小さな頃から今までずっと、恋をしている相手がいる。










演練会場。パネルに大きく移るのは、私の本丸の番号と、演練メンバーの編成――そして、完全勝利Sの判定の文字である。


「やったーー!!!」


大きな声をあげて、私はその場でガッツポーズを決める。新米の審神者である私にとって、これは初めての完全勝利であり、初のS判定だったのだ。それも、相手部隊はそこそこの戦績と練度だったから、これはマグレの勝利なんかじゃない。

――みんなの頑張りが、勝利を勝ち取ったのである。それが誇らしくて、本当に本当に嬉しかった。じんわりと浮いた涙を目尻から拭って、私はいの一番に帰ってきた秋田くんに駆け寄って、両の手のひらを向けた。


「主君! みてくれましたか!? 完全勝利ですよ!」
「全部みてたよ! すごいよ、秋田くん!」


ぱちんと音がして合わさった秋田くんの小さな手のひらは、私よりもずっと小さいのに、とても力強かった。秋田くんは私の言葉に嬉しそうにぱあっと表情を明るくして、その後、頬をおさえてえへへとはにかんでいた。

その後ろからぱたぱたと早足で来たのは五虎ちゃんだ。戦うことが得意ではないけれど、それでも最後まで立ち続けた五虎ちゃんは本当にえらいと思う。怖いことに立ち向かえることは、誰にでも出来ることじゃない。


「主様……僕、少しはお役に立てたでしょうか……」
「少しどころじゃないよ! 五虎ちゃんもいたからみんなで勝てたんだよ〜!」

「あ〜あ、髪が乱れちゃった……ん、でも、その甲斐はあったかな? ね、主さん? ふふっ、ちゃんと見てくれた?」
「もちろん! 戦う乱ちゃんは髪が乱れたって素敵だよ! 後で整えてあげる!」


乱ちゃんは普段からかわいいけど、戦う姿はとても可憐だと思う。例え真剣必殺を決めた時であっても乱ちゃんは刹那的で、思わず見とれそうになったくらいだ。乱ちゃんは私の言葉に「やったあ」なんて少し照れくさそうに言うから、ぎゅっと抱きしめたくなってしまう。

真っ先に私のところに来てくれたのは短刀の秋田藤四朗と五虎退、そして乱藤四朗だ。私が本丸を構えてから初期の頃に来てくれた短刀の三振りは、私の本丸の刀剣男士の中でも古株である。

それぞれと大きなハイタッチを交わしていく。手のひらはちょっとだけ痺れたけれど、今は気にならない。というよりも、今はこの痛みでさえも爽快だ。なんていっても初勝利!嬉しくないわけがない!


「僕も結構良い線いってたと思わない?」
「思うー! 最後の怒濤の攻撃最高だったよ安定ー!」

「石切丸さんの一刀両断も痺れたー! さすが大太刀! すごいよー!」
「だろう? 君に良いところを見せたくて、張り切ってしまったよ」


大和守安定と続けてハイタッチを交わす。悪戯っぽく笑う安定も、古株の一人である。石切丸さんも同じ。今日の編成は初期メンバーで編成したから、おかしなことは何もないけれど。にこやかに微笑む石切丸さんともハイタッチを交わしたら、残るはあと一人である。

――そう。残りは、私の本丸の初期刀だけ。
そしてその相手は、私の好きな人でもある――……


「御手杵――…?」


おそらく高い位置にあるだろう御手杵に合わせて両手を高く掲げた私は、そこにいるはずの御手杵がいないことにフリーズした。あれ?さっき最後尾にいなかったっけ?見間違いかな?いやそんな馬鹿な。あの巨体を見逃すかってんだ。


「御手杵は?」
「主さん、下、下」


乱ちゃんに言われて、私はそろそろと下を見る。すると、そこには本当に御手杵がいて。しゃがみこんで両手を私に差し出している御手杵は、私と目が合うと歯を覗かせてにいっと笑った。


