エンドロールは2人きりでどうぞ


姉鷺がため息と一緒に細いグラスの中身を飲み干した。姉鷺が好むのは辛いし苦いしで私には合わず、反対に私が好むものを姉鷺は「甘ったるくて酔える気がしない」と嫌な顔をする。

「マスター、お代わり」
「私も、今度はレモン絞ってください」
私たちの関係は元同僚というたったひと言で表せる。稼ぎ頭だったTRIGGERが事務所を辞めるにあたって、マネージャーの姉鷺もそれを追って八乙女事務所を去った。

社内でいないはずの姉鷺を探してしまう時期はとっくに過ぎた。

いずれ、TRIGGERは事務所に帰ってくるだろうという予感はなんとなくしているけど、社長の部屋を訪れるたびに胸の奥がつきんと痛む。壁を華やかに飾った3人のアートワークが失われ、あの部屋につきものだった姉鷺の小言もなく、社長は心配になるくらい無理をしていたし、私が社長室に行く理由は傾いている業績の話題が中心だったので、一時期社長室を訪れるのが本当に苦痛だった。

しかし姉鷺が事務所を辞めてからも変わらずふたりで飲みに行く関係は続いていた。事務所にいた頃は「私の方が稼いでるでしょ」とか言って全額姉鷺が持っていたのが本当に悔しかったので、姉鷺が辞めてすぐは「私の方が稼いでますもんね?」とドヤ顔で払ってやった。ブランド財布を潰れるんじゃないかってくらい握りしめて、悔しさでいっぱいのかすれた声で礼を言う姉鷺は見物で、爆笑する私に「今に見てなさい……!!」と悪役みたいなセリフを吐いた。

「それで?わざわざそんな辛気臭い顔で何があったの。あの男とついに別れでもした?」
「ううん、結婚するの」
「は……?」
姉鷺は絶句して、節の目立つ指がもらったばかりのおかわりのグラスを割りそうなくらい握りしめたので、私は姉鷺からグラスを取り上げた。ペースが早すぎてほとんど残っていない中身を代わりに飲み干す。苦くてエタノールくさい、私の嫌いな味だった。

「ちょっと待ちなさい。結婚ですって……?」
「うん。お仕事的の方面のこともあるし式はやるから、姉鷺も来てね。友人代表で挨拶してくれてもいいのよ、私がいかに美人で優秀か語ってね」
「冗談でもよして。ご家族のことを考えなさい」
「そんなこと気にしてるのは姉鷺だけよ」
「……あのね」
姉鷺の視線が酔いを感じさせないくらい鋭く尖って私を刺した。ギチ、と姉鷺の長く伸ばした爪とグラスが嫌な音を立てた。

「そもそも、私あの男のこと、心底嫌いなの」
「知ってるよ」
「あんたは性格悪いから、呼べるほど友達いないでしょうし、披露宴に出てやってもいいけど……私、一生あんたの旦那になる男を許せないわ」
「そうね、そうしてあげて。 TRIGGERのためにも」
「……本当にどうして、あの男がいいの……!」
姉鷺が泣きそうに顔を歪めて、カウンターを強く叩いた。

「どうして、私がいちばん嫌いな男を選ぶの……」
姉鷺は打って変わって弱い語調でそう吐き出すと、ついには肩を震わせてカウンターに突っ伏した。この店に来る前にビールを散々あけて、それからワインも白と赤を両方飲んだし、カクテルにもいろんなお酒が入ってるわけだし、当然のようにちゃんぽんした時特有の悪い酔い方をしている。

突っ伏した広い背中をさすってやると、姉鷺は唸るように泣いた。見た目に死ぬほど気を使っているくせに(それこそ私からしたら気が狂いそうなくらい姉鷺は身なりに気を使っている)、泣き方はちっとも可愛くない。

姉鷺は悔しいと泣くタイプだ。酒が入っても泣く。疲れていて酔いが回るのも早かったんだろうなと私は歯を食いしばって泣いている姉鷺の背中をさすり続ける。事務所を辞めたTRIGGERが貯金を崩して生活していた頃は飲みに行くたびに自分が情けなくて悔しいと泣いていた。最近は大分そういうことも減ったはずだったのだが。

