本丸番号384921の話。
この本丸の審神者は、刀剣男士と関わることを極力避けてきた。むやみやたらに刀剣男士と関わることで、結果、刀剣男士に無体な真似をしてしまうようになるのではないかという懸念からの行動である。
そんな審神者の意思を、本丸の刀剣男士は尊重してきた。
ドロップにより本丸に来た刀剣男士も、審神者の声に応えて顕現した刀剣男士も、審神者に選ばれて審神者と共に本丸を見守り支えてきた初期刀も、誰一振りとして例外はない。刀剣男士は進んで審神者の視界に入ろうとはしない。声を聞きたいと、些細な用事で話しかけることも自粛した。主である審神者と関わる時は、出陣遠征任務の命と報告時。そして、手入れ時のみである。
普段から審神者のそばにいる加州清光でさえ、審神者と必要がなければ会話は控えていると言っていた。つまり、この本丸の刀剣男士全員が、自分を律して審神者との一線を引いていたのである。
けれど、いずれも抱える想いはただ一つ。
――主である審神者と、もっと関わりたい。ただそれだけである。
[chapter:勝利の美酒に酔いしれろ]
審神者が出来る限り食事を共にするようになって、数ヶ月経った頃。
最初に言い出したのは誰だったか、とにかく、宴会を開くことになったのだ。審神者個人は酒飲みではないが、酒飲みには寛大である。そうでなくとも、審神者は基本的に、刀剣男士のやることなすことにあれこれ口を挟む方ではない。悪くいえば放任、良くいえば自主性を重んじているといったところである。
そうして、刀剣男士主催で行われた宴会での話である。
仕事を終えた審神者が宴会に入るのは、おそらく中頃になるだろう。とは、近侍の言葉である。先に始めておいてくれとの審神者の意思で既に始まっていた宴の席。
「――すまない。遅れた」
そこへ仕事を片づけた審神者が入ってきた瞬間から――刀剣男士達の戦は始まっていた。
「主さん! こっちこっち!」
「あるじさま〜! こっちあいてますよ〜!」
「大将ー! こっちだ!」
短刀達の黄色い声を皮切りに早速接戦が繰り広げられる。何が何でも審神者を近くの席に、という魂胆である。最初から審神者が宴会に参加するのであれば、最初から審神者の手を引いて参加ということも出来た。けれど、審神者は途中参加に加え――審神者の席は決まっていないということ。食事時もそうだが、審神者は上座には座らない。全員集めての連絡時のみ上座には座るが、それ以外はその場その場で座る席を変えている。
つまり、審神者のそばに行きたければ、審神者自身を自分のそばに座らせるしかないということである。一番に声をかけて、一番に手を引いて、自分たちの近くに連れて行くこと。大広間に足を踏み入れた審神者を我先にへと誘おうとするその光景を――宗三左文字は呆れた目で傍観していた。
(――なんとまあ、おモテになることで)
声に出すわけではないのに、皮肉めいた口調になってしまうのは性のようなもの。後方の酒に強い刀剣男士が集まっているテーブルの一角で、宗三左文字は審神者の方を見ながら酒を口の中に流し込む。
「いや〜いつ見ても人気だよねえ、主は」
「はっはっは! いやあ、さすがは我が主よ。あっという間に囲いが出来てしまったなあ」
既にアルコールをたらふく摂取している次郎太刀と岩融は、あっという間に囲まれた審神者の姿を豪快に笑い飛ばす。すると、各隣に座っている石切丸と太郎太刀が静かに口を開いた。
「主は、人望のある方ですから……」
「良いことだよね。とはいえ、慕われすぎるのも考えものだけれど――ああ、どうやら、粟田口が主を勝ち取ったようだね。やはり、頭数が多いのは強みだねえ」
日本酒を熱燗でいただきながら、審神者の近くを奪取した刀剣男士を観察する。石切丸は、ふふっと笑いながら、小狐丸に目を向けた。
「君は行かなくてもいいのかい?」
「……童と張り合っても仕方あるまい。後で良い」
熱い視線を審神者に向けながら、小狐丸は不機嫌に言い捨てる。数の暴力ともいえる粟田口の中に入って審神者を奪取するには、些か分が悪いと自覚していたようだ。
けれど熱のある視線を審神者に向ける理由は、もしかすると途中で審神者が小狐丸の視線に気が付いてここまで来てくれるかもしれない、なんて、そんな淡い期待からかもしれない。
「代わりに、酔ったぬしさまを送り届ける役目がある。共寝する私がぬしさまを最終的に連れて行くのだから、そう焦ることもなかろう」
「ああ、そうだったね。やはり、床を共に出来るのは大きい。上手に懐へ潜り込んだものだね、小狐丸」
酔いが回っているのか、ほわほわとした雰囲気でとんでもない言葉を吐く石切丸には、多少の、質の悪さのようなものが出てきているようであった。発言が一々物騒なのは、三条刀派の特徴かもしれない。そんな石切丸の言葉を鼻で笑って、小狐丸は酒の続きを飲む。けれど、初めよりも酒の量をセーブさせ始めた姿を見れば、審神者を持ち帰る気でいることは明白だった。
「はやまってはいけませんよ。ちゃんと、じきをみはからってくださいね、小狐丸」
岩融の膝の上でちみちみとお酒を飲みながら、今剣はそう口にする。既に酔いが回っているようで、ぽわぽわとした雰囲気の今剣だが、言っていることはえげつない。それに同意するように今剣の頭をなでる岩融は、大きな声で笑っている。
「平安刀はこれだからねえ、」
そう次郎太刀がぼやく言葉に、宗三左文字は心の中で賛同する。
(全くですよ)
隠すつもりのない三条は、小狐丸が審神者を口説き落とすことを望んでいるらしい。
審神者は現時点で、小狐丸が自身の貞操を狙っているということに気がついていない。以前審神者と二人きりで酒を飲んだばかりの宗三左文字は、冷ややかな目で三条一派を見た。
(……あけすけに、よくもまあ言えるものだ)
――審神者に恋慕する刀剣男士の中でも、小狐丸は特に危険である。
それは、この本丸の多くの刀剣男士が把握していることだった。なぜなら小狐丸は、審神者への感情を一切隠していないからである。意味深な発言で周囲を牽制していた時期もあり、その時の本丸に漂う険悪さといったら、加州清光も辟易していたぐらいである。その噂が審神者の耳に入って、小狐丸が部屋に出入り禁止を言い渡された時には、ほとんどの刀剣男士が安堵したものだった。
(主もよく無事でいられたものだ…)
性的な意味で審神者への欲望を抱いている小狐丸が、毎夜毎夜審神者と共に寝ているという。そんな危険しかない状況に、審神者の身を案じていた刀剣男士は決して少なくない。こっそり夜更けに小狐丸が審神者に悪さをしていないか自主的に見回る刀剣男士も複数いたくらいだ。
つくづく、審神者が本丸でどれだけ大切にされているかが伺える。
そしてまた小狐丸が部屋の出入りを許可された時には、心配性や苦労性の刀剣男士は揃って頭を抱えたものだ。以前のように再び夜更けに様子を見に行く刀剣男士もいたが、いっそ小狐丸を闇討ちした方が早く片が付くのではないかとぼやく刀剣もいたくらいである。それほどまでに、小狐丸は危険視されているのである。
夜這いが当たり前だった頃の刀は、揃いも揃って即物的で手に負えない、とは宗三左文字の意見である。
「無理矢理はやめてくれよ。雅じゃない。きちんと手順を守って、主の了承を得てからにしてくれ」
「そうだよ。見たところ、主は色事には疎そうだからね。付け込むようなことはよしてくれるかい?」
宗三左文字の隣に並んで座り、小狐丸に苦言を申すのは、歌仙兼定と蜂須賀虎徹である。そこそこ酒を嗜みながらも、理性はしっかり保っている二振りに、小狐丸は面倒臭そうに顔をしかめる。
