手紙2
名前さんへ
今年も冬物のコートを買うか買わないか悩むうちに冬が終わる予感がしています。名前さんはもっと厚着を……と言いますがいかんせん袖と丈がちょうどいいものに出会うことが難しく、今年もきっと買わずに済ますような気配がします。実のところ、名前さんほど寒がりではないからあまり困っていません。
それから、先日は新曲の感想をありがとう。名前さんが聞いていると妙に落ち着かない気持ちになりますが、名前さんに褒めてもらえると嬉しいのは勉強を習っていたころから変わりません。デビューしてからしばらく経ち、いろんな歌を歌うようになりましたが、恋愛関係の歌詞は未だどこを見て歌えばいいのかわからず、朱雀とふたりで狼狽えています。先日音楽番組に出た時にはふたりして緊張のあまりカメラに視線が合わせられず、後で叱られました。恥ずかしいのでその時の様子は検索しないでください。代わりに先日取材で江の島に行ったときの写真を送ります。
今回のメールの本題は、今度イギリスに行くことになったという連絡です。事務所で行っているワールドツアーの順番がついに回ってきました。朱雀はフランスに行きましたが、俺はイギリスでの公演になりました。名前さんのいるイギリスに仕事で行けることをうれしく思います。x日からxx日まで滞在する予定で公演はxxx日の予定なので、もし名前さんの都合がつけば久しぶりに会えませんか。研究が忙しいのは承知していますが、一瞬だけでも会えたらうれしい。
たまにイギリスのライブカメラを見ては名前さんのいる国は寒そうな空の色をしていると考えています。風邪をひかないように、気を付けて。研究に夢中になりすぎて食事と睡眠を忘れないでください。いつもあなたを思っています。
玄武
最後まで読み終わってから、返信のボタンを押した。玄武の書く英文は初めて会った時よりも随分きれいになった。中学生になったばかりのころと、今の日本でも指折りの優秀な成績となった今を比べては玄武も憤慨するだろうと苦笑いを浮かべて英文を添削しながら内容を反芻した。普通に話す分には硬派な印象の強い玄武が英作文になると随分と情熱的なのはおもしろい。いつかもっと流暢に英語を使うようになったらこのかわいい英文は失われてしまうのだろうか、と思うと少しもったいないような気もする。
玄武と出会ったのは、大学で教育支援の活動をしているときだったから、彼は中学生だった。市内の児童養護施設に入所している玄武が私たちの団体を頼り、彼の支援を私が中心となって行った。テキストも辞書も本も団体で山ほど所有していたから、望むままにあげたし私が高校生の時に使っていて何となく下宿に持ってきていた英文法テキストも古典文法も漢文テキストも欲しいといったのであげたら中学生ながら使いこなしていた。玄武は団体を運営している学生の間でも頭がいいことで有名だった。私は初回の対応をしたことで頼られることが多く、わからないところがあれば事務所に来るのでそれにこたえて勉強をみたし、図書館で本を紹介したこともあった。
本といえば玄武はめちゃくちゃ本を読むのが早くてなんでも読んだので、私が作者と併せてタイトルだけ受験勉強で覚えたような本の内容を読むごとにたくさん書きためていた。それが束になったころに事務所のシュレッダーにかけにきていたので声をかけた。「捨てちゃうの?」と聞いたら「施設にはこんなに置いておけないからいらない」と返事があって、私はそれを聞いていらないならちょうだい、と止めた。それを聞いた玄武は驚いた顔をして「名前さんが読むならもっと丁寧に書けばよかった」にと初めて年相応の拗ねた顔を見せた。私は成人したオトナで玄武は中学生だった。なのに、かわいいとかそういう感情の次元を軽く超えて私は玄武のことが好きになってしまったのだった。
まさかの中学生を好きになってしまったという事態に私は頭を抱えた。取り敢えず、これは弟みたいでかわいく思えたのだ、気の迷いで勘違いに過ぎないと言い聞かせて、団体の活動的にもまずいことこの上ないので玄武とも距離を置こうとした。そうして、距離を置こうと必死になって初めて玄武も自分のことを好きなのだろうなと気が付いた。最悪の両片思いであった。何しろ、オトナとコドモだし。団体の信用にも関わる問題だ。玄武も頭がよすぎるせいで特に私に何かを求めたりしなかった。そもそも私が玄武を好きだと気付いてない節があった。この辺は人生経験の差じゃないだろうか。
玄武と私は、勉強でわからないところがある、模試の成績がよかった、あるいは前回より悪かった、名前さんに勧められた本を読み切ってしまった、名前さんまだ論文書き終わらないのか、とかそういう会話を繰り返してそれ以上は何もなかった。同じような会話を繰り返した末に私は大学の卒業が無事に決まり、玄武は京都を離れることを静かに告げた。私は事情をある程度市の担当者から聞いていたけど、団体のルールに沿って何もそのことについて聞かなかったし口を出さなかった。私は最後の仕事として、玄武が困っても同じように関東の就学支援団体を頼れるように一筆書いて玄武に持たせた。
卒業後東京で就職した私と玄武はうっかり街中で再会して、その時に玄武がアイドルになったことを知った。突然名前を呼ばれて手を掴まれた時に玄武はさらに背が伸びていて、一瞬知らない男の人かと思った。それで、目に見えてすごく健康そうだった。痩せているのは変わらなかったけど、間違いなく一緒にいた朱雀くんとプロデューサーさんたち、事務所の人たちのおかげだと思った。私は高校生になった玄武を見てまずいとは思いつつますます好きになったけど、ますますやばい事態だと思った。名もなき高校生と社会人のプラトニックラブならまだしも、未成年アイドルの肩書に怯えた私はわかりやすく逃げ出そうとしたのだけど、必死な様子の玄武に押され負けてメールアドレスを交換した。学生団体のメンバーだった頃は禁じられていたので、玄武は満足そうにしていた。
そうして私は学生時代に勉強していたことの続きを学ぶために就職した会社を辞めて、イギリスの大学に進むこととなり、玄武とは英語の勉強と称した英語でのメールのやり取りが始まった。困るところと言えば、英語だから好意が前面に押しだされているのか普通にそういう言い回しを使いたくてそういう言い方をしているのかがわからないところだ。本当に困る。玄武はおそらく私から向けられるものには微塵も気づいていない。自分だけが好きなのではないかと悩む様子が窺い知れて可愛いいのだが、私はやっぱり怖くて仕方ない。
メールの添削を進め、それから返信を打つ。何を話そう、久しぶりに会えることがうれしいという気持ちは、どんな言葉を使えば伝わるだろう。ぱたぱたとキーボードをたたいては言い回しに悩んで指が止まる。こんなに書き上げる道筋が見えないのは玄武に「まだ終わらないのか」と心配された論文以来だった。
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