「やったな。初勝利かー」


その笑顔にきゅんとして、でも私は努めて冷静に対応するように意識する。ここであんまりはしゃいだりなんかしたら、子どもっぽいって思われてしまうからだ。ただでさえ、私の立ち位置は御手杵にとって、子どもに近いのだから。

だからこそ私は、にまにましそうになることを我慢して我慢して、でも適度に喜びは表に出すというテクニックを見せつけなければならないのだ。


「うん! 御手杵も凄かったよ! かっこよかったー!」
「だろー」


他の子と同じような強さでハイタッチするつもりだったけれど、なんか意識してしまって、ぺたりと手のひら同士を合わせる感じになってしまった。手汗ひどくないかな?べったべたじゃないかな?なんて気にして、でも手を離れさせちゃうのは寂しくて、中々くっつけた手が離れないこれどうしようかな。もうずっと繋いでたい。すき。

御手杵は嫌じゃないのかな?なんて考えて、嫌だったら勝手に離れるだろうから大丈夫と自分に言い聞かせてみる。これは脈ありと判断していいのかな?いいよね?駄目かな?


「あんたが見てたからなあ。格好悪いとこは見せられねえよ」


へへ、と笑いながら、御手杵は私と合わせていた手をぱっと離して、すぐに私の手を上から包み込むようにそれぞれ握ってくれた。大きな体の御手杵は手だって私よりずっと大きいから、すっぽりと包まれているような感じだ。


「っ……そ、そうかな? 御手杵に格好悪いときとかないけど……」


だって、ずっと格好良い。ああこれ良い感じなのではないかな。最高の雰囲気なんじゃないかな。ドキドキとする心臓がうるさくて、ああどうしよう、みんなにバレたらどうしようなんて考えてしまう。多分心臓の音までばれちゃうこともないだろうけど。でもちょっと心配になるくらい、私は舞い上がってしまってるんだと思う。


「あ、あのね、御手杵、私……その……」


どうしよう。なにを言おう。ああ、どうしよう、うっかり好きって言っちゃいそうなくらい、嬉しい。口が滑って告白してしまいそう。でも流石にこのタイミングで告白するのはおかしいよね。それくらいはちゃんと自覚しているから、我慢できるけど、どうしよう、ちょっとくらいなら、アピールしてもいいのかな。

もじもじとしている私に、御手杵は優しく目を細めた。この視線は知ってる。私の気持ちを見透かしている視線だ。御手杵はやれやれといった風に「しょうがねえなあ」と言って、私の手を離すと、両腕を大きく広げて笑った。



「来いよ。たかいたかいしてやるからさ」



満面の笑みである。私は一瞬動きを止めて、小さく「え? ええ…」と呟いた。思ってた反応じゃなかった。でも御手杵はキラキラした視線を私に向けていて。私がたかいたかいを本気で喜ぶと、本気で思っている人の笑顔だった。私もう成人ちかいんだけど。


「御手杵ぇ……」
「なんだ? しなくていいのか?」
「うう、いやそういうんじゃ……」


御手杵の眉が、僅かに下がる。そういう些細な変化に気づいてしまう自分がちょっと憎らしい。そんな反応をされたら、流石に恥ずかしいなんて言えなくなってしまうから。そんなこといったら、絶対に御手杵は落ち込むから。


「……ん、してほしいかも」
「――だよな! なんだよお、遠慮することないからな」


恋の弱者はいつだって、惚れた方なのだ。逆はありえない。
私は諦めの心境でたかいたかいされながら、そんなことを思った。周囲から受ける視線の生暖かいこと生暖かいこと。


――私は御手杵に恋をしている。昔から、今までずっと。
でも、初期刀として私についてくれていた御手杵にとって、私は昔から今までずっと、小さな小さな子どもなのだ。









その昔、私は両親の都合で、審神者を勤める祖父の本丸で育てられていたことがある。といってもそれは六歳くらいまでの話で、再び両親と一緒に暮らすことが出来るようになってからは、また両親と現世で暮らしはじめたから、本当に数年だけの話なのだ。