「分かっておるわ」
あしらうようにそれだけを口にすると、小狐丸は審神者から目を離すこともせずに、酒を一口飲む。審神者を肴に酒を飲むなと、酒瓶をフルスイングしたい衝動に駆られようとも、それを実行することはない。流石にそれは問題になってしまう。
(……不味いですね。あの人、酒を飲むと極端に隙が出来ますから…)
以前酒を飲み交わした際、酒には気をつけろとあれほど言い聞かせたのにも関わらず、審神者がそれを意識している様子はない。酒の注がれたコップが空になる度に、気を利かせた短刀達が我先にと酒のおかわりを注いでいく。審神者はそれを受け入れて、宗三左文字が遠目で確認しているだけでも、既に三杯は飲み干している。審神者が宴会に参戦してから、三十分も経っていないというのに。明らかにペース配分がおかしい。
「大丈夫かな……少しペースが早いようだけれど」
「全く……主は酒の飲み方を分かっていないようだ。勧める者も勧める者だ。一期一振は何をしているんだか……」
既に顔が赤らんで、口数が少なくなりつつある審神者は、後一時間も持たないことだろう。粟田口の短刀に囲まれて微笑んでいる審神者だが、その表情はどこかあどけない。素面の時には見せない表情である。それが新鮮なのだろう。次々に酒は注がれて、審神者は現在四杯目である。
「一期一振かい? ごめんよぉ。一番に潰しちゃった」
てへっとお茶目に笑いながらウインクをする次郎太刀は、そっと部屋の隅を指さす。酒に潰れて眠ってしまった刀剣男士を並べておくスペースである。既に何振りか転がされているそこに、一期一振の姿があった。ついでに、酒を飲ませる面々を黙らせるタイプであるへし切長谷部も早々に潰されている。誰が何のために潰したのかは、謎、ということにしておく。
「……まあまあ、粟田口には薬研がいるだろう? 彼がストッパーになってくれるだろう。大丈夫さ」
呆れて顔をひきつらせる歌仙兼定を宥めるように、蜂須賀虎徹はそう口にする。けれど、言い終わって、転がる刀剣男士の中に正に今口に出した短刀が混ざっていることに気づいたようだった。
「あ、あれ? 薬研はどうしてあそこに……早くないかい?」
「……彼なら、次郎から兄を庇って……早々に眠りにつきました」
「粟田口の歯止め役が……そうだ、鳴狐、鳴狐がいれば――…ああ、駄目だ。鳴狐も転がっているじゃないか!」
申し訳なさそうに、太郎太刀は肩をすくめてしまう。
「弟が申し訳ありません」
「なにおう! 楽しく酒を飲んでちゃダメだってのかい! 何も無理矢理飲ませたわけじゃないからねっ。あっ、言っておくけど、鳴狐はアタシじゃないからねえ?」
酒を豪快に喉に流し込みながら、次郎太刀はびしっと歌仙兼定と蜂須賀虎徹に指を向ける。
「だいたいっ、アンタたちは過保護なのさ。主がいくらおぼこいっていっても、限度があるってもんさ。どんなに無知だろうが、あれは立派なアタシらの主だよ? そんなことまで口出すこたあないの! 酒の飲み方も羽目の外し方も、主が自分で身をもって学んでいくことなんだよ。そこまで手厚くしなきゃならないほど、主は軟弱じゃないよう!? まったくっ」
ねえ、兄貴!?と太郎太刀に同意を求めるが、太郎太刀は渋い顔である。
「次郎、お前の言い分も分かります。しかし見ての通り、主はあまりに色事に疎いですから。どこかで手引きは必要という話です」
「は〜? なんだい? 兄貴まで過保護になっちゃって」
やれやれという風にため息をついて、酒の入った器を少々乱暴にテーブルの上に置く。じろりと、鋭い視線が、太郎太刀をはじめとして、周囲の刀剣男士を突き刺していく。
「思い出してごらんよ。戦の指揮執る主の姿をさ――あれが、主の芯の部分なんだ。今、あそこで短刀たちに囲まれて笑っている主は、アンタたちには気弱そうにでも見えるんだろう? もちろん、あれも間違いなく主なんだろうね。でも、あれが主の全てなんかじゃあない。いざとなれば、主は誰より迷わず戦う気概を持つ男さ。もっと信用してやんなよ――自分を守る術くらい、主に身につけさせてやんないと。アタシらが出張るのは、それでも主が身を守れなくなった時だけだよ」
その堂々たる姿に、一同は口を噤む。審神者を信じていないわけではない。だが、平時の審神者の穏やかな性分に、不安を覚えることもある。それはつまり、主である審神者のことを信用していないのだろうと突きつけられたことで、蜂須賀虎徹も歌仙兼定も、太郎太刀もが黙り込んだのだった。
「――まっ、主が可愛いのは分かるけどね〜。主にはアタシや乱みたいな可愛い格好も似合うだろうし? 今度着せちゃおうかなあ? 兄貴、どう思う?」
「……やめておきなさい」
けろりと表情を変えてそう言い始めた次郎太刀に、太郎太刀は呆れたように肩をすくめてしまう。
「確かに、あまり口出しすることではありませんが……」
「そうだね。少し、心配しすぎたかもしれないな」
蜂須賀虎徹は本来素直な気質である。相手の意見も(一部を除いて)聞き入れる柔軟さを持っている。故に、次郎太刀の言葉にも一理あると考えたらしい。悩む姿勢を崩さぬまま、けれど賛同するように口にする。だが、隣の歌仙兼定は納得できていないようだった。
「いいや。僕はそれでも、主には教育が必要だと思うね。痛い目を見ずとも学べるのなら、その方が良いに決まっている。身を守る術を教えることを、過保護と呼ばれる謂われなどない」
「かぁー、アンタも頭が固いねえ。主は主で、ちゃあんと考えてると思うけど」
「どうだろうね。主は戦事は得意だけれど、人の心には疎い。僕は初期の頃から本丸にいるから、なおのことそう思うよ」
「うーん……そう言われると、後から来た身としちゃ返す言葉がないねえ」
困ったように目尻を下げた次郎太刀に、歌仙兼定は後悔を覚えたらしい。迂闊に言葉を選んでしまった、やらかしてしまったという表情を浮かべてしまう。
「すまない、次郎太刀。そんな意図はなかったんだが…」
「分かってるよ。でも確かに、アタシらは本丸に来たのが遅かったからねえ。主と一対一で話すこともそうなかったんだから、確かに、アンタの言い分も理解できる」
「次郎太刀…」
「そんな顔しないしない! ここは酒の席だよ? 辛気くさい話はなしだ」
歌仙兼定が自身の発言に気落ちしてしまった様子を見てか、次郎太刀は空気を入れ換えるような笑顔を浮かべて、手元の酒を飲み干して、またおかわりを注ぐ。
「よし、じゃあ、次郎ちゃんが主のとっておきの話をしてあげよう」
ぱちんとウインクをして、歌仙兼定にそう言い放つ。歌仙兼定は次郎太刀の言葉に不思議そうな表情を浮かべて、首を微かに傾げていた。いきなり何を言い出すのか、といったような表情である。だが歌仙兼定の反応などお構いなしに、次郎太刀は機嫌良く話し始める。主のとっておきの話、という言葉に、近くで飲んでいた三条刀派も沈黙して耳を澄まし出す。
「これは、主が滅多に離れから出なかったときの話なんだけどさ、」
話し始めた次郎太刀の言葉を遮る者はいなかった。宗三左文字も同様である。
「主はアタシらとの関わりを避けてきただろう? だが、時々アタシらの様子を見に来ていたことは、皆も知っているはずだ。手合わせの時なんかそうだよね。ふと気が付くと、主が様子を見に来てたりなんかしてさ。その時は張り切っちゃったりなんかして、いつも以上に手合わせを頑張るんだよねえ」
心当たりがあるのか、頷く者もいれば、懐かしむように空をみる者もいる。
