「……疲れた」


シンと静まり返った部屋の中心に座り込み、ため息を吐いた私はひとりごちる。引き寄せた大き目のスーツケースを開けばお気に入りだった柔軟剤の香りが漂ってきて、なんだかひどく寂しい気持ちになった。

あれから私はこんのすけに指示されるまま、何人かの刀剣男士を顕現させた。顕現には霊力が必要なこともあり、あまりたくさんだと体力の消耗が激しくなるからということでとりあえず5振。
各刀種ひとりずつはいた方がいいだろうということで振り分けたのちにパッと目についた刀剣から手にした結果、短刀は小夜左文字、脇差はにっかり青江がいるからいいとして打刀はへし切長谷部、太刀は鶴丸国永、大太刀からは蛍丸、槍と薙刀の枠からは岩融を顕現させることになった。
うまいことできたからまだよかったけど、本当に疲れた。精神的にも、肉体的にも。


「……荷解きしよう」


確かに疲れはしたけれど、だからといってこれをおろそかにして後で困るのは自分だ。誰がなんて言おうと、現実逃避はしていない。
そう言い聞かせ取り出すのは、お気に入りの小説とお気に入りの洋服たち。上に積まれたものから順に次々と畳の上に下ろしていけば、更に強くなった柔軟剤の香りがガランとした部屋に広がっていった。


「主、入るよ」

「ひぇっ」


突然背後からかけられた声に肩をびくつかせ振り返れば、そこにはにっかり青江がいた。
なんて声出してるんだい、そう笑いながら了承を得ることもなくずかずかと部屋に入り込んできた彼は、座り込む私の手元に視線を下ろす。


「ああ、荷解きしていたんだね。手伝うよ」

「えっ、あの、みんなは」

「心配しなくても広間にいるさ。フォローは鶴丸さんと岩融に頼んでる」


鶴丸というのは、平安生まれの皇室御物。岩融は弁慶が持っていた薙刀。研修時に叩き込まれた情報を引っ張り出し、脳内でひとり納得する。うん、間違えてないはずだ。
あっという間に私のすぐ横に座ったにっかり青江は、へえ、これが未来の女の子の服なんだねと言って私の服を手に笑う。いつの間に。


「……いや、荷解きくらいひとりでできるから大丈夫だよ」

「未来の物に興味もあるし手伝おうという気持ちに嘘はないけど、それよりも君のことが気がかりだったから来たんだよ」


落ち込んでるんじゃないかと思ってね。
物珍しそうな顔をしながら、一枚一枚服を取り出すにっかり青江が呟く。


「落ち込んでる、って」

「戸惑い故のものだってことは君もわかってるだろうけど、歓迎されたとは思えなかっただろ?」

「……………」


否定は、できない。
だって顕現させた時に見せた彼等の表情といったら、輝くような笑顔と明らかな落胆だ。紫色の服を着た男なんて、それに加えて不快そうに顔を歪ませたかと思ったら舌打ちまでしてきやがった。
おかげであの刀剣には苦手意識を抱いてしまったが、誰もが死んでしまったはずの主が戻ってきたと思ったのだろう。
嬉しそうな笑顔が徐々に曇り代わりに浮かんできた悲痛な表情は、自分に向けられているのだとわかっていても見ていられないくらいに痛ましかった。私でごめんね、ついそんな言葉が出てしまいそうになるくらいには。


「目が覚めたと思ったら突然知らない人間がいるんだからね、そりゃ驚きも戸惑いもするさ」

「……そう、だよね。うん、それはわかってる。当然だと思うよ」


私だって、大切な人が死んで、見ず知らずの人間がその人の代わりだと名乗ってきたら戸惑う。戸惑うし、何言ってんのこいつって絶対思う。
けれど私は油断していた。最初に顕現させたにっかり青江があまりにフレンドリーだったから、主を亡くしはしたけれど、彼等にとってそれは大したことじゃないのかもしれないと思ってしまったのだ。
ところがどっこい。当然と言えば当然だったのだけど、残り5振の顕現を終えた鍛刀部屋には、にっかり青江と私以外はひとりとして口を開かずうつむいたままという、これ以上ないくらいのお葬式ムードが漂っていた。今思い出しても息が詰まる。
そうして困っていたところに、とりあえず広間に行こうかとにっかり青江が声を上げてくれたのだけど。


「……ごめんなさい、気を遣わせて」


彼等とどう関わっていけばいいのだろう。
そんな不安に脳内を支配されてしまった私は、理想と現実とのギャップに頭が混乱していた。
こんなはずじゃなかった。本当なら今頃初期刀を選んでいたはずなのに。そんな思いは流石に口に出すことはなかったけれど、それでも確かに抱いた感情だった。

