ものおき


賢くて可愛くて強くて利口な美少女が!



「浮気しちゃおうかな〜」


恋人からの爆弾発言であったが、焦りは全くなく。

またとんでもない発言をするものだ、とむしろ感心した。



賢くて可愛くて強くて利口な美少女が!




「ほう。それは誰に?」


真剣に受け止めているわけではないが、恋人として聞き逃すこともできない発言ではある。背後から聞こえてきたそれは、機嫌を損ねた恋人のただの当てつけだと知っているため、狼狽することもない。まあ、気分でいえばあまり良いものではないが。


「べっつにー! 誰でもよくない? 局長には関係ないじゃん? 恋人ほっといてずっと書類書類書類って! そんなに紙が好きなら紙と結婚すれば?」


恋人であるヘラは、声だけでも分かるほどに、露骨にむくれてしまっている。どういうことか、など聞く必要もない。私には彼女の要望を察して、けれど速やかに不満を取り除けることもできないため、困ったように肩をすくめる。


(今すぐには無理だと、何度も言っているのだが……)


確かに書類を片づけることに集中していて、ここしばらく彼女との二人きりの時間はとれていない。申し訳ないとは思うが、しかし現場に向かえば書類仕事など手をつけることは出来ないのだ。その分補佐であるナイチンゲールに負担をかけてしまっているのだから、自分で片づけられる時に片づけておきたいと考えるのは当然のことだろうに。


「そう言わないでほしい。これでも、ナイチンゲールが量を調節してくれているんだ。二人きりの時間をとれるようにと、気を遣ってくれている。私でないといけない仕事だけ回ってきてこの量なんだ」
「どんだけ気を遣ったって、あたしとの時間ぜんぜんとれてないんだから意味ないじゃん!!」


背後から、気配と声が近づいてくる。そうしてまるで子供が訴えかける時のように、ぐいぐいと私の服を引っ張る行動は、あまりにも幼稚であった。とはいえそういった行動にもすっかり慣れたもので、私は後ろを振り返ることもせずに、書類から目を離さない。


「あと数枚で終わる。それをナイチンゲールに渡したら、あとはゆっくり出来るんだ。我慢しててくれ。良い子だから。頼むぞ」

「せめてこっち見ていいなさいよ!! バカ!!」


こんなにも訴えておきながら反応が薄いことに対して、ヘラは大変ご立腹なようだ。とはいえ構ってもいられないので、そのまま何事もなかったかのように努める。


「ちょっと! きょ! く! ちょ! う! 聞いてんの!? ねえったら!」


服を引っ張るヘラの声は、もはやBGMのようなものと化していた。このまま放っておいたら、静かになってくれたりしないものだろうか。そんな泡末の期待もあるが、おそらくそんな結果には至らない。全ての書類を片づけるまで、このBGMは続くはずだ。


案の定、それは続くかと思っていたが――……


「ああ、そう。わかった。好きにするから、どーぞ! 仕事でも何でもしてれば!!」


――……そう言い放った直後、ヘラは口を閉ざしてしまった。これは、予想外の反応だった。

いつになく珍しい反応である。これは一声かけた方が良いかとも思ったが、これさえ片づけてしまえば二人の時間もとれるため、そうなってからフォローすれば良いかと考えてしまう。理由は明確には分からないが、静かになった今はむしろ好機だ。

そもそも本当に口を閉じたというよりも、口を閉じた結果、もらえるであろう反応を期待して待っていると言う方が近いだろう。

彼女は自覚しているのかどうか知らないが、相思相愛である今、近い距離でスキンシップを図りたいと思っているのは私とて同じなわけで。後でそれをしっかり説明しよう、と、心の隅で思いながら。

とはいえ、まあ、このまま完全に無視することはほんの少し良心が痛む。完全に機嫌を損ねることも避けたいので、一言だけでもかけておいた方が良いかもしれない。


「だから、もう少しだけ……」


そう言い掛けた矢先、体が強ばり、脳がバグを起こしたかのように正常に機能しなくなる。


「なあに? なんていったのー? 聞こえなかった」


耳元で、先ほどとは打って変わって楽しそうな声がする。
至近距離でーーというよりも、耳に触れた唇から。


「っ――耳を噛まないように……」


痛くはない。ただの甘噛みだ。

とはいえ、本当に驚いた。先ほどまで喚いていた年下の少女が、今度はやけに大人びた声を出しているのだから。

私の訴えなどまるで聞く気がないらしいヘラは、椅子に座っている私の斜め後ろから、抱きしめるように腕を回している。


「噛んでないもん。くわえただけ。ほら、こんな風に」


そう言って、また耳を唇で挟んでくる。そうして、楽しそうに笑うのだ。
くすくすと、まるで吐息をそのまま耳に流し込むかのような距離の近さで。こんな状況になってしまえば、動揺するなという方が難しい。