「その時さ、庭で手合わせをしてた奴らを見ている主を、アタシは縁側で酒を飲みながら遠目に見ていたことがあってね。あ、非番の話だから。昼間から酒なんてっていう指摘はなしさね。で、その時なんだけど、主の足下に蛇が這い寄っていたんだよね。じっと目を凝らしたら、それは蝮だったんだよ。大きかったよ。多分ねえ、これくらいはあっただろうね」
手を広げて蛇のサイズを伝えようとする次郎太刀だが、体躯の良い次郎太刀のこと、大きいサイズのはずの蝮も、やけに小さく見えてしまっていた。
「こりゃいかんと思って、アタシは主のところにいこうとしたのさ。主が蝮に気づいて、声でもあげてごらんよ。刺激された蝮が襲いかかってしまうって思ってね。いやあ、あの時は本当にひやっとしたもんさ。どうか主が蝮に気づかないように、アタシが行くまで、蝮に襲われないようにって祈ったもんだ」
「そ、それで、どうしたんですか? あるじさまはかまれなかったのでしょうね?」
「まあ待ちなって。ここからがいいところなんだ」
慌てる今剣に、次郎太刀はふふっと自慢げに笑ってみせる。
「もうすぐ主のところへ着くっていうとき、主がすぐそばに来ていた蝮に気が付いたんだよね。主の動きがぴたりと止まって、まあ、声をあげたり大げさに驚いたりっていうのはなかったんだけどね。吃驚して動けなかったんだなって思ったよ。でも次の瞬間、目にも止まらない速さで――」
一拍の間を置いて、次郎太刀は含みを持たせる。効果は絶大だったようで、聞き耳を立てていた面々は、酒を飲む手を完全に止めてしまっていた。
「――蝮の頭を踏みつけて、首根っこ掴んで持ち上げてたんだよ、主が」
へえ、だとか、ほう、だとか、ええ?だとか。口からもれる言葉に違いはあれど、各自次郎太刀の言葉が信じられないように驚きの表情を浮かべている。その反応に満足したのか、次郎太刀は自慢げに続ける。
「そうして近くまで来てたアタシを見て、主が何をいったと思う?」
「なんて? なんていったんですか? おしえてください次郎太刀!」
「ふふっ……主はねえ、こう言ったのさ。蝮を差し出して『要るかい? 酒に出来るよ』ってね。いやあ、汗一つかいてなかったよ。肝がすわってるもんだ」
「! すごい! あるじさま、かっこういいですね!」
「だろう!? あんまり驚いたものだから、唖然としたまま、主から蝮貰ったもんだよ……いやあ、美味しかったねえ、あの蝮で作った蝮酒」
「飲んだのかい…」
感心半分、呆れ半分といったところか。歌仙兼定のつぶやきに、次郎太刀は幸せいっぱいに笑って見せた。
「おうとも! 主からの贈り物だから、余すことなく全部胃袋の中さね! 思えば……戦事以外で主と初めて交わした会話はあれが初めてだったねえ。……思い出しても胸が高鳴るよ。これが乱の言っていたトキメキってやつかねえ」
「トキメキとはまた違うんじゃないか? 肝が冷えた話の部類だと思うが。ああ、だが、そうか。主にはそんな剛胆なところがあったのか。羨ましいな、あの時期の主とそんな風に話が出来たなんて」
「うらやましいだろう? でも、交わしたのは一言だけだよ。アタシは本当にびっくりしてたから、うんって頷くだけだったし。だから、アタシはアンタの方が羨ましいよ。なんたって、一対一で会話したことがたくさんあるんだろう? 料理を直に教わっていたんだって?」
「まあね。だが、僕は主のそんな姿は見たことが――……」
言い掛けて、歌仙兼定は考え込むように黙った。
「……いや、僕も主の意外な一面を見たことがあるよ」
「おっ、いいねえ、聞かせておくれよ!」
酒の肴ができたとばかりに、次郎太刀がはやし立てれば、歌仙兼定は思い出すように眉間のしわを伸ばしながら、口を開いていく。
「そうだね。あれは、僕が主から厨房の仕事を引き継いでいた時のことだよ。一番筋が良いことと、僕自身、料理が嫌いではなかったことで、僕は主から直接手ほどきを受けていたんだ。だが、筋が悪くなくとも、全てが万事上手くいくというわけではなくてね。時には失敗することも勿論あった。少し味が可笑しいくらいならば良いけれど、口にすると気分が悪くなるような代物が出来ることもあった。とても、料理とは呼べないくらいにね」
はあ、とため息をつく。どうやら歌仙兼定にとっては、思い出したくない過去の話らしい。
「へえ、意外だねえ。アンタの料理は美味しいから、考えられないよ」
「そう言ってくれるのはありがたいが、そう完璧ではないんだよ。今でも、忘れてしまいたいくらいの失態だからね」
続けて、歌仙兼定は口を開いた。
「到底美味しいといえない料理を生み出してしまった時、慌てて作り直したものだ。こんなものを皆に食べさせるわけにはいかないとね。作り直した方は成功したんだけれど、失敗作が消えるわけではなし。捨てるなんて勿体なくて出来ないから、皆には成功した方を食べさせて、僕がそれを食べようと思っていたんだ」
眉間にしわを寄せていた歌仙兼定が、ふと、柔らかい表情を浮かべている。何か大切なことを、思い描いたときのような表情だった。
「そこに主が来てね。状況を把握するなり、失敗した方は自分が食べると言い出したんだ。その必要はない、自分の尻拭いは自分ですると言ったんだけど、主は頷かなかった。――そうだね、確か、こう言ったんだ」
困ったように笑って、歌仙兼定は口を開く。優しい声色だった。
「『お前の成功はお前のものだが、お前の失敗は私のものだ』ってね。だからこれからも失敗した料理は自分のところに持ってこいと、そう言ったのさ。――口数は少なくて愛想もなかったが、とても真剣な顔でね。美味しいとは言われなかったが、不味いとも言われなかった」
思い出したのだろう。歌仙兼定は気恥ずかしそうに口元を隠してしまう。どうしても口元が緩んでしまっているようであった。
「男らしいじゃないか! なんだい、アンタも主のとっておきの話を持っているんじゃないかい」
「とっておきといっていいものかな……けれど、僕はあんな主だからこそ料理が楽しいと思えたのだろうね。嫌だな。どうしてこのことを忘れていたんだろう……」
自嘲するように口にする歌仙兼定に、太郎太刀と蜂須賀虎徹は口を開く。
「今が、満たされているからではないでしょうか? 昔とは違います。今は、主の方から、私たちに歩み寄って下さっていますから」
「そうだよ、歌仙。今は主も俺たちと酒を酌み交わしてくれるし、少しでも一緒にいようと時間を作ってくれているから」
「……そうだろうか。……うん。そうなのだろうね」
ふにゃっとした微笑みをのせて、歌仙兼定はそう返事をした。
(……刀誑しは昔から健在だったようで)
それを見ながら、宗三左文字はそんなことを思う。堅物で壁を作っていたが為に知られていなかったのだろうが、中身は昔から変わらず誑しだったのだろう。気恥ずかしいような台詞を簡単に吐き出して、何でもないような表情を浮かべているとは性質が悪い。
「こうなってくると、他にも主のとっておきを持っているやつがいそうだねえ。誰か、他にないのかい?」
ノリに乗っていたらしい次郎太刀が言えば、蜂須賀虎徹が思い出したように宗三左文字をみる。なにやら、心当たりがあったらしい。
「宗三はどうだい? この前、主と飲んだのだろう?」
「……ええまあ、飲みましたが。主が僕と飲みたいと誘ってきたので」
気怠げに答えれば、小狐丸からの鋭い視線が投げつけられる。それに気づかない振りをしたまま、宗三左文字は何でもないように振る舞った。
「なら、宗三も何かあるんじゃないかい? 主のとっておきの話が」
「……まあ、ないこともないですが」
「それは是非、聞きたいものですね」
「そうですねえ…」
蜂須賀虎徹に続いて太郎太刀が催促するように続ける。意外と、この二振りはこの話題が好きらしい。
(さて、何を言ったものか……)
適当に、周囲の刀剣男士が満足する程度の話で良いのならばある。ここで小狐丸を煽るような発言をしても良いけれど、その感情の高ぶりが、審神者に向くとも限らない。宗三左文字は迷った挙げ句、無難な話題を口にすることにした。
「……髪を、」
グラスに注がれた酒の水面を見つめながら、宗三左文字は話を切り出す。
今度は主のどのような話が出てくるのかと、周囲から視線が宗三左文字に集まってくる。
「主は、髪を伸ばしていたそうです。浄化や鎮魂――除霊ですかね。その類で使えるからと」
感嘆の声が出る。中でも一番話に食いついてきたのは御神刀と呼ばれる面々である。
「つまり、主には心得があるということですか」
「らしいですよ。土地の穢れを払うために、そういった場へ行かされることもあったそうです」
「それは、主が類い稀な霊力を持っていることと関係があるのかい?」
「でしょうね。お化け退治のようなものだと、主は言っていましたよ。笑いながら。嘘ではないでしょうが、どこまでが本当なのかは知りません」
妙に納得したように、次郎太刀は頷いてみせる。
「成る程ねえ。肝っ玉が座っているわけだ。修羅場を何度も越えてきたってことだろう? 色々なものを見てきたってことで。いやあ、納得納得」
そう言って、手元の酒を一気に飲み干す。まだまだ、次郎太刀の胃袋には余裕があるようだ。
「今度、主とゆっくり話をしてみたいものだねえ。太郎太刀も、そう思うだろう」
「ええ。とても有意義な話が出来そうです」
「この本丸の空気が澄み切っている理由とも、関係がありそうだ」
「主が前もって悪い気を祓っていたから、ですかね」
「ああ。是非、詳しい話を聞いておきたい」
「その時は是非、私も一緒に」
「勿論だよ。じっくり語り合えたらいいねえ」
「はい」
太郎太刀と石切丸は、目を合わせると、互いに頷いた。思うところは同じらしい。
「まあ、手入れが面倒だと、この本丸に配置されてからはすぐに切り落としたそうですが」
補足するように付け加えれば、くすくすと周囲の刀剣男士は笑いをこぼした。主らしいと、笑っているように思えた。
主のとっておきの話で場が盛り上がっている中、一振りだけ、不機嫌に顔をしかめている刀がいた。勿論、小狐丸である。自分が知らない審神者の話を、他の刀剣男士から聞くなど、小狐丸にとっては不快以外の何でもなかったらしい。
「――…下らん」
「こらこら」
吐き捨てるように口にして、小狐丸は酒を喉に流し込む。窘めるように石切丸にそう言われたものの聞く耳はないようで、小狐丸はそっぽを向いてしまう。
「ぬしさまのことならば、お前達よりもよっぽど知っておるわ」
しっかり聞き耳を立てて置いてよく言うものだと思うものの、宗三左文字はそれ以上何も言わなかった。代わりに、といってはおかしいかもしれないが、今剣がうっとりした様子で口を開く。
「あるじさまはしんぴてきですねえ。しらないことがいっぱいあります。こうしてきくのもよいですが――あるじさまにちょくせつききたいものですねえ」
いいつつ、視線を粟田口に囲まれた審神者に向ける。けれど、うっとりした表情はすぐに消えてしまい、代わりに、つまらなさそうな表情が浮かんでしまう。
「ああ、でも、もうすっかりよってしまわれたみたいですね……」
「おお、空の酒瓶がゴロゴロ転がっておるわ。一体何杯飲んだのだろうなあ?」
感心したように岩融が口にする。それにつられるように、各々が審神者に目を向ければ、焦点もよく合ってないらしい審神者の姿があった。あれでは連れてきてもまともに会話が出来ないと判断したのだろう。今剣は長いため息をついて、岩融はそれを宥めるように膝の上でごろんと寝ころぶ今剣の頭を撫でていた。
「あーあ。あんなに赤くなっちゃって。明日は二日酔いで仕事出来ないんじゃない?」
声には出さないものの、次郎太刀の言葉に皆心の中で同意していた。そんな空気を感じ取った中、どうやら、近侍がようやく動いたらしい。審神者に水を飲ませようとしているが、審神者の動きはおぼつかない。不安定な手つきで水の入ったコップを握って口に運ぶ審神者の目は、すっかりとろんとしてしまっていた。すぐにでも寝落ちするだろうと、誰が見てもそう判断したに違いない。
様子を見ようと、加州清光が審神者の顔に手のひらを当てれば、嬉しそうに表情を崩してその手にすり寄る。そんな審神者の姿に、小狐丸の方から殺意を乗せた視線が、加州清光に送られる。言うまでもなく、嫉妬の感情である。
頃合いだろうと判断したのか、小狐丸が酒の入ったコップをテーブルに置いて、立ち上がろうとする。めらめらと嫉妬に燃えた瞳は、今すぐにでも審神者を押し倒して手込めにでもしてしまうのではないかと、そんな不安を覚えるには十分すぎるほどの材料だった。
「あれだけ酔っている相手を連れ込むつもりですか。おやめなさい。加州に任せておいた方が良いですよ」
流し目を小狐丸に向けながら、宗三左文字はそう言い放つ。この興奮状態の小狐丸に布団に連れ込まれてしまえば、全く危機感を覚えていない今の隙だらけなあの審神者など、あっという間に食べられてしまうことだろう。簡単に予想がついて、阻止するべく言い放ったその言葉に、小狐丸はぎらりとした視線を返してきた。
「お前には関係なかろう」
「ありますよ。あの人は、僕にとっても大切な主ですからね」
「……ぬしさまを狙っているのか」
「貴方と一緒にしないで下さい。僕はただ――あの人を、泣かせたくないだけなので」
ふっと、綺麗に唇で弧を描く。
「――貴方は知らないのでしょうけれど、主は、泣くと長いんですよね。幼子のように泣きじゃくって、僕にしがみついて離れてくれないんです。疲れて寝てしまった後も、決して僕の服を掴んで離さないので、そのまま布団に連れ込むしかなくなって……本当に、困った人ですよ。全く」
困った体を装いながら、その表情は満更ではない。明らかに小狐丸に向けられた自虐風自慢――否、煽りである。
「………」
何も言わず、目を細めた小狐丸と宗三左文字の間で火花が散る。予想外な展開を迎えたこと、宗三左文字がまさかの審神者の姿を知っていたこと。二振りの突然のやりとりに、周囲の刀剣男士は皆、神妙な表情を浮かべている。
小狐丸を止めるべきか、宗三左文字に審神者の話を詳しく聞くべきか、と。
「わーお。面白いことになってきたじゃないか…」
「次郎」
例外として楽しそうな表情を浮かべていた次郎太刀に、太郎太刀が呆れたようにふうと息をついた。
「ぬしさまに何をした」
「やましいことは何も。ああ、ですが――」
身も凍えるような冷たい声。今にも抜刀しそうな殺気をまとう小狐丸を、宗三左文字は鼻でわらって続ける。
「――素を見せた彼は、とても可愛らしかったですよ?」
瞳孔を開いた赤い瞳は宗三左文字を貫き、宗三左文字は飄々とした様子でそれを受け入れる。
宗三左文字の言葉の真意を探るようにじっと見るのは今剣と石切丸。動揺を見せるは岩融と蜂須賀虎徹。面白くなさそうに、顔をしかめているのは歌仙兼定。わくわくした表情を浮かべているのは次郎太刀、それに呆れているのは太郎太刀である。
「モテるんだねえ、主! いやあ、面白くなってきたじゃないか! 粟田口の薬研藤四郎に三条の小狐丸、新撰組の加州清光に、黒田のへし切長谷部――そして魔王の刀、宗三左文字か! よっしゃ、じゃあアタシは――大穴の宗三に賭けようかね! 兄貴は誰に賭ける!?」
「次郎。ですから、ちょっと口を閉じなさい。主の色恋で賭事はいけませんよ」
「頭が固いねえ。いいじゃないか、減るもんじゃなし…」