祖父は若い頃から審神者を勤めていて、質実剛健な性分だったから、刀剣男士全員から慕われてた。そんなだから、刀剣男士のみんなも優しくて、私はたくさん遊んで貰ったし、面倒だって散々見て貰っていた。

それこそ、お姫様みたいな扱いだったんじゃないかな。あんな風に大事に大事にされたのは、本丸にいたときだけだったと思う。別に現世で冷遇されてたとかじゃなくて、本丸にいたときが強烈だっただけ。刀剣男士の懐も性根も、とっても暖かったから。

だから最初こそ両親に会いたくて泣いてばかりだった私も、すぐに元気に外で走り回って遊ぶような、そんな子どもになっていた。
みんなのことも勿論大好きだった。また両親と暮らすことになったときは、今度はみんなと離れるのが嫌で大泣きしてたくらい。


『そんなに泣くなって。これでお別れってわけじゃないだろ? ちゃんと、また会いに行くから……ほら、泣くなって』


最後まで御手杵にしがみついて泣いていた私に、御手杵は宥めるようにそう言っていた。撫でてくれるこの手のひらの温度ともお別れだと思ってしまえば、私は結局最後の最後まで泣きやむことなど出来なかった。

――そして数年の年月が経って、何の因果か私は審神者となることになった。どうやら、私には祖父譲りの適性があったみたいだった。両親にはちっとも適性がなかったのに、不思議なこともあるものだ。

祖父に報告すると、それはもう喜んでくれた。戦いに関わるということでたくさん心配もされたけど、祖父は審神者であることを誇りに思っていた人だったから、まるで自分のことのように喜んでくれた。

そして何故か――私の初期刀は祖父の本丸からついてきてくれた御手杵となったのである。









「一向に、進展がないんだよね。乱ちゃんどう思う?」


カラン、と氷がコップの中で揺れる。麦茶が水面に波紋を作る様をぼんやりと眺めながら、私はテーブルに向かい合わせに座る乱ちゃんに聞いてみた。古株の乱ちゃんは、その女子的な雰囲気も相余って、こうして時々恋愛相談に乗ってくれているのだ。

恋をしたことない、といいつつも、乱ちゃんの言葉は説得力がある。世話焼きの乱ちゃんの性格もあって、これはもう女子会といってもいい集まりだろう。


「そうだねえ……主に対する好感度でいえば、御手杵さんこの本丸でもカンストしてると思うんだけどなあ。主さんの押しが足りないのかなあ。でも、主さんはちゃんと言葉に出してアピールしてるのになあ」
「え……アピールしてるかな」
「してるよ〜主さんはほら、いつも素直に気持ちを出すからさ。嬉しいとか、格好良いとか、色々。何より目がわかりやすいよ。いっつも、好き好き大好きって、目でいってる」
「本当? アピール出来てるってこと?」
「そうそう。でも、御手杵さんもちょっと何を考えてるか分からないとこあるよねえ。主さんの気持ち、普通は気づいてそうなんだけどなあ」


不思議だというように首を傾げて、唇に人差し指を当てて考え込む姿はとても絵になっている。「乱ちゃんかわいい」と呟いたら、「ありがとう。ボクも常にそう思ってるんだ」と返された。うーんかわいい。


「やっぱりあれは、子どもに対する親愛みたいな感じじゃないかなあ。私、子どもの頃から御手杵になついてて、どこに行くにも一緒だったし。おねしょの隠蔽だって、私御手杵にしてもらったもん」


私は祖父の本丸でお世話になっていたとき、そりゃあもう御手杵になついていた。後ろをひょこひょことついて回り、御手杵は困った顔をして踏んじまいそうでこええなんて言ってた。私はそんな御手杵の表情が嫌いじゃなくて、足の甲にお尻を置いてふくらはぎを抱きしめて、一緒に連れ歩いて移動してもらうことが大好きだった。


