賢くて可愛くて強くて利口な美少女の!
十二月二日。
今日のこの日は、彼女にとっても、自分にとっても特別な日に違いない。
きっと彼女は、また一つ年を重ねたのだと、もう少しで大人になるのだと、このめでたい日のお祝いは勿論あるのだろうなと矢継ぎ早に話をしてくるに違いない。
その様を想像すると、ふっと笑みがこぼれる。
――今日は、彼女の誕生日である。
賢くて可愛くて強くて利口な美少女の!
仕事に追われるのは常である。一日が二十四時間ではとても足りないと思うほど、目の前の仕事をこなすことに追われ、あっという間に時間はすぎていってしまう。
そんな様であるが、今日ばかりは例外だった。頻繁に時計を確認し、彼女の来訪を心待ちにしている――そんな自分の姿など、以前ならば想像もできなかっただろうに。
「きょーくちょう! 今日は何の日だと思う?」
案の定というか、書類整理をしている中に部屋に飛び込んできたヘラは、まるで宝石のように目をきらきらと輝かせていた。紆余曲折を経てなんだかんだ交際をすることになった彼女は、こちらの返事を待つこともせずに勢いよく胸に飛び込んでくる。
「ヘラの誕生日だろう。覚えている」
手に持っていた書類を、ひとまず机の上に避難させる。そうして、ヘラのことをじっと見下ろした。ヘラは私の返事に満足したようで、えへへ、とかわいらしい声でわらった。
「あったりー! ま、当然か! これでもしもあたしの誕生日を忘れてたなんていったら、今頃どうなってただろうね〜? 可愛い可愛い恋人がまた一つ大人になったっていうのにふざけんな!って、暴れて執務室なんてメチャクチャだったかもよ?」
「それは、命拾いをしたな」
すりすりと頬を寄せ、まるで二人から隙間をなくそうとするように更に身を寄せてくる。その姿は、どことなく猫の姿を彷彿とさせた。
(もしもうっかり誕生日を忘れていたら、か……忘れるわけもないが、覚えていて良かった)
もしも鉄パイプを持ち出されてしまったらと考えるとぞっとする。少しばかり心臓の動きがはやくなり、それに気づいたらしい彼女は楽しそうに目を細めた。
「やだあ、局長ってば。あたしが抱きしめてるからって、こんなにドキドキしちゃってるわけ? ふふーん、やっぱり大人になったヘラちゃんの魅力にはやっぱりあらがえないんだねえ。可愛いところもあるんじゃん?」
そういうわけではない。けれど、わざわざ訂正をして怒らせる必要もない。その言葉に肯定も否定もすることもなく、私は話題を逸らすことに決めた。
「……ずっと今日を待っていた。貴方が、私に会いにくることも」
少し強引な切り出しだっただろうか。少しの後悔を感じながら、じっとヘラの反応を伺う。
「……ほんと?」
彼女といえば、きょとんと目を丸くしていて。まるで私の言葉が信じられていないかのようだった。毒気を抜かれたような反応に、胸がむずむずする。一言で表すのなら、無性に頭を撫でてあげたくなったとでも言おうか。
「嘘をついてどうする」
思いのまま、そっとヘラの頭を撫でていく。
長く同じ時間を過ごしたせいか、こうしてヘラに触れることは。私にとって当たり前の日常になってしまっていた。
「本当だ。きちんと祝いたかった」
そう言って、引き出しにしまっておいたヘラへのプレゼントを取りだそうと考えた。プレゼントはヘラの機嫌が良い内に渡しておきたい。だが、ヘラが私を抱きしめて放さないためにこれが難航する。これでは、プレゼントを取り出せない。
「……ヘラ、」
少し離れてくれ、と。そう続けようとした言葉は、ヘラの顔を見たことで行き先を失ってしまう。先程まで私の胸に顔を埋めながら頬ずりしていたヘラは、今度は私を見上げるようにして、目をつむってじっと待っている。
予想していなかったその反応に固まり、言葉も失ったまま。その私に、まるで催促するようにヘラが唇をつんと尖らせた。
「ん!」
