだったのだ。一日二日ならまだ我慢して待つが、配送側のトラブルで一、二週間は届かないってどういうことだふざけんな怠慢だろそれは。

こっちは近くにホームセンターなんてねえんだぞ。現世から隔離されてんだぞふざっけんな。


「落ち着いてくれ、主。届かないもの仕方ないさ。代替案を探そう」
「やっぱ例によってここにいるよな〜お前は〜。今相手できねえからあっち行ってろ。ばいばい」
「ばいばいしない。ほら、こういうこともあろうかと、実は用意があったんだ」
「用意? なんの? ぷちぷち?」
「ぷちぷちはないけど」


じゃあ解散!!言い掛けた俺だったが、背後から腰を抱かれて引き寄せられたことで、開きかけていた口を閉じあわせた。背中に蜂須賀の胸板が着物越しに伝わり、長い紫色の髪が俺の胸の前に垂れてくる。


「これはあなたの好きにしていいよ」


俺の腹の前で腕を組んで、そんなことをささやきかけてくる蜂須賀に、俺は驚いて固まってしまった。ぎゅうっと、まるでぬいぐるみにでもやるみたいに俺のことを後ろから抱きしめている蜂須賀に、思考が全く追いつかない。


「……は? なに、いって、」


すりすりと、なにやらつむじにされている。何をされているのかは知らん。頭上なんて見えん。それより問題は、蜂須賀が俺にこんなふうに触ってくんのが初めてだってことと、こいつの意図が何一つとして読めないということである。

こわ、なに、こわ。
この世で何を考えているか分からん相手ほどこわいものはないのだ。


「髪、長いだろう。前に乱がしてもらっているのを見てね。これを三つ編みにすることは、わりと無心でやれることじゃないかと思ったんだ」
「あっ、ああ、そういうこと」


心臓に悪ううう勘弁してくれ。いきなり触ってくんのやめろってマジで。


「三つ編みぃ…? 俺したことねえけど……」


まあ大体こんな感じでやるんだろってことは想像できなくもないけど。でも俺は髪を伸ばしたこともねえし、妹がいたわけでもねえし。勿論そんなことをする機会なんてなかったわけで。


「何もしないよりはマシじゃないかい? 下手でも、出来なくても、あなたになら何をされても構わないよ」
「語弊があるからもっと健全な言い方してくんない?」
「……? 健全?」
「あー。いい。気づいてないならいい。余所ではこういうことすんなよ」


蜂須賀は意味が分かってんのか分かってないのか、俺のつむじをすりすりしながら、「じゃあ、あなたと二人だけの時にする」と口にした。こいつ本当は分かってんじゃねえのかと思いつつ、藪蛇したくないのでこっちはスルーすることにした。

まあ確かに、ぷちぷちという生命線が断たれてしまった以上、代替案は必要である。これが蜂須賀の思い通りになるということは正直ムカつくし癪に障るが、そう言える場合でもない。


「痛かったら言えよ」
「分かった」


俺は蜂須賀虎徹の髪を一房とり、お試しで三つ編みに挑戦する。一房から大きく三本に髪を分けて、その一本一本を絡み合わせて編み込んでいく。単純作業でありながらも結果がずっと視界の中で見えるものだから、俺としてはどうせなら綺麗な編み込みを目指してしまうわけで。

一度、そこそこ編み込んだ髪をほどいて、やり直すことにした。
くそ、悔しいが、確かにちょっとぷちぷちの代わりくらいにはなりそうだ。俺は蜂須賀の膝から降りて、正面から向き合うことにした。どうせなら、きっちりやりたい。


「うお、近っ…」


蜂須賀が俺の腹の前で組んでいた腕を解かないから、そのまま至近距離で
向き合うことになってしまった。いや近……なんだこれ、近…。っていうかこの距離感おかしくね…?いやさっきのも大概おかしかったぞ。

明らかにおかしいと感じている俺の目の前で、蜂須賀はそんな俺の反応が不思議だとでも言うように、こてんと首を傾げやがってわざとやってんのかお前。仮に俺がそれやったら処刑もんだぞ分かってんのか。

とりあえず蜂須賀の膝から降りようとするもしっかり背中でホールドされたままである。


「どうしたんだい?」
「降りる。近いし」
「このままやればいいじゃないか。俺は気にしないよ」
「俺が気にするってんだよバカ」
「馬鹿とはなんだい? 俺は虎徹の真作で……」
「知っとるわ! こんな近いとおかしいだろ……」