「御手杵さんが主さんの面倒をみてたのは知ってるけど、その話は初めて聞いたかも。隠蔽なんてあの御手杵さんに出来るの?」
「出来るよ! 御手杵はね、恥ずかしくて泣いちゃった私をよしよししてくれてね、それで布団も私も本丸の池に投げ入れてくれたんだよ。大風が布団と私をさらって池に落としちゃったんだって言ってくれて、それで、私は誰にもおねしょをからかわれずに済んだんだ〜」


もちろん、私は御手杵に抱っこされた状態で池に入ったよ。一緒に御手杵までずぶ濡れになって、このことは二人だけの秘密にしようなって、言ってくれた御手杵は本当に格好良かった。

御手杵と結婚したいって思ったのは、この辺だったかな。昔のことだから色々と覚えてないところも多いんだけど、でもそのはずだ。


「……それ、多分みんなにバレてたんじゃ……」
「いいんだよ、乱ちゃん。大事なのは、昔の私がほっとしたことだから」


多分、みんなも私がおねしょをしたって分かってたと思う。分かった上で、御手杵の嘘を信じてくれたのだ。だって祖父の初期刀だった加州だって、『風に布団飛ばされちゃったんだって? じゃあ仕方ないね』なんてからかい気味に言われたりしたから。


「泣いちゃった時もさ、どこに隠れて泣いてたって、御手杵が一番に見つけてくれたの。本丸から出た後も、手紙のやりとりだって続けてさ。それで、おじいちゃんの本丸いたかっただろうに、私の本丸までついてきてくれて――…」
「もー! その話はもう何回も聞いたよ」


またのろけそうになった私は、乱ちゃんの声で我に返った。麗しき思い出の日々に意識を持って行かれそうになっていたのだ。いけないいけない。話が進まないからね。


「ごめんごめん。それで、私、御手杵に女の子として意識してほしくて……」
「うんうん。それで、何か前進はあった? 前は、露出の多い服を着てスキンシップをしてみたんだっけ? あれはどうなったの?」


乱ちゃんの言葉に、私は遠い目をした。


「『そんな格好したらぽんぽん冷えるだろー? ほら、これ巻いとけ』って上着をお腹に巻かれました」
「うわあ……それは……主さんショックだったよね……」
「うん。でも、御手杵の上着、御手杵のにおいがしてちょっぴりドキドキした」
「ボクね、主さんの転んでもただじゃ起きないところ結構すきだよ」


へへ、と照れ笑い。こういうことをいってもらえるのって、嬉しいなあ。


「でもその後ね、結局お腹冷えて下しちゃって……」
「えっ、いつの間にそんな……もう大丈夫なの?」
「うん……御手杵がずっとそばでお腹撫でてくれてたから。『大丈夫かー? はやく元気になれよー』って」
「御手杵さん面倒見いいよねえ。でも、そこまでしてくれるのに意識されないってつらいだろうなあ。主さんはそんなに御手杵さんがいいの?」


そう言われ、私は迷うことなく頷いた。だって御手杵と一緒にいたときだってそうだったんだけど、離れてからもずっと御手杵が好きだったから。この気持ちは恋であり、そしていつか愛になるものだと思う。


「――うん。御手杵がいい」


そんな私をやれやれって感じの目で見た乱ちゃんは、小さく笑って言った。


「じゃあ、今度はもっと積極的にいってみたらいいんじゃないかな」
「積極に……? 婚姻届渡すとか?」
「うん? じゃなくてー、ほら、あれだよあれ」
「あれ?」


何のことをいっているか分からない私に、乱ちゃんはテーブルの向かいから前のめりになって、小声で言った。


「夜・這・い」


乱ちゃんの爆弾発言に、私は思わず言葉を失った。流石にそういうことは行動しようと思ったことなんてなかったから、まさに寝耳に水って感じだ。


「――それは試したことなかった」


確かにそれは、効果が見込めるかもしれない。私はごくりと唾を飲み込んで、想像をしてみる。ちょっと薄着で御手杵のところに押し掛けたら、同じ布団で一緒に眠ったら、流石に御手杵だって私を意識せざるを得ないんじゃないかって、そう思ったのだ。