急かすように言われて、頬がひきつる。その単語の意味を汲み取ることが出来ないほど朴念仁ではないことが災いしたのか、幸いしたのか。何を求められているのか分かるが故に、戸惑いが隠せない。
「…………」
ヘラとの関係は一応恋人ではあるものの、恋人らしい接触などはほとんどなかった。唯一あったことといえば、ヘラからの不意打ちされた時ぐらいのもので。手を繋ぐ、腕を組む、抱きしめる、添い寝をする……という行程は済ませているものの、それ以上のつきあいはヘラが大人になってからと言い聞かせてあるのだ。
(これは……どうしたものか……)
だがこうして誕生日をむかえ年齢を重ねた今、キスぐらいはしろと。解禁しろと。ヘラはそう主張しているのである。言葉で主張しているのならばともかく、行動で主張されてはたまらない。とにかく、対応に困る。
「……私達にはまだ早い」
困った挙げ句にそう告げる。誕生日を迎えたと言っても、まだあと一年は必要だ。不用意に手は出せない。
そう主張すると、ぱちりとヘラは目を開けて、不満げに頬を膨らませてしまう。
「もう大人なんだけど!」
「あと少し待ちなさい」
「あと少しで一年も待たされるの!? そんなの誤差じゃん! あたしもう十分待ったもん! シンジゲートじゃ、もう子ども扱いなんてされないような年齢になったんだから!」
予想通り、不服だと主張する。こうなってしまった彼女を宥めることがどれだけ大変か、身を以て知っている。困りきって眉を下げた私に、ヘラは一歩分距離を置いてから、今度は私の胸倉を掴んで引き寄せた。
「身長だって伸びた! 大人っぽくなってるって自信もあるの! 局長の言いつけだって守ってるし……そりゃあ、時々? ちょっと? おてんばなことだってするかもだけど……でも、局長への気持ちは真剣だって、分かってくれてるでしょ?」
そのまま、しゅんと肩を落として、視線も沈むように下を向いていく。
「あたし、この日を楽しみにしてた……局長との関係が、ちょっとだけでも変わるんじゃないかって。……でも、違う? 局長は、あたしとそういうことするの、そんなのいやなの……?」
「――ヘラ……」
この時、私の中にあった感情と言えば、感動や同情とはほど遠く。
純粋に、この一年で猫かぶりの腕が格段にあがったものだと感心していただけだった。
同情を誘うその完成された言動に騙されることはない。長い付き合いだ。このヘラの態度が駆け引きの一つであるとすぐに分かる。そして、おそらくそのことはヘラも理解しているのだろう。だから余計に性質が悪いのだ。
「あたしの気持ちと局長の気持ちは同じじゃないの……?」
これはある種の罠である。ヘラとて、私が上辺の演技に引っかかり、それをあっさりと信じるとは思っていないだろう。ただ、私が自覚をした上で、それにあえて引っかかる――ヘラは望んでいるのはその展開だ。騙されたわけではない。騙したわけでもない。了承であり合意を欲しているのだ。
詰まる話が成人後の約束を、成人前に解禁させようとしているのである。
本格的に仕掛けてきているのだ。
「……ヘラ。そんなことはない。いずれ時が来るまでは、という話だ。大事に思っているからこそ、こういったことにはきちんとけじめをつけるべきだと言っている」
「けじめって……そんなのただの局長のこだわりじゃん。それとも、時間稼ぎ? 適当に時間を稼いで、その間にあたしから逃げようとでも考えてるんじゃないの」
「そんなことはない。そんなに私が信じられないか?」
不穏な方向に話が流れていきそうで、焦りを覚える。以前、ヘラから自分に向けられる好意が一時的なものであると、そう考えていたことを見透かされて釘を刺されたことがある。その時のことを思い出して、ぞっとした。
ヘラの声が、低く冷たいものに変わっていく。
