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「あの山に一人で近づいてはいけないよ」

小さい頃にこの街に住む人間であれば必ず言われる言葉だ。
私の住む北巻諸島では東尽銅山に近づくと、山神の祟りに遭う、と都市伝説のように謳われている。誰が言い出したかは分からないが、数年前、それを信じない余所者が東尽銅山の災害に巻き込まれ亡くなるという事件が起こってからその噂は信憑性を増し、今や廃墟やホラー関連のそれに近い存在となっている。
私たち島の住人は一時期、土砂崩れも起きたその山を取り壊そうという案も出たのだが、私たち一家は正反対した物の数には叶わなかった。
しかし、いざ工事を行おうとすると予期せぬアクシデントに見舞われることから、山神の祟りに違いない、とそれから一切寄り付く者や、関わる者はいなくなった。
強ち間違いではないのだ。山神の祟りというものは。私達は知っているからこそ、反対したのだ。
取り壊してはいけない。東尽銅山のお陰で北巻諸島が成り立っている事実があり、それを知る一族が私の一家であり、北巻諸島の末裔でもある。私の代で終わらせるわけには行かないのだ。そういう宿命を背負っている。
だからその類の都市伝説などは全て虚像だと知っていたし、家族の中でも私は誰よりも山神である彼を知っている。幼い頃からの顔馴染みだ。
こんなこと両親や祖父母には絶対に言えない。
ー私が山神の加護を持っていることなんて。


「ジンパチ!」
「また一人で来たのか?余り寄り道をするとら母上殿に怒られるぞ」
「だって登りたくなったんだもん!山が呼んでるんだよ、私を。つまりジンパチが呼んだってことでしょ?」
「ったく、お前は本当に似てるな」
「誰に?」
「俺の知り合いの天使だ」
「天使!?本当にいるんだぁ…」
「今度アイツがこの地に立ち寄った時があれば呼んでやろう」
「うん、約束ね、絶対よ!」

指切り、と差し出した指に絡まる指は冷たい。
生きているようで、人間味を帯びないジンパチは初めてあった頃と全く変わらない。変わらぬ美貌といで立ちは山神と示すのにも最も似合っている。
彼と初めて会ったのは、私が北巻諸島で起こった嵐の日に海に取り込まれそうになった日の事だった。

小学校の帰りだったと思う。その日が北巻諸島創設の最大の災害だったのを覚えている。登下校中の私に津波が迫って来て、もうダメだと意を決した時に彼は来た。
私を不思議な力で救ってくれた彼は、困ったように笑っていた。亡くなるべき寿命を延ばしてしまったのだ。彼の力で。そして名乗ってくれた。
自分がこの北巻諸島に聳える東尽銅山の山神である事と、名はジンパチと言うことを。
それから私はひっそりと家族には内緒で東尽銅山に忍び込む事が多くなった。内緒にする理由は、一人では絶対に近づいてはいけない、と口酸っぱく言われていたからだ。
放課後何処に言っているのか、と尋ねられてもいいようにアリバイはいつもジンパチに手伝ってもらってる。どうして私にそこまでしてくれるのだろうかとジンパチに尋ねた事があるが、上手くはぐらかされて終わる。きっと知られたくないことでもあるのだ。気になるが、幼かった私はジンパチを友人だと思っていた。友達が嫌な事はしてはいけないという母の言葉を律儀に守っており、それから尋ねる事はやめた。分かりやすいように安堵したジンパチにこれが正解だったのだと悟る。

「でも不思議。ジンパチとこうしてるのももう10年目なんて」
「そうだな。あんなに小さかったお前がこんなに大きくなるなんて俺も感慨深いものさ」
「見た目は私と変わんないけどね」
「そうだろう。何故ならそういう風に努力をしているからな!天は俺に三物を与…か「三物トークはもういいよ」
「せめて最後まで聞かないか!?」
「何回目だと思ってるの?それ。耳タコすぎる。まあジンパチが美形なのは認めるよ。最初はどんな中二病かと思ったけど」
「ハッハッハ!そうだろう!!…って、聞き捨てならないことが聞こえた気がするが。今すぐ祟ってなら早く言えばいいものを…」
「いや、ごめん!!嘘!!それは洒落にならないから勘弁して!!」

