仮面と告解@
*拍手2月の後日談設定
「漸くお会いできましたね。今日を待ち焦がれて,貴方がくれた手紙を何度読み返したことか。」
この日,なまえと忠犬先生こと長谷部は,茶屋で一時を過ごしていた。彼らが会ったのは,石切丸の祈祷を受けた以来だ。本当は,一つ屋根の下で毎日顔を合わせているわけだが。普段は文通をしている彼ら。長谷部は,なまえに身の上を語ることはしなかったが,彼女は審神者と思い込んでいるようなので話を合わせていた。審神者は厳格な守秘義務が課されている。なまえが仕事の詳細について,文に書くことも語ることもなかった。また,長谷部に尋ねることもなかった。奇天烈な格好をした今剣と石切丸との不審すぎる行動も,“茶屋での気分転換”の一言で片付けたほどだ。彼は,なまえの審神者としての矜持を勝手に感じ取り,勝手に感動した。
「・・私もです。そわそわしてしまって,仕事が手につかなくて・・・。」
長谷部は耳を疑った。今日この日を迎えるまで,こんのすけらと共になまえの動向を探り続けた。だが,彼女が男の存在を臭わせたこともなければ,そわそわしていたことすら一度もなかったのだ。
(昨晩も,俺と栄養どりんくを飲んで,徹夜で電卓を弾いたではありませんか・・・)
あまりの隙の無さ。皆で舌を巻いた。加州と博多にいたっては,なまえは現世で"くのいち”だったのではと怪しむ始末。くのいちかはさておき,今までもこうして,秘密裏に男と逢瀬を重ねていたことがあったのでは。長谷部は不安になった。
(主。宇宙が誕生して以来,一番お美しい存在ですよ・・・)
ビックバン以来最も美しいと長谷部が称えるなまえは,彼からホワイトデーのお返しにと贈られた豪華な藤色の着物に身を包んでいた。藤の簪や草履も勿論,彼からの贈り物。自分が贈った物で身を固めるなまえに長谷部は大満足だった。
(男共よ,その薄汚い目に焼き付けろ!俺に着飾られた主のお美しさを!!)
通りかかる男性審神者や男士が,なまえに見惚れている。日頃,なまえを盗み見する男を片っ端から圧し斬ろうとする長谷部。だがこの日は違った。見せつけたくて堪らない。へし切長谷部という刀は独占欲の塊なのだ。長谷部も,なまえから贈られた帯と香を身につけている。控えめな香りの中には,どこかなまえから漂う甘い香りが混ざっているように感じた。
「少し,散歩をしましょうか。」
長谷部は,なまえの手を取り茶屋から出た。いよいよである。前回,石切丸の祈祷を受けた後に,“祈祷の御利益の検証は今度”と誘ってしまったのだ。その今度が今だ。とりあえず,目的地である高級連れ込み茶屋へと歩みを進めた。どう誘ったら良いものか。無粋な誘い方はしたくない。考えあぐねているうちに,目的地に着いてしまった。
「約束,覚えていらっしゃいますか?」
「・・・・・・・はい。」
通された部屋は,紅い天井や襖に豪奢な絵が施されていた。だが,不思議と下品さはない。隣の寝室も同じ造りだったが,枕元で照らされる提灯の灯りが,この場所がある目的に特化されていることを示している。なまえは,備え付けの茶葉でお茶を入れた。長谷部は出された茶碗を暫く見つめた後,口を付ける。
(いよいよ勝負の時だわ・・・)
なまえは生娘をとうに卒業していたため,ここがナニをする場所か心得ている。しかも,“祈祷の御利益検証宣言”があったのだ。下着を新調した。普段,赤いTバックなど攻めてる下着を身につけるなまえだが,今日は薄桃色だ。初回から攻めるなんて素人の所業。あざとすぎる藤色は初心者が選びがちな色。生娘をとうに卒業した知識と経験が導き出した色こそ,薄桃色なのだ。
「ゆっくり湯浴みをして下さい。俺はこうして寛いでいますから。」
「・・・!では,お先に失礼します。」
閉じた扇子の先を唇に向けて小首を傾ける長谷部。仮面に覆われていない薄い唇の口角は,綺麗に上を向いている。醸し出される色気の凄まじいこと。なまえは,夜王の異名をとる燭台切と肩を並べる程の色気を持つ生物に初めて遭遇した。強要するわけでもなく,しかし逃げ道を与えるわけでもなく湯浴みを促す鮮やかなお手前。なまえは感動を覚えた。
なまえが湯浴みを済ませ部屋に入ると,長谷部が立ち上がった。そして,なまえの前に立つと,彼女を優しく腕の中に閉じ込める。これからなまえの体を暴く男の逞しい体。厚い胸板を着物越しに感じて,お腹の奧がきゅんと疼いた。
「お体を冷やさぬように。すぐに済ませますから,待っていて。」
