Eye Candy


 デートの時はいつも家まできてくれる修二に、次は待ち合わせしてみたい!なんて言った私のせいなのか。目の前で可愛い女の腰を抱く彼氏にそう思う。
 何度も目が合ってるはずなのにやめる気配のない姿は、意図的という単語を思い浮かばせる。だってそもそも、修二は私に気がつくまでは女の子をあしらっていたんだから。なのに見られてるとわかってから急にそんなことをしだしたのは、つまるところが確信犯という話だろう。

「あれ、だるいかも……」

 やっぱり私に原因なんか何一つないんじゃないか。
 これまでどこか、人とまるきり違った修二のやること成すことを、神格化して見ていたのかもしれないし、彼の言うことは基本的に理にかなってると思っていたけど、愛情が恐ろしいスピードで冷めていくのを感じて、恋人フィルターが一気に消えた。そしたら、今悪いのって100パー修二じゃんってわかっちゃった。

 もう一度視線を投げかける。
 駅の通りの斜め反対側にいるノッポは、私たちの間を多くの人が通行しても頭が出ているから、私が目を合わそうとすればいくらでも合った。
 それから数十秒。私が今いる場所からあまりにも動かないせいで痺れを切らしたのか、修二はようやく女の子に構うのをやめると、人の波をモーセのごとく割ってこちらへ近づき口を開く。

「名前ちゃんさぁ、なにやってんの?危ねぇだろ一人じゃ」

 間違いなくこの駅で一番危険な修二の警告に無視を決め込んだ。こんなんでも、悪態をつくのはできる限りしたくない。
 それに前までの私だったら「えっ♡修二やさしい〜!心配してくれたの?♡」なんて胸をときめかせていただろうに、冴えきった頭が出した答えは「帰るね」という三文字だった。

「は、待って」

 掴まれそうになった腕を引いて、修二の方を見向きもせず西口へ。せっかく可愛くしてきたんだから、このまま一人でお出かけなんてのも乙じゃないか。そう思うといくつか気持ちが晴れた。

「名前、おい」
「さよなら」
「いや、させるわけねーだろ」

 こんな強引さにも今は、しつこいだるいデカい!とウンザリしてしまう。デカいは関係ないか。どうでもいいよそんなこと。
 エスカレーターに乗ると修二は当たり前のように後ろに乗って、スカートの中が下の人に見えないように、注意しながら立っている。なにこの彼氏面。正式にはまだ彼氏だけれども、自分がしたことをまるで忘れたみたいにさ。

「ごめんな?名前ちゃんにかわいく怒られんの好きでやっちったわ。服越しに背中触っただけだから、手洗ってくるし許して?」

 下の段に屈んで立ってるせいか、修二が必然と上目遣いをしてきてるみたいになって、イラついてる今でもあざといと思わせてくるのが悔しい。何度覗いても綺麗な瞳に引き摺りこまれてしまいそうになる。
 それはそれとして、これでデートは続行できると思っている甘さには心底腹が立った。

「嫌」
「……や、まじでごめん。悪かった、オレが完全にやらかしたわ。もうしない」
「別にしてもいいんじゃない?もう関係ないし」
「は?」

 エスカレーターの段差が消えると、修二の言葉は五割増で威圧感がある。

「関係ないわけなくね?」
「しつこい。ついてこないで」
「遊びいく約束してたよなオレら」
「今日は無理」

 そのままスタスタ歩いて、公園をぬけた先のカフェを目指す。木漏れ日が心地よくて、後ろに修二さえいなければもっと清々しかったのにな、とため息がでた。

「一回はなそ、ほら、ベンチ座れよ。オレ本気で反省してるから、ちゃんと謝らせて」
「勘違いしてると思うから言うけど、わたし嫉妬したんじゃないよ?」
「……オレ他にもやらかしてんの?」
「ううん、やったことは同じ。ただ私が傷つくってわかっててあーいうことできちゃう人嫌いだなって」

 少し間を開けて座っていたら、その空間が二人の太ももでぐしゃっと潰れた。突然のことに驚いて顔を見上げると、修二の焦った顔が案外近くにあって、いつもの癖で頬を撫でてしまいそうになったが必死に抑えた。

「わりぃ、まじでなんも考えてなかった。ほんとにごめん」

 ここまで修二が反省するのは珍しいから、許してやろうかな、なんて気持ちが5%増える。現在5:95。

「なんも考えてなかったんだぁ?」

 最悪謝罪を受けるにせよ、このしょんぼり垂れた眉毛がかわいくて、もうちょっと意地悪してやろうかなとも思っちゃうし、でもでも、許してやる!って気持ちも55:45くらいで勝たないと許したくないし。
 こんな時でさえ、私のわがままは修二を中心に発生するんだと小っ恥ずかしくなる。