手に光を宿したジンパチに土下座する勢いで謝ると声を高らかに笑っていた。冗談にしてはやり過ぎだ。
ジンパチが私に秘密にしている事は多いが、私もジンパチに秘密にしている事がある。といっても既にバレているかもしれないが。
ここだけの話、私はジンパチに恋をしている。絶対に実らない恋を。8歳から18歳の今まで。ずっとだ。
初めて会った時から想いを募らせていた。
振り向きもしない神に。人は無謀だと言うだろうが、自分でも抑えられそうにないのだ。幼いながら芽生えてしまった恋心を。

じっと見つめるとジンパチは怪訝そうな顔で私を見た。きっと私がこれからどれだけ歳を老いても必ず交わる事もない彼の存在に、もどかしくも思うが、反面、私は今の関係が気に入っているのだ。
遠すぎず近すぎず、親友のような彼が好きなのだ。だからこのままでいいのだと自分に言い聞かせる。

いつものようにしばらく過ごしたところで時刻も遅くなってきており、夕日も沈みかけている。

「さーて、そろそろお腹すいたし、帰ろうかな。最近帰りが遅い事にお母さんも不審に思ってるみたいだし」
「ああ、そうした方がよいな。日も暮れて来た。入り口まで送ろう」

宙に浮いていたジンパチがスッと下に降りてくる。帰るときは必ずジンパチが山の入り口まで私を誘導してくれるのは毎回恒例の事になっている。理由は山頂の結界を解き、ワープさせてくれる為だ。なぜ山頂に結果を張るのかは都市伝説が関連している。一般人が不要に足を運ばない様に。だから、ジンパチの操作がない限り普通の人はここに立ち入ることはできない。

ジンパチが不意に足を止めた。

「ジンパチ?」
「…なまえ」
「忘れものでもした?」
「…いや、なんでもない」

足を止めて悪かった、と笑うジンパチにそれ以上問うことは無かった。いつも通り、足を進める。
私はそういえば、と次の予定を思い出し口を開く。

「あのね、ジンパチ。次に来れるのは、来週明けだと思う。今週体育祭があるんだ」
「もうそんな時期か。一生懸命なのはいいが、怪我はするなよ」
「言われなくても大丈夫だよ」
「お前のそれは信用ならんよ」
「何?私がお転婆だって言いたいの?失礼しちゃう。まあいいけど。もし暇だったら見に来てね。高校最後だし。」
「あぁ。時間があれば行こう」

無理はするなよ、と頭を撫でてくるジンパチにジンパチもね、と返す。いつまでも撫でる手を辞めないから私自らその手を取り下ろした。
強制的に下された手に癪に触ったかとも思ったが、笑っていたので特に気にしてないのだろう。
週に3回くらいの頻度で会っているので、期間が空くと寂しい気持ちを覚えるのは仕方ない。それが好きな人なら尚更だ。数時間の逢瀬でも私にとっては大事な時間なのだから。

またね、と手を振るといつもなら手を振り返してくるはずなのに、今日に限って、俯いていてなかなか返事をしてくれない。…やっぱり変だ。

「ジンパチ?」

ジンパチと結界の間から抜けようとした身体に踵を返し、歩み寄る。中々こちらをみないジンパチの頬に触れる。

「何かあるなら、聞くよ?」
「っ、なまえ…っ。すまん」

そう謝られたと同時に、強い力で引かれ、腕に収まる。一瞬何が起きたか分からなかったが、いつもは冷たく感じるジンパチの身体がやけに暖かく感じ、固まる。私と言えば何も出来ずにジンパチからの強い抱擁に為すがままにいた。

「こんなに離れがたい日が来るとは、俺は山神として失格だな」
「え?」
「…もう少し会っていたかったのだがな」
「な、何言ってるの?ジンパチ…」
「俺は謝らないからな、なまえ」


軽く掠めた唇。我に帰り、顔に熱が集まる。
名残惜しそうに離れる唇。ゆっくりと解かれた抱擁に、固まっていると優しい力で肩を押されて気づけば東尽銅山の入り口にいた。ジンパチを呼んでも反応がない。
ーまるで、今生の別れのようではないか。

