「主ってさあ……隙だらけだよね」
「……隙?」
唐突にそんなことを言い出した加州清光に、審神者は食事をすすめていた箸をとめる。仕事の手が追いつかないため、清光に夕餉を持ってきてもらったある日のことである。
「前まではさ、鉄壁だったよ? 私語は慎む、規律は守る! みたいな感じ」
むくれるように頬を膨らませて、少々恨めしげな視線を寄せる清光に、審神者は困惑してしまう。
「清光。一体どうしたんだ、いきなり」
今日は、というよりも最近は、確かに普段よりも微妙に機嫌が悪いことが多かった。けれど近侍としての仕事は普段通りにこなす清光に、審神者はその原因を追究することをしなかった。必要ならば、清光の方から審神者に伝えてくるだろうと判断を下して。
そしてとうとうその不調の理由を述べるだろうことを察した審神者は、清光の圧力を感じとったのである。
「でも、俺たち刀剣と仲良くしようとしてから――なんていえばいいかな。前までの反動? とにかく、隙を作りすぎ」
「隙……気を抜きすぎるということかい?」
「うーん。というより、ガードが緩んでるの。なんでもかんでも許しすぎ」
清光は審神者を指さす。丁度、審神者の懐に向けて。
「例えばさ、ほら、そこ。懐」
そして問いつめるような口調でそう言われ、審神者は己の胸を見下ろす。清光の言いたいことが分かった審神者は、箸を置いて、胸元を開いてみせた。
「信濃のことかい?」
そうして胸元から手にとったものは、信濃の短刀である。会えない間もこれで寂しくないからと強請られて、審神者は今日、ずっと信濃の短刀を懐に入れていた。
「そう! それ!」
後ろめたいことは何もないといった審神者に物申すように、清光は強く言う。胸元を閉じながら、審神者は困り顔を浮かべた。
「可愛いお願いじゃないか。これくらいなら、隙というほどでもないよ」
そう言う審神者に、清光はキッと眉間にしわを寄せる。
「主。まだ入ってるでしょ。信濃だけじゃないでしょ? 誰なの?」
「……秋田と、博多と、毛利」
「じゃあ全部で四本も入ってるじゃん! いっておくけど、主の胸元不自然に膨らんでるから! 気になるよ!」
「そんなに気になるかな……」
「気になるに決まってるでしょ! これ食べたら、その短刀四本俺が返しに行くから! 他に懐に入れてるのあったらちゃんと出してよね!」
「……ああ、分かったよ」
あまりの勢いに清光を窘めることも出来ず、言われるがままに頷く。今日の清光は、なにやら興奮しているようだ。
「全く、油断も隙もないよね」
「いいじゃないか。仕事が立て込んでて、あまり自由な時間がとれないのだから、これくらいは」
「短刀達は優先的におやつ当番をさせてもらってるよ。だから、そんなに気を遣わなくていいの。たまに皆と食事するときだって、短刀や脇差に囲まれてるんだから」
そう言って、少しだけトーンダウンする。
「俺たち打刀はね、いつも我慢してるんだよ。俺は近侍だから、そりゃ、他のやつらよりも主といられてるけどさ……」
「清光?」
はあ、とため息をついて、清光は目を伏せる。
「――なのに主ってば、小狐丸を夜な夜な寝床に連れ込んで……!」
静かな口調が、だんだんと凄みを増していく。食事に戻る隙を完全に見失った審神者は、言われるままにかたまっている。
「朝主を起こしに来て、主だって思って抱きついたら小狐丸だった俺の気持ちが分かる!?」
「えっと、そうだな。すまない。驚かせてしまったな」
確かに、朝審神者の部屋で小狐丸を見たときの清光の狼狽えぶりは凄まじかった。早くに目が覚めて顔を洗いに行った審神者が部屋に戻ってみれば、清光が小狐丸の胸ぐらを掴んでぶんぶん揺らしている真っ最中。あの光景を目にしたときには、流石の審神者も固まった。
「あれが小狐丸の甘え方なんだ。多めに見てやってくれ」
毎日寝床にやってくる小狐丸は、審神者が眠りについてから布団に潜り込んでくることもあれば、就寝前に部屋に戻ると待機していることもある。小狐丸が来ないときといえば、遠征や出陣で留守をしているときだけである。最初こそ、変わった環境に戸惑うことなどもあったが、審神者も今はすっかり慣れたもの。寝床にいる小狐丸の姿に動揺することもなくなった。
「それに、小狐丸と共に寝るようになってからというもの、朝早く目が覚めるようになったんだ。悪いことばかりではないよ」
「それ不眠でしょ!? 小狐丸でかいから、寝心地が良くないんだって絶対」
「そう……かな? まあ、仕事に支障はないから」
「主! またそんなこといって、甘過ぎ!」