「なんだか恥ずかしくて……添い寝頼んだこともなかったや……でも、そうだね。昔とは、意味が違うもんね。……そういうことだよね?」
「そうだよ〜! ボクも、御手杵さんと主さんはお似合いだと思うんだ。だから、主さんの恋は実ってほしい。主さんの幸せは、ボクの幸せだよ」
「っ〜〜乱ちゃあん! ありがとう〜!」


テーブルの上で乱ちゃんのことをぎゅっと抱きしめたら、負けじとぎゅっと抱きしめ返された。







そして、善は急げということで、その日の夜。早速お風呂に入って入念に準備をした私は、どきどきしながら御手杵の部屋の前に待機する。


「御手杵ぇー入っていい?」


良い匂いのするボディークリームだって塗りたくったし、髪もヘアオイルでしっとり艶を出してきたし、かわいい下着だってつけてきた。鏡で何度も確認したし、最高の出来のはず。御手杵に気づいてほしくて、今までだって自分磨きは欠かさなかった。急拵えってわけじゃないし、魅力が皆無ってことはないと思う。


「……御手杵? 入るよ?」


返事がこなくて、少し悩んだけど部屋に入ることにする。普段はあんまりこういうことはしないけど、御手杵との間柄だとあんまり気にはしない。御手杵も、普通に私の部屋に入ってくるし、問題はないと思う。


「寝てるんだ……」


中に入ると、大きな布団の上で大の字になって寝ている御手杵の姿があった。まだ夜の九時なんだけど、御手杵は寝るの早いなあ。でもその方が隙はできるって感じであるかなあ。これはチャンスかもしれない。私は御手杵が起きないようにそろそろとそばにいって、枕元で座り込む。そして御手杵の寝顔をじっくりと観察しながら、ほう、と息を呑んだ。


御手杵はいつだって格好良いけれど、寝顔もやっぱり格好良い。なんだか凛々しさがある気がする。一体どんな夢を見ているんだろう。そんなことを思ってしばらく眺めていたけれど、本来の目的を思い出して慌てて移動した。


「御手杵、ね、起きて、御手杵」


御手杵の脇の下当たりを陣取って、そっと御手杵の頬をぺちぺちと叩いてみる。すると、ううんとか、むにゃむにゃとかしていた御手杵も目を覚ましてくれたらしい。上からその様子を眺めていた私は、御手杵のまぶたが開いて私の姿を映し出したのを確認して、ふにゃりと笑う。


「……主かあ?」
「起こしちゃってごめんね、御手杵。でも私御手杵に――……」


夜這いにきたんだけど今いいかな?なんて続ける前に、御手杵の手のひらが私の頬に触れる。そして優しく撫でられてると、どうしても意識してしまう。御手杵は私のこと子どもみたいに扱うから、どうしても最初はそんな反応じゃないかって思ってたけど、これってもしかして、もしかするんじゃないかなって。


「厠かあ…? 寝る前に行かなきゃダメだろお……?」
「……違うんだけど」


だからもう子どもじゃないし、私もう一人でトイレだっていけるし、そもそも審神者になってからは一人でトイレ行ってたじゃん。御手杵にとって私はそれくらいの子どもに今も見えているのかなあ、なんて不安になってしまう。


「んん〜? じゃ、こわい夢みたか?」


手のひらが私の頭の上に移って、あやすように撫でてくる。
こうして触られるのは嫌じゃないしドキドキもするけれど、でも、それだけじゃ嫌だからこうして夜這いにきたわけで。


「あのね、夜這いしにきたんだ」


ドキドキする。どんな反応が返ってくるのか分からなくて、少しだけ、胸が震えた。でも、御手杵の保護者みたいな意識を変えてしまいたいから、こんな方法でちょっとごめんねって思わなくもないけど、そうするしかない。


