無意識とは煮えたぎる釜


健気にも掃除に勤しむ小柄な灰色を見つけ、背後からそろりそろりと近付く。
そしてタイミングを見極め、大きな声を出すと同時に背中を叩いた。

「わ!」
「わー!?」

少年はあまりにも衝撃だったのか、声を荒らげて尻もちをついた。
あはは、と笑う私を見上げて、少年、朧はじろりと睨みつけてきた。その姿は恐ろしいと言うよりかは、猫のようで可愛い。

「な…、なにするんですか!疏水!」
「もー、君って真面目だなぁ。
 ちょっとくらいサボったっていい」

そう言いかけたところで、頭に拳骨が下された。ヒリヒリと痛む頭を押えながら上を見上げて、思わず顔を引き攣らせる。
そこには手をはたく虚の姿があった。

「全く。少し目を離した隙に。
 疏水、君はすぐ仕事をサボろうとする。」
「サボりじゃありません。息抜きです。」

間髪入れずにそう答えれば、虚はどこか呆れたように溜息を吐いた。

「君のは息抜きではなく、サボりです。
 …とはいえ、朧。」

虚に呼ばれた朧は、はい、と元気に返事をすると、すぐさま立ち上がり、ピンと背筋を伸ばした。

「彼女の言葉にも一理ある。少し休憩にしましょう。」
「やったー!」
「わかりました。」

私と朧の返事を聞き、虚は小さく頷くと、私の名前を呼んだ。
それを合図に近くに隠しておいた樽をひきずりだす。樽の中には氷と塩、それに牛乳や卵に砂糖を入れた鉄製の筒がしまわれている。

「はい!朧くん、今日はこれだよ」
「樽ですか?」
「そう!これでアイスクリームが作れます。」
「あいすくりーむ、ですか?」

アイスクリームが何かも知らない朧は不思議そうに目を瞬かせる。

「うん。この筒の中には牛乳と卵と砂糖が入っているんだよ。」
「はぁ。飲み物ってことでしょうか?」
「それは中身開けてからのお楽しみだよ。
 とはいっても君が仕事をしてる合間にほとんどやることは終えたから、後は中身を取り出すだけなんだ。」

と、説明しながら樽の中の筒を取り出して朧に見せ、スプーンを差し出した。

「というわけで、はい。」

朧はスプーンを受け取ると不思議そうに首を傾げた。

「スプーン?汁物のように食べるということですか?」
「さてね。騙されたと思って食べてみてよ。」
「…、わかりました。」

朧は覚悟したように目を瞑る。ゴクリと息を飲み、筒の中のアイスを掬って口の中に運んだ。

「冷た!これは…どうして液状では無いのですか?」
「え〜っと…、」

困ったように虚を見上げれば、やれやれ、と言わんばかりに解説を始めた。

「それはですね、凝固点降下という現象のおかげですよ。」
「ぎょうこてんこうか、ですか?」
「はい。氷は溶ける時に周りの温度を下げる性質があるんです。氷に塩を混ぜることによって氷が溶けるスピードが速くし、急激にまわりの温度を下げることができます。
 つまり、この現象を利用することによって筒の中身を凍らせた、というわけですよ。」
「なるほど。そういう原理なのですね。勉強になります。」
「そうそう、覚えておこうね。」
「君もですよ。」

そう言ってデコピンをしてこようとした虚の腕を抑えて、はぁい、と返事をした。

「先生は本当に博識です。」
「10年も生きてない君たちと違って、私は長く生きていますからね。」
「ですが、父も母もそういったことを知りませんでした。」
「アイスなんてマイナーですからね。」

その言葉にムッとして思わず言い返す。

「マイナーじゃないです。流行を最先端で先取りしてるんですよ。」
「それをマイナーと言うんですよ。」

溜息を吐く虚は、どこかうずうずした様子の朧に気付くと、どうしたのか、と聞いた。

「私も疏水と同じように暗殺術を学びたいのです」

その言葉に珍しく表情を変えた。
それが私にとって、とても___________、


︎ ✧


ぐらり。身体が揺さぶられる。
朝と言うにはまだ暗く、あたりは薄暗い。
ボヤける視界にはどこか焦った表情を浮かべる虚の姿があった。
そんな表情を見たのは初めてかもしれない。

「朧が居ません」

この人にもまだ人間らしいところがあったのか、あるいは朧との関わりで人間らしくなったのか。
それが良い傾向なのか悪い傾向なのかは分からないけれど、少なくとも、私はそんな虚が嫌いではなかったから上に報告もせず放置した。

「こんな夜更けに?」

その問いに、虚は頷く。

「ええ、ですから、君はここで待っていてください。彼とすれ違う可能性もありますから。」

私の意識がハッキリとしたの確認して、虚はスっと立ち上がる。
腰にいつもの刀は無い。
それがどういう意味を持つかなんて、この人だって理解してるはずなのに。
だからこそ、朧の元に向かおうとしている。
それがどうしようもなく羨ましくて、そんな感情を持ってしまう自分に嫌悪した。

「わかりました。」

朧のことは好きだ。朧の気持ちは理解できる。
朧がいなければ、きっと虚と会話することなんて、一生なかっただろう。
虚とは、そういう人間だ。
それでも、だからこそ、虚が朧の所に向かうのを止めなかった。

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