そう言われてしまうと、確かに清光の言うとおりなのかもしれない。けれど審神者は、今までの己の振る舞いを思い出すと、刀剣達のお願いを何でも聞いて上げたくなってしまうのだ。甘い、といわれても、改善できそうにない。
「いっておくけど、小狐丸はタチが悪いんだよ!? 色んな意味で本気だからね。主に何をしでかすか、俺心配で寝られないよ!」
「大丈夫だよ。小狐丸は意外と、寝相がいい」
「そういう話じゃないし! 主のそういうところだよ!」
清光は小狐丸を警戒しているらしい。確かに小狐丸は飄々としていて
掴みのないところがある。清光はおそらく、それ故に審神者のことを心配しているのだろう。
(小狐丸が、私に仇なすようなことはないというのに……)
うまく説明したいが、審神者はあまり口がうまい方ではない。どんな言葉を並べれば清光が納得するか分からず、そうこうしている間に、清光はますますヒートアップしていってしまう。
「寝相が悪くないっていっても、主いつも抱き枕にされてるし。実際、睡眠時間も減ってるんでしょ? 主が体調崩すんじゃないかって、俺、気が気じゃないよ」
「……清光」
小狐丸が害にならないという証明は出来ず、けれど清光には納得してもらいたいと、審神者は少し考えた後、はっと思いついて口を開く。
「大丈夫だよ。その分、小狐丸の毛並みに癒されているから」
それを聞いた清光は、むっと黙り込んでしまう。納得しているようには見えない清光に、審神者は慌てて追加の言葉を探す。
「……そんなに、毛並みがいいわけ?」
だがそうこうしている内に、反対に清光の方からそう質問されてしまった。
「ああ。小狐丸の毛並みはふわふわでサラサラで、とても心地よいんだ。清光も是非さわ――」
そう考えるよりも反射的に返事をしてしまった後、言葉の途中で審神者は黙り込む。深く考えずに、思ったままを発言してしまったからか、清光の表情には影がさしてしまっていた。
「ふうん。そう」
どうやら審神者は清光の地雷を踏んでしまったようだった。
「わかった。もういいよ。早く食べよう」
「……清光?」
「短刀は持って行くからね。食べ終わったら、早く出して」
「………わ、わかった」
あからさまに怒りを抑えているらしい清光の威圧感に、審神者は借りてきた猫のように身を小さくしたのだった。
あれからというもの、加州清光はご機嫌ななめである。
(随分と尾を引いている…)
その前から前兆があったものの、あのやり取り後、更に清光は機嫌を悪くしていた。あの時の清光の発言から察するに、審神者が他の刀剣に甘いことが気に入らないようだ。ならば、以前のように刀剣との間に厳しくあれば清光の希望は叶えられるのだろうけれど、そうするわけにはいかない。そもそも、刀剣達に甘くしてはいけない理由が、審神者の中にはないのだから。
確かに生活のリズムは変えられているが、健康に支障はない。清光が審神者の健康問題を危惧していることは分かるが、具体的に清光が望む改善が必要か否か。その判断がついてない以上、対策も何も出来はしない。
それにご機嫌斜めといっても、態度が悪いわけでもなく。清光は近侍の仕事もこなしている。清光は大抵そうだ。どんな時も、何を思っていても、生活に支障がない。だからこそ、一番困る。
(清光とは長い付き合いだけれど、この本丸で一番考えていることが分からない)
そんなことを考えながら、いつものように仕事に打ち込む。
途中、咳払いが聞こえ、審神者は顔を上げて声の主を見た。
「清光か」
「うん。お茶持ってきたよ」
そこには清光が立っていた。手には盆。その上には湯飲み。
「ありがとう。清光」
「どういたしまして。仕事熱心なのはいいけど、あんまり無理しないでね」
「ああ。気を付けるよ」
机の上に湯飲みを置きながら、そう言う清光の声は、心なしか優しい。審神者はそんな清光の様子を伺いながら、出された湯飲みに手を伸ばす。そのまま口元に運んで一口飲めば、審神者にとってちょうどよい熱さに調節されていたお茶はすっと喉の奥に流れていった。
ごくりと呑み込んで、ほうと息をつく。
清光は審神者の好みを熟知してくれている。清光のこういう気の回るところが好きだ。そんなことをぼんやりと思った。
「美味しい?」
両膝を畳につき、両手で盆を持っていた清光が小首を傾げながらそう問いかけてくる。比較的穏やかな雰囲気の清光に、審神者は微笑みを浮かべる。
「とても美味しいよ」
言えば、清光は照れくさそうにはにかんだ。
(機嫌は直ったのかな?)
