ものおき


賢くて可愛くて強くて利口な美少女に!



こっそりと自室に忍び込んできた存在に気がついたのは、まさに眠りにつく直前のことだった。






それは、徹夜が続いた後のこと。もういい加減休めと部屋に叩き込まれた私が、毛布をかけることもしないままに横になっていた時のことである。


(ナイチンゲールにもヘカテーにも心配をかけてしまった……私はまだ大丈夫なのだが……)


やることならばいつでも山のようにある。あれもこれもとしている内に、すっかり徹夜が続き。きちんと休むように言われていたが、まだ大丈夫だと答えてろくに休むこともしなかった。

だが壁にむかってヘカテーと呼びかけそのまま話を続けてしまったことで、ついに大丈夫という言葉も信用されなくなってしまい――思考力の低下そしてこれ以上は健康に害ありもう許せませんとの判断が下ったのである。

そして、六時間の睡眠をとるまで戻るなと言われて今ここにいるのだ。


(休んでいる場合じゃない……だが、寝られることはありがたい)


半ば意地を張るように休まないと言ってたが、横になっていてはもはやその言葉は出てこない。すぐに寝落ちしてしまいそうだ。なんと心地よいのだろう。


「おじゃましまーす。うわあ、っていうか、なんなのこの部屋……ほーんとなにもないじゃん。局長らしいっていうかなんていうか……つまんないのー…」


その時のことだったのだ。自室の扉が開けられ、小声でそう喋る者が入ってきたのは。


(ヘラか……)


目を開けずとも分かる。ノックもなしに入ってきてこの言いよう。間違いなくヘラ以外にはいない。
彼女はつんつんとした振る舞いをするが、少しずつ私に心を許してくれたのか、最近では何かと距離が近い。だからこそ私に話しかけに来てくれたのだろう。

何か返事をすれば良かったのだろうが、何せ数日ぶりのベッドなのだ。すでに瞼は堅く閉ざされているし、意識も睡魔にとらわれかけている。早い話が億劫で動きたくない。


「局長? 寝てる? ほんとに寝ちゃってるの?」


彼女には悪いが、このまま狸寝入りを決め込もうとする。私に何か用があったのかもしれないが、本当に緊急用件なら叩き起こしてくるだろうし、そうでないのならばきっと出直してくれるだろう。ヘラは口こそ悪いが、そういった気遣いができると――……信じている。おそらく。頼む。寝かせてくれ。今はどのみちろくに会話もできる状態ではない。


「あらら、ほんとに寝ちゃってるんだ……まるで死んでるみたい……本当に死んじゃってたりして」


言いながら、鼻の近くに気配が近づく。おそらくヘラの手だろう。そっと鼻先に近付けられたそれは、私が何度か呼吸を繰り返した後に、離れていった。


「……生きてんじゃん。紛らわしい」


生死確認されていたようだ。私はどれだけ安らかな表情で眠りにつこうとしていたのだろうか。


(まあ、これで出直してくれるだろう)


けれどその予想とは裏腹に、ずしりとした重みと共にベッドに軋む音がした。おそらくベッドにヘラも乗り上げてきたのだろう。そのまま、静かになった部屋で、私と、ヘラの呼吸する音だけがする。

ヘラが小さく唾をのむ。その後、小さな呼吸音が近づいてきた。おそらく、私の顔をのぞき込むように。ヘラの香りが、鼻先をくすぐるような距離だ。私は疑問を持つ。何をしているのだろうか、と。


(次は瞳孔でも見られるのか)


気付かないふりをしてこのまま寝ようと思っていたが、無理矢理瞼をこじ開けられて瞳孔を見られてはさすがに寝てはいられない。もう、一度起きてまた出直してくれといえばいいのかと考えたところで、ふと、唇がふさがれた。

薄い皮のような感触。けれど柔らかく、不快感はない。温かく、それは人の体温であると気づかされた。その後、何かを調べるかのように――これは指先だろうか。そのような感触が、唇に触れてくる。


そうしてまた、薄皮のような感触が唇を塞いでしまうのだ。


(塞がれている……窒息をねらっている?)


いやまさか。しかし、でなければ何故こうも寝ている内を狙って口を塞がれてしまうのか。殺すほどのものではないが、憂さ晴らしぐらいはされているというのか。


何度かそうされた後、私は重い瞼をこじ開けた。寝てもいいが、寝にくい。精神的にも、肉体的にも。


「………?」


重い瞼をこじ開けた先、目に入ったものは、色素の薄い何かで。それがヘラの髪の毛だと思っていたけれど、よく見るとそれがヘラのまつげだったことに気付く。ヘラは目を閉じているようで、私が起きたことにも気付いていない。

そのままじっと見ていると、はあ、と吐息をこぼしながら、ヘラの顔が私から離れていく。

熱に浮かされたようなその表情とぼんやりと開いた瞼。
私は掠れたような声で、口を開いた。


「何をしている」


そうして私の上に跨がるようにして私を見下ろしていたヘラと目が合うと、ヘラは猫のように飛び跳ねて、私の上から逃げるように退いてしまった。


「なっ……な、なんで起きてるの!?」
「ずっと起きていた」
「はあっ!? なんで!? あたしのこと騙したっていうわけ!? さいってい! 悪趣味! ど変態!」
「酷い言いぐさだな……」