ぶーぶーと反抗するような態度をとっていた次郎太刀は、視線を審神者に向ける。こうなったら、主にびしっと言って貰おうと深く考えずにいた次郎太刀だったが、審神者の姿に、ありゃっと間の抜けた声をこぼしてしまう。
「主すっかり潰れちゃってるじゃないか」
次郎太刀の言葉に、皆が、審神者に目を向ける。その先にはテーブルに突っ伏した審神者の体を、加州清光が心配そうな表情でゆすっているところだった。審神者はすっかり気が抜けているようで、今小狐丸が連れて行ってしまえば、まな板の上の鯉のようなものだと、周囲の刀剣男士は理解していた。
加州清光のように審神者の元へ行く刀剣男士もいれば、ちらちらと審神者の様子を伺っている刀剣男士の姿もちらほら。
「――んん? あれ、起きた」
しかし、眠そうな表情で審神者が立ち上がる。てっきりこのまま誰かに運ばれるものと考えていた面々は、審神者の行動に口を閉ざして目を向ける。いまいち焦点のあっていない目で、審神者は周囲をきょろきょろと見渡していく。どうやら何かを探しているようである。
すっかり酒に酔っているようで、かけられる声にも反応を示さない審神者は、お目当てのものを見つけたらしく、おぼつかない足取りで進んでいく。その姿に、加州清光も審神者を追いかけずに、動向を見守っている。
「――お小夜?」
歌仙兼定はぽつりと呟く。審神者が向かった先にいたのは、小夜左文字である。愛染国俊とお喋りをしていたらしい小夜左文字が、審神者のことを見上げるのと同じ瞬間に、審神者はしゃがみ込んで、小夜左文字の脇の下に腕を通すようにして抱きしめる。そしてそのまま立ち上がり、小夜左文字を抱き抱えたまま、ふわふわとした足取りで大広間の奥の方へ歩いていく。
大広間の中に充満するざわつきの中、全員に動向を見守られる。
いきなり酔いどれた審神者に抱き抱えられた当の小夜左文字といえば、審神者の行動が理解できない上、急に大広間全員の視線が自分に向けられていることで、赤くなったり青くなったりと忙しい。
「…ぇ…え? あ…あるじ……?」
借りてきた猫のようにおとなしく抱き抱えられたまま、固まってしまっている小夜左文字のことに向けられる視線は、同情であり、羨望でもある。すっかり酔いが回った審神者は、小夜左文字の言葉に応えることなく、ぽんぽんと小夜左文字の背中をあやすように叩いている。
ここまで審神者が酔っている姿は誰も見たことないと、いっそ全員からの好奇の目にさらされた審神者だが、それを全く気にかける様子はない。というよりも、目に入っていないようだった。
そうして小夜左文字を抱き抱えたまま歩いていった先で、審神者はあたかもそこに着地することが当然といった迷いのない動きで、とある人物の膝の上に、横向きに腰をおろした。飛び込むように、潜り込むように、色々な表現が浮かべどしっくり言葉が出てこないような動きで、審神者は横向きに座り込んだ膝の上で、居心地の酔いポジションを探している。
「……貴方、何してるんです?」
その膝の上とは――宗三左文字の膝の上であった。
小夜左文字を膝の上に横向きに乗せたまま、まるで抱き枕のようにぎゅうっと小夜左文字を抱きしめる。そのまま、宗三左文字の胸に頭を預けた審神者は、既にすうっと寝息を立て始めている。しっくりくるポジションを見つけたようであった。
宗三左文字の言葉に返事をすることない審神者の膝の上で、固まってしまっている小夜左文字と目が合う。
「大丈夫ですか、お小夜」
何が何か分からずに、助けを求めるような視線を宗三左文字に向けた小夜左文字に、声をかけるも、小夜左文字は言葉が出てこないらしい。疑問符が頭の中で詰まっているだろう事が容易に想像できて、宗三左文字は優しい声で語りかける。
「嫌なら、下ろしてあげますよ? どうします?」
意図せず、大広間中の視線が小夜左文字に向けられる。小夜左文字は訳が分からないといったような表情を浮かべながら、それでふるふると首を横に振る。
「嫌じゃないけど……ど、どうなってるのかよく分からない」
「でしょうね。僕もですよ。……ちょっと起こしますか」
このままでは納得しないものもいるだろう。現に、宗三左文字の向かい側にいる三条の面々の視線はまずい。言うまでもなく、中でも小狐丸の視線が良くない。
「主。起きなさい」
ぺちぺちと審神者の頬を叩いて、呼びかける。審神者は眠そうに瞼を開いて、虚ろな目で宗三左文字をみた。
「……? どうした……?」
「どうしたじゃありませんよ。なんのつもりですか? お小夜まで連れてきて」
「んん…?」
どこか呂律の回ってない声。ぼんやりとした物言いに、宗三左文字はすかさず返事をした。審神者といえくぐもった声を漏らしながら、すりすりと、小夜左文字の肩に頬ずりをする。
「おまえが、いったから、」
「はい? 何をです?」
「さけには、きをつけろといったから、」
小夜左文字を抱き抱えたまま、審神者は今度は宗三左文字に体重をかけるように身を寄せる。起こしたばかりではあるが、既に、意識は半分落ちているようである。
「ちゃんと、おまえのところにきたぞ…」
褒めろ、と言わんばかりに、審神者の頬を叩いた宗三左文字の手を掴んで、引き寄せる。
「ねむい。ねる」
そうして手のひらに頬をすりよせながら、審神者はもう十分だろうと言わんばかりに寝落ちした。
「……酔ったら僕のところへ来いといったわけではないんですが……」
再び寝息を立て始めた審神者に、宗三左文字は顔をしかめた。これ以上ないくらい、厳つい様になるように顔をしかめ続けた。
(ああ、この人は本当に……)
つまりは、以前宗三左文字と二人で飲んだときのことを覚えていて、どう宗三左文字の言葉を解釈したのか。宗三左文字の憶測だが、おそらく審神者は仲良くなるために酒を飲むのは危険だという忠告に対して――酒を飲んでも宗三左文字のところに行けば大丈夫だという解釈をしたのだろう。
じゃあ何故途中で小夜左文字を連れてきたのかを聞きたいが、審神者はもうすっかり熟睡してしまっている。宗三左文字も、これ以上審神者を起こすつもりはなかった。
(……どう始末をつけてくれるんでしょうね)
少しでも気を抜いたら、頬が緩んでしまいそうになる。大広間で多くの視線を集めている今、みっともない醜態などはさらせない。ああやれやれ、本当に手間がかかる。そんな感じを出そうと、宗三左文字は必死に自分自身と戦っていたのである。
それを知ってか知らずか、大きな声で次郎太刀が笑い声をあげていた。
「いやあ、やっぱり、主はちゃあーんと弁えているじゃないか! 誰のところに行けば一番安全かってね。あっはっは!」
豪快な笑い声が大広間に響きわたる。
妬み嫉み羨望同情殺意の波動。その全てを受けながら、宗三左文字はやれやれと肩を落とした。形だけであるが。
――今宵の宴会の勝者は、間違いなく宗三左文字である。
[newpage]
[chapter:審神者の目覚めの話]
頭が重い。夢など覚えていないけれど、悪夢を見たような気分の悪さだった。不快な熱と痛みと、目を覚ましてもなお続く苦痛に近い睡魔。審神者は瞼を開いたものの、ぼんやりとそのままの状態で固まっている。動く気にどうにもなれなかった。
ただ、何やら温いものが腕の中にあることは理解する。審神者は深く考えることもなく、それを抱きしめた。落ち着くというか、安心する感触である。
「起きましたか」
そんな審神者の頭上から、声が降ってくる。審神者はそばに宗三左文字がいることを察して、ゆっくりと視線を上に向けた。そこには案の定、ゆったりと座して審神者を見下ろす宗三の姿があった。