それならば嬉しい。そう思いながら、もう一口、審神者はお茶に口を付ける。
「……清光」
そして三度湯飲みに口を付ける前に、一向に部屋を去ろうとしない清光に声をかける。審神者の方をじいっと見つめている清光の目は、まるで審神者に何かを期待しているかのように感じた。
「うん! なになに?」
そう明るい声で答える清光に、審神者は何と声をかければいいのか迷う。ここで全て飲んで湯飲みを返せということだろうか。洗い物をすぐに出せと、そういうことかと。
「……清光」
「ん、だから、なあに? 主」
結んだ髪の先をくるくると指で弄びながら、清光は審神者の言葉を急かす。清光の期待がおそらく湯飲みにはないことに気づいた審神者は、ここで清光の望む正解を導かなければ清光がまたご機嫌ななめになってしまうことを察知する。
「主?」
清光が毛先をくるくるする早さが、増していく。
「……何か、良いことでもあった?」
何か嬉しいことがあって、それを審神者に話したいのかもしれない。結局、そんな答えを出した審神者は、ぎこちない笑顔で清光にそう問いかけた。
瞬間、清光の笑顔もぎこちなくなってしまう。
「なんだかご機嫌だろう? だから……」
そう付け加えれば、清光の笑顔はすうっと、消えていった。まるで霧がかかってしまったかのような消え方。審神者の背中を冷たい汗が伝っていく。
「……別に。なにもないけど」
「そ、そうかい?」
自分は言葉を誤った。一瞬で気づいた審神者は、何とか挽回したいと思うが、清光はそんな審神者を避けるかのように立ち上げる。
「じゃあ俺、仕事戻るから」
能面のような表情。審神者の顔から血の気が引いていく。審神者の返事を待つこともなくスタスタと部屋の外へ出て行く清光に、審神者はしばらく湯飲みを持ったまま、かたまってしまっていた。
「やっほー。主。おやつだよー」
「……大和守。これは珍しいね」
加州清光以外の打刀が、おやつ当番で部屋に訪れたことはない。驚きを隠せない審神者の反応は想定通りらしく、大和守安定は特にこれといった反応はみせなかった。
「でしょ? 本当は信濃だったんだけど、無理いって変わってもらったんだ」
そう言っておやつをのせた盆を置いて縁側に座った大和守は、審神者に向かって手招きをする。
「さ、食べようよ。主」
頷き、審神者は筆を置く。そして縁側に座る大和守の元に向かうと、何とも新鮮な心地になった。同年代のような外見の刀剣とこうして向き合うことは清光を除いて初めてだからである。
「今日は何かな」
「今日はね、ようかんだよ。主はようかん好き?」
「ああ、好きだよ。お茶によく合う」
「よかった」
ようかんの乗った皿を手に取り、ゆっくりと楊枝で切り分けていく。審神者は、ようかんを丸ごとではなく、ちまちまと食べる主義であった。渋いお茶と共にじっくりと味わうのが良い。
「あのさー。主」
そんな審神者の姿を見ながら、ようかんに手をつけずに大和守は声をかけてくる。審神者がようかんから大和守に目を向けると、大和守は、なにやら言い足そうな表情を浮かべていた。
「清光のこと、清光って呼んでるよね? 僕も安定でいいよ。長いでしょ。大和守ってさ」
「……そうかい?」
「うん。そうだよ。それに、僕も呼ばれるならそっちのほうがいいや」
何を言われるのかと身構えもしたが、思っていたよりもずっとなんということはない話だった。
「安定」
審神者は拒否することももちろんなく、確認するように安定と呼んだ。すると、安定はうん、と納得したように頷く。
「やっぱり、こっちがいいね」
言ってから、安定もようかんの皿に手を伸ばした。それ以上特に喋り出すこともなく、審神者も安定も黙々とようかんを口につけていく。合間合間にお茶を飲みながら、時折、幸せそうにため息をついて。
「それにしてもさ、主。知ってた? おやつ当番の競争率」
半分以上ようかんを食べ終えた頃、ぼんやりと庭を眺めながら安定はそう切り出した。同じく庭を見ながら、審神者は清光や小狐丸、おやつ当番に訪れた短刀や脇差達のことを思い出す。
「……血で血を洗う争いと耳にしたことがあるけれど、それは流石に嘘だろう?」
「えっ……それ、清光が言ってたの?」
