天ヶ瀬冬馬とSF
>>短編アイスクリームが融けるまでと同設定
>>ジュピターの日記念で作成した折本の再録です
冬馬くんが我が家に来るようになってから私の家ではカレーの頻度が上がった。冬馬くん召喚の儀における“触媒”としてのカレーは勿論、毎回おんなじカレールーで作ったカレーじゃ飽きてしまうだろうと思って新しいものを練習したり出先で研究と称して食べてみたりするので最近は週2ペースで食べている。
そして待ちに待った金曜日が今週も来たわけだが、グリーンカレーにしてみようと早起きして朝から仕込んでおいたので後は冬馬くんを待つだけになっている。
定時に上がってまっすぐ家に帰り、玄関ホールの男性立ち入り禁止の張り紙を横目にエレベーターに向かう。最近気づいたのだけど、このアパートのあの張り紙はあんまり意味をなしていないらしい。週末に聞こえるどこかの部屋の笑い声、翌朝のエンジン音などを聞く限りでは。今までなら違ったかも知れないけど、今となっては私もこっそり破ってしまっているので、目をつぶる。
冬馬君はもう来てるかな、私の帰宅の方が早いこともあれば、冬馬君が先に“来て”いて、落ち着かなさそうにリビングのソファで待っていることもある。金曜日にうちに来るようになってしばらく経つのに、私の部屋で居心地悪そうにしているのがかわいくて仕方ない。
「ただいま、っと……」
ドアを開けて足を踏み出し、なんだか今日は視界の端が歪むような変な心地がした。今週もパソコンと向かいすぎたせいで目が疲れてるのかも。パンプスの踵に手をかけて、もう片方の手は壁についたところで気がついた。あれ、この壁紙うちのと違う。
「う、嘘だろ……」
廊下の向こうで冬馬くんが呆然と呟いて、その右手からモモテツのゲームソフトとなにかのディスクが落ちた。エッチなやつではなさそうだった。冬馬くんが呆然と立つのは、絶対に私の部屋ではなかった。部屋の匂いが違う。
「あれ、うそ、ここってまさか……」
「……言うな、もう何も言うなよ……」
「もしかしなくても、冬馬くんのおうち……?」
ソフトを手放した右手で冬馬くんがそのかわいい顔を覆った。嘘だろ、とショックを受けた声がする。
「私だって、嘘だと思いたいよ」
「だよな」
「だって……冬馬くんが食べると思っていっぱい作ったのに、グリーンカレー……置いてきちゃった……」
「……心配して損した!!」
冬馬くんがじめっとした視線で私を刺し、しゃがんで落っことしたモモテツのソフトとディスクを拾った。私だってショックを受けてるけど今更どうしようもないので現実逃避するしかないのだ。見慣れたモモテツのパッケージと真っ黒のツヤツヤのケースに視線を移す。
「それ何?」
「……去年アルバムツアーやったって言っただろ。そのアルバムの特典MV」
「アルバムの特典MV!?」
「おう」
「見せて見せて!」
「勿論!名前さん新曲好きだって言ってたから絶対こっちも雰囲気好きだと思って……」
冬馬くんが嬉々として特典ディスクをセットした。ブルーレイもモモテツもガンダムもどっちの世界にもあるのに、冬馬くんは嵐を知らないし私は冬馬くんを知らなかった。本当になんなんだろうな。
そこで私は何の気なしに部屋をぐるっと見渡して、ここが冬馬くんのおうちだということを改めて認識して、固まった。と、冬馬くんのおうち。現役アイドル男子高校生一人暮らしのおうち。
「ほら、こっち座れよ。何そんなところで突っ立って……」
「……」
振り返った冬馬くんは所在なさげに立っている私を見て、この事態をその豊かすぎる妄想力でどう解釈したのか、顔を真っ赤にした。2人して照れてどうする!ヤバいのは現役男子高校生アイドル一人暮らしのおうちになぜか突っ立ってる私の方だぞ!!
