帰巣本能

 ゆっくりと――ゆっくりと、かつての記憶を辿っていく。今はもうほとんど覚えていない、古き良き、懐かしい日々。『良き』などと言っていいものかどうか、甚だ疑問ではあるけれど。
 ……夜空を見上げたことを思い出した。
 父が数ヶ月分の給料をあてて、私に望遠鏡を買ってくれたことがあった。当時、私の家は決して裕福とは言えなかった。それは私の家に限らず、どこの家庭だってそうだっただろうが、とにかく国中貧に窮する中で、父は望遠鏡を買ってくれたのだ。私はそれを素直に喜ぶことはできなかったが、彼が「とにかく覗いてみろ」と言うので、人目を忍んで見晴らしのいい川沿いまで行ってこっそりレンズを覗いてみたのである。

 あれはいい景色だった、と思う。たぶん、あれが最後の『地球の空』だった。
 星を見上げていた私は、今では星の間を周回する奇怪な都市にいる。ここの空は確かに地球のそれとほとんど変わらないけれども、やはりどこか違和感を覚えた。まるで作りもののような。変な夢を見ているような、そんな気持ちになるのである。そうして、その違和感だけが、私に「お前はあの星で生まれ育ったのだ。真にこの街の住民ではないのだ」と教えてくれていた。
 父に貰った『古式ゆかしい望遠鏡』も、あの頃を映した写真も、ここへ来る時に置き去りにされてしまっていた。そうしてたぶん、誰かに見つけられることもないまま、朽ちはてて埃の山に埋もれている。……私がかつて地球にいたことを、街の人間にはっきりと示せる『証』はもうどこにも残っていない。そしてそれを哀しく思い、涙を零すに足る記憶も残っていなかった。
「母星に帰らねばならない」という、使命じみた郷愁だけが今の私の全財産であった。



1.星の下で君を
証/望遠/記憶

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