「ああいや、これは小狐丸から」
「へえ、小狐丸さんからかあ……なんか意外」
驚きに小さく目を見開いたあと、安定は乾いた笑いをこぼす。
「まあ、間違いっていうほどじゃないね。おやつ当番が設けられた日には、なんていうか……阿鼻叫喚? って感じではあったけどさ。さすがに血は流れてないよ。とにかく、今はちゃんと順番で回してるから、心配しなくて大丈夫」
それに安堵して、審神者は笑みをこぼした。
「さっきも言ったんだけどね、僕、今日無理いって当番代わってもらったんだ」
審神者はいったんおやつを食すことをやめて、皿も湯飲みも、一時的に盆の上に戻して安定の顔をみる。なにやら、大事な話をされそうな気配を感じ取ったのだ。
「清光の荒れっぷりがすごくって本当……。ほら、僕と清光は同じ部屋だから。影響すごいんだよ。だから、これは少し主と話さないとって思ってきたの」
「……そうか」
確かに、清光と安定は仲が良い。同じ主に仕えていたこと勿論関係しているのだろうが、清光の話にも、高い確率で安定の名前が出てくるのだ。それだけ清光と生活を共にしていれば、おそらく清光が最近機嫌の悪い理由も、知っていることだろう。
「主。心当たりある?」
清光の機嫌が悪い理由を安定に聞こうとしていた審神者は、そう問われたことでその言葉を呑み込んだ。こうして尋ねてくるということは、おそらく安定もその理由には思い当たる節がないのだろう。
「安定も、聞いていないのか……」
おそらく審神者よりも清光に近いであろう安定も知らないとなれば、状況は絶望的なようにも思えた。
「僕は知ってるよ? 耳にたこができるぐらい、清光の愚痴をきいてるもん」
なんてことない風でそう口にする安定。
しばし、審神者はかたまった。
「……知っているのかい?」
「主。すごい顔してるね。もちろん知ってるよ」
「では何故質問を……?」
「主が清光のことをどれだけ理解しているか、知りたくて」
「……そうか」
釈然とはしないが、納得する。審神者は目を伏せて、最近の清光の態度を思い出す。何か、審神者に期待しているような気はするのだが、それが具体的に何なのか分からないのである。
「……なんといえばいいだろう。清光は……そうだな」
清光に対する、使うべき言葉が思いつかない。審神者は唇に手を当てて、うんうんと考え込む。その間も、安定は、審神者を急がせることなく待っている。
「……私に、言いたいことがある気がするんだ」
ようやく絞り出した言葉に、安定はへえ、とつぶやいた。
「けれど、それを察することが出来なくてね。そのせいで、清光は気分を害してしまっているのだと……それだけのことしか、今は分からないんだ」
これ以上は安定に答えられるような言葉はない。困り顔を浮かべている審神者に、安定は静かに口角を上げてみせた。
「大丈夫。主は良い線いっているよ。清光はすごく面倒な性格しているから、それぐらい分かってたらもうそれでいいと思う」
「安定。知っているなら、教えてくれないか?」
縋るような視線を送れば、安定はにっこりと笑う。
「いいよ」
「! ありがとう、安定」
これで、清光も笑ってくれそうだ。そう思うと、安堵せずにはいられない。清光の何を傷つけてしまったのか分からないから何も出来ずにいるこの状況は、審神者とて望んではいない。
「そもそもさ、主はどうして急に皆と仲良くなろうと思ったの? 清光の愛が重くなったの? それか、他の刀剣に近侍を変わってほしかったとか?」
「まさか。そんなことはないよ」
想定していなかった質問だが、こんな質問ならば返答に迷うこともなく。審神者が即答すれば、畳みかけるように安定は問いかけてくる。
「なら、どうして? 他の刀剣と仲良くなりたいなら、代わりばんこに近侍にしていく方が手っ取り早くない?」
そう言われれば、確かに安定の言う通りだった。けれど、そんなことは考えたこともない。近侍は清光以外に務まらない――というよりも、審神者にとって近侍といえば清光にしか当てはまらないのだ。近侍が云々といった話よりも、安定がこんな話をしてくる理由について考えた審神者は、静かに安定に問いかける。
「清光は、近侍は嫌だと言っていた?」