呆然と立ち尽くしていた私は携帯電話からの母の着信で我に帰り、そこからどう家に帰ったかは覚えてない。一つ言えるのは帰った後、母にこっぴどく怒られた事と、東尽銅山に通っていたことが実はとっくに知られていたという事が判明した。
また、すぐ会えるよね、と見上げた空からは当たり前の如く何も返ってこなかった。

それから数日後の体育祭練習終わり。
いつものところで待っていても、ジンパチが降りて来ることはなかった。
そして更にはその翌日の体育祭当日。
嵐の前の静けさのように予期せぬ出来事が起こる。



* * * * * * * * *





「あとは学年リレーだけだけど…。なんか天気怪しいね」
「確かに。今日は晴天だったのにね」
「最近よく天気予報外れるし。でも最後の大トリだからせめて降らないといいんだけど」

体育祭も大詰めになった頃、雲行きの怪しい天候に生徒がざわつき始める。
確かにあまりいい天気と言えない空は雨の予兆を表していた。
かくいう私ももうすぐだから少し待ってくれないかと晴れを祈る一員であるが、そんな願いも虚しく、雨は大きく降ってきてしまった。
一時テント避難と生徒が明らかに落胆しており、なかなか止まない雨に教員側のテントもざわつき始め、生徒たちの不満も募っていく。


「このままだと、中止になりそうだね」
「こんな事ならすぐ競技初めてればよかったのにね」
「ほんと。最後の体育祭でリレーがないなんてありえないよ」

どんどん漏れ出す不満に、アナウンスが流れる。
生徒たちの不安が募る。そしてそれは的中する。

「全校諸君、非常に残念ではありますが、今年度体育祭はこれにて終了致します。色々と不満など思うところはあるでしょうが、何より安全第一な為、盛大なる審議の結果このような形をとらせて頂きました。私たちも心苦しいですが、承諾して頂きたく思います。保護者様一同、本日はお越しくださいまして、ありがとうございました。その後のスケジュールはクラス毎に連絡致しますので…」


その後校長が何を喋っていたかは覚えてない。ブーイングを出す生徒もいる中、大半は明らかに落胆しており指示があるまでベンチに腰をかけ、委員会の子達は片付けに追われていた。
私も折角のリレーが無くなったことに少なからず落ち込んでおり、クラスメイト達と話していた。


「残念だったけど、まあしょうがないよね」
「確かに、この雨じゃ納得できるよね」
「にしてもいつ止むんだろう。私たちも下校に困るよね。車で迎えに来てもらわなきゃ。車も相当混んでそうだけど」
「うちの車乗ってく?」
「そうしてもらえるとありがたいかも」

なんて雑談をしながら指示を待っていると、当然鈍器に殴られたような頭痛が襲う。
座っていられず、前のめりに頭を抱えると友人はそんな私の姿を見て大丈夫!?と声を掛けてくれるが、私はそんなのも気にしてられないくらい痛む頭を抑えている。
何…一体…。
友人の声と小さく聞こえる声に顔をしかめる。

"…ろ………そ……は……だ…!"
「ジン、パ…チ……?」
"…聞こ………な!?早く…その……から……ろ…!"


私が聞き間違えるはずがない声が聞こえ、痛む頭を抑え辺りを見渡す。この一帯に居るはずのない存在を探す。

「なまえ、大丈夫!?保健委員呼ぼうか!?」
「だ、大丈夫。ちょっと頭痛がすごくて…」
「よかったら私、水筒の残りあるから、これ飲んで。ひどかったら親子さんに早く迎えに来てもらいなよ。先生には言っておくから」

注いでくれたお茶を飲み干すと幾分か落ち着く頭痛。そんなひと時もつかの間。大きな揺れが私たちを襲う。私を含め、その場にいた生徒達が次々に倒れる。
何が起きたのか、と顔だけを起き上がると信じられない光景を目の当たりにする。そして、大きくアナウンスも流れた。

「全校生徒、保護者の皆様、落ち着いて聞いてください。ただ今東尽銅山が土砂崩れをお越し、その土砂がこの学園付近に流れてきている模様です!直ちに係員に従い、避難してください!」