真作とか贋作とかマジで今は全く関係ない。じゃなくて倫理的におかしいのだ。何か誤解を生んでも困るとそう言う俺の言葉は、蜂須賀には全く響いてはくれなかった。


「何が問題なんだい? この方がやりやすいだろう?」


そう真っ直ぐな視線で聞いてくる。見ようによっていやらしい光景に見える可能性があるんだぞと説明する気が霧散する反応であった。こいつのこういうとこ本当いや。


「〜〜誰か来たらすぐ教えろよ。いいな?」
「? ああ、分かった」


本当に分かってんのか〜〜? この箱入りお坊ちゃまはよお〜


そんな心の声はそっとしまい、俺は蜂須賀の髪に触れて、一房を手にとる。そうして三つ編みをすれば、元より俺は手先がそこそこ器用だったようで、最初に編み込んだ三つ編みよりも綺麗に出来ていく。もう余計なことは考えるまいと無心で編み込む俺のことを、まるでとろけそうなくらいの表情でみる蜂須賀のことも、気にすることはやめにした。

これは蜂須賀であって蜂須賀ではない。ぷちぷちの代用品である。
一心不乱に編み込む俺は、それから一時間程の時間をかけてひたすらに蜂須賀の髪を思うままにしていったのある。






「悪くなかった……次は後ろの髪で三つ編みを何本も作ってからその三つ編みを使って更に大きな三つ編みを作っていきたい」
「力作になりそうだね」


すっかり満足した俺は、蜂須賀の膝に乗ったままやり遂げた充実感に晴れやかな笑顔を浮かべていた。座っているだけで退屈だっただろう蜂須賀もようやく終わることに喜んでいるのか、満足げである。

さて、もう流石に降りるかと蜂須賀から離れようとしたとき――違和感を覚える。俺が離れようとしていることは理解しているだろうに、蜂須賀は俺の背中に組んだ腕を解こうとはしなかったのである。


「――……蜂須賀? もういいぞ。重いだろ」
「気にならないよ。ようやく、ここまで来たんだから」
「……何言ってんだ?」
「最初は俺を追い出そうとするばかりだったあなたが、やっと俺を求めてくれたってことだよ」
「そこまで酷いことはしてないだろ……お前が俺のぷちぷち邪魔しにくるからじゃねえか」


そう言われると俺が一方的にやらかしているみたいで大変よろしくない。追い出すって、そりゃ毎度憩いの場を狙って邪魔されたらそうなるわ。


「俺はただ、あなたに構ってほしかっただけだよ。仕事が終わったらあなたはそればかりを頼って……俺は初めからずっと、あなたのそばにいたのにね」


つうっと、不意に背中をなぞるように指先が触れる。言うまでなく、見るまでもなく、相手は目の前のこいつである。


「さて、俺はあなたのストレス解消のために何時間も座り続けることを強いられたわけだけど、当然、褒美はあって然るべきだと思わないかな?」
「は!? 俺別に強要なんてしてねえだろ!? お前が好きでやったんじゃ……」


言い掛けた口が閉じる。ずいっと、蜂須賀の顔が俺の目の前に近寄ってきたからである。なんだその圧。目が怖いっていうか完全に据わってんじゃねえかこれ。


「こんなに俺でストレス解消しておいて……?」
「っ……だ、だってそれはお前……」


俺別にやれって言ってねえよな?これ蜂須賀からの提案だったよな?
ねえなんで俺こんな責められてんの。俺がなにか罪をおかしたとでもいうのかよ。勘弁してくれよ俺無実だろ無実に決まってんだろ。


「……人払いまでしておいて? やましい気持ちがあったからだと思わないか?」
「別に、そんなつもり……」


……だよな?

やましいことなんて何もないのに、ふと、不安を覚える。そうやって俺は気づいたのだ。


「くっ――分かったぞ! これ押し売り詐欺かっ…!」
「? なんだい、それ」


美味しい言葉を並べて商品を売りつけ――返品できなくなってから法外な値段を要求してくるヤクザの手口じゃねえかこれ。箱入りのお坊ちゃんとばかり思っていたのに、とんだ極道だこいつ。


「くそっ! お前を信じた俺が馬鹿だった!! 馬鹿! アホ!!」
「口が悪いよ」
「うるせえっ! 分かった! 分かったわもうお前の好きにしろよ!」
「っ…! えっ、本当にいいのかい?」
「あーもう好きにしろ! いくらだ! いくら欲しいんだ!!」


自棄になってそう吐き捨てた俺は、タンスの引き出しにしまっている財布をとりに行こうとする――が、やっぱり蜂須賀は俺を離そうとはしなかった。


「離せやいい加減!! 財布とりにいけねえだろうが!」
「あのね主。俺はお金なんていらないよ」
「ここに来て何カマトトぶってんだ! 俺の金目当てにここまで来たんだろ! 俺のためとか色々耳障りのいい言葉ばっかり並べやがって! お前なんかを信じた俺が馬鹿だった!!」


ここまでくると、蜂須賀のことなんてもう信じられないようなものじゃんか。おかしいとは思ってたんだ。最近は特に散々いじらしい素振りで俺のところにきて色々尽くそうとするから、ただ俺といたいのか?とか色々考えて満更でもないなんて思ってた自分が馬鹿みたいである。ここにきて金を搾取されるとは思わなかった。