長谷部がなまえの頬に親指を滑らした。赤く艶めく唇を食むようにキスを落とされる。初めての直接触れ合うキスだ。彼の唇は少し温度の低くて,湯上がりのなまえには気持ちが良い。再びなまえを抱きしめた後,彼は浴室へ消えていった。完璧な動き。生娘をとうに卒業したなまえも形無しだ。しかし,もたもたしている場合ではない。彼が湯浴みをしている間に色々と準備しなければならない。こういう時の女って忙しいのだ。
(同士よ,俺は大丈夫なのか・・・)
湯浴みを済ませた長谷部は,洗面台の前で固まった。鏡に映る彼の顔は不安と期待が入り交じっている。手に持つは,こんのすけから贈られた無敵仮面。確かに,この面を付けると,底知れぬ力が宿り大胆になれる。祈祷の御利益検証の誘いも連れ込み茶屋へ無事に連れ込めたのも,他ならぬ無敵仮面のおかげだ。しかし,これから行うことは次元が違う。いつか主人の閨に侍るためにと研究を積み重ねてきたが,所詮は座学。無敵仮面をもってしても通用する自信はない。だが,この機会を逃すわけにはいかない。彼は意を決し,寝室へと続く襖を開けた。
「・・・・・・・・・どう,されましたか。」
寝室へ入ると,布団の横に背筋をきちんと伸ばして正座するなまえがいた。しかし,彼女の顔には翡翠色の不気味な仮面が付けられている。予想外すぎる出来事に長谷部は言葉を失う。予め開かれた軍議においても,彼女が仮面を付ける可能性については一切議論されなかった。司令塔であるこんのすけすら予期出来なかった事態。無敵仮面の力もここまでか。
「先生がお面を付けていらっしゃるから・・私も付けた方が良いかと思い,用意致しました。」
「俺は訳あって外せません。勝手な言い種ですが,俺はお美しいお顔を拝見しながら貴方を抱きたい。」
当然,仮面なしが良いに決まっている。しかも,なまえが付けている仮面はかなり不気味だ。確か,どこぞの滅亡した国の埋葬品ではなかったか。遺跡好きのなまえが書物を見せてくれた記憶がある。彼女は普段,仮面を付けない。この日の逢瀬のためにわざわざ買ったのだろう。何故その仮面を選んだのか。いつどこで買ったのか。なまえは男士達を"癖が強すぎる”とぼやいているが,それを束ねる彼女も相当癖が強かった。
「そう,ですか・・・。わかりました。」
外された不気味な仮面から,美しいなまえの顔が現れる。はにかんでいる彼女の頬は,提灯の灯りの下でも赤く染まっているのが容易に見て取れた。素顔を見て抱きたいとはっきり言ったことは,なまえにとって好ましい返事だったようだ。
(仮面の索敵は成功か・・・)
長谷部は,心底安堵した。思わぬ危機を自分の力で回避できたのだ。不気味な仮面を付けていようが,なまえはなまえ。抱く自信は当然ある。しかし,愛しい女の顔を見て抱きたいというのが男心だろう。立ち上がったなまえは,水の入ったグラスを乗せたお盆を持って来た。
(器まで良く冷えている・・・)
主人にこのような事をさせることは,主お世話係の流儀に反する。しかし,今は仮の姿だ。なまえを見遣ると,彼が脱いだ着物を衣桁(いこう)に掛けていた。長谷部は忠犬先生に扮することで,今まで知らなかったなまえの姿を沢山見知った。普段の彼女は,審神者として分け隔て無く皆の世話を焼いている。鍛刀嫌いだが,その他の仕事には熱心だし優秀だ。演練などで他の審神者を見る度に,あの癖が強すぎる男士達が皆,主が一番綺麗だと口を揃えて言うほど美しい。とにかく自慢の主なのだ。
(このようなお姿を一体どれだけの男が知っているのか・・)
しかし,それは本丸という限られた世界の中のなまえでしかなかった。男にこれほど艶のある顔を見せるなど知らなかったし,ここまで男心を擽るきめ細やかな気遣いをすることも知らなかった。鬼の形相で電卓を叩き壊したり,栄養ドリンクの空瓶に埋もれて目を血走らせながら徹夜する本丸でのなまえからは想像もできない女の姿。本丸の外にいる男達は,自分の知らないなまえを知っているのだろうか。全くもって面白くない。
「俺は,貴方を愛しています。」
「・・・私も,お慕いしています。」
長谷部は,着物を衣桁に掛けているなまえを後ろから抱き締めた。今から己が暴く細く柔らかい体を。彼女の今にも消え入りそうな声が鼓膜を震わせた。こんな声を出すこともこんな言葉を吐くことも,長谷部は何もかも知らなかった。彼女の首元に顔を埋めると,嗅ぎ慣れた甘い香りがする。人の身になって得た心を甘く締め付け,捕らえ,奪っていった香り。この香りだけは知っていた。