きゃあああああと大きな声が上がる。逃げて!と先生達が誘導しているのが見えるなかで私は頭痛も忘れ流れてくる土砂を眺めることしかできない。逃げなきゃいけないはずなのに無意識に足はそちらへと向かう。私の隣にいたはずの友人は既に避難してしまったのかもう隣に姿は見えない。
こうしてはいられない。半壊とはすなわちジンパチの身に何かが起きたとしか考えられない。
いつ間にか頭痛は治まっている。いや、考えないようにしていただけかもしれない。避難しようとする生徒や保護者をかき分け、反対方向へと走る。向かう先は一つだ。東尽銅山他ならない。雨で前もロクに見えないのに、歩きにくいことこの上ないグラウンドで突然腕を掴まれた。強い力で、歩みを止めざるを得ない。

「オマエ、こんな非常事態に何処に行こうとしてんだ!!」
「!靖っ、荒北くん!離して!」

東尽銅山へと走り出す私に幼馴染は足を阻む。
高校に入り突然疎遠になったのはそっちだと言うのに今更何だと言うのだ。

「放っておいて!」
「バァカ!避難しろってアナウンスあっただろーが!」

そんなのなりふり構ってられないのだ。
確かに聞こえた東尽銅山の半壊だと。
この学校からそう遠くない。行かなきゃいけない。私は。というのに、この幼馴染が私の手を掴む力を緩めることはない。

「オイ!何処に行こうとしてんだよ!お前が行かなきゃなんねーのはそっちじゃねぇだろ!!」
「だってジンパチ、ジンパチが…!」
「何言ってんだ、誰だよソイツァ!」

私の話は聞く気がないのだろう。無理矢理にでもと引っ張る靖友くんに私が力で叶う筈もない。
大急ぎで校門へと急ぐ生徒達に押されるが、靖友くんが引いてくれるお陰で私の足がもつれることはなかった。

「今は自分の安全確保だろーが!よその心配なんてしてんじゃねえ!」
「靖友くんだって私のこと、他所を心配してるじゃない!」
「ッセーな!どっかのバァカチャンが変な方向にいってるからだろーが!分かれヨ!」
「余計なお世話だよ!って痛っ!!暴力反対!」

言い返してると大きく頭を叩かれる。先ほどまで跨る程の頭痛に苦しまされていたと言うのに容赦のない男だ。後ろが気になりつつも、いま山へ近づいた所で土砂に飲まれては意味がない。それに荒北くんが私を引いているせいで進路は変えられない。
校舎を出て、土砂がながれてこない区間まで先生達やいつのまにかきていた救助員が誘導してくれる。見にきていた両親達の安否も気になるが、荒北くんが俺のとこと一緒に居たから心配すんなと言っていた為、少し安堵した。と言ってもいつ飲み込まれるかは分からない、と思い出した瞬間足は震えだす。

「オマエのこと、ちゃんと避難区間まで引いてやっからちゃんとオレの後ろについてろ!離すんじゃねーぞ!」

ぐんぐんと進む様は伊達に野獣と呼ばれてないと言えるほど早かった。人と接触しそうでしないその距離に圧倒されながらも、人並みに飲まれずに上手く前へ進んでいく。


「今度こそ、離さねぇって決めてんだヨ!」


大きな津波が私たちを襲う。それにいち早く気づいた荒北君が私を庇うように抱きしめ、次にくる衝撃に目を瞑る。ザブン、と波の飲まれ、抱きしめられていた腕にさらに力をが篭り、私だけでも波の上に引き上げようとしてくれているのか荒北くんがそのまま私の上半身を抱き上げた。息が続かない。水を飲み込みすぎて、具合も悪くなってきた。荒北くんも同様に苦しそうだ。お互いが命綱となっている今、絶対に離せないと強く手を握っている。しかし、体育祭で疲弊した身体にそんな体力も持つわけがない。今まで支えてくれていた荒北くんの腕から力が抜けていくのがわかる。だめだ。このままじゃ沈んでしまう。荒北君も、私も死んでしまう。離れてしまいそうな指に助けてジンパチ、と念じた私は次の瞬間またしても大きな波に荒北くん共々飲まれた。