「ちがう、なぁまって、お願い。名前ちゃん、たのむから」
「うわっ、触んないでよ」
「なあ、ごめん、ほんとにきつい……やめて、拒否んないで」
「逆に私が違う男をベタベタ触った手で触ってもらいたいって思う?」
「思わない。手ぇ洗ってくっからちょっとまってて」

 真顔で送り出すと、修二は高い背をここぞとばかりに利用して、周りのトイレや蛇口を探す。見つけたようでそこに向かっていった背中は、何度も何度も反対に捻られて、私が逃げてないかを確認しているようだった。

 ちょうど彼がついた場所は、私が座ってる部分を少し右にズラすと、大木によって完全に身を隠すことが出来る位置にあった。カメレオンになった気分で口端があがっていき、どうせならここでイタズラしてやろうと決めた。
 思った通り、ちょっとすると男の荒い息遣いと、ドタバタした足音が近づいてきたから、私はルアーを垂らした釣り人のようにニンマリ笑って、食いついた魚の動向を眺めることにした。

「名前っ!くそ、逃げ足早すぎんだろ……。メール、あー、電話すっか。いやどうせ出てくんねぇよなぁ……。やっべぇ、オレ別れたら死ぬかもしんねぇのに。でもそんなん言ったら今度こそ女々しい奴無理って拒否られっかもだし……あー、きつ」

 聞いたことのない本音と消え入りそうな声に、心臓がドッと大きく脈打った。私が仕掛け人のはずだったのが、逆ドッキリみたいになっちゃって。
 そのまま一旦追うことをやめたのだろう修二が、大木をぐるっと巡ってベンチへたどり着くと、素っ頓狂な声を響かせた。

「は、あ……名前ちゃん……?待っててくれたん……?」
「うん」
「……きこえてた?」

 小さい返事で頷く。
 すると修二は身長と同じくらい大きなため息を吐いて、ベンチにドカッと座って脚を開き、「情けねぇ〜」と嘆いた。

「オレのこと嫌いになった?」
「どうだろうね」

 唇を噛んで何かを耐え忍ぶ修二を、私以外の人間は見たことがあるのだろうか。修二の好きな喧嘩でさえ、この表情をしたことはなさそうだから、博物館に飾られているものに見入るくらいじっくり眺めてしまった。

「きっついなこれ。……まえ女にフラれたって泣き言ほざいてる奴がいたんだけどさ、マジ、なんかもっと優しくしてやりゃ良かったわ。アイツこんなしんどいの経験してたんだな」

 修二が視線を落とした先には真っ赤になった手の甲が写っていた。罪という文字ごとゴシゴシ洗って、女の子に触れていた事実さえをも払拭したつもりなのか、ちょっと見ただけでも彼の努力が窺えた。
 許したい気持ちが10パー増える。

「私と別れたらいろんな子と遊べるよ」
「……なんも嬉しくねえけど」
「私はいろんな男の子と遊べてうれしいな」
「やだって、なぁおかしい、ほんとまって、オレ、ちげえオレが悪いんだけど、でも」

 上手くまとまらないまま音にするのは修二らしくない。言葉を覚えたばかりの子どもみたいで、余裕のある彼はどこにもいない。
 本当に赤ちゃんみたいだな、なんてお門違いなことをぼんやり考えて、修二の手のひらに人差し指を置いてみたらぎゅっと握られたから、ひょっとすると本当に、赤ちゃんみたいなところがあるのかもしれない。190越えの赤ちゃんなんてこわすぎるけど。

「修二にだめって言える権利ある?」
「まだ、あるだろ……?別れてねえじゃん、てか別れねえよな?おねがいすっから別れんのだけはやめて」
「でも修二って唇薄いからさ、ぽってりした男の子ともチューしてみたいんだよね。……あ」

 丸くなった背と、顔を覆う大きな手。肘は自分の膝について、がっくりと項垂れているみたいだった。たまに、はぁ〜だか、う〜だかの亡霊みたいな声を出しては、小さく「むりだろぉ……」とガス抜きみたいに吐き出して。
 どこまでいじめたら、再犯防止になるんだろうか。

「あともうちょい身長近い子の方が気持ちいらしいよ。修二も覚えといて損ないかもね」
「…………なに、なんなのおまえ」
「えー?……えっ?」

 指の隙間からチラッと見えた雫が、太陽光に当たった一瞬だけ光を反射して落ちていく。目元付近から落ちる水なんて、涙以外に考えようもなくて、今度は私が素っ頓狂な声を出す番だった。

「修二?ちょっと、手どかして」
「……うるせぇ、むり、なんでもねえよ」
「なんでもある。私と仲直りしたいんだったらこっち向いてよ」
「これで……嫌わ、れたら、まじ、おれ……むりだから……」

