愛すること、求めるということ
>>きっと本編20部くらいの平和な世界
昔から欲しいものなら何だって手に入った。特に女には困ったことがなく、今の仕事をしているのも始まりはその延長だったしそういうものだと思っていた。
思い通りにならないのはあの女だけだった。どんな女も喜んで俺の手を取るというのに、婚約者だけが自分の思い通りにはならない。
ある日突然決められた婚約者は、あの逢坂壮五のお下がりだった。家を捨てた逢坂を追いかけることも恨むこともできずにいた名前は、あの日きっと何もかも諦めて、御堂虎於の婚約者になった。誰もが羨むその立場を、彼女が望まないまま受け入れたことなど、当時の俺でも知っていた。
4人揃っての撮影が終わってさっさと荷物をまとめていると、俯いた顔に視線が突き刺さった。
「どうした?……俺の顔がそんなに見たかったのか?」
「いや……トラがそんなに急いで帰るの珍しいなって……な、ハル!」
「えっ!?まあ、珍しいとは思ったけどさ……」
ちらっとスマホを見ると、通知は来ていなかった。婚約者はまだ仕事中らしい。要領の悪い女だ。俺と約束した日くらいさっさと切り上げればいいものを。
「ああ、今から婚約者を迎えに行く。トウマも巳波も悠も……俺がいなくて寂しいだろうが、今日は俺なしで行ってくれ」
「ああ婚約者か!そうか、それなら仕方ないな!……って婚約者!?」
「狗丸さん、やっぱり例のバラエティのMC、狙ってるんですか」
「ミ、ミナ……だってトラの婚約者だぞ!?婚約者って……」
「?別に普通のことだろう」
「普通じゃねーって……っていうか俺たち結成して何年経つ?もしかして今まで知らなかったのは俺だけか!?」
「私も知りませんでしたよ」
「俺も」
トウマが前のめりになって俺に顔を寄せたので、仰け反って避ける。言う必要がなかったから言わなかっただけだ。別に面白い話題でもない。男に顔を寄せられるのは趣味じゃ無いが、巳波と悠が興味津々といった顔をしているのを見て気が変わった。
「どんな方なんですか?」
「面白みのない女だな。あまり笑いもしないし、怒りもしない。泣いた顔なら……」
「見たことあるんだな?」
「わかった、虎於が泣かせたんだ」
「……違う、逢坂だ」
「?なんで逢坂壮五が出てくるわけ?」
この話題になれば必ずそこに着地するのはわかっていたのに、何故だか止める間も無く口から出た。そう、あの女が泣いたのは一度だけ。あの男が家を出て行った日に……
「やめだ、思い出したら気分が悪くなってきた」
「えっ……!?」
「よほど嫌な思い出なんですね」
「こんな中途半端なところで切り上げるの!?」
悠の目が爛々と光り、俺の体調も心配だが気になって仕方ないという顔をした。深く息をついて、トウマが「嫌なら無理しなくていいんだぜ」と眉を寄せる。
「大したことじゃない。面白い話でもないが……元は逢坂の婚約者だったんだ。あいつが家を出て、結婚の話は白紙に戻った。あの女の両親はその日のうちに次の婚約者を見つけてきて、それが俺だった」
「あら、亥清さんに聞かせられないような昼ドラ展開を想像してましたが、思ったより少女漫画チックでしたね」
「何それ!」
「はは……巳波、それは最近了さんから当て馬役ばかり回される俺への皮肉か?」
「どうでしょうね?」
巳波が何もかも分かっている、という風に目を細めて微笑んだ。最近了さんが嬉々として持ってくる役はどれも、ヒロインにアタックするも振られる役ばかりなのだ。昔の俺だったら絶対に受けないし、今だって納得いかない。しかも了さんが「これで勉強したらどう?」とかなんとか言って山ほど少女漫画をよこしたものだから、部屋の隅に置かれたきらきらしい漫画たちが元の雰囲気をぶち壊している。
「婚約者って最近の話?」
「いや、デビューする前だ」
「トラ、本当に俺たちに興味がなかったんだな……」
「言う気がなかっただけだ。お前たちが名前にうっかり惚れても困るし……」
「婚約者さんが私たちに奪られる可能性は考えなかったんですね?」
「ないな。俺以上の男なんていないだろ?」
「虎於のそういうとこ、ある意味尊敬する……」
「私はあの御堂さんと何年もの間付き合ってる婚約者さんを尊敬しますね。並みの人間じゃないですよ」