「おはようございます」
笑っているわけではないが、どこか柔らかい雰囲気で審神者の髪をそっと撫でた宗三に、審神者は顔をしかめる。何故宗三がいるのだろうと、不思議に思ってしまった。
「……おはよう。……ここは…?」
明るさがなんだか目にしみて、審神者は手の甲で目を隠して問いかける。ぼんやりとした声であった。視界に写っていた天井は、いつも見ているものとは違っていた。状況を理解できていない審神者に、宗三は気怠そうなため息をつく。
「大広間です。昨日は宴会があったでしょう?」
「…………ああ、あったな」
「昨夜のことはどこまで覚えていますか?」
「どこまで……?」
目が覚めたとて、起きあがる気力もない。横になったまま一向に体を起こさない審神者は誰が見ても明らかに二日酔いを引きずっている。
「…………うん…」
昨夜のことを思い出しながら考え込んでいたのか、沈黙していた審神者だったが――その内また寝息を立て始める。
「こら、寝ない」
ぺちんと軽く音を立てて頬を叩き、宗三は審神者を起こしにかかる。
「寝るとしても、ここでは駄目です。いいんですか? 貴方今、恰好の見世物ですよ」
今度は審神者を揺さぶりながら、審神者の目を覚まそうとする。
大広間で行われる宴会では、酒に潰れたものを寝かす場所が確保されている。酒に潰れたものを部屋に連れて行く手間が省けて、酔いがひどいものをまとめて介抱できる一石二鳥の場所である。
そこに並んでいるのは、審神者と薬研藤四郎、一期一振とへし切長谷部、和泉守兼定と山姥切国広、御手杵である。動きたくとも動けない刀剣男士もいれば、介抱を受けている最中の刀剣男士もいる。洗面器に顔を突っ込んだまま微動だにしない刀剣男士もいれば、未だ熟睡している刀剣男士もいる。状態は様々だが、審神者といえば、熟睡するタイプであるといえるだろう。上記の例でいえば、御手杵タイプである。
「……ねむい」
思考力が死んでいる審神者は、それだけを口にして、宗三に背中を向けるように寝返りを打つ。胸に抱えてあったものも、連れていくようにして。けれどその重みに審神者は違和感を覚え、視線を己の胸に下ろした。
「…………」
「…………」
そこにいたのは――否、抱きしめていたのは、小夜左文字であった。
どぎまぎとした表情で、審神者にされるがままだった小夜は、借りてきた猫のように大人しく、けれど緊張した様子で審神者に身を預けている。何故小夜を抱いているのか。審神者の中にもその疑問は浮かんだが、すぐにそれもどうでも良くなった。
(……まあ、良いか)
小夜と目はあったものの審神者は何も言わず、また胸に囲い込むようにして小夜を抱きしめなおした。あるじ、とか上擦った細い声が聞こえたが、今はまだ眠気の方が勝っている。
「こら。いつまでお小夜を抱いているつもりですか。まったく……もう昼ですよ。まだ寝るのなら部屋へ戻りなさい」
けれど宗三に体を揺さぶられたことで、審神者は渋々と瞼をこじ開ける。眠い目を擦りながら体を起こそうとしたが、最後まで完遂はされず、小夜を巻き込んだままだんご虫のように丸まった審神者は、ぼんやりとした声で口を開いた。
「もう昼なのか……」
「そうですよ。起きられますか? 運んでほしいですか?」
「いい。自分でおきる」
観念したようだ。もぞもぞと動き出す審神者に、物珍しさに見学に来ている面々が好きなように言葉をこぼしていく。
「主さんったら、かわいい」
「わぁ〜虎くんみたいですね! 虎くんも、ねむたい時あるじさまみたいになるんですようっ」
「大将は御手杵タイプかあ。ほっといたらずっと眠ってそうだな」
上半身を起こして、そのまま膝の上に載せていた小夜のつむじに鼻先を埋める。
「……おはよう、小夜」
「っ……おはよう、あるじ」
ああ、やはり安心する。眠くなってしまう。そのまま寝息をかきかけた審神者のつむじあたりを、宗三はぺちんと叩いて現実に引き戻す。
「早くお小夜を解放なさい」
「……後でもいいか」
「良くないです今すぐ解放してください」
審神者は渋々と小夜から手を離す。そのまま腕で小夜を持ち上げて、布団の上に下ろした。ゆっくりと審神者から一歩分距離を作って、それでも審神者の様子を伺うように、小夜は顔をあげた。もじもじと指先を触れ合わせながら、その小さな口を開く。
「……あなたが 僕を選んだ理由はわからないけど……僕はべつに、あなたが望むなら、」
「お小夜。酔っぱらいを甘やかしてはいけませんよ。ほら、貴方も早く顔を洗ってきなさい」
「…ん、わかった」
ぽんと手のひらを小夜の上に置いてなでてから、審神者は素直に宗三の声を聞いて立ち上がろうとする。ぼさぼさになっていた髪に指を通して足に力を込めようとしたあたりで、颯爽と審神者の視界に桃色が視界に飛び込んできた。
「主君! おはようございます!」
「……おはよう。秋田か?」
挨拶にはきちんと反応する審神者は、未だ立ち上がらずに布団の上にへたり込むように座ったまま、秋田に手を伸ばす。それを察して、すぐに審神者のそばでちょこんと正座をした秋田藤四郎は、きらきらとした視線を審神者に向けている。
「はい! 二日酔いは大丈夫ですか?」
「……ん、問題ない」
ぽんと秋田藤四郎の頭の上に手のひらを置いて、そのまま柔らかな髪をなで回す。秋田藤四郎はそれをご満悦の表情で受け入れて、ふわふわとした笑顔を浮かべている。
「えへへー」
「……なんだ。機嫌が良いな」
「はい! 昨夜の主君は、とってもかわいかったので!」
「……何の話だ?」
予想外の言葉が飛んできたと、少しの間を置いて秋田藤四郎をじっと見下ろした審神者に、違う方向から返事がとんでくる。
「貴方の昨夜の奇行の話ですよ。酔っぱらった貴方が何をしでかしたか、記憶はありますか?」
「? ……いや。途中から記憶がない。……待ってくれ。私は何をしたんだ。……まさか、脱いだのか?」
以前宗三と飲んだときのことを思い出す。慌てて己の恰好を見下ろした。崩れてはいるもののきちんと衣服を纏っていて、ほっと胸をなで下ろす。けれど誰かに着付けて貰った可能性もあると、審神者は不安そうに宗三をみた。
「いいえ。脱いでいません。まだそちらの方が良かったかもしれませんが」
「な、なにをしたんだ……」
やはり昨夜の記憶はないらしい。
そんな審神者をみて、宗三は露骨にため息をつく。
「――貴方は、酔っぱらってお小夜を抱き抱えたまま、僕の膝の上に移動して即寝落ちしましたよ」
想定外の言葉だった。審神者の頭の上に、疑問符が浮かんでしまう。宗三がなにを言っているのか、全く理解できなかった。
「何故だ」
「知りませんよ。こっちが聞きたいくらいです」
訳が分からないというように目をつぶり、額をおさえて考え込むように沈黙する。昨夜のことを思いだそうとしていたが、どれだけ唸っても無意味であった。
「すまない、覚えていない。酒を飲んでいたことは覚えているんだが、途中からもう眠たかったことしか……」
「始末に終えませんねえ」
言えば、元々良くなかった顔色をさらに悪くして、審神者は苦悶の表情を浮かべた。宗三の言葉が耳にいたい。
「皆の前で真っ直ぐと僕の膝に乗ってきて、訳を聞く暇もなく寝落ちして。後の始末は全部僕です。僕がどれだけ皆に睨まれたことか……」
「――…そうか。すまなかった、宗三」
「よく言うよねえ。宗三さん、にやけてたのにー」
「桜舞ってたよな?」
「ええ。宗三さんはとってもうれしそうでした!」
肩を落とす審神者に聞こえるように、見物に来ていた粟田口の面々が口にする。口止めをするように宗三がキッと鋭い視線を向ければ、くわばらくわばらと慌てて口をつぐむ。