「は?」


私が言っていることが分からないって顔をしている御手杵に、私はすうと小さく息をすって、顔を近づける。上から御手杵の肩に手のひらを置いて、そうして、頬にちゅっとキスをした。上手くできなくて、なんかドラマとかで見るみたいな音が出なくて、どっちかというとむちゅっとした感じになってしまったけれど、とにかくキスをしてしまったのである。


「ひゃああ、やっちゃった」


恥ずかしくて、咄嗟に両の頬を自分の手のひらで挟んでしまう。ふつふつと熱くなっていく頬は、きっと目に見えて赤くなっているに違いない。


「なんだよお、これ。甘えてんのか?」
「甘えてるっていうか、御手杵にちゃんと意識してほしくて……急にごめんなんだけど、でも、少しは私のこと、女の人みたいに思ってほしい……」


きっと今私は、すごく舞い上がっていると思う。
御手杵はそんな私を見て、ゆっくりと上半身を起こす。けれどそれきり名にも言わなくて、視線を私からずらしてぼりぼりと髪をかくと、そのままひたすら無言を貫いた。


「女って……」


そうしてようやく呟いた言葉は想像していた以上に低くて、さっき一人で厠にいけないのかとかこわい夢を見たのかとか言っていた声よりも、ずっと変わってしまっている。


「あんた、今までずっとそんな風に思ってたのか」
「え……」
「俺があんたを女として見てないって……?」
「いや、性別は知ってくれていると思ってるよ。でも、そういう意味じゃなくてその……恋愛対象になりたいって、そういう意味だよ」


呆れたように言われると、こわくなって、不安になって、弁解するようにそう続けてしまう。


「はああ………ああ、そっかあ……」


間延びした声で呟いた御手杵は、大きなため息を何回か繰り返して、また黙り込んだ。そんな反応を御手杵にされるのは初めてで、余計にこわくなる。いきなり夜這いしてキスなんてしてしまったから、御手杵を怒らせてしまったのかもしれない。

それどころか、嫌われてしまったらどうしよう。なんて。


「い、嫌だった……?」


御手杵は昔から優しかった。子どもの私が作った折り紙の手裏剣だって、すごいな天才だなってほめてくれた。そんなの言ってくれれば何回だって作るのに、ずっと大事にもってくれて、ぼろぼろになって持っていてくれてるくらい。


「嫌……じゃねえけど」


そういって、立てた膝の上で腕を重ねて、その上に顔を押し当てる。完全に、御手杵の視界から私が消えてしまった。うーとか唸りながら、御手杵は明らかに喜んでいるとか、満更でもないとか、そういうわけでもなさそうで。

完全に見込みなし。希望なし。

そんな風に悟ってしまった。


「……迷惑?」


きっと御手杵は私のことをそんな風に見てないんだろう。分かっていた。だけどあきらめきれないからこうしてここまで来たわけで。きっと大人しく引き下がった方がいいのだろうけれど、でも、ずっとここまで培ってきた恋を、こんなところで終わらせたくない。

私は勇気を出して、御手杵の腕にそっと触れた。


「――…私、御手杵が好きだよ。ずっと、ずうっと好きだった。今も好き。いっておくけど、恋だからね」


そろそろと、御手杵が顔を上げる。私はその顔にまた近づけて、勢いのまま、そう口にした。


「私の初恋は、御手杵なんだよ」


今度は、多分勢いのまま口にキスしようと思った。どうしても振り向いてほしくて――御手杵の中で印象づけたくて、どんな結果で終わったとしても、間違ってもなかったことになんてされたくなかったから。

でも、出来なかった。



「……御手杵…」


何も言わず、肩を掴んで引き離されたからだった。私に触れられるのが嫌だったのか、御手杵は私と目だって合わせてくれなかった。


「無理だって……できねえよ」


ただ、その声だけは私の耳に鮮明に届いたのだった。





――その後のことは覚えてない。気づいたら、私は部屋に戻って壁に向かって正座していた。


盛大に砕けてしまった。散ってしまった。
無理って言われた。あんなに私に優しかった御手杵に、普通に拒否されてしまった。


「失恋……したのかあ……」


ぽつりと呟いた。完全に振られた今となっては、よく分かる。多分私は、御手杵が私のことを恋愛対象として見ていなかったとしても、きっと受け入れてくれるだろうと期待していただろうことを。