「どうせお前も俺のこと好きじゃねえんだろ!!」
「好きだよ」
「嘘付けぇ! もう騙されねえわ! 金貰ったらしばらくここに来んなよ! 俺はぷちぷちに生涯を捧げるんだよ!! いいな!?」


思いっきり背中を反らして意地でも蜂須賀から離れてやろうと奮闘する俺に、慌てふためいた蜂須賀が口を開く。


「好きだからここまでしたんだろう!?」
「お前が欲しかったのは見返りだろ! 最初から金が欲しかったって言えよクソッ!」
「違う! そんなものじゃなくて、俺が欲しいのは――……ああ、もう!」


そう続けて、蜂須賀は俺の体を思い切り自分の方へと引き寄せた。そして俺が『嘘つけ簀巻きにすんぞコラァ!』と怒鳴りかけた瞬間――口が塞がれた。少しかさついた薄い皮の感触が、俺の発しかけた罵倒を全て封じ込めてしまったのである。


「………………は?」


不発に終わった罵倒はそんな間抜けな一文字へと生まれ変わり、俺はぽかんと口を丸く開いたまま、目の前にある見慣れた蜂須賀の表情をじっと見るしかなくなっていた。


「俺がほしかったのは、あなたとの時間で……そんなものに少しも興味はないよ」
「…………あ、そう」


今し方こいつ俺に何した?今のやつなんか意味あったの?

それだけを感じながらそんな間の抜けた声を出した俺に、蜂須賀は困惑したような表情を浮かべていた。きゅっと唇をとじ合わせてほんのりと頬に朱を浮かべている様は羞恥からくる照れのように思える。

なーんか熱に浮かされてますみたいな目は真っ直ぐと俺を見つめ、その内無言の空間に耐えられなくなったのか、どさっと、俺を畳の上に降ろしてしまった。


「えっ、ちょ、蜂須賀……」


痛くはなかったが、結果的に押し倒される形になり。やっと俺の背中に回されていた腕は離れて、代わりに俺の顔の横に手が置かれることになった。先ほど俺が時間をかけて編み込んだ三つ編みが、まるでカーテンみたいに俺の顔の横に流れてきていて。
まるで、ここに俺と蜂須賀だけの空間が出来たみたいだった。まあ今本当に部屋二人だけなんだけど。


「つまり、こういうことなんだけど……」


蜂須賀は俺の唇にそっと指を乗せて、なぞる。なんだその触り方。それが普通のやつじゃないことは俺にだって分かる。やらしい触り方すんなやめろセクハラで訴えるぞお前。


「……や、待て待て、蜂須賀……ちょっと落ち付けって」
「……待たない」


近づいてくる蜂須賀の目的が何かなんて明確だ。経験豊富じゃなくても察しがよけりゃ気づいてしまうところが悲しいところである。素直に受け入れるわけがないので全力で嫌と意思表示するために蜂須賀の肩を掴んで押し戻そうとするが、こいつ全く動かない!!

あっという間にまたキスされて、俺は諦めて手を退かした。これ抵抗しても意味ねえだろ。無駄に体力とられるだけだとこれ。いやもうこれマジでどうしろってんだ。


「……逃げないの? 嫌じゃない?」
「逃がすつもりねえのに聞いてくんな。俺は嫌だ離れろ」
「そう…」


一応意思表示はするが、蜂須賀は俺の言葉に、何故か嬉しそうに笑った。ああそうだよな。お前メンタル鋼だもんな。俺がちょっと拒否したって聞かねえもんな。っていうかお前聞いてくるくせに俺に決定権寄越さねえもんな。

いつもお前はそうだよ。そうやって俺のこと振り回しやがって。
ムカつくったらねえよ。クソが。お前なんて嫌いだよ。俺の一番嫌いな人種だよ。


「お前ムカつく。嫌いだ」
「俺は好きだよ。だから、何の問題もないね」
「くっそ鋼メンタル……お前ぷちぷち届いたらもうこの部屋来んなよ」
「届くまではいていいなら、明日も明後日もずっと来ようかな。あなたも、ストレス解消できないと困るだろう? 審神者の仕事に支障がでるかも」
「それ脅迫だろ。どこで覚えてくんだよその手口をよお……」


厄介な奴に目をつけられてしまったらしい俺は、上手いこと蜂須賀をあしらえる方法を探す。だがもう何となく察してしまっている。そもそも、この俺に聞いているように見せかけて実は自分の欲求を譲るつもりなんて全くないこの初期刀がどれだけ手強いかなんて、俺はとっくに知っているのだ。

この刀を選んでしまったのは俺で、長い時間そばに置いたのもこの蜂須賀虎徹という刀だったのだから。


多分逃げられん。それを察した俺は、とりあえず長曽祢を間に挟む形で巻き込むことを堅く心に決めたのである。



どうせ俺は逃げられないのだから、道連れは多ければ多いほどいい。


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