息を呑んだ私に殊更楽しそうにして、ヘラの唇は今度は頬に押し当てられた。わざとらしく音を立てながら何度も何度もキスをされてしまえば、無視することなどできようもない。なんとか気丈に振る舞いたいが、自信がなくなってきた。


「……気が散る。後にしてくれないか」
「なにそれ。それだけ? もっと反応してくれないとつまんないじゃん!」


そう言って、今度はわざとらしい口調に変わる。


「あ! わかった! ……局長は、こんなんじゃ物足りないんだあ?」


完全に良い玩具を見つけたときの声色である。私は無言の後、負けじと視線を書類に戻した。落ち着け、と自分に言い聞かせる。負けてはいけない。あと数枚で終わるのだから。早く終わらせれば、何の問題もなく、続きができるのだと。


「……ふうん。いいよ。そういうつもりなら」


ヘラの声は非常に愉しそうだ。嫌な予感を覚えつつ、あと少しの時間さえあればと思わずにはいられない。

頬に何度も触れていた唇が、首に移動する。反射的に体が上下に動いたことに気づかれてしまったようで、今度は指先で首を撫でられてしまった。それは上から下になぞるように移動して、インナーの下に潜り込むように進入をしてくる。


(反応したら負けだ。耐えろ)


自分自身にそう言い聞かせながら、書類の文字を目で追いかける。平静を装いながらも、心中はとても穏やかではなかった。

ちゅっと音を立てながら吸いつかれ、奥歯を噛みしめた。子猫がじゃれるよう、という表現も間違っていないだろうが、そんな可愛いだけのじゃれあいであるとはとてもいえない。吸いつかれた箇所が、甘く痛んで、気が乱れる。


「…………」

「あれ〜? 手が止まってるよ? 大丈夫?」

「……」


図星であった。とはいえ、年上である意地か、上司である意地か、素直にそれを白状するわけもない。悟られることを避けたくて、何も口にしなかった。煽るような言葉を吐きながらも、ヘラはがぶがぶと、甘噛みを繰り返していく。


「っ……!!」


しかし、今度は舌で首をなぞられてしまったことで、息が漏れてしまう。流石に、これで何も反応しないようにということは無理だった。むしろ、これしきの反応で済んでいることは大健闘であるといってもいいくらいだろう。


「ヘラ!」


流石にこれ以上は無視できないと名前を呼んで振り向く。局長室で行うこととしては、これ以上は看過できようもない。放っておけば、今度は脱がしてくるかもしれない相手である。

もはや勝負などどうでもいい。そもそもこれは勝負ではない。

二人の時間を作るために急いでいるのだから邪魔はしないようにと言おうといたその瞬間ーー嬉しそうに目を細めていたヘラと目があった。


「やっとこっちみた」


思わず言葉を失って、そのまま一瞬触れるだけのキスを落とされる。

目を丸くしたまま呆然としていた私を嬉しそうに見下ろして、ヘラはもう一度、唇を寄せてきた。それをされるがまま受け入れ、今度は長く触れていた唇の感触を感じ取る。


(そういえば、しばらく顔を合わせてなかったな……ちゃんと)


薄くて柔らかな感触は、徐々に熱をもって、次第に離れがたい気持ちにさせてくる。恋人とのあまやかな触れ合いに、大人しく瞼を閉じる。

そうして少し経ってやっと離れていった唇は、にんまりと綺麗な弧を描いた。


「続き、したい?」


そう問いかけてくるそれは、意地が悪いと言わざるを得ない。
続きをしたいのかと問われたとて、何も自分は、恋人を無体に放っているわけでもなく、二人で過ごすために急いでいるわけであって。焚きつけるような真似をされてしまっては、私とて不満はあるのだ。有り体にいえば、続きをするために急いでいるのだから。


「したいから、仕事に集中している。……頼むから、これ以上乱さないでくれ」


そう訴えれば、ヘラは満足そうな表情を浮かべて、白い歯をのぞかせていた。


「へえ? したいんだ〜? 局長のえっち」
「からかうな。もう、部屋で大人しく待っていてくれ」
「え〜? やだ。その分二人の時間が減っちゃうじゃん」


そういって、今度は膝の上に横向きに座り込む。


「ほらほら、早くお仕事続けなよ。かわいいヘラちゃんと早くいちゃいちゃしたいんでしょ?」


ぐうっと堪えるように黙り込み、それ幸いとまたちょっかいを出されていく。嫌ではないが、場所が場所なだけに喜ぶことも出来ない。複雑な思いだった。


「……」


本気で嫌がることも出来ず本気で怒ることも出来ない。惚れた弱みというものは、こういうことを指すのだろう。





――自分のために葛藤しているらしい恋人の姿に大変ご満悦な恋人は、そのまま好き放題をし続けていたのであった。

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