もしもそうならば、己は清光を苦しませてしまっていたことになる。不安に思って問えば、安定はうーんと首を傾げる。
「まあそんなことはないけど……」
その時だった。安定は、ふと、何かを思いついたようににやりと笑う。
「ああっ、でも、そうだなー。僕になら近侍を変わってもいいって、清光そう言ってたような気もして――っ、いてて、いたっ」
「っ! 安定、どうしたんだ?」
話の内容も衝撃的ではあったが、それ以上に安定が急に痛がり始めたことに驚いた審神者は、思わず安定に手を伸ばす。安定は困り顔で後頭部をさすりながら、必要ないと意思表示するように、審神者に緩く手を振った。
「ごめんごめん。ちょっと頭痛がしただけ。大丈夫」
「本当か……? ちょっと、みせてくれ。手入れが必要なら今から――」
「いや、本当に大丈夫だから!」
あはは、と笑いながらそう言い切る安定に、審神者は不安を覚える。けれど、本人が大丈夫だと言い張るのならば、そうなのかもしれない。
「心配しないで、主。ほら、後で薬研のところに行くから」
「……後といわずに今行きなさい。私も、一緒に付き添うから」
「そんな大袈裟なやつじゃないよ。ほら、さっき、壁に頭ぶつけただけだから――そう、たんこぶ! ただのたんこぶ!」
「……たんこぶ」
「そう。たんこぶ」
本当にそうなのかと訝しく思う審神者に、ごまかすように安定はへらりと笑った。
「さっきのは嘘だよ。近侍の役目は誰にも渡さないっていってたから、大丈夫だよ。僕の嘘」
話を戻して、安定はため息をついた。
「でも、主は小狐丸の方が自分よりも好きなんじゃないかって、毛並みの良さに絆されて、その内近侍の役目を降ろされるんじゃないかって、気が気がないんだってさ、清光」
何やら面倒くさそうに、投げ出しているかのように、そう口にした安定は、後頭部を撫でながら、続ける。
「主は清光のこと好き?」
そう聞かれた質問こそ、おそらく、安定が審神者に聞きたかったことなのだと、審神者はそんな確信をもった。確証はないが、そう受け取って間違いはないと、直感で気づいたのである。
「……ああ。好きだよ」
答えを考えるまでもなく、すぐに言葉に出せる。
ごまかすこともせずにそう答えれば、安定は探るような視線を審神者に送っていた。
「どのくらい?」
「……どのくらい?」
そして更に追加された質問に、今度は少々考えこんだ。どう答えればよいのか、戸惑ってしまう質問だ。長さや重さに例えろということではないだろうが、口べたな審神者には、非常に難しい問いである。
「そう……だな。どのくらい、か」
思いの外言葉に詰まり、しばらくの沈黙に場が支配される。審神者はどんな言葉で表せばよいのか考えに考え抜いて、ふと、先ほどの安定の問いを思い出した。
『そもそもさ、主はどうして急に皆と仲良くなろうと思ったわけ? 清光の愛が重くなったの? 他の刀剣に近侍変わってほしかったとか?』
その瞬間、安定に対する返事が己の中で明確になっていく。
静かに、審神者は口を開いた。
「……以前、万屋に行ったとき……他の本丸の審神者と刀剣達を見て、思ったんだ。私の本丸とは、全く違うと」
安定は、不思議そうに眉を吊り上げた。
「何の話?」
「先の話だよ。聞いただろう? どうして、皆と仲良くなろうと思ったのか」
「? ああ、したけど……」
話のつながりが分からないといった表情を浮かべつつも、安定は口を閉じて、審神者の話に耳を傾ける姿勢をとる。
審神者は続けた。
「他の本丸の審神者と刀剣達は、楽しそうでね。……皆、笑っていたんだ。買い出しも全て清光に任せていた私には、初めてみる光景だった」
あの時の衝撃。じわりじわりと、真綿で首をしめられるかのように、息苦しくなっていく感覚。今でも、思い出しては後悔する。
「そんな刀剣達を見てから、そばにいる清光を見たら――笑って、いなかったんだよ」
本来ならば、清光は表情豊かで甘えたがりで、以前までの清光とはまさに正反対のもの。
「清光にずっと無理をさせていたのだと気づいたんだよ。その時になって、やっとね」
我慢をさせた。無理をさせた。結果、清光は己自身を押し殺して過ごしてきた。そんな清光の心を想えば、今でも審神者は息苦しさを感じてしまう。