私にいつだって甘くて優しくしてくれる御手杵なら、きっと、例え私が好きじゃなくたって、好きになってくれるはずだって。そんなわけないのに。なのに、どうしてもこうも信じ切っていたんだろう。

自分が情けなくて恥ずかしくて、穴があったら入りたいとはこのことだ。


きっと、引き際があるのだとしたら、今なんだろうと思う。
私の気持ちばっかり優先したって、御手杵の気持ちが私に向いていないなら仕方ない。意味がないから、そんなことするのはきっと良くないと思うから。





「――振られた。無理だできないって言われた」


そう乱ちゃんに泣きついた私を、乱ちゃんは私以上に泣きそうな表情で受け入れてくれた。こうして言葉にしてみると、死刑宣告のような断り方だったんだなあって思う。私が御手杵の心につけいる隙なんて、元からなかったんだと思う。

そんな目で見れない、とかならまだ良かった。無理だできないって、それはあまりにも残酷な返事だと思う。咄嗟に出てきた言葉がそれなんだから、きっともしもなんて考えるだけ無駄なくらい、無謀なことなんだと思う。


「御手杵さんがそんなこと言うと思えないんだけど……」
「でも、はっきり言われたんだよ?」
「うーん、本当に、そういう意味なのかな。そんなことないと思うんだけど」


私もそうだったら嬉しかった。でも、乱ちゃんはきっと私を気遣っているだけで、その言葉をあんまり信じちゃいけないんだと思う。私は首を横に振って、か細い声で口を開いた。


「御手杵のこと好きだけど……迷惑はかけたくないよ。ねえ、乱ちゃん。私はもう、御手杵のこと、諦めた方がいいのかなあ」
「……主さんは諦めたい?」
「諦めたくない! だって、だって私本当に御手杵のことが好きなのにっ! でも、でもさ……」


もう御手杵のことを困らせるのだって嫌なのだ。私のすることで、御手杵があんなにいやがっていることを思えば、私はもう、御手杵に好きだっていうことなんて出来ないもん。

震える唇に渇を入れる。大丈夫、私はやれば出来る子だ。
今すぐになんて絶対に無理だけど、でも、御手杵のために出来ることは何でもしなきゃいけない。時間はきっとかかるし、それこそおばあちゃんになったって御手杵以外の人を好きになれるとか思わないんだけど。

でも、私のせいで御手杵がこの本丸に居づらくなってしまうことは嫌だ。長く暮らしてきた本丸から出て、私の初期刀にだってなってくれたんだから。


「御手杵離れを、しなきゃ。私、御手杵にずっとそばにいてほしいんだもん」


例え想いが返ってこなくても良い。それでも構わない。
だけど、それでも御手杵にずっとそばにいてほしい。

それくらいの願いは持っても御手杵を困らせたりはしないだろうか。


ぽろりと涙をこぼした私の頭を、乱ちゃんは優しく撫でてくれた。その優しさが嬉しくて、でも、どうしても御手杵の手と比べてしまう。寂しくなって、無性に御手杵に会いたくなってしまうから。


「乱ちゃん、協力してくれる?」


そう聞くと、乱ちゃんはぎこちない微笑みを浮かべてこつんと私の額に自分の額を合わせて、優しい声で答えてくれた。


「もちろんだよ。ボクはいつだって、主さんの味方だからね」


花柄のハンカチで私の涙を拭ってくれた乱ちゃんに抱きついて、私はその日わんわんと泣いたのである。いつもは一番に見つけてくれて、泣きやむまでずっとそばにいてくれた御手杵も、今日ばかりは私を見つけてはくれなかった。