「言ったでしょう? 酒を飲むのはやめておきなさいと。記憶がなくなるまで飲むなど、主として恥ずかしいとは思わないのですか?」
「……そうだな。酒は控える」
どのみち、しばらく酒なんて見たくはない。ずきずきと痛む頭を押さえながら、審神者はそう口にした。秋田藤四郎の頭を撫でる手をどけて、顔を洗って部屋に戻ろうと決める。
そうしてごく自然な動きで小夜を抱き抱えて立ち上がると、すかさず宗三から声をかけられた。
「お小夜は置いて行きなさい」
「え? ……ああ、すまない」
なぜ当然のように小夜を抱いたのか、審神者にも分からなかった。分からないままそう謝って、小夜を下ろした。いきなり抱えられて驚いていたのか、小夜はぱっちりと大きな目を開いて審神者のことを見上げていた。ほんのりと、頬が桜色に染まっている。
それから、視線を少しだけ伏せてしまう。
「………良いよ、べつに……あなたがそうしたいなら、」
「……ん、なら一緒に来るか?」
「主」
「いや、また今度にしようか」
宗三の声に静かに背筋を正し、審神者はそう切り返して再び立ち上がる。それから宗三のことを見て、審神者はとても良い顔色とはいえないまま、小さく微笑む。
「世話をかけたな、宗三。――お前がいてくれて良かった。ありがとう」
そうして身なりを整えて座っていた宗三の頭をよしよしと撫でた後、ふらつく足取りで広間を出ようと歩き出す。その足取りが心配だったのか、見物に来ていた粟田口の面々が審神者の元へとついて行く。
残された小夜はもちろん。その場から動かずに、顔をしかめて眉間にしわを刻み込んだ宗三の頭上には、仄かに桜が舞っていた。
[chapter:安全圏を主張したい蜻蛉切の話]
大広間で審神者が醜態を晒した翌日の夕方。
「主殿」
本丸を移動している最中、審神者は蜻蛉切に呼び止められて足を止めた。蜻蛉切に声をかけられることは珍しく、審神者は少しだけ驚きを覚えた。けれど、声をかけられて嫌なわけではない。
「蜻蛉切か。どうした?」
そう返事をして振り返れば、蜻蛉切は憂いを帯びた雰囲気をまとっている。真剣な話かと思った審神者は、気を引き締めてきちんと蜻蛉切と真っ正面から向き合った。そうして、蜻蛉切の言葉を静かに待つ。
蜻蛉切は言葉を選んでいるかのような間を置いた後、真っ直ぐと審神者の目を見つめ――控えめに、けれど強い口調で口を開いた。
「――自分も、多少、酒の心得があります。羽目を外すような酔い方は決して致しません。何時如何なる時も、冷静でいられるよう心がけております」
「……そうか。それは、立派だな」
蜻蛉切が何故このようなことを審神者に言い出すのか理解できずに、審神者はそのような返事をするしかできなかった。蜻蛉切は審神者の反応に手応えのなさを感じたのか、また言葉を選ぶような間を置いて、再度口を開く。
「宗三殿を力不足というわけではありません。しかし、自分も、それなりに主殿の役に立てるかと」
「宗三? ……すまない、何の話だ?」
分からず、はっきりと蜻蛉切に尋ねる。すると、審神者にははっきり言わなければ伝わらないと蜻蛉切は感じたらしい。キッと真剣な表情を浮かべて、真っ直ぐと審神者を視線で射抜いてしまう。
「――次、主殿が酔った際には、是非自分の元へ。この蜻蛉切、正三位の名にかけて、必ずや主殿を守り抜いてみせましょう」
その言葉に審神者はきょとんとした後、ようやく蜻蛉切の主張を理解した。次に酒で前後不覚に陥った際には自分を頼ってくれと、蜻蛉切はそういっているのである。審神者は気まずさを感じながらも、言葉を選ぶ。
審神者自身としては、あの日の宴会は黒歴史でしかない。もう二度とあれほどの酒を飲むつもりはない上に、しばらくは酒を飲みたくない審神者だ。蜻蛉切を頼ることもないだろうけれど、蜻蛉切のせっかくの申し出を、断ることもないかと決断すると、審神者は、小さく微笑んで、頷いた。
「――そうだな。もうあのような醜態を晒す気はないが――もしも私があのようになってしまったら、今度はお前が止めてくれるかい?」
「はっ。勿論です」
胸を叩いてそう返事をする蜻蛉切は凛々しいが、その話の内容が酔っぱらった審神者の処遇についてだと思うと、情けなさを覚えずにはいられない。
「有り難う、蜻蛉切」
けれど蜻蛉切の気持ちは素直に嬉しい。感謝の言葉を口にして、審神者は優しく微笑んだ。審神者の言葉に少しだけ口角を緩ませた蜻蛉切の周りには桜が舞っているように見えた。
[chapter:面白くない小狐丸]
「ぬしさまは酷いお方です。何故この小狐を頼ってくれなかったのですか」
背中から審神者の体に抱きついている小狐丸は、恨みがましい声で審神者に問いかける。それを受けながら、審神者は困ったように己を抱いている腕に手のひらを重ねた。
「すまない、小狐丸。だが何度も言ったが、あの時の記憶は私にはないんだ。弁解もできないけれど、お前が嫌だったわけでは決してないよ。……どうか、そろそろ機嫌を直してはくれないか?」
小狐丸の前で、審神者は昨夜、小夜を抱き枕に宗三の膝の上で眠りに落ちたのだという。小狐丸はそれに大層気を悪くしていた。寝落ちした審神者を部屋に連れて行くのは自分の役目であると、信じて疑っていなかったからである。
「ぬしさまは私を疑っているのですか? 私がぬしさまに悪さをすると、そう」
「もしそうなら、お前と寝たりはしないよ」
「ですが、ぬしさまは私に目もくれずにあのような刀と……」
「そんな言い方をしてはいけないよ。同じ本丸の仲間だろう」
窘めるように言えば、拗ねたように、強く強く引き寄せられる。審神者は困ってしまって、どう声をかけたものかと考える。昨夜の行動を咎められようと、審神者にはその時の記憶などないのだ。小狐丸が納得するような理由が作ったところで、すぐに小狐丸に見抜かれてしまうことだろう。
「……なあ、小狐丸。嫌な思いをさせてしまってすまなかった」
とんと、背後の小狐丸に体重をかける。そのまま身をよじって、小狐丸の顔を見上げた。小狐丸はむっとしていたが、じいっと審神者のことを見下ろしたまま、すりすりと頬を寄せてくる。
「では、次はぬしさまと私の二人きりで、飲んでいただけますか? 良い酒を知っております。きっと、ぬしさまも満足されましょう」
甘えるような声とあざとい仕草で、小狐丸は上手に審神者を誘っていく。それなら構わないと言いたいところだが、審神者はしばらく酒を見たくないと思うくらいに昨夜は酔いつぶれていたのだ。すんなりと頷くわけにはいかない。
「……嬉しいが、すまない。記憶をなくすほど飲んでしまったから、しばらくは酒は控えることにしたんだ」
「私がおります故、ぬしさまにあのような無茶な飲ませ方は致しません。どうかご安心を。適量ならば、酒も薬になりましょう」
断ったが、小狐丸は簡単には引き下がらない。審神者を逃がさないといわんばかりにぎゅうっと腕に力を込めていく。それでも、あのような失態は二度と犯したくないのだ。宗三に叱られてしまったこともあり、それでも、審神者は首を縦には振らなかった。
「……嬉しいが、駄目だ。酒は控える。どうにも私は……酔ってしまうと醜態を晒してしまうようだから」
頼みごとをされて強情ともいえるくらいノーといえるのは珍しい。審神者の主としてのプライドが、酒を飲まない意思を強くさせていた。結果としてこれは正しく、小狐丸と二人で酒を汲みあわせることがあれば、小狐丸の思惑は叶えられていたに違いなかった。
「ぬしさまは、私のことがお嫌いですか?」