「ど、どどどうしよう……」
「と、とりあえず座れよ。うちは名前さんとこみたいに厳しくねえし……」
出されたクッションに座ると冬馬くんは「み、みず、飲み物取ってくる……」と言って逃げるようにキッチンに消えた。ずるい、逃げたな。
取り残された私と言えば、どこを見ても冬馬くんが生活している痕跡が感じられるので、なんだか悪いことをしているような気になってしまい、正座した膝の先をじっと見つめることしかできない。
テレビ、テーブル、すぐそばにベッドがあるワンルーム。初めて私の家に“やってきた”時やそれ以降の冬馬くんの落ち着かなさを私は笑って見ていたけど、逆の立場になって初めてわかる。これ、めちゃくちゃ緊張する。
「……アイスコーヒーでいいか?」
「アッうん、ありがとう……」
コップを受け取る時に軽く指先が触れて、2人してびっくりするくらい狼狽えた。なんだこれは。初めて会った頃に戻ったみたいな落ち着かなさ!!どうしろっていうんだ。
「わ、私は、いつものように寝たら“帰れる”と思ってあんまり心配してないんだけど、今夜友達とかくる予定、ないよね……?」
「金曜は誘いも断ってるから、それ知ってるやつらは来ねえけど……」
「……」
なにそれ!!自分で聞いておいてめちゃくちゃダメージを受けた。冬馬くんも自分で発言しておきながらどんどん声がちっちゃくなって挙句、恥ずかしそうに俯いた。だから冬馬くんが金曜の夜はいつも私の家に“来て”いることを色々伏せられてるとはいえ認知している人がいるのも、初めての異世界トリップ結構経つからそれが当たり前なのも、今更ながら突きつけられて恥ずかしい。な、なんだ今夜のこの甘酸っぱい雰囲気は……
「夕飯、どうする。よく考えたら何も作ってない」
「え、そうだよね……お財布渡すからコンビニで何か買ってきてもらってもいい……?」
「それくらい払うけど。いつも俺払ってねえし……」
「いや、緊急事態とはいえ年下にたかるわけには……」
「何度も言ってるけど、俺だって普通の高校生とは違って稼いでるんだぜ?」
「そうだけどお……」
「むしろ名前さんの財布持って買い物してる方がヤバくねえか?」
「あ、だめだそれは絵面が悪い……お金抜いてって……」
「名前さんの財布から金抜く絵面もなんか嫌だな……」
「ぱ、」
「絶対それ以上言うなよ!」
冬馬くんは私が財布を開いてお札を抜こうとするとめちゃくちゃ嫌な顔をしてお金を押し返した。「明らかに女物のブランド財布だけ持ってコンビニに行く天ヶ瀬冬馬」というのが字面だけでもスキャンダラスなのは、冬馬くんがアイドルしてる現実を肌で感じたことのない異世界人の私でもわかる。冬馬くんのピュアなイメージが大いに損なわれるのは言うまでもない。
「ともかく!名前さんは座って待ってろ。何がいい?」
「おにぎりと何か適当に汁物……サラダも食べたい……」
「わかった。勝手に選ぶけど、いいよな?」
「うん。任せた」
流石に何度も食事を主な目的としてトリップしているので冬馬くんは私の好き嫌いを概ね把握している。私のヒールが脱ぎっぱなしの玄関で冬馬くんは帽子とマスクとメガネを装備してスニーカーの紐を結んだ。財布は自分のやつを片手で持ったが、私が黙って五千円札を差し出すとじっとりした視線を私に送り、そのまま財布に入れた。
「アイス買うけど、何がいい」
「氷じゃないやつがいいけど、なんでもいい」
「ハーゲンダッツな」
「うん。冬馬くんのもね」
「……ご馳走になります」
「お使い代だね」
冬馬くんはどうも納得いかない顔をした後、「10分で戻るから」と宣言し素早くドアを開け閉めして(流石の危機感だ)足音が遠ざかっていった。オートロックらしく、がちゃんとドアがなった。
冬馬くんが帰ってくるまで、私はこの落ち着かない部屋にひとりで待っていなくちゃいけない。そうだカレー、どうしよう。明日からひとりでカレーざんまいなことを思ってちょっと気持ちが下向きになる。しかも初挑戦のグリーンカレーだ。頼む、カレー、ここにきてくれないか……強く念じて目を開けるとテーブルの上に見覚えがある鍋が乗っていた。
「嘘でしょ!?」
恐る恐る蓋を開けるとたしかに私が作ったカレーだ。時空を超えて来てくれたらしい。
「嘘でしょ……」
あまりの衝撃をひとりで受け止めきれずクッションに座ると、ディスクが乗ったままの再生機が目に入る。動揺しきった冬馬くんがそのままにしておいたらしい。リモコンで閉じるボタンを押すとゆっくり読み込む音がした。
出会ったばっかりの頃みたいにぎこちないのも、一緒に特典ミュージックビデオを見たり、ゲームをしたら改善されるのだろうか。どうせ見るなら一緒に見たい、と思いなおして、Mらしい暗い部屋が映ったところで停止ボタンを押した。
今はただ、早く帰ってきてほしいと思うばかりだ。時計を見ても、冬馬くんが出て行ってからまだ3分も経っていない。私は恐る恐るラグマットに座った。
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