My god bless me.

 真っ白な壁に囲まれた地下室の一室。壁を埋め尽くすくらいの本の山と側に置かれたアップライトピアノ、小さな冷蔵庫と物書き机、ベッドが置かれ、そして附属のユニットバス。元々は父の書庫だったその部屋が、今のわたしの生きる世界の全て。

「 I see the moon and the moon sees me 」

 暫く調弦されていない外れたピアノの音が、わたしの声と共に、一人でいるには広い部屋の中に響き渡る。
 白い扉に隔てられて、月なんてもうどれ位見ていないだろうなあと思うけど、わたしは外には出られない。ここはシェルター。わたしにとって唯一にして絶対の安全な場所だと、わたしの夢が、わたしの神様がそう言うの。

 始まりは夢だった。

 目の前に現れた黒い大きな穴。"ネイバー"という大きな化け物が三門市に現れる、そんなおとぎ話みたいな夢。
 父はボーダーの技術者という職についていた。詳しくは知らないし、父はわたしを関わらせることを良しとしなかったから、わたしが夢の話をするたびに「誰にも言うな。何かあったら私の書庫に逃げなさい」そう言った。
 そしてあの日。わたしは両親と弟が"ネイバー"に食べられる夢を見た。嫌な予感がして、家の外に出たわたしが見たのは一番最初の夢と同じ景色だった。
 化け物が人を食べていた。
 お母さんは、お父さんは、弟は――
 探しに行こうとしたわたしを止めたのは、父の言葉だった。化け物と目があった瞬間、ガタガタ震える足でわたしは家の地下に逃げ込んだ。
 それから何日か、ひょっとしたら何十日も経ったのかもしれない(蛍光灯の光はわたしに時間を教えてくれなかったから)。
 冷蔵庫にあった食べ物が尽きて、非常食も尽きてどうしようもなくなった時、わたしはまた夢を見た。逆光で顔は見えなかったけど、神様がわたしを助けてくれるそんな夢。
 わたしは唯一の出入り口である白い扉を開けた。実は全部夢だったんじゃないかなんて、そんな願いとは裏腹に、家の中は静まり返っていた。太陽は高いところにあるのに、周りからはなんの音もしない。自分の歩く足音だけが、わたしの耳に届いていた。
 だれか人を探そうと思った。知らない人でもいい。誰かに会いたかった。
「だれか、だれかいませんか!」
 ザッザッとスリッパのままに、外をかけた。だれでもいい。だけど だれかと叫ぶわたしに答えたのは、人じゃなく黒い穴。出てくる大きな白い足は決して神様じゃなかった。
 まるで遮断機みたいな、電子音が身体を止めた。食べられる、そう思った。

「大丈夫か?」

 白い化け物が崩れ落ち、黒いコートが靡く。既視感を覚えるその風景。
 二振の刀を腰にさした彼は、確かに夢に出てきたわたしの神様だった。

 ◇

 警戒区域の人一人いない住宅街に太刀川慶はいた。腰に二振の弧月をさし、手には明らかに場違いなコンビニ袋がパンパンに膨らんだ状態で握られている。防衛任務中にこっそり買い物にでもいったのか、普段は使用しないバックワームを使用していた。
「ふっふふふーん」
 屋根を走りながら、タイトルも知らぬ曲を歌う。頭に流れるピアノの音色は音がずれて、原曲とは異なっていたが太刀川が知ることはない。彼が聞くのは、いつも外れた音を奏でるピアノによる演奏だけだった。
 庭のついた一軒家。第一次侵攻によって、家族全員の行方が分からなくなったとされるその家に、いつものように太刀川は足を踏み入れた。
 戸惑うことなく、一見収納スペースに見える階段下の床を持ち上げれば、現れるのは地下へ続く階段。軽い足音で、地下室へ迎えば目の前には真っ白な扉が太刀川のいる場所と向こうを隔てて立っている。
 キィ―
 ドアノブを回して引けば、いつもと同じピアノの音が太刀川を迎え入れた。
「...God bless the moon and god」
 室内に流れていた美しいソプラノのメロディがプツ、と途絶えて、柔らかな白い絹の糸が揺れた。
「慶さん!」
 絹ような白く長い髪と白い肌を持つ少女は、その全てが白い身体の中で最も目立つ彩度の高い鮮やかな瞳で太刀川を見て笑う。奏でていたピアノをそのままに、何の躊躇いもなくこちらにやってくる少女は数日前に見た時と変わらなく美しい。
「名前、来るの遅くなって悪い。そろそろ飯切れるだろ?持ってきた」
「寂しかったけど、大丈夫だったよ。ありがとう慶さん」
 手に持った袋を少女に渡して、太刀川はベッドに腰を下ろした。少女は袋に入ったものを冷蔵庫にいれ、太刀川の横に腰掛けた。
「ねえ、慶さん。わたしまた夢見たよ」
 太刀川の膝に頭を預けながら、少女はそう言った。少女のサイドエフェクトである夢の内容を、太刀川は知らない。この狭い地下の世界を、唯一壊す恐れのあるそれにピクリと膝の上の頭を撫でていた手が止まる。
「やっぱりまだネイバーは上にいっぱいいるのね」
 少女の言葉に太刀川は、息を漏らすように頷いた。愚かで幼い少女にむけて、太刀川はいつものように嘘をつく。
「ああ。上はネイバーでいっぱいだ。だから名前、まだここから出ないでくれ」
 その言葉に少女は疑うことなく、コクリと頷いた。


 二人きりの世界に流れる空気は、あの日からずっと変わらない。

『わたしの神様』

 出会った時 太刀川をそう呼んだ、愚かで愛おしいその少女は夢で真実に気付くまで、太刀川だけを信じて 彼だけを待ち続けるのだ。



引用、BGM
I See the Moon / Judy Collins



以下独り言。
メモ帳で書いてた監禁太刀川が書きたかったんだけど、設定詰め込みすぎて意味わからない。もうちょっと長いのにした方がいい気がする。

設定メモ
少女はアルビノで、トリオンモンスター。サイドエフェクトは夢で確定された未来を見ること。トリオン兵が来る夢ばっかり見てて、地上にはトリオン兵だらけだと勘違いしてる。地下のシェルターは旧ボーダー技術職だった父親が少女を守り隠す為に作った。外部からのトリオンによる影響を全て受けない。レーダーとかも全く作用しない。少女が見つかってないのはそのせい。
二人は互いに互いを神だと思ってる。少女は命を救ってくれた太刀川を神様だと思ってるし、同時に太刀川は少女に一目惚れして神様を全てから守りたいと思ってる。
タイトルのMy godは少女からしたら太刀川で、太刀川からしたら少女だったりする。



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