「主ー!!!」

『なんだ御手杵、そんなに慌てて。孫娘に何かあったのか?』

「あった! いやない……やっぱある!」

『どっちだ。話す前に内容をまとめておけと言っているだろう。それで、どうしたというんだ』

「――禁止令を解いてくれ! そろそろ本気でやばいんだって!」

『駄目に決まっておろうが。成人するまで決して手は出さず口説かないことが、お前をあの子の初期刀にする条件だっただろう』

「分かってる! 分かってるけど、だってあいつ夜這いとしてくるからっ。もうこれ以上我慢できる自信ねえよお……」

『あっはっは! そりゃあまた……最近の子どもは手が早いわ。女の子は特に早熟というしなあ。御手杵、気張れ気張れ。手を出すのは成人してから! 変更はない!』

「笑い事じゃねえよ……どうしたらいいんだよお…」



『あっ、なになに。御手杵と繋いでるの?』
『ああ。聞いてくれ、加州。御手杵が夜這いを受けたらしいぞ』
『えっ! なにそれめっちゃ面白そうじゃん! 御手杵手を出したの??』


「出してねえよ! 出せるかよお……」


『我慢強いよねえ。小さい頃に結婚するって約束未だに覚えてて、しかもその約束を守るために初期刀志願してさあ――本当はめっちゃ好きなくせに』
『男としては情けないが、孫娘の夫としては素晴らしい。だがあの子を泣かすものじゃないぞ。あの子も審神者としてまだ頑張りを必要とする時期なのだから、しっかりと励むように』
『あっはは、それもそうかもねー。じゃあ御手杵、頑張って〜。俺らは御手杵とあの子の関係応援してるよ〜』






回線を切って、御手杵は長くため息を吐き続けた。肺の中の空気を全部吐き出す勢いである。



「……他人事だと思って無茶言うよな。俺だって、大事にしたいって思ってるから困ってんのに」


相手は元いた本丸の主。御手杵には、二人の主がいる。一人目は御手杵を顕現し長く戦ってきた本丸の主。二人目は現在の主――……一人目の主の孫娘である。本来ならば初期刀に槍が選ばれることなどないのだが、無理を承知で無理矢理初期刀の枠にねじ込ませてもらった。


それというのも、大昔、孫娘の面倒を見ていた時期に結婚の約束を交わしてしまったことが原因である。

小さくか弱く、少しひねったら命を奪ってしまいそうなくらいの子どもは、非常に御手杵になついていた。
ひょこひょこと自分の後ろをついて回った子どもはかわいく、本来そんな性分ではない御手杵が世話焼きになるまでに時間はかからなかった。


「ずっと我慢してきたってのに……」


小さな人間の子どもに欲情したわけではない。けれど情が湧いていたのは紛れもなく事実。好きだと言われ結婚を強請られたときも、御手杵は悪い気はしていなかった。

本丸から孫娘が去るとき、大人になっても好きでいたのなら結婚してもいいとした約束は、御手杵の中では有効だ。ひたすら孫娘の泣くところを見たくなかったから、もしも大人になっても気持ちが変わっていなかったら、その時は本当に娶ると決めていたのである。

先ほどの会話からも分かるように、祖父にあたる主の許可はとっている。長らく交わしてきた手紙や、実際に再会した時の反応からも、孫娘が未だに自分に恋をしているだろうことに御手杵は気づいていた。


なれば後は、主となった孫娘が成人するまで待つだけである。
御手杵に出来ることは、それまでに主の気が変わらぬように、今までと変わらず過ごすことだけである。


だというのに、最近の主ときたら無防備が過ぎるのだ。急に露出の多い服を着て触ってくるし、昨日なんて夜這いまでかけてきた。それだけに限らず、口づけまでされてしまっては御手杵とて理性を抑えることが難しい。


繰り返す――御手杵は主に好意を抱いているのである。


「あと一年くらい……かあ? 長すぎるだろ」


一人目の主に条件緩和を頼んだが、一蹴されてしまった。となれば当初の予定通り、主が成人するまで待つしかない。

二人目の主が今まさに御手杵離れを決意していると知らぬ御手杵は、そんなことを考えていた。





――二人が結ばれるかどうかは、まだ誰も知る由のないことである。





おわり

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