「だから、変わらなければならないと思ったんだよ。自分を押し殺した清光ではなく、自然体で自由に振る舞う清光に、清光がなれるように」
目を瞑り、瞼の裏に、以前の清光を浮かべる。
それから、最近になって感情を表に出してくれるようになった清光の姿を。
「私はただ――清光の笑顔が見たかったんだ」
瞼を開いて、安定を見つめる。己の中で、大切なことを再認識できたような気がした。
「……そう。主が変わったのは、全部清光のためだったんだね」
肯定するように自然と微笑みがこぼれ落ちた審神者に、安定は吹き出した。
「相当だね」
「安定。これは、答えになっただろうか?」
「うん。十分だよ」
安定はふっと目を細めて、審神者とは違うどこかに目をやる。それを気にかけることなく、審神者は安定に質問をすることにした。
「ところで、安定。清光が怒っている理由なのだけど……知っていたら、教えて貰えないだろうか?」
すると、安定はまた目線を審神者に送り、悪戯っぽく笑ってみせる。
「うーん。全部はちょっとね……じゃあ、ヒントだけ教えてあげる。仮に答えが分からなくても、もう大丈夫だろうし」
「ヒント?」
そう言う安定の口振りは、何やら全てを見透かしているようなもので。審神者は眉を寄せて、真剣に耳を傾けるために少しだけ距離を縮める。そんな審神者の耳元に唇を寄せ、安定はひそひそと言葉を紡ぐ。
「最近、清光は身だしなみに凝ってるんだ。小狐丸に負けないようにね」
「小狐丸に……? 身だしなみを……?」
そのヒントと共に、審神者の脳裏に清光の姿がよぎる。
小狐丸の毛並みの話をしたあと、機嫌が悪くなったこと。清光にしては珍しい、毛先を弄ぶ仕草をしていたこと。
「……そうか」
それだけで全てが繋がって、審神者はそんな声を漏らした。
その反応に満足した安定は審神者から離れ、全て終わったといわんばかりに、食べかけのようかんの皿に手を伸ばす。
「さ。話はおしまい。後は清光に直接いってあげてね」
そしてようかんを食べ始めた安定に、審神者は頷いた。
「ありがとう。安定」
「どういたしまして」
して審神者とは反対方向を見ながら、一言。
「本当……面倒な相棒を持つと苦労するよ」
そうして安定がおやつを食べ盆を片づけてくれた後、審神者は安定の座っていた付近に、複数の小石が落ちていることに気がついた。
(安定か?)
とても小さな石。爪の先ほどもない。一瞬安定のものかとも思ったけれど、安定は室内しか移動してはいないはず。
(外で作業でもしてきたのだろうか? ……まあ、何でもいいか)
けれど深く物を考えずに、それらを拾って、外に落とす。
室内に置いておいて、間違って誰かが踏んではいけない。
(それよりも清光に……今度こそ、気づいてやらなければ)
そう決心した審神者は、後で時間がとれるように、張り切って残りの業務に励むことにしたのだった。
張り切って書類仕事に励んだおかげか、想定以上の早さで書類が片づいていく。次に清光に会うときまでに時間の節約しようという思いは、とても強いようだ。
「……主」
そんな集中力は、部屋に入ってきた清光の声によってとぎれる。聞き慣れているのに、どこかいつもと違うように感じる声。はっと顔を向ければ、清光は伏し目がちに視線を外しながら、小さく唇を動かして話を切り出した。
「お茶のお代わりもってきたんだけど……いる?」
その声をなんと表せばよいのか一瞬分からなかった審神者だったが、ふいに、ふわふわと浮いているような声だという表現が思い浮かぶ。そんな言葉が浮かべば、全体的に清光の雰囲気が柔らかく、今にも浮いていってしまいそうに見えた。
「……ああ。貰うよ。ありがとう」
そういって、筆をおろす。とっくに空になっていた湯飲みをみてそう返事をすると、「わかった」と言って清光は審神者の隣に両膝をつけて、そのまま正座をした。持ってきていた盆の上には急須が乗っており、清光が持ち上げれば、たぷんと水音が聞こえる。
「仕事は進んでる?」
「ああ。順調だよ」
とくとくと湯飲みに注がれるお茶を見つめていた審神者は、視線を清光に向けた。清光は目線を急須の先と湯飲みに向けていて、審神者の方には全く目をくれない。お茶を入れているのだから当然ではあるが、審神者はこれ幸いと清光の髪に視線を向ける。そのまま、じいっと観察する。つむじの方から、毛先まで。
(身だしなみ……わからないな)
清光が普段から髪に無頓着であるならばいざ知らず、清光は普段から身支度はきっちりしているのだ。それこそ、爪の手入れまできっちりと。
安定の話から、清光は小狐丸に張り合って髪の手入れを頑張っていることが分かった。けれど、こうして答えが分かっていても、気づくことは難しい。元々艶のある髪をしていた清光の髪は、小狐丸に張り合う前からずっと綺麗だったのだから。
(もう少し露骨に変化があるならばともかく……)
触れてみたとしても、きっと何も気づけない。そもそも清光の髪に触れたことなどないのだから。小狐丸や五虎退にするような接触は、思えば清光相手にしたことはなかった。
(一番、そばにいてくれたのに)
それを思うと、清光が不安になる理由には、それなりの背景があるのではないかと感じた。審神者は、清光の視線が己に向いていないことをいいことに、結われ、胸の側に流されていた清光の髪を指ですくった。滑らかで、しっとりとしていて、とても綺麗な髪だと思う。けれど、以前と何が変わったのかは、やはり分からない。
「あ、あるじ……?」
そう呼ばれて我にかえった審神者が顔を上げる。頬をほんのりと赤く染めた清光が、視線を泳がせながら、小さく震えていた。そのまま視線を清光の手元に向ければ、急須を持つ手は明らかにカタカタと震えてしまっている。
「清光。どうした?」
嫌なのかそうでないのか、何を感じ何を思っているのか、判断に迷った審神者がそう尋ねれば、清光はあわあわと今度は唇をふるわせる。
「どうしたって、そんなの……主がどうしちゃったの? 俺の髪、へ、変?」
普段は見ない動揺ぶり。審神者はもう一度、視線を髪に戻し、指先でゆるく清光の髪を梳いてみる。
「いいや、綺麗だよ」
そう答えてから、もう一度清光の顔を見る。そこには更に顔を赤く染めている清光がいた。そんな清光を怪訝に思った審神者は、今度は額に手を当てる。
「熱でもあるのか?」
「なっ…ない、けどさあ」
清光は急須を盆の上に置いてから、そろそろと視線を審神者に向ける。ここにきてようやく清光と目があった審神者は、小さく微笑んだ。
「気づけなくて、すまなかった。綺麗だよ。清光」
「っ……あるじっ……」
そう言えば、清光の熱は更にあがっていく。それが手のひらから伝わってくる審神者は、そのままするりと頬を撫でる。
「……やっぱり、熱があるな」
ひゃっと声をあげた清光は、その後少々悔しそうな表情を浮かべて、潤んだ瞳で審神者をキッと睨みつけた。
「主のせいだよ。主が、急に褒めたりなんかするから……」
そう言われ、審神者の頭には疑問符が浮かぶ。
身だしなみの変化に気づかなければ不機嫌になり、変化を褒めても不機嫌になり。矛盾しているように思える清光の反応には、何と返して良いのか分からなかった。
(では何が正しいのだろう……)
眉間にしわが寄り、困った審神者は、静かに清光から手を離した。
「……すまない」
とりあえず、己がしてしまっただろう粗相について謝る。
「……別に、謝る事じゃないけど……」
それ以上、何を言っていいのか分からず黙り込むと、おずおずと、清光の方から距離を縮めてきた。
そしてふっと、思い切ったように、審神者に体をもたれかけてくる。
「いいよ。触って」
肩に体を預けるようにした清光は、小さな声で審神者にそう言った。
驚いて小さく目を見開いた審神者がじいっと清光のつむじを見下ろし、そして、自由に動く右手を伸ばして、清光のつむじの上に手のひらを置く。
言葉においても態度においても、何が地雷を踏むか分からない審神者にとって、これからの行動は全て綱渡りのようなもの。
(……清光が怒らないように…)
触って良いというのだから、少なくとも、触れること自体は問題のあることではない……はず。
身構えながら、そのまま優しく撫でる。位置関係から、清光のつむじは見えても顔が見えない審神者は、びくびくしながら清光の髪に触れていく。つむじから、流れるように耳の後ろに触れると、小さく清光の体が震えた。
「痛くないか?」
そう問いかければ、清光は小さく頷いた。
ほっとし、更に結われた毛先まで、指の上を滑らせていく。一度も指に引っかかることなく、するすると指の間をすりむけていく感覚は、とても好ましい。
(……だが、関係ない。清光の毛並みがどうあれ、私には清光が必要だというのに)
毛並みの良さで張り合うことがそもそもおかしいのだ。小狐丸の髪はさわり心地が良いけれど、審神者はそのために小狐丸と寝ているわけはない。
「良い触り心地だ」
だが、どうしてだろうか。審神者が小狐丸に近侍を任せるかもと危惧したのか、毛並みの良さで小狐丸に張り合おうとする。そんな清光が――審神者はとてもいじらしく思えてならなかった。
心を直接くすぐられているような感覚。審神者は衝動的に、清光の体を引き寄せて、両腕で強く抱きしめた。
「へっ…あ、あるじ…!?」
いきなりのことに困惑している清光を気遣うことなく、そのまま、審神者は強く強く腕に力を込めた。
(ああ、この感覚――愛しい、のだろうな。清光のことが)
気が昇り、審神者はぎゅっと目を瞑る。驚いているだろう清光は、そろそろと審神者の胸にしがみつくように、ぎゅっと襟を掴んで、しぼりだしたような声で口を開く。
「主、どうしちゃったの?」
「……すまない」
「だから、謝るようなことじゃないけど……」
言いつつ、頭を審神者の胸に預け、清光は体の力を抜いて身を任せる。それをよしとし、審神者はそのまま清光の体を抱き続けた。
「毛並みの良さで近侍を選ぶことはないよ。私の近侍は、清光以外ありえない」
告げれば、清光の体は強ばった。
「だから、何も心配することはないんだ。清光」
「主……」
審神者の着物を握りしめていた手が、そのまま背中の方に回る。清光の方からも、ぎゅっと抱きしめられ、審神者は目を丸くした。
「安定が言ったんでしょ…? 本当あいつ、お節介なんだから」
笑いをこぼしながら、清光は続けた。
「主。もっと俺に構ってよ。五虎退とか小狐丸とか、いっつも先を越されて、寂しいんだけど」
「……清光も一緒に寝るかい?」
「小狐丸もいるんでしょ? 俺、主と二人がいい――じゃなくて、そんなんじゃなくて……」
顔を審神者の胸からはなし、清光は審神者の顔を見上げた。
「俺、主の一番がいいんだよ。特別がいい」
そしてゆっくりと目を細めて、清光は白い歯をのぞかせて笑う。
「行動がなくても、主の気持ちが俺にあったら、俺、それだけで十分なんだ」
そしてまた審神者の胸に顔を埋め、つま先をぱたぱたと動かす。
「だからいっぱい撫でて! いっぱい褒めて! それから、いっぱい俺を使ってね!」
そういう清光に、審神者は戸惑った。
(早速矛盾している……)
それでも、清光の言葉の真意はなんとなく読み取ることが出来る。
つまるところ、清光は言葉も行動も、満足できるだけの量がほしいのだ。気持ちはあるから行動は気にしないということはない。さすがに、審神者も学習し始めていた。
つまりは――清光を不安にさせないように、言葉でも態度でも、愛情を示すことを欠かしてはならないと、そういうことなのだ。
「ああ。わかったよ、清光」
安定が清光を面倒だといっていた理由はここにあるのだろう。納得し、けれどそんなところも愛しいと思うのは――清光のこんな姿こそを、審神者はずっと見たかったからだ。
審神者は満たされた表情を浮かべて、ふっと笑ったのだった。
「あーあ、浮かれちゃって。その様子だと主とうまくいったみたいだね」
「まあね。でも、うまくいったなんてものじゃないよ、安定。これはもう……なんていうか……結婚?」
「……清光、頭打ったの?」
「うるさいよ。大体、俺安定に近侍代わってもいいとか言ってないし! 主に変なこと吹き込まないでよね」
「えー……僕のおかげで主と仲直りできたんでしょ? ちょっとくらい良いじゃん、けちー」
「だめだめ。主は俺じゃないとだめなの。俺、愛されちゃってるから。……ふふっ、主のためにも、もっと強くて綺麗で世話上手な愛され刀にならなきゃ!」
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