「別に姉鷺に意地悪したくて了さんと結婚するんじゃないのよ。私たちね、2人とも届かないものを追いかけるのに疲れちゃったの。だから、気が合ったのね」
「……」
了さんが”何をしたか”の全貌を私は知らないが、八乙女事務所の一員として、また姉鷺の友人としてある程度のことを知っていた。

だから、十さんが私と了さんの交際を知った時、言葉の出ない様子だったのも当然の反応だ。あの時、彼が「すみません……心から祝えなくて」と本当に辛そうに言ったのでどれほど了さんが彼らを苦しめたのかなんとなく察した。しかしあの時の十さんの燃えるような目を見るに、私はなんとなく知った気でいるだけなのだろうとも思う。

十さんとは事務所を辞めた後も仕事や生活のマネジメントという名目で(もちろん社長には無断で)何度か会っているけれど、一時期彼は私と了さんの交際を本気で止めようと考えていたし、TRIGGERの運命を狂わせた了さんを一生許さないだろう。どんなに止めても一向に別れる気配がないので近頃破談は諦めたらしいが、それでさえきっと無理やりに自分を納得させてのことだ。結婚のことはまだ十さんに言っていないけど、きっと心から喜んではくれない。

結局、アイドル側の彼らとそれに憧れる私たちは分かり合えないのだ。了さんはずっとそれを知らずに追いかけ続けて疲れてしまって、私もまたそうだった。手の届かないものを諦めてお互いで妥協したと言われればそれまでだけど、私たちは2人ともずっと、誰かに自分を見て欲しかった。必ず振り向いてくれるとは限らない誰かに期待するのではなく、いつも隣にいる確かな存在という安全策を選び取った。ただそれだけのこと。

「私たち2人とも、追いかけるのに疲れちゃったの。ずっと、振り向かない誰かより隣にいてくれる人がほしかった。ごめんね」
姉鷺は涙でぐちゃぐちゃの顔を上げて口を歪ませて笑った。

「それでも、私を待ってほしかったの……」
「だって姉鷺、この先しばらくTRIGGERが恋人でしょう。いつまで待たせるのよ」
「だって……今のあの子たちを放っておくなんてできないでしょう!」
「そうだね。私は、今も昔も TRIGGER一筋の姉鷺がいちばんかっこよくて好き」
「もっと早く、そういうことは言うの」
「うん」
「……もっと早く、言っておけばよかった」
「そう?」
「もっと早くから予約しておくんだった!あんな、あんな男と出会う前に……」
姉鷺が持ち上げた頭をまたカウンターに下ろして目を閉じた。ウォータープルーフのおかげで化粧はわずかに滲むだけにとどまっている。

「ごめんね、待っててあげられなくて」
「でも、こっちこそ……そんなの……願い下げよ」
強がりなのはわかっていたけど私は何も言わずに姉鷺のよく手入れされた髪を片手で梳いた。最近以前にもまして忙しいのか、毛先は少しぱさついている。

私たちが憧れる星が、銀紙をからだじゅうに張り付けて高いところに吊られ、必死に星のフリしてる”何か”だってことは十分承知している。それでも、私たちにとっては星で、眩しくて綺麗で手を伸ばさずにはいられない。

「私、ずっとあなたに憧れてた。あなたが一生懸命に誰かのために尽くせる人だから、あなたのことが好き」
「言われなくたってとっくに知ってるわよ」
姉鷺が私に見えない方に首の向きを変えて、鼻を啜った。強がることさえ諦めたのか、う、うという短い唸り声が断続的に続き、私は左手でグラスをとって右手でまた姉鷺の背中をさすった。

泣くくらいならもっと早くに言えば良かったのにと思うけど、姉鷺を踏みとどまらせる理由はいくつでも思い浮かんだ。私にとって大したことのない問題でも、姉鷺にとってはきっととてつもなく大きくて重たい問題だったのだ。

トリガーのために一生懸命になってるあなたのことが、ずっと大好き。出来るだけ軽い調子でそう伝えると、食いしばった歯の向こうから発生する唸り声はいっそう大きくなった。明日からまた頑張れるように、今夜は好きなだけ泣かせてあげたい。失恋した日は、思う存分飲んで泣いていっぱい寝るに限ると私はよく知っているから。

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