「――ねえ。これから先ずうっと一緒にいる関係になろうねっていってるのに、年齢なんて重要じゃないと思わない? っていうかさあ、いつどんなことになるかわからない状態なんだから、さっさとやることやろうって言ってるんじゃん? わかんないの?」
こうなったヘラを抑える術を知らない。これはなんというか、獰猛な獣の怒りを買ってしまった感覚に似ている。ああ、完全に機嫌を損ねた。できれば、こうなる前にプレゼントを渡したかった。今更後悔しても遅いけれど。タイミングでいえば、執務室に入ってきた瞬間に渡すことがベストだったのだろう、おそらく。
「……決して貴方の気持ちを軽んじているわけじゃない。ただ、私なりの誠意がこれなんだ」
「はっ! 何にもしないのが誠意? じゃあそんなの要らない! あたしは局長が好きだから、局長がほしいって言ってるの! あたしが大事なら、自分にリボン巻いて『今年は私がプレゼントだ』くらい言ってよ! 今年はそういうのあるかもって言われてたから期待してたのに! くそったれ! なんで何もしてくれないの! 信じられない!」
「誰が言ったんだそんなことを……」
「誰だっていいじゃん! どうせやらないんだから!」
親父くさい入れ知恵をした犯人の特定は後回しにするとして。今はとにかく、ヘラを落ち着かせる方が先である。
(今渡すのはどうかと思うが……)
もうこの状況を打開する方法が他に思いつかない。私は素早く机の引き出しをあけて、中から紙袋に包まれたプレゼントを取り出した。ヘラが一歩分距離を空けてくれたから、今度はスムーズに取り出すことが出来た。
「先にこれを受け取ってくれ。その後でまた話は聞くから」
ヘラが拒否をするよりも先にそれを押しつけるようにして渡せば、文句を言い掛けていたヘラが、そのまま大人しく唇をとじ合わせる。私を見て、今度は紙袋に視線を移し、そうしてまたこちらをみる。
状況を把握することに時間を要しているようだった。
「……これ、プレゼント?」
感慨深そうな呟きからは、不機嫌さはあまり感じられない。不意打ちだったことがかえってよかったのかもしれない。内心、ほっとした。
「ああ。今日はこれを渡そうと思って……いつ貴方がここに来るかと、ずっと待ちわびていた」
「……プレゼント。あたしに」
「そうだ。気に入るかどうかは分からないが……」
ヘラはゆっくりと紙袋を開けると、中に入っていた箱を取りだした。白い箱にピンクのリボンで装飾された梱包をじっと眺め、ゆっくりとリボンをほどいていく。
そうしてその箱の中に入っていたものと対面すると、静かに息をのんで何度かの瞬きを繰り返す。それをじいっと見つめて――そうしてしばらく経ってから、やっと口を開いた。
「……指輪だ。ねえ、これ、あたしに?」
言われて、頷く。指輪と言っても鎖に通されたものであるので、指輪というよりもネックレスといった方が適切だろう。だが指輪には違いなかった。
「指輪だけだと戦う際に邪魔になるかと思ってな。ネックレスにした」
「……二つ入ってるよ……指輪のサイズが違うやつ……」
「一つは、私のサイズで作ってある。……それは、ヘラに直接つけてもらおうと思って……」
少しだけ膝を曲げて、うなじをにかかった髪をどかす。つけてくれと態度で示した私に、ヘラはゆっくりと、小さく震えた指でネックレスをつけてくれた。緊張した面もちでいるヘラに、釣られて私も緊張する。
「……こっちは、局長がつけて……?」
言われて、頷く。ヘラが私にしたように、私もヘラにネックレスをつけた。ヘラは首に飾られたネックレスにふれ、指輪の形を確かめるように指先でなぞっていく。
「ありがと……」
言葉少なにそう礼の言葉を口にする姿に、得も言えない心地になった。一時はどうなるかと思ったが、誤解されたままで終わることにはならなさそうだ。
「私の態度で、随分と不安にさせてしまったな。だが、私も私で真剣に考えている。確かに、最初はいつか私に飽きてしまうだろうと思っていたこともあったが――今は、そうではない」