 強情さに血が沸騰して、グッと手を引き離してやったら、修二は静かに涙を流していた。驚きのあまり空気を飲み込んで、むせてしまいそうになるくらいの衝撃的な絵面だ。

「泣くほど好きなら変なことしなければいいのに」

 もっと他に言うことがあったのはわかってる。でもこれだけ天変地異みたいなことが目前で起こると、一周まわって言い慣れた言葉で構成された文しか出てこなかった。もし隕石が落ちてくる日が来ても、私は変わらず「今日学校行きたくないなー」なんてことを言ってしまうのだろうか。
 そうやって、悪童も悪童、むしろ悪党と形容するのが似合う修二が流すには、相応しくないほど綺麗な涙の行く末をぼうっと眺めていた。

「ごめんな」
「はいはい」
「オレ、おまえよりぜってぇ重いじゃん。だから、嫉妬されて、気持ちよくなりたかったんだわ。わりぃほんと」

 ここで「安心したかった」ではなく「満たされたかった」を選ぶあたりが本当に修二らしい。
 さすがの私もこの流れを蔑する冷酷さはないため、"許す"ゲージが20増えた。35:65、なかなかいいとこまできた。とは修二に言ってやらないけど。

「反省してるならよかった」
「え、あ、じゃあ……」
「次の人にはこういうことしちゃダメだよ?」

 面食らった表情で、立ち上がった私をただ見上げる修二は、次第に顔を青ざめさせる。自分がやったことでここまで弱っちゃうなんて、なんておバカさんなんだろう。
 本当はもう許してるんだけど、修二の泣き顔を見たらちょっと目覚めちゃったかもしれなくて、そんな下衆な考えが伝わらないように気を引き締めた。
 だって好きな人の泣き顔って、すっごい可愛い。修二が今まで私に意地悪してたのも、これが原因だったのかな?今すぐ犬を可愛がるようにわしゃわしゃ撫でて抱きしめてあげたいけど、それと同じくらい修二を泣かせたい気持ちがある。天秤はちょっとの重みですぐ傾きそうだ。

「じゃあおつかれさま」
「ま、まてって……たのむ、から……おねがい……名前、名前、オレなんでもする、ゆーこときく、ぜんぶ、名前の言う通りにする……」
「それ誰でもできるじゃん。私オリジナリティに富んだ人が好き」

 続いて立ち上がって、公園の端っこで私をやんわり抱きしめる修二。このままじゃあっという間に抜け出せてしまいそうな拘束力の理由は、本気で拒絶されて逃げられた時の衝撃を減らすためだろう。弱いよわい修二には、私を満足に抱きしめることもできないのだ。
 "彼女"という私の好意の元でしか好き勝手できないこの大男の愛おしさときたら、なんて形容するのがいいだろうか。爆発的に?筆舌に尽くし難い?とにかく胸の中で愛おしさが駆け巡って、ギューン!って深い矢に突き刺されるような。

「ちが、わかった、じゃあ名前が好きでいてくれるとこ、伸ばすから、な?どこが好きなん?嫌いなとこもなおすからなんでも言えよ……」
「ふうん、じゃあまずはー……喋らないでほしいかな」

 大きく見開かれた目は、そのままポロッと落ちてしまいそうなくらいパッチリ開いていて。
 何を言おうにも、私の言葉が早くも呪いになったのか、修二は喋ろうとしては思いとどまり、手話もボディランゲージも使えないまま、ただ息をするだけの機械でいた。
 もういいかな、私にも人の心があるし。それに実を言うと、ゲージはとっくのとうに"許す"側がウィナーなのだし。

「おいで。……よしよし、可哀想な修二」

 立つ気力もないと言うようにベンチに腰を下ろした修二を、起立した私が頭ごと抱え込んでやる。
 聖母マリアと呼ぶにはあまりに汚れた心で、欲を孕んでしまっている女だけど、修二にとっての還りたい場所にふさわしいような声掛けで、彼をとっぷりと甘やかした。その間も修二は喋ることなく、しずかに鼻を啜っていた。

「修二。……修二、ねえ、頭こてんってしないで喋りなさいって。もういいから」
「……しゃ、べったら、きらい、だろ?」
「嘘だようそ。うるさい修二が大好き」
「しゃべったら、好きになってくれんの?」
「ずっと好きだよ。さっきはまあ、うん。正直嫌いになりかけたけど」
「じゃ、おれどーすりゃいいの……」
「もういいの、普通で。お仕置はおしまいにするから。修二本気で反省してるみたいだし。そうでしょ?」

 ちんぷんかんぷんだと目を細めて寄ったシワにキスをする。泣かせたせいで濡れた部分はしょっぱくて、味直しにくちびるを舐めると今度は血の味。こんなに大きな体なのに、どこもかしこも不味いなんて、私の他に誰が愛せるっていうの。

「許してくれんの……?別れねぇってこと?」
「今はね。またやったらつぎは」
「やんねぇよ、やんねぇ絶対、まじで、ほんと、マジで誓うから。誓わなくても名前以外に近づきたくねぇし、ふつうにほかの」
「ちょっとうるさい」

 極限までゼンマイを回された人形みたいに饒舌な修二と、変な時間帯、変な場所でするリベンジデートは案外悪くなかった。

 

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