言われてみれば、もうとっくに記憶が薄れてもおかしくないくらい過去のことだ。それでもあの女が泣いた日の、生温い気温を覚えている。雨が降っていた。名前は男物の大きな傘を持っていたけど、それをさそうともせず立ち尽くしていた。その傘が逢坂のものだとわかった途端に取り上げて投げ捨てたい衝動に駆られ、逢坂壮五はお前を捨てていなくなったのだから、今日からお前が頼るべきは俺なのだから、そんなものに縋るなと叫び出したいのを堪えていた。
この世でただひとり、自分の望む通りに選べない女が逢坂壮五のお下がりで、あの女が婚約破棄の日にらしくもなく静かに泣いたことも、俺の腕の中で逢坂を呼んだことも、すべてが気に食わなかった。ベッドに上がれば、体さえ逢坂が蹂躙した後で、あの女の「初めて」を何もかも、逢坂壮五が奪って去った後だった。
すべて終わった後、薄暗いベッドで身を起こした名前が「残念でしたね」と泣いていたのが嘘のように静かに笑い、「婚約者の存在なんて気にせず、今までのように好きに遊んでくださいね」と同情の眼差しを向けて囁いた。あの後、夜が明けるまで貪るようにセックスをして、名前は俺を置いてボロボロの身体を引きずって部屋を出た。俺は後を追うこともしなかったし、その後も長いこと女遊びをやめなかった。あれは、何年前の冬だったか。以来何度も喧嘩はしたが、今思い出してもあの日以上に最悪なやり取りはなかった。
「どうして、そんな思い通りにならない方を御堂さんは大事にしているんですか?」
「……虎於は仲が悪い人とも結婚できるの?」
「ハル」
巳波の声が俺の思考を破り、はっとして顔をあげれば心配そうな悠の顔があった。トウマが低く悠の言葉を咎めて、悠はごめん、とすぐに謝った。巳波だけは、何も心配なことなどないというように、不思議な笑みを浮かべている。
「気にするな。仲が悪かったのは昔のことだ……少女漫画は、最初の印象が悪いほど盛り上がるだろう?」
「トラも少女漫画とか読むんだな」
「仕事で渡されるんだよ。原作を読めって」
「了さんがこの間大きい紙袋に少女漫画詰めてた時は誰への嫌がらせかと思ったけど、虎於用だったんだ……」
「ふふ、今度楽屋に持ってきたらどうです?写真を撮ってラビスタに上げましょう」
「よせよ……」
巳波の楽しそうな顔に反して、口の端が引きつる。明らかに面白がっているから、了さんの耳に「うっかり」入れば、俺が持ってくるのを渋っても、了さんのことだから喜んで新たに一式用意するだろう。最近の了さんは俺に少女漫画の実写化をあてがったり、トウマに歌番組を持たせようとしたり、昔の俺らが持ちたがらなかった仕事ばかり回してくる。あの人にも思うところがあるのだろうが、いい迷惑でしかない。
テーブルの上の携帯が震えて、名前の仕事はようやく終わったらしかった。文面は確認しないし、返事は打たない。迎えに行く方がはやいからだ。
「巳波、さっきの返事だが……思い通りにならないから面白いんだ。そうだろ?」
「トラらしいよ」
「全くですね」
「何を言ってるかわかんないけど、多分そうなんじゃない」
好き勝手言う3人を置いて、ジャケットを拾って席を立つ。明日は14時入り、久しぶりにゆっくりできる。
「トラ、明日遅れるなら言えよ」
「誰に向かって言ってるんだ?」
「デビュー当時遅刻しかしなかったくせによく言うよ!ねえ、巳波!」
「ふふ、そんなこともありましたね」
「言っとくけど、ハルもミナも、トラと同じくらい俺の心労の種だったからな……」
盛り上がる楽屋をひとり先に離れるのは、勿体ないような気もするが、明日も明後日もこの3人と顔を合わせるから今日くらいはいいだろう。ドアを閉める前に、お気をつけて、と楽しそうな巳波の声が追いかけてきた。ドアを閉めても3人の笑う声がまだ聞こえている。
車の後部座席には大きな花束、今夜予約したのは高層階のレストラン。同じ建物にホテルはあるが、部屋を取るのはやめておいた。あの日と同じ自室のベッドで、あの日よりもずっと優しく唇を塞ぐ。過去には抵抗されて顔に傷を作ったこともあったが、今なら比べるまでもなく簡単だろう。白く細い腕が暗闇で俺を求めるところまで、容易く想像された。
もう一度急かすように手の中の携帯が震えて、ここが局の廊下でなければ大声で笑い出したいくらいだった。何ひとつ俺の思い通りにならなくても、名前は俺を愛しているのだと知った時と同じ気分だった。他の誰の代わりでもなく、名前が俺を愛していると知った日の、視界が晴れるような感覚は今でもはっきり記憶している。思い通りにならない彼女と、俺は俺の意思で結婚するのだ。
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