そんな私の気持ちに気付いたのだろうか、とぼとぼ歩く私の横で離れの方に目を向けたにっかり青江は、微笑みながら静かに耳打ちしたのである。
この廊下の突き当たりが審神者の部屋だから、荷物を持って行っておいで。こっちは僕が何とかするよ、と。
大きなスーツケースを手に駆け出した私を、彼等はどんな目で見ただろう。もう本当、情けなくて仕方ない。


「気にしなくていいよ。それぞれを顕現させた時にも最低限の挨拶はしてたし、君にもみんなにも、気持ちを整理する時間は必要だからね。あの状況で一緒に広間へ連れて行くほど僕だって鬼じゃない」

「……ええと、話を続ける前に聞いておきたいんだけど。にっかり?青江?なんて呼べばいい?」

「青江でいいよ」

「じゃあ、青江。……青江は、みんなと違うの?」


彼が顕現してから今の今まで抱いていた疑問、そして違和感について問う。
青江だって他の刀剣同様、前の主とそれなりの時間を過ごしてきたはずだ。にも関わらずすんなり私を主と呼び、悲しそうな顔なんてこれっぽっちも見せることなく、今だってこうして私の元にやってきた。悲しみに暮れているだろう仲間ではなく、つい数十分前に出会ったばかりの私の元に、だ。
それがどうにも不思議というか、違和感を覚えずにいられない。


「悲しくないわけじゃないけれど、こればかりは仕方のないことだからね」

「……随分あっさりしてるんだね」


刀剣にもそれぞれ個性があるという。
それは何かが起きた時にどう考えどう行動するかは刀剣によって異なるということで、それは人間であれば普通どころか当たり前のことだ。そうじゃなきゃ気持ちが悪い。
けど彼等は刀で、起きた事柄だって生き死にだ。それも、主と仰いでいた人間の死。
なのにこんなにすんなり私を主と呼び、他の刀剣のように戸惑う姿すら見せないなんて、彼にとって前任者はどういう存在だったのだろうと勘繰りたくもなってしまう。


「……あのさ。嫌だったら答えなくていいけど、前の主さんってどういう人だったの?」

「真面目で厳しい、無愛想な仕事人間だったよ。よその本丸では審神者と僕らが一緒になって遊んだりすることも多いようだけど、堅物なあの審神者とはそんなの一度だってなかったね」

「それは……どうなの。青江的には良いの、悪いの」

「良いも悪いもないさ。寂しく感じた子もいたかもしれないけれど、彼はここに遊びに来たんじゃない。仕事をしに来ていたんだからね」

「ああ、男の人だったんだ」

「しかも妻子持ち。一度だけ写真を見せてもらったことがあるけど、なんでこんな男を選んだんだと問いただしたくなるくらい奥さんは綺麗だったし、子供はかわいかったよ」


優しくほのかな楽しさを感じさせる声に顔を上げれば、柔らかな微笑みをたたえた青江が私の黒い下着を手にしていた。
それを女の下着と青江が認識しているかはわからないが、出会ってすぐの男に自分の下着を持たれていると思うと何とも言えない気分になる。ので、それは彼の手からひったくり、こほんと咳ばらいをひとつ。


「……悪い人では、なかったんだよね」

「そうだねえ。厳しくて不器用な鉄仮面だけど、誠実で審神者としては文句の付けどころがないくらい優秀な人間だった」


疑問が確信に変わる。彼等にとって前任者は、良い主だったのだ。


「ならどうして、青江はすんなり私を主って呼んだの」

「だって君は僕の主じゃないか」

「そう……だけど、なんて言えばいいか」

「わかってるよ。切り替えが早過ぎるって言いたいんだろう?」


ごもっともだ。これがひどい審神者だったとかっていうなら納得できるけど、彼の口から語られた前任者は、不器用なだけの誠実な人間。事実青江以外の者は、皆一様に前任者の死を悲しんでいるように見えた。
なのに、青江は。


「いいよ、しつこいのは嫌いじゃない。……とはいっても理由だってひとつじゃないし、話し始めると長くなるから今は内緒にしておこうかな」

「え、内緒?」

「そう。秘密がある男の方が魅力的だろう?」


そう言って怪しげに笑う青江は、彼から取り上げた下着を未だに握る私の手を取って囁く。


「大丈夫。僕は君の味方だよ」


微笑みながらかけられた言葉に、なぜだかわからないけれど、ひどく安心した。
優しいけれど振り解けない程度の強さで握られた手からは確かな温度が伝わってきて、艶っぽい声は心地よく耳に入り込む。言葉は、すとんと私の心に落ちた。


「……ありが、とう」

「うんうん。僕も協力するからさ、みんなとうまくやっていけるように頑張ろうね」

「うん、ありがとう」


偶然というか成り行きというか、決して自分で選んだとは言えない近侍だったけれど、青江で良かったかもしれない。
そう伝えたいけれど目を見て言うのは恥ずかしいから、と下げた視線の先には、私のピンクの下着を持った青江の左手が見えた。



 
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