しゅんとあざとく落ち込む様を見せながら、小狐丸は審神者の耳元でそうささやいた。それに僅かに身を強ばらせて、審神者は逃げるように距離をつくろうとする。勿論、小狐丸がそれを許すわけもなかったけれど。
「嫌うはずがないだろう……だが、主として醜態は晒したくないんだ。分かってくれ」
「良いではないですか。ぬしさまの気が緩んだ様を、この小狐も見とうございます」
「そんなものは見なくて良い」
「そう言わずに」
耳に唇が微かに擦れる距離。ぞくぞくとした感覚から逃げたい一心で身を動かしていた審神者も、このまま小狐丸が離してくれるという期待をすることは愚かだと思わざるを得なかった。
「目の前で私以外に甘えるぬしさまを見て、どれだけ心が痛んだことか……どうか、この小狐のわがままをきいてはいただけませぬか? ぬしさまは確かに、今まで以上に私を甘やかしてくれるという約束をして下さったはずですが…」
「……それは、そうだな。確かに、約束したが……」
そう言われると弱い。けれど、酒酔いすると次の日が辛いのだ。いっそ酒が憎らしく思うほどの頭痛と吐き気を覚えた怠い体では、仕事にも支障がでる。記憶が飛ばないうちは、小狐丸曰く審神者が甘えることもないだろう。
つまりは、小狐丸と一対一で酒を飲んで記憶を飛ばせと。小狐丸がいっているのはそういうことであった。
(……嫌だ)
受け入れる理由よりも断る理由の方が圧倒的に多い。審神者は考え込んで、妥協点を探して貰うことを考え出した。こんな提案で小狐丸が乗ってくれるかは分からないが、試しに、口に出してみることにする。
「酒を飲むと次の日の仕事に支障が出るし、記憶を飛ばすほど飲むなど、お前たちの主にあるまじき失態だ。出来れば、遠慮したい」
背後の小狐丸に身を委ねるように力を抜く。
「――代わりに、今から二人で出かけないかい? 言っていただろう? 美味しいいなり寿司の店を知っていると。それをご馳走するということで、許してくれ」
「……二人で?」
「ああ、二人で。他の者には内緒でな。こっそりと抜け出そう」
それはそれでまた面倒な事態を引き起こしかねないがと危惧しながら提案すれば、小狐丸はどうやら機嫌を直したらしい。まとっていた雰囲気が柔らかくなり、審神者が少し距離を作れる程度に拘束を緩めてくれた。それに甘えて審神者は体を離して、小狐丸と向き合うように体勢を変えた。
そうして小狐丸の表情を確認すれば、小狐丸の返事は聞くまでもなかった。今度は正面からぎゅうっと抱きしめられて、審神者は目を細めた。
どうやら、機嫌はなおったようだ。
[chapter:出遅れた近侍の話]
「残念だったねえ、清光」
「なにが」
「何がって、ほら、主のことだよ。とられちゃったじゃん」
仕事を終わらせて、初めて宴会に参加する審神者を連れてきて。そのまま加州清光が審神者を独占するのではないかと思っていた大和守安定は、あっさりと審神者のそばから離れたことをそう揶揄したのだった。
からかうような意味を含んだ安定の言葉だったが、清光はなんでもないように受けこたえる。
「べつに? こうなるだろうってことは分かってたし。俺はいいんだよ。いつも主のそばにいるし……さすがに、ここでも主を独占なんてしないよ」
「へえ? 嫉妬深い清光にしては珍しいじゃん」
「なにそれ。俺別に嫉妬なんてしてないし」
「してたくせに。その度に僕に泣きついておいてよく言うよねえ」
「うっさいー」
コップにお酒を注いでもらいながら、清光はちらりと審神者を見た。審神者のそばを誰が勝ち取るかで一悶着あるかもしれないと思っていた清光であったが、意外に早く決着がついたらしい。早々に粟田口に囲まれた審神者の表情を見て、清光は柔らかな笑みを浮かべる。
「主が楽しそうだからいいの。今日は好きにさせておく。無礼講ってね。主もそんな感じのこと言ってたし」
言って、視線を審神者から並々あふれそうな酒に向ける。
「あっ、ばか、ストップストップ!」
「あ、ごめん。余所見してた」
「余所見するなって! もー」
「あはは、ごめんごめん」
もう少しであふれそうになっているコップに唇を寄せて、容量を減らそうとする。しでかした張本人である安定は、全く気にした素振りも見せずにほわほわと笑っている。既に酔っているようだ。
「清光のことだから、なんていうか、主に張り付いて僕のことほったらかしにするかもって思ってた」
「はー? 俺そんなに薄情に見えるの? ちゃんと安定の相手もしてあげるって」
「なにそれ偉そうー」
けらけらと笑いながら、安定は肘を机にのせて頬杖をつく。途中から参戦するとノリが合わなくて困るなあ、と思いつつ、清光はそれでも慣れたものである。
「じゃあ今日はいっぱい構ってあげよう。安定には普段お世話になってるしねー」
コップを持っている手の指で軽く安定のことを指す。安定はからかうような笑みを浮かべながらも、満更でない様子で指を指し返す。
「こっちの台詞だから。僕が清光を構ってあげるの」
「なにそれ、えらそー」
「それさっき言ったんだけどー」
そうして、同時に声を上げて笑う。素面なら何だそのノリは言われるだろうテンションであっても、酒さえ入っていればなんらおかしいものとはならない。
「でもさー、最近本当に主も丸くなったよねえ」
「そう? んー……まあ、そうかな」
「何その返事。清光が主の一番近くにいるんだから、清光が一番よく分かってるんじゃないの?」
「どうかなー。近くにいるから、逆に分かんないのかもねー」
そんなことを口にして、けれど清光は考え込むような沈黙を作る。そうして時間をおいて、審神者を一瞥してから、緩んでしまう頬を隠すように手のひらで覆ってしまった。
「ああ、でも、最近は主が可愛くてしょうがないんだよね…! どうしようっ」
宴会が開かれている大広間に審神者と向かう前にも、仕事を済ませた審神者相手と、少しだけスキンシップを交わしていた。審神者が困ってしまうからと、誰にも見られないように、誰もいない部屋の中で少しだけ。
思い出してしまえば止まらない。だめだ、と困った表情で言いながらも満更でもなさそうな視線を清光に向ける審神者といったら。他の誰にも許さない箇所に触れる度に、清光はとてつもない幸福感に包まれた。その余韻は、今も続いている。分かりやすくいえば、上機嫌なのである。
「近くにいると我慢できなくなりそうで……でも近侍の仕事はちゃんとしなきゃだし! 安定には分かんないだろうけど、大変なんだからっ」
「出たよのろけ! そんなに大変なら変わってあげるけど近侍ー」
「だめだめっ! 主の近侍は俺だけなの!」
「長谷部さんも近侍じゃん」
「――あれは近侍補佐。近侍代理。近侍じゃないから」
「うっわ目こわっ」
一気に目が据わる清光は、いつ点火されるか分からない爆弾のようだ。
「もー聞いてよー! この前も主ったらさー」
すぐに主の話に移動することに、安定は思う。うっとおしー!と。けれど審神者との仲が険悪な時の清光の方が面倒くさいため、この方がマシとも思う。主のことは好きだけれど、清光ほど主に心酔していない安定だからこそ割り切れる会話である。他の刀が相手だと、嫉妬で斬り合いに発展しかねない。
遠慮なく主とののろけを発揮している清光の後ろで、粟田口に次々と酒を飲まされている審神者の姿は、二振りの目には入らない。審神者がただならぬ量の飲酒をしているとも知らず、二人は酔いに任せて会話を楽しんだ。
審神者がぐずぐずに酔うたことに清光が気づくのは、もう既に手遅れの状態になったあとであった。
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