花が咲いたように色づいた頬を手のひらで包むように触れれば、ヘラは体を強ばらせた。そうして私に向けられる目は潤み、そこには期待が含まれていたように思う。
「真剣に待っている。――貴方が大人になるのを」
言って、ヘラの額に、そっと口づけた。
私からこのように触れたことは初めてだった。これくらいならば、構わないだろう。挨拶のようなものだ。当初の予定とは少し変わってしまったが、これくらいならば。だがこれ以上のことをする気はない。……今は、まだ。
「…………………そっか。そう……なんだ」
ふわふわとした雰囲気を纏うヘラに微笑み、彼女から離れて姿勢を正した。この一年で身長が伸びたとはいえ、差がなくなってたわけではない。
「えへへ……ありがと、局長。うれしい……すっごく、うれしい」
「それは良かった。気に入ってもらえなかったらどうしようかと思っていた」
私のその言葉に、ヘラはくしゃりと笑ってみせた。小さな口から覗かせた白い歯に、静かに目を細める。
「まあ、局長にしては悪くないんじゃない? しょうがないから、貰ってあげる!」
照れ隠しのように強くなる語気に、頬がゆるむのは仕方のないことだ。
長いこと時間がかかったが、少しずつ追いついてきた情は、ヘラが私に向けてくる感情と同じものになりつつある。
これが正しい形なのかどうかはわからないが、少なくとも、彼女も私も納得している関係であるのならば、問題はないはずだ。
「でもさ、これってつまり、プロポーズってことだよね? 指輪を交換して誓いますって、これが結婚ってやつなんでしょう? みんなにお祝いしてもらって式をあげなきゃいけないやつ……見たことないけど、知ってる」
今度はもじもじとしながら、ヘラが上目遣いでこちらをみる。
「もう局長はあたしのお嫁さんってことでいいの? いいんだよね? だからこうして指輪をくれたんでしょう?」
はっとする。はっきりと言葉にされてしまっては、こちらとしても困惑を
隠せない。将来を見据えたつもりの行動だったが、お嫁さん、などという単語は自分の中では一切出ていなかったのだ。
「……………まあ、それに近い……か?」
「ちょっと、近いってなに!? ちゃんと言葉にして!」
両手で右手を掴まれて、そのままヘラの胸の前に引き寄せられる。指先から伝わる体温が熱くて、まるで胸の奥がくすぐられているような感覚だ。
「そうしたら、あたし、あと一年我慢するからさ……ちゃんと言って……」
真っ直ぐと見つめられた瞳に、否と答える必要はもうない。
どんな言葉を並べたものかと悩み――けれど深く考えるものではないと結論づけて、私は思うままを口にすることにした。
長い時間をかけて自分を待ってくれる彼女の心に応える心づもりならば出来ている。自分へのけじめとして定めた期間を全うしたその時は、その時こそ――と。
「――…… 」
その言葉を聞いたヘラは涙を浮かべて、そのまま飛びつくようにして抱きしめられた。つま先立ちをして、精一杯背伸びをした彼女の腕が首に回される。
「しょうがないから、早く大人になってあげる! そしたらもう、局長のぜんぶ、あたしのだからね!」
「――ああ、構わない。そのつもりでいる」
今度はヘラの腰に手を回し、こちらからも強く引き寄せる。
甘い香りが鼻をくすぐって、ふわふわとした、どうにも妙な心地だった。
「ん? あれ? これって『プレゼントは私』ってこと?」
「……それは少し違うんじゃないか……?」
「ふーん……じゃあ、来年は? 欲しいっていったら、くれる?」
「…………まあ、来年なら。だが、リボンは勘弁してくれ」
そう言えば、ヘラは満足そうに笑っていた。
来年が待ち遠しいのは、ヘラも私も同じのようである。
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