寝ているなど言っていないし、何もしていない。
にも関わらず、ここまで言うとは。変態とは。


「緊急でないなら出直してくれ。眠いんだ」


ヘラの口の悪さは今にはじまったことではないので、軽く流す。
何度もいうが眠いのだ。体を起こす元気もない。横になったままそう言うと、ヘラは動揺したまま、今度はおそるおそると言った様で私に近づいてくる。


「そ……それだけ? 他になにか言うことないの…?」
「……すう……」
「ちょっと! 寝ないでよ! こんな状況のまま! ばか!」


肩を揺らしながら睡眠妨害を試みるヘラに、瞼を開ける気も起きない。


「寝ぼけてるの? あたしは、今あんたに……その……」
「分かっている。窒息させようとしていた」
「分かってない! あんた馬鹿じゃないの! あたしはっ、あたしはただあんたがマヌケな顔して寝てるから……ちょっとだけ、なんていうか、そんな気分になっちゃっただけで……」
「殺す気はなかったと分かっている、問題ない」
「あるに決まってるでしょ! どうしてそっちにしか考えないの!? ほんと信じられない! ふつうここまで言わせる!?」


言われ、私は渋々と瞼を開く。今度は私の横に手をついて、もう片方の手を私の頬に添えていた。そして私を見下ろすその視線は、思っていた以上に真剣なものだった。


「あたしは……こういうこと、してたの」


言い、そっと、影ができる。静かに、ゆっくりと近くにきたヘラの唇が、そのまま私の唇に重なったのである。静かに目を見開いて、私はそのままヘラの唇が離れていくまで何も反応することができないままだった。


「なによ……何か言いなさいよ……」


少しだけ目を伏せて、熱でも出しているのかと思うほどに顔を赤く染めているヘラに、もしやこれは過労からみる夢ではないかと疑った。だが、そうではない。最近は距離が近くなったと思っていたが、近づきすぎていたといたとは気付かなかった。


「……少し目が覚めた」


それだけこぼすと、呆れたように舌打ちをされてしまった。


「他に! 他にあるでしょ! ほんと最低!」


そう言われても、他に何も言いようがない。


「……友情や親愛でキスをしたいなら、頬にするといい。口同士は誤解を招く」
「ちがっ……そんなの分かってるし! そんなんじゃない!」
「なら、何故だ? 私の性別は……」


言い掛けて、止まる。今度は乱暴に唇を重ねられ、そのまま下唇に噛みつかれたのだ。急な痛みと鉄の味、ますます眠気が遠ざかる。

顔を離し、ぺろりと唇をなめながら、ヘラが私を見下ろす。今度は怒りを含んだような視線が向けられていた。


「――知ってて、こういうこと、したかったんじゃん」


言われて、先ほどの言葉がヘラの気持ちを軽んじたものであったことに気付く。言葉を失ったまま呆然とヘラを見上げると、ヘラはその反応をどう受け取ったのか、少しだけ悲しそうに目を細めた。


「いけない? あたしが女だから? コンビクトだから? 子どもだから? だからダメなの? こういうことする権利はないっていうの?」
「そんなことはない……が、」


なんと言葉をかければ良いだろう。適した言葉を探すが、何せ記憶も曖昧な身。こういった経験があったわけではないので、どうすればよいのかわからない。

悩んだが思い浮かばなかった。加えて思考力も今は働いていない。


「返事は、寝てからでもいいか? 今は頭が働かない……」
「……あんたね……」


正直に言えば、恨めしそうな目でにらみつけられる。
致し方なし、けれど元を正せば寝込みを襲う方に非がある。


「……まあ、特に嫌悪もなかった。そういう目で見られるかといえば今は眠いしそれどころではないといったところだ。今後に期待する」


重く怠い体に鞭を打って、腕を上げる。そのままヘラの頬を撫でてそう言えば、きゅっと、ヘラは唇を噛みしめたようだった。


「なにそれ。期待しちゃっていいわけ…? そんな言い方して、後で後悔しても知らないから」
「……うん、まあ、ヘラが相手なら問題ないだろう」


楽観的にそう言って、そのままヘラの体を抱き寄せて横になる。驚いたのか、ひゃっと声を上げて横になったヘラは困惑しきっていた。


「ば、ばかっ、いきなりそんな……」


胸に抱き寄せて、よくわからない反応をみせるヘラの頭をぽんぽんと撫でる。ここに来た理由が私にあるのならば、時間だってきっとあるだろう。


「六時間経ったら仕事に戻る……起こしてくれ」
「………は?」


そのまま、私は眠りに落ちることにした。ヘラが自分に向ける想いが何であれ、それは今すぐ解決しなければならないことではない。とりあえず保留を伝えたのだからもう十分だろう。


「このヘラちゃんにそんな召使いみたいな真似をしろっていうの? 調子のりすぎ! ふざけないで! あんたってほんと最低!」


言いながら、私の腕をふりほどく様子はない。実に大人しく胸の中に納まっているままだ。それを良しとして、私はそのまま瞼を閉じる。


そもそも、ヘラが私に向ける想いがなんであれ、彼女はまだ子供なのだ。恋人になったら何をするかなどと、そういった生々しいことまで考えが及んでいるとは考えにくい。よって深刻にとらえる必要だってない。



「起きたら覚えてなさいよ……思い知らせてやるんだから……」


そんな燃えるような声で呟いた言葉を聞いたのを最後に、私はそのまま眠りについたのだった。





- 2 -

*前次#


ページ: